私が受けた虐待について
まず始めに私は産まれてからすぐ、呼吸が止まっていたそうです。母から後で聞きました。命に感謝です。
私が幼少期に受けた虐待は殴る蹴るといった暴力ではなく、精神的に殺されそうになったと感じたものでした。
母の愛人の前でオムツを履いていた私が漏らして泣いたりすればその人はオムツを交換するときに排泄物がついたオムツを口に押し込んできたことがありました。
またあるときは親指の爪が紫色になるくらい思いきり噛まれたりもしました。
噛まれることは度々あり、長い期間のように感じました。
ほぼ車の中で過ごしていた私とその人。とある場所の便所の中で睾丸をがっしりと鷲掴みにされたこともあり、その痛みもはっきりと覚えています。
母とその愛人が盛りきった動物のように交尾をしている様子も見たことがあります。
幼少期の虐待は過ぎ去り、母と愛人は別れ、特にこれといった出来事はなく、今度は小学生になってから姉婿やその弟から暴力を受けることが多々ありました。
はっきりと覚えているのは、とある市民プールに父以外の家族全員(母、兄、姉、姉婿、姉婿の弟)で出掛けたのですが、そこが地獄でした。姉婿の弟に無理矢理足を引っ張られ、プールの中で溺れそうになっているにも関わらず、弟が私の体の上に乗って来たこと。
姪っ子の誕生日を祝っているときに電気が真っ暗になったタイミングを見計らって私の脇腹を思いきり殴ってきたこと。
度々家に来てはその人のせいでうつ状態で何もやる気がなくて掃除もしてなくてほぼ引きこもりのような生活をしていた私を怒鳴り散らしては殴られたり蹴られたりしていました。これに関しては姉や姉婿もほぼ共犯でした。
先だってNOTEにも書きましたが、私が人に手を上げなくなったのはこれがきっかけでもあります。殴り返すことができなくなるほどトラウマを植え付けられました。
それでも抵抗しようと、社会人になってからは家を抜け出してネットカフェに行ったり、あるいは姉婿と弟を避けるようになるべく会わないようにと外に出掛けることも増えました。
助けを求めようと思っても誰も味方はいませんでした。
ちょうどその頃に兄も母もギャンブルに依存するようになりました。みんな恐らく姉夫婦とその弟から逃げる姿勢を見せていたのではないかと思います。
ネットカフェによく通うようになってから今度はネットカフェまで姉たちが探しに来たりして通っていることがバレ、それを口実にまた暴力を受けることがありました。
自分の気持ちが落ち着ける場所はないのだと思いました。
ただそれでも通うネットカフェを変えるものの、やはり特定されてそこまで追いかけてきて家まで連れ戻され、説教の日々。この頃の姉婿の弟は彼女がいてもとっかえひっかえを続け、ついには嫁ができても浮気ぐせは治らなかったのです。浮気相手が気に入らないとなると今度は私に押し付けてくるようにもなりました。
しばらくして父が仕事を続けられなくなり、家賃も払えなかったため(自分はほぼ鬱と変わらない状態で仕事も長くは続かなかった。母と兄はやはりギャンブルにのめり込む)、別で住んでいた姉夫婦の家から遠いところに引っ越すこととなりました。
そこから姉夫婦の干渉はなくなり、姉婿の弟からも離れることができました。
その出来事から丸7年が経ちましたが、私は昔の事を思い出せば思い出すほど、もっと抵抗できる手段があったのではないか、あの場から抜け出す方法はあったんじゃないかと考えることもあります。幼少期の虐待から始まり、相手が変わってさらに暴力を受け、精神はボロボロでした。誰も助けてはくれないし、それで人間不信が今でも続いています。
環境が変わったのもあってか精神的にはかなり楽ではあります。ただ、次またその人達に会ったら多分正気ではいられなくなると思います。
人間の恐ろしいところを書きました。ちなみになんですけど、その姉婿の弟は今どうしてるかは知りません。結婚相手は浮気の事は知らないでしょう。母の元愛人についても何をやっているかは知りません。名前は覚えてるんですけどね。
以上になります。これほど長い文章を読んで頂きありがとうございました。
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