“絶対あり得ない”なんてことは“絶対あり得ない”というお話
トラックが家に突っ込んできたらどうする?
昔、義理の兄にこう聞かれたことがある。
小学6年生だった私は真っ先に、
「あり得ない」と答えた。
義理の兄は言った。
「絶対に?」と。
私が首を縦に振ると、義理の兄は呆れて言った。
「絶対ないなんてことはないやろ。よう考えてみ?家にヘリが落ちてくることだってあんねんで?飛行機事故だってあるし、車の事故だってあんのに何で言いきれるんや?」
私はそこでハッとさせられた。それもそうだ。一度も体験したことがなかったため、あり得ないと言いきってしまっていたが、実際起こり得ることではあるのだ。
固定観念と経験則がそうさせている
突然エイリアンが地球を襲ってきたらどうしようかと考える人はいるだろうか?
おそらくいないだろう。なぜなら経験したことがないからである。
そもそもエイリアンの存在自体が確認されていない。
ではスケールを変えよう。
スズメバチの巣を見て、蜂が襲ってきたらどうしようは誰もが考えるのではないだろうか。スズメバチは人を刺すという情報を既に知っており、その存在も見たことはあるはずだ。
こうした経験則を元に人は固定観念に縛られて「あり得る」「あり得ない」と口にする。
しかし、本当にエイリアンが存在しないとも言い切れない。目で確認したことはなくてもその名称は知っているのだから、あり得ないとは断言できないのではないだろうか。
存在が確認できないもの、あるいは経験の無いものを「あり得ない」と結論付けるのは私としてはそれこそ「なぜそう言い切れるのか根拠が知りたい」と口にしたくなるほどだ。
義理の兄の言葉がきっかけで私は自分が実際に経験したことがなくても根本から否定はしなくなったのである。
可能性がある以上は真っ向から反対しても意味はないと思うようになったのだ。
「実際にあり得ないということはあり得ない」を理解していても、固定観念のせいで否定したがる人を見ているとなんだかモヤモヤする。「根拠を提示してください。」この一言に尽きるのだ。
以上です。
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