2022年2月24日

少し遅めのお昼休み。ドトールでいつものレタスドッグとコーヒーを頼んで、パーテーションで区切られた席について、Twitterのアプリを開いたら、戦争がはじまっていた。

横断歩道の信号が赤く点滅して青に変わる。また赤に変わる。松屋に吸い込まれていくサラリーマン。ウーバーイーツ。赤信号でスマホに目を落とし、青になって少し来てから歩き出すヒール。マスクとコートと陽の光。交通量調査。窓から見えるものは全然変わっていない。

でも。誰かを楽しませるはずのYou Tubeも。もうほとんど開かなくなったフェイスブックも。ラインも、スマートニュースも、Instagramも。癒やしの猫が流れてくるようなTwitterも。親指サイズのアプリに置かれたおんなじ文字の並び。

「戦争がはじまりました。」

紛争、内線、武力衝突。それぞれのことばには背景も意味も歴史も宿っていて、でもあらゆる表現を駆使してなんとか使わなかったのだと思うけれど、今日は違った。ただはっきりと書かれた「戦争がはじまりました。」重い。重すぎて現実感がない。ごめんなさい。ないけど、現実だ。わかる。わかるけれど、日常と片手でアクセスできる世界のどこかが乖離している。
なんとか差を埋めなくちゃいけないと焦ってしまって、その重さを確かめていくように、感じられるように情報を拾い読みしていく。集めていく。

世界も国も戦争も、出来事があまりに大きすぎて、なんにもできない無力だって思うのに、それでも無知でいたくない。そんな後ろ向きな、偽物の気持ちが次々と流れていくニュースを読ませる。読まなきゃいけない気がする。背景も、経緯も、思惑も考え方も歴史も今起きていることも出来事も報道も、全部インプットしなくちゃいけない。そんな気がしてくる。

でも、やればやるほど、ますます自分が軽くなる気がするし、なんでだろう?恥ずかしい後ろめたい気持ちがするし、世界がこんななのになんで私は普通に座ってスマホいじりながらコーヒー飲んでんだろう?って気がしてきて、少ししんどくなって画面を消した。

スマートフォンの中の戦争。

消せば、なくなる、わけがない。わかってるけど、それでも、このレタスドッグを頬張って、ぬるくなったコーヒーを飲み干して、スマホをポケットに閉まって。たぶん、当たり前のように、何事もなかったように、仕事に戻るだろう。戻らなくちゃいけないし。腕時計を見る。そろそろお昼休みが終わる。

少し前、アンティークの腕時計を集めるのが趣味だった。もうほとんどを手放してしまったけれど、これは自分の生まれた年に作られた腕時計が欲しくてオークションで購入した時計だ。ソ連製の時計で、作りがしっかりしてる。現地のディーラーから送ってもらった。到着まで長く長く待って、やっと届いて開けてみると、腕時計と一緒に小さなコインが入っていた。
間違って入れたのかな?と思って問い合わせたら、「遠く日本に送るのが嬉しかったから、国を感じてもらいたくていれた。あと、あなたの幸せを願って。」と返ってきた。

あなたの幸せを願って。

名前も、メモも、コインも忘れてたし、たぶん閉まったまま失くしてはないと思う。何処かにいってしまったかもしれない。そんな小さなつながりからなんとか現実を飲み込もうとしている自分が嫌になるけれど、ああ、彼女は元気だろうか。今、何を思ってるんだろうか。幸せのコインは、効かなかったのだろうか。

帰り道、Twitterを開くと、やっぱりというか、案の定、あらゆることばが飛び交っていた。

言ったほうがいい、言うべきではない、正しい、間違ってる、しんどくなったらニュースを見ないといい、知っておいたほうがいい。まとめ。解説。今何が起きているのか。様々な伝え方、言い方、視点、情報。次々と流れていく文字。動画。写真。見出し。どんなことばも適切な時を失い、全てがもう遅い。それでも、私たちは書いて、口にして、何かを誰かに伝えていくんだろう。拾っては読み、書いては読み、流して集めて、気持ちも思いもなんとか心の外に出して、文字に置き換えて、なんでもいい、やれることはないのかを探していく。

明日だってきっと、出勤して、仕事して、金曜日で、夜更しして、お腹空いて、食べて、ごちそうさまおやすみなさいと過ごす。そんなふうに、生活していく。でも、無力だけど、無知でいたくない。何ができると思いたい。

待てうかつに近づくなエッセイにされるぞ あ、ああ……あー!ありがとうございます!!