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フジロック 2021

公園で、自宅で、一人、フジロックの配信を見ていた。

上原ひろみ ザ・ピアノ・クインテット
始まりから終わりまで、手も足も出ず、一息もつけず、ただ圧倒され。
現場にいたなら、フジロック経験の中でも指折りのアクトになっていたのではと思う。
「行けば良かった」という思いと「行かない」という自分の選択を天秤にかけながら、ビールと苦い思いを飲み込む。
最後に出た歓声。歓声禁止というルール上は「出てしまった」と言うべきか。
しかし、あの歓声はお化け屋敷で驚かされた時に出てしまう声と、根本は一緒なのではと思てしまった。反射的に出てしまう、ポーズでもファッションでもない歓声。それも押し殺し我慢すべきということですよね。無念。
そんな窮屈なルールを守らなければならない、絶望的なパンデミックを憂いつつ、あの歓声が上がった瞬間は、恐ろしく美しい光景だった。

2006年、高校の友人と行った初めてのフジロック。
中学生から見続けた毎年のタイムテーブル。
浪人生活の闇を終え、大学生になってバイトで稼いだチケット代。

前夜祭。
Flogging  Mollyのモッシュピットに勢いだけで飛び込んだあの瞬間から、自分にとって天国のような数日間だった。
そしてそれは、その後の人生において、毎年訪れる1年の目標にすらなった。

たかが、フェス。
大袈裟だ。
そこまでじゃないだろ。
分かる。
すごく分かる。
これは、ただの思い入れの話。
自分が大事にしてるボロボロのぬいぐるみのような、そういう話だ。

2020年、フジロックは延期となった。
それまで当然のように参加していた天国のような数日間が、パンデミックの中で、失われた。
味わったことのないような、喪失感と落ち込む気分。
フェスが無くなった程度で。たかが、フェス。自分でもそう思った。
全世界が共通に向き合うことだから仕方のないこと、そう思うことでやり過ごし、それでも人生で何番目かの落ち込みだった。

今現在も新型コロナウイルスというパンデミックの中で、世の中は分断、不安、希望が入り混じり、混沌としているように思う。

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という下書きが残って放置されていたので公開した。


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