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日本クイズ史の「東洋的な見方」(ユリイカ『クイズの世界』を読んで)

(過去に書いたものを加筆修正しました)

まえがき

『ユリイカ 2020年7月号 特集=クイズの世界』(以下『ユリイカ』と表記)を読んだので、ここに感想をあげていきたいと思います。

もともと習慣としては思想誌を読まないこともあり、日ごろクイズを趣味にしつつも、この『ユリイカ』にもあまり食指が動かなかったのですが、もともと愛読している文筆家などが参加していたこともあり買ってみることにしました。

本書には、大ざっぱにいって三種類の文章がありました。

1)クイズの「現場」からの文章

2)メディア経験としてのクイズ分析

3)クイズそのものを「批評」する文章

とりあえず、この順番で感想を述べていきたいと思います。

クイズの「現場」から

クイズプレイヤーやクイズ作家などによる論考やエッセイ。競技クイズにかんする体験談や、クイズイベントを運営するための心がけ、クイズ番組をつくっていくためのコンセプトなどがこれにあたります。

私じしんがテレビで見たことのある方や、クイズプレイヤーとしての強さに感心させられた方なども名を連ねており、クイズを趣味をしている人間にとっては親しみやすい内容でした。今回『ユリイカ』に収められた文章の多くはこれに当てはまるのではないでしょうか。

いわゆる「競技クイズ」というジャンルでの体験が多く語られており、「競技クイズ」に縁のないひとにとっては、そうしたジャンルの内実を紹介する役割も果たしているように思います。伊沢氏はそれを「ルールのもとでの殴り合い」と言い、徳久氏はそれを「メタ趣味」であると言います。

この「現場」からの語り手に共通しているのは、「クイズ文化をいかに発展させるか」を真摯につきつめているところです。その真摯さは、筆者じしんがクイズをやっていくうえでも参考にできるでしょうし、あるいはクイズ以外のジャンルにも通じるものがあるのかもしれません。

しかし、筆者が『ユリイカ』に期待しているのは、そういった業界内の打ち明け話をこえて、より一般に「クイズ」とは何か、「批評」的にとらえるための手がかりです。本雑誌が「詩と"批評"」を名乗っているように。

そのような観点でおもしろく読んだのは、冒頭の対談『クイズ王とは何者なのか?』で言及されていた、『FNS1億2,000万人のクイズ王決定戦!』(以下『FNS』と略記)についての話でした。

この対談ではクイズ文化を「夢の時代(1963-1985)」「王の時代(1985-1995)」「常識の時代(1995-2008)」「超難問の時代(2008-)」に分けています。

『FNS』は1990年から1994年まで放送され、『史上最強のクイズ王決定戦』(1989-1995、以下『史上最強』と略記)と並んで「王の時代」を支えた番組といえるでしょう。

「王の時代」には、クイズをする人々のモチベーションが、賞品を得るといった「夢」ではなく、「クイズ王」になるという価値観であったと言われています。その後『FNS』『史上最強』の終了にともない、クイズ番組はタレント参加型で「常識」を問うものが増え、視聴者参加型の番組は減っていく。その間にクイズプレイヤーは愛好家的に大会を開いたりして、いわゆる「競技クイズ」シーンの成立、ひいてはやがてくる「超難問」という演出を準備していた。ざっとこのように推移したようです。

同時期に放送された『FNS』と『史上最強』ですが、両者は少しちがう趣の番組だったようです。

伊沢:難問の『史上最強』、奇問の『FNS』ですよね。

「クイズ王とは何者なのか?」

そして、いまのクイズ界を準備しているのは『史上最強』であり『FNS』はあまり継承されていないと対談では語られています。

徳久:『FNS』では「なんでそんなこと聞くの!?」というような、あまり必然性のないことがばんばん問題になっていた。プレイヤーもコミカルに扱われて、同時期なのにずいぶん違うテイストですね。参加者はかなり重なっているけれど、両方で勝ったという人もいない。

「クイズ王とは何者なのか?」

これは筆者の実感とも一致します。

「競技クイズ」がひとつのデータベースを介した共犯関係のうえに成り立っている、という見解はこの雑誌のいたるところで目にします。そのデータベースに寄与している度合いは、『史上最強』のほうが大きいのは間違いないでしょう。

個人的な体験をいうと、私はいわゆる「競技クイズ」対策のために、一時期は『FNS』と『史上最強』にかんする書籍を古本屋で買い集めていましたが、そこでより役に立ったのも『史上最強』だったような気がします。『FNS』の問題集は、徳久氏が語るように「あまり必然性のないこと」が訊かれていたようで、せっかく買ったのにあまり読みませんでした。とはいえ、ならば「必然性」とは何だろうかと自問してみると、それは「競技クイズ」というデータベースへの収まりのよさを言い換えたものに過ぎません。

動画サイトに上がっていた『FNS』を観てみましたが、クイズの内容に難があったというよりは、演出の工夫や参加者の扱いなどがやや洗練されていないようにも見えます。もしも番組の出来が違っていれば、『FNS』が現在のクイズシーンにも何かしら大きく影響していたかもしれません。

クイズという営みが、時代に応じていかに変質したかをただ追認するだけでなく、「もしかしたらこうであったかもしれない」という偽史的な想像力をよびおこすという意味で、『FNS』と『史上最強』の比較は興味ぶかく感じられたテーマのひとつです。

メディア経験としてのクイズ

ここでいうメディアとは、おもにラジオとテレビであり、社会学的な考察がぜんたいに多いようですが、さやわか氏の『答えは人生を変えない』はクイズゲームを扱っており、河野氏の『クイズ・ショウと文学講師』は映画への言及があります。特に後者は、知識人のあり方についてのジレンマが描かれており、太田氏が着目した日本のクイズ番組における知識人像とも通底しています。

見逃せないのは、クイズ史を語るうえでのとっかかりが、ほとんど西洋(特にアメリカ)に集中していることです。さきほどの対談でも、田村氏が「日本におけるクイズを語るうえで、アメリカというモチーフは欠かせませんね」と注意を促しています。

小川氏の『クイズ番組の今昔』、遠藤氏の『クイズ番組とテレビの果て』では、戦後いかにクイズ番組が発達していったかが俯瞰されているのですが、日本におけるクイズという文化は、基本的には西洋からもたらされたものだ、ととらえるのが自然なようです。クイズ的というくくりでいえば、「このあと驚くべき展開が!」などといって引っ張るやりかたもクイズ的といえますし、小川氏が言うところの「Jテレビ」の根幹をなしています。

しかしながら、論者たちは「アメリカの影」のみを見出しているわけではありません。

『クイズ番組の今昔』では『とんち教室』(1949-1968)という、クイズというより、現在でいう『ケータイ大喜利』や『IPPONグランプリ』に近いものが紹介されています。当時そのような番組は「当てもの」と呼ばれており、いわゆる「クイズ番組」よりは広い意味を持っていました。寄席の大喜利が体現した「とんち」にルーツをもつこの番組は、アメリカの番組をモデルとしていない、純粋な国産「当てもの」番組だったと述べられています。

戦後日本史について語るとすれば、ほとんどすべてのものがアメリカの影響下にあるに違いない。言うまでもなくクイズにもそれは当てはまります。

しかし、あえて偽史的な想像力をかませるならば、カタカナ語としての「クイズ」ではなく、日本語の「当てもの」がたどりえた発展にも想像をたくましくしてみたいですし、私はそのような論考には一定の批評性があると思います。

ワールドクイズインフォ氏は『世界クイズ入門』のなかで、「遊び」としてのクイズについて、ヴィクトリア時代のイギリスで行われていた「パーラーゲーム」や、19世紀アメリカで行われていた「二〇の質問」などを例示しています。カタカナ語としての「クイズ」は、たぶんそういったところにルーツを求めることができるのでしょう。

そのいっぽうで、日本のクイズが根底に有している「当てもの」傾向は、むしろ東洋に注目することで見いだせるのではないか、とも思います。

氏の文章が、網羅的に世界中のクイズに目配せをしており、「中南米」や「イスラーム圏」といった地域のクイズ文化は把握できていないと語っているにもかかわらず、中国語圏のクイズ文化については「把握できていない」とさえ語っていないことは示唆的です。

(かつて賞金つきのクイズアプリがブームになり、いまでも対戦形式のクイズ番組がある)

東洋的な文脈はカタカナ語の「クイズ」文化とは異質なものを直感させ、無意識のうちにわれわれの口をつぐませてしまうのかもしれません。

クイズそのものの「批評」

クイズという形態そのものを対象にして論じた文章も収録されており、そのテーマは「人工知能」「詩歌」「文学」「謎解き」「仏教」など多岐にわたっています。

それらの文章のいくつかに共通して見出せたのは、クイズの問題文という定型が、一義的な「問題-解答」という関係をもとめるという事態への煮え切らなさのようなものです。

佐々木氏の『クイズと短詩形文学の定型をめぐって』によると、クイズの定型性がトートロジカルに肯定されるようになり陳腐化と崩壊が始まっている。かつて短詩形文学の営みが「型」にこだわりつつそれを壊してきたように、クイズという営みも定型という軛に抗うことが重要ではないかと、明言はされていないものの示唆されています。

中田氏の『クイズの固定性と流動性』では、クイズという形式は、固定された知識と認識にもとづいているものの、シュルレアリスムの言語遊戯と同じように「文学的・言語的な驚き」をもたらしうるとしています。そして現在では「QuizKnock」がその流動性を体現していると氏は述べます。

山本氏の『問題がモンダイなのだ』では、ときに正解が揺らぐということ、ソクラテス的な対話において既知が未知になることが述べられています。

「クイズ批評」は総じて、「問題-解答」の一義性や固定性に対して、流動的な「問題-解答」関係を期待する向きが大きいようです。

郡司ペギオ氏の『クイズ番組のドラァグ・クイーン的解体』が本書ではひときわ異彩を放っています。この論考では、「問題」と「解答」が分かちがたく(さながら「男性」と「女性」のように)二項対立的な関係をなしていることに疑問を呈しており、流動的な「問題-解答」関係のなかで、いかにして「分かる」「分からない」という現象が成立するのかということを、精緻にかつ具体的に論じています。これについては十分な理解が叶わなかったところもあるため、最後に「補足」としてもう一度言及したいと思います。

これらの論考は、クイズそのものの本質を抉出しているという意味で、もっとも先鋭的な「クイズ批評」といえるでしょう。

日本クイズ史を捏造する

私見ですが、一義的かつ固定的な「問題-解答」という関係のなかにクイズという営みがもつひとつのリミットがあり、そのリミットを克服するには、あえて大風呂敷を広げるならば「東洋的な見方」が要るのではないでしょうか。

かりに「日本のクイズ史とは?」にたいして、模範解答として「アメリカの影」「早押しクイズ」「クイズ王」の三題噺ばかりがくるならば、やや刺激に欠けるような気もしてきます。しかし、偽史的な想像力をたくましくすれば、戦後にかぎらず日本史そのものをさかのぼって、日本クイズ(「東洋的な見方」にもとづいて「当てもの」と表現すべきかもしれませんが)の起源を捏造することさえ不可能ではない。

いったいどこまで遡るべきでしょうか。「大喜利(小川氏:江戸時代〜)」でも、「短詩型文学(佐々木氏:室町時代〜)」でもいいでしょうが、手元の『ユリイカ』はもっと過去まで見通していたはずです。そこに日本クイズの根源を見出すこともできるかもしれません。

亀山氏の『日本仏教における「問答」の意味と歴史』では、空海が密教にかんする疑問にたいしてどう返答したか、が論じられています。「問答」というコミュニケーションをつうじて仏教思想は洗練されていったのだ、というのがおもな主張なのですが、「仏教とクイズ」というテーマだったら、まあそういう方向に行くんじゃないかなという気もします。

空海がよりどころとする真言密教の経典は、龍樹というエラい宗教家が菩薩から訊いた内容らしいけど、それは誰かが見ていたのか、誰がどうやって記録したのか、と徳一という人物が訊ねている。空海はそれには答えていないけれども、どうも別の資料を見ると間接的に答えているようだ(今でいうエアリプか)。どう答えているかというと、それを言ってはお終いだ、玄奘の『大唐西域記』とか他の仏典だって口伝だし、何も信じられなくなっちゃうじゃないか。ざっくりいうとこういう内容です。

人間が最高レベルの知性を駆使しても、究極的に分からないことは分からない、誰かが付き添ったといって保証できる事実もない、という空海の見方は、既知の事実が流動的であるという意味で(またそのエアリプっぽい応答のしかたもふくめて)、一義的な「問題-解答」関係をまぬがれています。

空海は「虚空蔵求聞持法」の修行により驚異的な記憶力をもっていたとされ、現代に生きていれば「クイズ王」など片手間にでもなれたに違いありません。その空海にしたって正解は揺らぐのです。この事実にわれわれはもっと驚かなくてはならない。

ついでにいうと、彼は「男-女」を解体する「ドラァグ・クイーン」でこそなかったものの、稚児文化を日本に伝えた「日本男色の祖」ともされています。日本におけるクイズのもうひとつの深淵が、ひそかにそこに萌芽していたのではないでしょうか。

かくして、仏教的問答のロールモデルを体現したという意味では、「空海」こそが「日本クイズの父」であるという事実を筆者は捏造しました。そのような視座からでは、いったいどんなものをクイズとしてとらえることができるのか。

検索してみると、都合のいいことにこんな本がありました。中を覗いてみましょう。

『空海からの問題集』

(なお答えは「大山徳広ければ、禽獣争い帰し、薬毒雑(まじわり)生う」)

われわれが「クイズとはなにか」を考えるさいに、普通ならこのようなものは除外すると思います。ここでいう「東洋的な見方」をもって初めて、その視野を広げていくことができ、より自由で猥雑なクイズ観を見出すことができるのではないでしょうか。

最後にひとつだけ注意を促すならば、「東洋的な見方」というのは、「東洋」と「西洋」の対立のうちに、一方の優劣をアピールするものではありません。それを明述している文章で、この感想文を締めくくりましょう。

東洋・西洋というと、漠然としたことになるが、話の都合がよいから分けておく。東洋的見方または考え方の西洋のと相異する一大要点はこうである。西洋は物が二つに分かれてからを基礎として考え進む。東洋はその反対で、二つに分かれぬさきから踏み出す。「物」といったが、これは「道」でもよし、「理」でもよし。

鈴木大拙『東洋的な見方』

『東洋的な見方』では禅の問答も紹介されていますが、問いと答えが流動的に変化しあう禅のやりとりも、東洋的なクイズの一形態だといえます。それはきっと大喜利的な「とんち」の起源でもあるでしょう。

補足:天然知能としてのクイズ

私の見たところ、本書に寄せられた論考の中では、郡司ペギオ氏の『クイズ番組のドラァグ・クイーン的解体』が特にすぐれた視点を提供しています。氏は『内部観測』という複雑系にかんする本も著しており、伊沢拓司『クイズ思考の解体』で言及されたテーマにもつながってくるかもしれません。

とはいえ内容がいかんせん難解であり、具体的にクイズの「ドラァグ・クイーン的解体」なるものをどう実践していけばよいのか、よく分かっていません。もしかすると、従来の「クイズ」という枠組みではなし得ないのかもしれない。

ここでは「天然知能」という、郡司ペギオ氏の造語を手がかりに、本論考を理解する助けになりそうな要素をピックアップしておきたいと思います。

そもそも「天然知能」とは何か。

郡司ペギオ氏は、これを「自然知能」や「人工知能」との対比で語っています。

自然知能は、

世界全体という大局的知識があって、そこから部分部分を理解し、位置を把握していく

郡司ペギオ幸夫 『天然知能』

という意味で「三人称的知性」と呼ばれています。

自然知能は、世界に対する正しい知識という意味で、客観的知識を指向し、自分はそれを所持していると信じています。その意味で、その知性は、三人称的な、「わたし」や「あなた」といった主観的な経験を無化したものだと言えるでしょう。

郡司ペギオ幸夫 『天然知能』

人工知能は、

データの集まりとしてのみ、世界を把握する

郡司ペギオ幸夫 『天然知能』

という意味で「一人称的知性」と呼ばれています。

人工知能は、世界にとっての知識ではなく、自分自身にとっての生活世界・知識を構築するのです。知覚されたデータを集め、繋ぎ合わせ、自分自身が活用できる世界として、世界を認識するのです。それは徹底した「わたし」の世界であり、一人称の世界です。

郡司ペギオ幸夫 『天然知能』

これらに対し、「天然知能」は、「一・五人称的知性」と呼ばれています。

一・五人称とは、「あなた」に対面する「わたし」のことです。「あなた」自身ならそれは二人称ということになります。しかし、今問題にしているのは、飽くまで、あなたと向き合っている「わたし」なのです。(…)あなたは、わたしにとって想定外の何者かなのです。(…)つまり目の前のものに対し、まだ知覚されていないにもかかわらず、予期し得ない何かが存在することを受け容れ、待っているのです。それがわたしの「あなた」に対する態度なのです。

郡司ペギオ幸夫 『天然知能』

別の著書では、

頭で考えるのではなく、なんだかハッと感じてわかる「わかり方」を、私は天然知能と呼んでいます。

郡司ペギオ幸夫 『やってくる』

と語られています。

ならば、「天然知能」と「問題-解答」プロセスはどう関係するのか。

人工知能は、何か見せられたり聞かされると、〈問題〉が与えられたと考えます。それに対して判断することは、その問題に対して〈解答〉することだと人工知能は考えます。(…)解答ってなんでしょうか。もうこれ以上問題については考えなくていい、という状態です。

郡司ペギオ幸夫 『やってくる』

一義的な「問題-解答」という関係は、「人工知能(的な知性)」の領分であるともいえます。さながらクイズ番組『ジェパディ』で正解をはじき続けた「ワトソン」のように。

いっぽう天然知能については以下のように語られます。

人工知能は徹底して外部を排除する。天然知能は外部を感じる。この違いこそが重要なことです。しかし、ただ待っていれば「やってくる」わけではない。問題と解答の関係をこじらせることが必要です。それは気の持ちようではありません。技術と言ってもいいものなのです。

郡司ペギオ幸夫 『やってくる』

「問題と解答の関係をこじらせる」ことで、天然知能は外部を感じる。

同書の例を挙げるならこのような状況です。

「生きるってなに?」という問いがあるとする。これに対して、たとえば映画の『生きる』を答えるならば、「映画でいいのかよ」というツッコミが入り、それによって文脈の逸脱が起こる。

ここで、「生きるってなに?」という問題と、映画『生きる』との間に大きな「ずれ=スキマ=ギャップ」が見出されることになります。

このようなずれ=スキマ=ギャップは、解答が適当でないことや、正解ではなかったことなど、ないない尽くしで否定的な意味しかないように思えます。でもそうではない。これこそが、今まで想定もしなかったようなものを呼び込んでくる「仕掛け」となるのです。

郡司ペギオ幸夫 『やってくる』

クイズにおいて「ずれ=スキマ=ギャップ」を重視することは、いっけん適当でない解答や、正解ではない解答などに相応の立場を与えることを意味するわけで、なかなか現実には想像しづらいですね。

ずれ=スキマ=ギャップがあるからこそ考えます。なんか他にあるだろ、と。しかし考えてどうなるものでもない。でも考え、やきもきして、焦って、諦めて、ぼんやりしていると、突然、感じる。文脈が固定されていたときにはとうてい見つからなかったような何か、そのときには予想もしなかった何かが「やってくる」のです。

郡司ペギオ幸夫 『やってくる』

ならば、『クイズ番組のドラァグ・クイーン的解体』では、どのようなクイズが例示されているのでしょうか。

ひとつは、タイトルの由来にもなっている『ル・ポールのドラァグ・レース』です。

詳細は本文を見ていただくとして、さっきの内容と関係ありそうなところだけ引用していきます。

ところが、『ル・ポールのドラァグ・レース』の面白さは、そういった単なるパフォーマンスの凄さにあるのではない。まさに問題と解答の関係を変質させ、その二項対立の向こう側へのスキマをこじ開ける点で、問題・解答の構図に留まらないのである。

『クイズ番組のドラァグ・クイーン的解体』

それは、問題・解答の二項対立から出発して、その成立条件を突き崩し、スキマがないと思われた問題と解答の間を広げていく。そうして、問題と解答に従属していただけと想定された参加者が、レース参加者に留まらない何者かとして、そのスキマを通してやってくるのである。

『クイズ番組のドラァグ・クイーン的解体』

これらの記述を見るに、氏が番組に期待しているのは、おそらく先の文章でいう「やってくる」という境位ではないかと思います。

そうした境位をクイズ番組に実装できるのでしょうか。

それをクイズにおいて実装するとは、「解答」を認識しながら「解答でないもの」を感じることが必要となる。情報番組の体裁を取りながら、情報の外部を感じることが主題となっている。そのようなものがクイズとして可能だろうか。情報自体には意味がないのである。

『クイズ番組のドラァグ・クイーン的解体』

私は、『さんまのスーパーからくりTV』の「ナイスボケ!」や、「ソウゾウ力」を重視する近年の『高校生クイズ』などを想像しましたが、以下のくだりを見ると、どうもそうではないような気がします。

しかし、問題と解答の関係を緩和し、むしろ想定外を期待するクイズはどうか。問題に対して想定される枠組みはあっても、その外側へ逸脱することこそ尊ばれる。それはなんだか、自主性を重んじる教育者のようだ。特定の枠組みからの逸脱を期待されても、もちろん野放図ではない。(…)だから、この意味でのクイズの拡張は、決して「外部=リアリティ」に届かない。

『クイズ番組のドラァグ・クイーン的解体』

本論考で「外部にリアリティを感じる番組」としてあげられているのは、太田和彦の『全国居酒屋紀行』です。

甘鯛の焼いたのは骨が多いが、うまく食べられるかと問う女将がカウンターから下がると、太田氏はすかさず言う。「魚を食べるのは上手ですか、と言われてしまった。私は魚を食べるのは上手ですよ」。黒糖焼酎の製造所を訪問し、素材である黒糖をカッターで削り出し、味見を進める社長は、「潮風が当たっているから、ちょっとほろ苦いんですよね」と言う。これを受けて太田氏は、「ヘー」と言いながら口に含むのだが、しばらくすると独り言のように「ほろ苦いかな……」と呟く。すると絶妙の間をおいて、上方の虚空の一点を凝視しながら、社長は「今年はあんまり、ほろ苦くないみたいですね」と答えるのである。二人の間に何が流れたか、どういう思いがあったのかを想像することが楽しいのではなく、ただただ与えられた言葉と映像に向き合うことで、そこにないものを感じられるのである。

『クイズ番組のドラァグ・クイーン的解体』

このような状況を実装したクイズ番組なら、現代人の生き方を変えてくれるのではないかと郡司ペギオ氏は締めくくるのですが、私じしんはまだ具体的にはイメージできていません。

とはいえ、「天然知能」という視座を通して、おおよそのアウトラインは記述できたのではないかと思います。私ができるのは、いまのところこれくらいです。

たびたび引用した『天然知能』によると、天然知能こと「一・五人称的知性」には、「何だろう」しかないそうです。ですから、ここでも断定的な解釈はやめにして、「何だろう」という感覚を保ったまま本章を締めくくろうと思います。(終)

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