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輪ゴムに抗う

前回の「『おばさま』と呼ばせて」〈中〉
の、「論じたてて買い物をしなけばならい」の例せばと云う、去年のお話です。

輪ゴムが無くなりそうだった。
100均の箱、あんなに要らない。
100個くらい入ってるのでは。
一生かかっても使い切りそうにない。
私の錠剤の薬を束にするのに、輪ゴムがついてくるのだから、それで充分ではないだろうか。
そもそも使う場面って食べかけのお菓子の袋に使うだけではないか。
輪ゴム5個くらいで、減ったり増えたりして、維持していけないだろうか。
輪ゴムをしたままゴミ箱に捨てないようには気をつけよう。
とか考えてる間に、無くなる。
こんな事を考えてる期間、あーだこーだ、家族にボヤいている。
実際なくて困る。
どこかにないか、あさる。
そう言えば15年ほど前に・・・輪ゴムが無くなりそうで困って考えて家族に同じボヤきをし、結局、箱で買ったのを思い出しました。全く同じ思考であった。
「あれから30年。あれから30年。少女だった私。どこへ。」綾小路きみまろ さん。
なので、15年のサイクルでなくなるなだ。
でも、それでも抗う。
全部茶色の100g(だったはず)ではなく、白と黒が入った、80gを100均で、購入。割高だから品質がいいはず。
次の15年後、65才。
生きてるか。

ごめんなさい。詩に夢も憧れもありません。できる事をしよう。書き出すしかない。書き出す努力してる。結構苦しい。でも、一生書き出す覚悟はできた。最期までお付き合いいただけますか?