僕らの時代

僕らの時代

電車に乗る。日曜日のお昼時に電車に乗る。
僕らが今生きている時代には絶好の暇つぶし機器がある。それは場所や時間の制約を受けない僕らにとっては完璧で崇高でそして軽蔑されるべき卑しいものだ。僕らは呪われている。いやむしろ呪われにいっている。そして自分の思うがままに操っていると思っているそれに操られている。なんと悲しいことだ。それはどんな悲劇よりも悲しい。ロミオとジュリエットだって織姫と彦星だってみんな僕らに同情するだろう。そして僕らの方がまだマシだと前を向いて生きていこうと決断するかもしれない。そうなったらまあそれは幸せな事だ。ただ若い僕らには問題がある。それはあの忌々しい機械によって何かの時間の隙間を埋める以外にも自己を肯定したり存在意義を見出したり自分を形成する方法が既に失なわれてしまったという事だ。物心ついた頃から全ての自己肯定と自己成長はあのテクノロジーと運命の赤い糸のように繋がっていてそれを切り離すことなんて僕らには出来なかった。それは超高度文明社会で開発された最新技術を用いた鉄骨のように硬くてどうしようもできない糸であった。ただ体は嘘をつけない。それは古今東西変わる事ないものでそれが唯一の救いなのかそれとも悪夢なのか分からないけど、とてつもない体が溶け出してしまいそうなほどの疲労感に襲われる。ただ僕らは手放すことができない。それしかないから。それしか知らないから。それが社会でそれが僕らにとっての世界だから。だから僕らは疲労感と痛みを伴いながら傷だらけになりながら進むしかない。

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