4/21 森の中に住まう
家の中に植物を置くことに躍起になっている。どうしても家の中を熱帯雨林のジャングルのようにしたいと思っているから、道端を歩いていても自然と生垣や、人様の庭先や、寺に植えられている大層な木々に目がいく。
木や植物のすごいところは、根を張ったその場所から自力では移動が難しかったり、繁殖活動まで他の生き物の活動に委ねられているにも関わらず「そこにある」という点においてプロフェッショナルを貫いているところだろう。まだ情報がこんなにも煩雑に絡み合っていなかった頃から、植物はもっと遠くに存在することに長けていて、それは蝶や鳥が受粉活動を伴う移動で他の場所にいけるという意味だけではなく、火山活動のような地底から湧き出るエネルギーを受け止めるような少し霊的な意味での移動のことも含まれる。日本は意外にも活火山が多く、だからこそ温泉が沸いていたりする。家の中に火山を作るとしたら、やっぱり温泉も一緒に沸いてくれたりするのだろうか。自然環境を人工的に作られた住居の中に再現する試みはあまり効率的ではないし、再現度にも限界がある。ゴツゴツとした岩肌の上で眠るにはあまりにも軟弱な体で、火を起こすのにもガスレンジや、最低でも火起こしのための道具を必要としている。Comfort zone 快適な間を延長するための試みとしての技術発達。だから観葉植物を置いたくらいで、本当の山の中や自然環境を再現できるわけではないことくらいは理解している。けれども、家の中のスペースを見渡したときに、四隅や天井に蔦の葉が広がってくれていたら嬉しいし、床が芝生だったらそこに寝転がりたくなる。いつか家を建てるならば、家の真ん中に大きな木を植えられるような吹き抜けを作りたい。基礎部分に穴を開けるから、設計士はあまりいい顔をしないだろうけれど。
これは適当な山の中でキャンプをしたら全て解決するのでは???家の中に森をつくるよりも全然早いが、毎日行けるわけではない。土間のあるような古い家に引っ越すのもなんだか良いかもしれない。自分が住めるかもしれない可能性を拡大したいのかもしれない。
最近「アニミズムという希望」という野草社から出版されている本を読んでいる。これは琉球大学での5日間の特別講義の内容を本として編纂したもので、作者の山尾三省さんはここで多くの詩を引用して講義を展開している。日本語の詩というと歌人を思うけれど、自由律俳句のような形で韻を踏む詩を詠む詩人など、心情描写に優れた人たちもいる。詩人は社会を鋭利な視線で切り出す達人だと思っている。私には取り立てて趣味がないと思っていたけれど、詩を書く人のことを知るほどにこれは良いなと感じるようになった。琉球大学で4年間くらい過ごしてみるのもいいかもしれない。この本が出版されたのは2000年で、もう24年前だけれど今読んでいるとまさに今必要とされているバイオリージョナリズム生命地域主義のことが書かれている。地域の中で循環する生態系を形成することが、また別の地域の生態系の循環に寄与でき、生命をもつものたちにとっての恩恵になる。それは「置かれた場所で咲きなさい」のような突き放したものの見方ではなく、環境に住まうものにとっての最善をそこにいる人や生き物たちで目指すことだと私は解釈した。(置かれた場所で咲きなさいって安全な家や居場所の中から発せられる言葉で、そこが灼熱のアスファルトでもおんなじこと言うのかよ、と聞くたびに思う)
山尾さんは東京生まれだけれど屋久島に移住した人で、その行動力も魅力的に映った。
屋久島の杉を見に行ったらまた考え方が変わるかもしれない。
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