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「タイパ」を意識する若者?

最近の若者は「タイパ」というやつを意識して行動しているらしい。

かくいう私も若者の端くれとして「タイパ」という言葉を聞いたことがある。
「タイパ」とはタイムパフォーマンスのことで、所謂コスパのタイム(時間)バージョンということだ。

しかし、私はあまり「タイパ」を意識した生活はしていない。正確には、「時間がもったいない」から動画を早送りにしたり飛ばしたりしているわけじゃない。

「タイパ」が言われ始めたのは、「映画を早送りで見る人達」が認知されてきたあたりだろうか。こういう若者をテーマにした本もそのままの題名で出版されているらしい。
少し前には、ファスト映画という映画を10分ほどにまとめた動画が映画の映像をそのまま使用していることで、問題となったが、これも「タイパ」を認知させた問題のひとつだろう。

私自身、倍速で見る動画と、見ない動画がある。
その背景にあるのは、膨大なコンテンツの量(数と共にコンテンツの長時間化)である。到底、全てを鑑賞することはできない。同時に、全てを鑑賞できないためコンテンツを「趣味」とする場合のハードルが高くなっているように感じる。結果として個々のコンテンツに特化したオタクがたくさん生まれて、オタクの多様化が起きている。ただ、それではコミュニティが非常に狭く、異なるオタク同士のコミュニケーションが円滑に進まない。そのため、オタクは「特化した好きなジャンル」と「好きでは無いけど見ておくジャンル」を持つ場合が多いのではないだろうか。だから、コンテンツを見る際に「履修」という表現が見られるのではないだろうか。オタク達は、他のオタクとのコミュニケーションにおける「共通言語」を学ぶために、コンテンツを「履修」しているのである。

話を戻すと、オタクにとってコンテンツは、「特化した好きなジャンル」と「好きでは無いけど見ておくジャンル」、「興味のないジャンル」があるということである。
「好きでは無いけど見ておくジャンル」は、他のジャンルに比べて倍速で見る場合が多いだろう。また、「特化した好きなジャンル」であっても、特化するまでに至るコンテンツの量が多い場合は、倍速で見ている人もいるかもしれない。
しかし、これは、決して時間に対するパフォーマンスを意識しているからではない。

少なくとも私にとっては、「見きれない」から倍速で内容を「履修」しているに過ぎない。さながらAIのパターン認識のように、出来事をインプットしているに過ぎないのである。
これは「タイパ」とか意識高いことを考えてやっているのではなくて、できるだけ多くの情報を取り入れようとしているという感覚である。
結果的にこれは「タイパ」を意識しているように思えるが、少しちがう。例えばコスパは色んな作品をコスパで比べた上で、商品を選択する。ただ、動画を倍速で見る場合、コンテンツのタイパを比較してどれが良いかなどは考えない。できるだけ多くのコミュニケーション上で必要とされる情報を「履修」しているだけなのだ。



今は「オタク」を自称するのにも、大変な時代になってきましたが、結局は好きなもんを好きなようにみたらいいんです。ある特定のコンテンツを見ていないから「オタク」とは呼べないなんて、そんなことないと私は思います。ライトな層を取り込んでこそジャンルは発展する。そんな思想で今日もオタ活していきたいですね。

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