長いつぶやき〜文芸祭の話から〜

「長いつぶやき」〜文芸祭の話から・・・〜
市内、近隣の市の文芸祭に応募していた時がある。
母は、エッセイと小説を書くので、一緒に応募していた。母は、小説、エッセイなので、そんなにたくさんは、書けないないので、たくさん応募はできない。今でも応募していて、「三賞に入ったら何日になゆたの所に行くから。そしてなんちゃらして、なんちゃら・・・」話を毎年話す。

文芸祭には他の部門があって、俳句、短歌、川柳、狂俳。
小説、随筆も含む、ご年配の方が多い。私はどこにいってもそうだが、一番若い。
皆さんの、作品は、親を思い、子を思い、人生を振り返り、季節を愛で、戦争を憂い、平和を願う。
人生の季節でいう玄冬だろうと想像する。でも、そういう作品をかくようにはなりたくないなぁとは思う。
そもそも、詩をかき続けようとか、憧れも、目標も、プランもないのですが。

昭和初期、詩の雑誌、新聞のコーナーに、詩があったらしい。その世代の方が、まだ詩をかいてらっしゃるのだろうかと想像する。

では、私が夢中になった「詩とメルヘン」という雑誌。1970年発刊だったはずなのです。私が20代後半。私の手持ちの詩を応募するには、ついてくる応募券が必要だったが、雑誌代、最後頃700円は高いなぁと、最初は買わなかった。選ばられ詩1遍に、見開き2ページにイラストがつくので、贅沢な高い値段になった。
それでも、編集長のやなせたかし先生が、ほぼ全てボランティア並み手作りで作られてきた。
詩を応募するためでなく、励まされる雑誌となって、編集前記から後期まで、小さい文字まで全て読んだ。それでもこんな詩を書きたいとか云う憧れはなかった。買ってくると始めのページから、キラキラ、ときめき、ドキドキして読んだ。
「詩とメルヘン」は同年代が多かった。

中学1年、書き出したものが「これが詩かも」と思ったのが、最初だ。
今の子も、そういうものを持っているのだが、詩の定儀をわからないからとの謙遜、マイナス思考のイメージのため書き出せない。そう思ってしまうのは、詩というものを触れる機会が全くないという理由のみであろう。
答えは「書き出せばいいのに」と一言なのですが。

で、こんな風にかいた私は・・・
詩に憧れはない。
かきたいと思ってない。
浮かぶから、書き出さなければいけない。
「アイデアがどんどん湧いてくる状態ですね」と言われ、人並みに「出来る事からやっていこう」というのが書き出す事なのです。書き出す労力。その労力は、苦しみを伴う事もある。私には宿命です。詩をかけなくなってもいいし、「かくのをやめろ」と言われればやめる。なんでこんな苦しい思いまでしてかくのだろう。蔑まれてまでかくのだろう。

そして評価も望まないで、このSNSで求められる数字も、求めていない。そうするべきなのだろうけど。

憧れるのは金子みすゞさんのように、純粋で心に響く詩を残しているが、悲運の人生の映画が何年か後にできる事だ。

ごめんなさい。詩に夢も憧れもありません。できる事をしよう。書き出すしかない。書き出す努力してる。結構苦しい。でも、一生書き出す覚悟はできた。最期までお付き合いいただけますか?