「ライフイズストレンジトゥルーカラーズ」相手の感情を知った上でコミュニケーションを図るゲーム「レビュー」

 時に、相手の感情を読み取れれば、どんなにコミュニケーションが楽かと考えることはないだろうか。それは会話において意思の疎通ができ、考えている事が円滑に理解できるため下手なコミュニケーションで相手を怒らせてしまったり、泣かせてしまうことが無い。そんなコミュニケーションは現実では難しいのでひとつ感情にちなんだゲームを紹介したい。
 スクウェア・エニックスより2020年9月10日に発売されたアドベンチャーゲーム「ライフ イズ ストレンジ トゥルー カラーズ」である。(日本語版は2022年2月25日発売)
 ライフイズストレンジシリーズ第四作目である今作の主人公アレックス・チェンは相手の感情をオーラとして視認でき、その色で喜怒哀楽を判別できる力を持っている。その応用としてオーラを介して相手の考えていることが分かったり、相手の感情がより強いものであれば感応し、その感情が自分に反映されたりする。相手が怒りの感情をあらわにした際は、アレックスもそれに当てられて怒ってしまうと言った具合である。そのためにアレックスは、この力を忌み嫌っており隠して生きてきた。
 今作は、もう既に能力を持った状態から始まり過去に能力を使ったやり取りも見られる。前作まではプレイヤーがゲームを進めていると死中に活を求めるかのタイミングで力に目覚める描写があった。この違いもありプレイヤーとしては、感情が分かり相手の考えていることが分かるのは良いことではないのか?と考えてしまう。過去に嫌な体験があり、アレックスはこの力を良くないものとして扱っているため、初めのうちはプレイヤーがアレックスの能力に対する認識に違和感を覚えるだろう。と言うのもオープニングでアレックスが孤児院の先生との会話で「兄には…あのことは伝えていません ここを出たら…普通の人生を歩みたいから…」と発する。
 考えてみれば一作目のライフイズストレンジは、力によって未来が大きく変わってしまったり、ライフイズストレンジ2では、常に力を隠すように行動してきた。力の使い方には最善の配慮をし、その力を隠して生きていく。ライフイズストレンジトゥルーカラーズは前作たちのハイブリッドと言ったところだ。 
 物語はアレックスが孤児院から出て、兄ゲイブの住むコロラド州の山奥にある町「ヘイブン・スプリングス」に引っ越すところから始まる。ゲイブは既に町では人気者でコミュニティを形成していた。妹に対して何の苦も無くこの町で過ごしてほしいと願っていた。この平和な町でならアレックスも力を使わずに生活ができるのではないか、兄と一緒に生活ができるのであれば笑いに満ちた生活を送り他人の感情に当てられずに済むのではないかと思えるが、そうは問屋が卸さない。
 引っ越した初日にして事故で兄が死んでしまう。町の人気者であった兄が亡くなったことによって町は悲しみ、不安、そして怒りに包まれてしまう。
そう、この物語は主人公アレックスが人々の抱く感情の根源に寄り添い事故で亡くなった兄の真相を明らかにするため隠してきた力を使う話である。
 ゲームの概要は上記の通りである。ここからは少し俯瞰的な話をしたい。ライフイズストレンジトゥルーカラーズは感情を色として可視化できるアドベンチャーゲームである。感情をゲームの題材として扱うことは珍しくないが、それを使ってコミュニケーションをするというのは他のゲームと比べると特殊なことをしているのがわかる。感情を扱っているほかのゲーム参考に比較してみよう。
 SNKの対戦格闘ゲーム「サムライスピリッツ」シリーズでは怒りゲージというシステムがある。これは自分が操作するキャラクターがダメージを受けると蓄積されていき、怒りゲージがマックスになれば、攻撃力が上がったり、一部の必殺技が強化される。体力ゲージが減り追い詰められたところで逆転を狙うことができるシステムである。
 もうひとつ例を挙げる。2005年10月20日に任天堂から販売された「スーパープリンセスピーチ」では喜怒哀楽を4つのアクションと捉え、場面ごとに使い分けてステージを攻略していくという扱われ方をしている。喜びでは、嬉しさのあまり気分が高揚し高くジャンプできる。哀ではピーチ姫が涙を流しその涙で植物が成長すると言ったアクションである。
 この様に感情を扱うゲームは存在するが、ゲームのシステム、又はアクションとして取り扱われている。それは、ゲームの性質上プレイヤーができる行為というのは短絡的なことであることが多いためである。それでいて感情は人によって捉え方がことなるためゲームの性質とマッチしにくいため、単一的なシステムでしか表現できなかったのではないかと思う。
 しかし、ライフイズストレンジトゥルーカラーズは感情を可視化できることから、プライベートである感情を見ることができ、プレイヤーが誰にでも共有することのできる状態になる。これは都合が良いと思えてしまうが、会話の部分をプレイヤーが選択することによってゲームとして成り立っているのである。伝えるべきことや隠したいことの取捨選択ができ、プレイヤーは感情を読み取った上でキャラクターとのコミュニケーションに尽力するといった流れである。
 本来、感情と言うのは実際に他者があれこれできたり、見ることのできない存在である。そのため、ライフイズストレンジトゥルーカラーズは他者の感情をシミュレートすると言ったオルタナティヴなゲーム表現であるに違いない。
 ただ、クリアしたプレイヤーならわかると思うが、最後の場面で、ある種リザルト画面又はスコア画面の様な感じを受けてしまう。これが従来のライフイズストレンジとは大きく異なる部分である。プレイヤーが選択して物語を進め辿り着いたエンディングがプレイヤーのゲーム体験ではなく、周回プレイを前提として正しいルートを進み評価を得るエンディングになっている。これは良くも悪くもゲームのリザルト画面や評価画面である。これだけゲームとして珍しい手法を取っているのに、ここだけ普遍的で残念だった。今後の発展を期待したい。

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