3.11

僕の中で「3.11」と「植林」は、繋がっている。

あの日を境に、僕は別の時間を生きているような感じだ。

あの日、僕らは「当たり前」を失った。
清らか水も空気も、土も。
それらが、当たり前に在るものではなくなった。

きっと、居たはず、長い年月をかけて、愛情込めて土作りをされていた農家さん。
きっと、居たはず、先祖代々の山を丁寧に守り続けてこられた林家さん。

けれど、土は一瞬で汚染された。
そして、樹木も汚染された。

僕ら家族は移住を決めた。清らかな「水」を求めて、九州・阿蘇へ。

阿蘇に来たときに思った。
あちこちに湧き出す水ーーこれは、当たり前じゃない。奇跡なんだ。

そして漠然と思った、自然のろ過装置ーー山があるから、水が清らかなんだ。

その半年後、僕は一人の山師さんと出会い、山で植林していた。『運命』。そうとしか思えなかった。

それから、毎年、毎年、春が来る度に、僕は鍬を持って、苗を担ぎ、山に上る。

冬の間、僕は重機に乗り、チェーンソーで樹を倒す。けれど、春が来ると僕は、重機を降り、チェーンソーを置いて、騒音のない山に、鍬一本で向き合う。

自分は、頭でっかちの人間だ。自然に向き合ったって、僕の乏しい感性では、たいしたことは感じ取れていないだろう。

けれど、だからこそ、自然の有り難みを強く感じてもいる。どんなに知性が発達しても、僕らには身体があり、感性がある。山に入るたび、僕は人としての偏りを、修正してもらっている気がする。

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