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今村優希の生き様note

こんにちは!今村優希です!

2020年4月から社会人1年目として働いています。

今回は僕という人間を、自分自身の時系列に沿って全力で書いていきます。
このnoteを読んでいる方々に、少しでも勇気や希望を与え、行動を起こすキッカケになってくれたらこの上ない幸せです。

幼少期

①とにかく「やりたいこと」をやる。ワンパク少年

幼い頃から好奇心旺盛で、やりたいと思ったことは迷わずやっていました。
特に先生や親から「やってはいけない」と言われることをやるのが大好きでした笑

自分が「やりたい」と思ったことに挑戦することの、楽しさを学ぶ。

幼稚園

小学生

幼少期のワンパクさが抜けないまま小学校へ入学。
ただ、小学生時代に色々なことを経験し、自分の価値観が形成される。

①小学校3年生からサッカーを始める

仲の良い友人がサッカークラブに入っており、体験会に誘われて参加する。実際に参加してみて、チームで1つのボールをゴールに届けるという、サッカーの面白さにハマる。当時は野球を始めようと準備までしていたが、一気に方向転換し、サッカークラブに入部した。
決して上手くいくことばかりではなかったが、チームメイトと切磋琢磨し、時には助け合いながら、1つの共通のゴールに向かう楽しさを感じた。

サッカーを通して、助け合うということの素晴らしさを学ぶ。

②イジメにあう

僕は小さい頃から体も大きく、かなり太っていた。
太っているということは、イジメの対処になりやすく、僕もその1人であった。
イジメにあっていた頃は、「太っているのは事実だから仕方ない」と自分に言い聞かせていたが、内心辛かったのを覚えている。

この時から、太っているので、自分らしく生きるのは恥ずかしいと思うようになっていた。そして、そう思うにつれ、毎日が楽しくなくなっていくのを感じた。
※今思うと確かに大きかったと思うが、、、笑

自分が「やりたいこと」ができない辛さと、自分は〇〇だから、「〜しなければならない」という強迫観念で生きることの辛さを痛感した。

大きい

③喧嘩を頻繁にするようになる

太っていたこともあり、体は大きかった。そのため、からかって来る人に対しては、力でねじ伏せるようになっていた。
つまり、相手を黙らせるには、力を見せつける必要があるとその時は感じていた。

しかし、いくら相手を力でねじ伏せても、心はちっとも満たされなかった。
理由は明白で、喧嘩は自分の「やりたいこと」ではないからであった。

やりたくないことで結果を出しても、あまり嬉しくないということを知る。

④ダイエットによる心の変化

サッカーを始めたおかげもあって、体重はみるみる落ちていった。卒団する頃には、むしろガリガリになっていた。その頃からイジメは一切なくなり、自分を自由に表現してもいいのだと考えられるようになっていた。

小学生時代の経験を通して、自分らしさを表現するためには、ある程度の地位が必要だと考えるようになった。
※今はそのようには思っていない。

サッカー

高校生

高校時代は、世界の広さや努力することの大切さを、身をもって学んだ。

①サッカー強豪校への入学

小学生からずっとサッカーをやっていたこともあり、そのまま私立のサッカー強豪校に入部。今までレギュラーとして試合に出場していたので、ある程度できると思っていたが、現実は違った。

Jの下部組織やクラブチーム出身がゴロゴロといて、練習の質やサッカー脳の高さは、今までとは比べものにならないほど高かった。その時に初めて、世界の広さを知った。
初めは辞めようかと思ったが、自分の決断を諦めることはしなくないと思い、3年間必死に食らいついた。

結果、レギュラーとして活躍することはできなかったが、プロを目指す本物の本気に触れ、チームで1つの大きな目標を目指すことの面白さを学ぶことができた。
また、自分の決めたことと向き合い、どんな状況でも前を向き、進み続けること。の大切さを学び、それを達成するためのセルフマネジメント能力を手に入れた。

この3年間を通して、人としての基礎何があっても諦めない粘り強さを身につける。
また、自分が勝負できる領域を見極める力を身に付ける。

武南

②指定校推薦の獲得

サッカー部は、冬の高校選手権を目指して活動していたので、引退は早くても12月ぐらいであった。それを知っていた僕は、絶対に指定校推薦を取ろうと決めていた。
理由は以下の通りだ。(特に③が強かった。)
①部活が忙しく、受験勉強している時間がない。
②昔から受験形式のがテストが苦手。
③高校受験を失敗し、母に金銭的な負担をかけていたので、それを少しでも負担を減らしたい。

指定校推薦獲得のためには評定が必要なので、定期テストで良い点数を取る必要があった。
それを知っていた母は、継続して塾に通わせてくれた。正直、部活と勉強の両立はしんどかった。ただ、今回は本気度が違った。自分のためではなく、何がなんでも母の負担を減らすという目的があったからだ。

結果、第一志望校である中央大学の指定校推薦を獲得した。定期テストでは、常にクラス1位を取り続けた。僕の記憶でいくと、1位になれなかったのは1〜2回だけだったと思う。
指定校推薦を獲得した時は、獲得できた嬉しさももちろんだが、それ以上に母に楽をさせてあげられることが何よりも嬉しかった。

自分の努力が結果として表れ、それが他人を幸せにすることの素晴らしさを学ぶ。

③人生初の手術

僕は生まれつき「慢性副鼻腔炎」という持病を持っていた。症状としては、「匂いと味がしない」というもの。つまり、五感のうち2つがない状態で、18年間過ごしてきた。これは本当にきつかった。何を食べても一緒の感覚なので、外食や買い食いは一切できなかった。

そういういった経緯から、18歳で一切の迷いなく手術を決断した。今思うと、よく迷わず決断したなと思う。
いざやると決断したが、手術は本当にきつかった。全身麻酔から覚めた後の全身の痛み、点滴や酸素マスクが繋がれているので、自分の意思では動けない。そんな日が2週間も続いた。

2週間の中で、「死」についてなど色々なことを考えた。その2週間を通して感じたことは、お金・地位・名誉が全てではないということ。お金を持っていても、それを使える健康的な体がないといけないし、地位や名誉も死ぬ間際ではそこまで価値を見出さないと感じた。

手術経験のおかげで、「自分の人生にとって大事なものがなんなのか」に気づく。
また、小さな幸せ(匂いや味がするなど)を感じられる力を身に付ける。

手術

大学1〜2年生

今後の大きな財産となる、ポジティブ思考を手に入れる。
また、大学に入学したものの、何かが欠けている感覚に襲われる。

①持病の再発による再手術

今までサッカー漬けの人生だったので、新しいことに挑戦しようと意気込み、大学へ入学。
しかし、持病が再発し、大学1年生の夏休みを全て療養に費やすこととなった。再発はしないだろうという中での再発だったので、かなりショックを受けた。
ただ、手術で家に引き籠ることが増えたおかげで、翌年に他界してしまう愛猫と、これまでで1番一緒の時間を過ごすことができた。
起きた出来事をどのように捉えるかで、人生の見え方が変わるということを学ぶ。

この頃から、物事をポジティブに捉える能力が、より一層開花した。

ラム

②物足りなさを感じる日々

大学で新しいことを始めようと意気込んでいたが、結局はサッカーサークルに入った。理由としては、高校のサッカー部の先輩と同期がいるからであった。今思うと、自分で新たな環境を見つけ、そこに飛び込んで行く勇気がなかったのだと思う。また、自分からサッカーを取ると「いったい何が残るのか」という不安からも目を背けていた。

さらに、大学までは片道2時間かかったことから、登校した日はどれだけ早く帰るかを追い求め生活していた。そんな生活を続けていると、何のために大学に行っているのか、何でサッカーサークルに入っているのだろうと疑問を持つようになった。
ただ、それを考え始めると泥沼にハマる感覚がしたので、ずっと目を背けていた。結局、答えが出ないまま時間だけが過ぎていった。

この時から、人生における軸が無くなった時の「生きづらさ」を感じる。

大学3年生

自分の中の当たり前価値観考え方が大きく変わる。

①インドへのボランティア活動

何か物足りない大学生活を変えようと、新たなことに挑戦する決心をした。それがインドへの住居建築ボランティア活動であった。友人がボランティアサークルに所属しており、自分も参加できないかと打診し承諾をもらった。

今思うと、「友人が1人しかいない+サークルには入らずに1回だけの参加」という無理なお願いをよく承諾してくれたなと思う。承諾してくれた人やチームメンバーには、本当に心から感謝している。
この時から、飛び込み力が少しずつ身に付いていった。AKIOさんがよくおっしゃっている「迷ったら、やる!」という精神だ。

実際にインドへ訪れてみると、今までの自分の当たり前が一新された。
内容としては、以下の通りだ。
①飲み物はペットボトルを買って飲むこと。水道水は飲んではいけない。
②屋台のご飯は基本食べてはいけない。
③街を歩いていると、物乞いをしている人、生きていくのが困難な体で道に横たわっている人がいる風景が日常。
④支援した村では、牛のフンで床を作り、藁と土の家で生活。外敵(ヘビや蜘蛛)と常に隣り合わせ。外敵から子どもを守るために、徹夜をし、そのまま仕事へ向かう。

このような現実を目の当たりにして、自分はどれだけ幸せな生活を送れているのかを実感した。それと同時に、今までの日本での生活が、当たり前だと思い、不満を漏らしていたことが心底恥ずかしくなった。
この経験が自分の価値観を360°変えてくれた。

この経験を通して学んだことは、大きく3点ある。
①日本人は当たり前の基準が高すぎる。それゆえ、毎日他者からの承認に追われ、満たされない感覚で生きている人が多い。
(※あくまでも個人的な意見)
②行動することによってのみ、見える世界や自分を変えることができる。
③目の前の幸せをもっと大事にすること。当たり前を当たり前だと思わないこと。

インド

②人生初の彼女ができる

今までは誰かとお付き合いしたことはなく、自分のやりたいことをベースとして生きてきた。そのため、気を遣う(思いやりのある行動)というのが、本当に難しかった。時には自分のやりたいことを優先し、傷つけてしまったこともあった。
今はもう別れてしまったが、相手を思いやったり、気を遣ったりすることの大切さなど多くを学ばせてもらった。それと同時に、今までの自分は、かなり自己中心的な考え方で生きてきたと痛感した。

この経験を通して、相手を思いやる行動や心など、相手軸で物事を考えることの大切さを学ぶ。

大学4年生

軽いうつ病を発症するが、多く人との出会いによって救われる。

①就職活動を通して、自分1人では生きていけないことを知る

大学4年生になり、就職活動が本格的に始まった。今までサッカー以外のやりたいことが分からずに生きてきたので、自分は何をしたいのかが全く分からなかった。イメージでいうと、突然真っ暗闇の洞窟に閉じ込められた感覚だった。

とりあえず色々な業界の説明会に行き、話を聞きまくった。しかし、一向に方向性は見えてこない。ただ僕は、自分1人で何でもできると思っていたので、周りに助けを求めることはしなかった。
また、今まで人間関係をそこまで大切にしてこなかった(親友が2~3人いれば十分と考えていた)ので、頼る人も少なかったという事実の方が強かったのかもしれない。

その後も、面接は上手くいかない。でも、どうすればいいのかも分からない。そんな状況になっていた。この頃から、体に異常が出始める。
現実逃避をしようと、1日に映画を3本見ないと落ち着かない+謎の咳と肌荒れが止まらない。自分でも何が起きているかは分からなかった。ただ、ヤバイことだけは感じていた。

自分1人で抱え込むことの危うさやりたいこと(軸)がないことの恐ろしさを実感する。

②多くの人との出会い

就職活動を通して完全に病んでいた私は、「Matcher」というOB訪問アプリに出会う。このアプリとの出会いにより、人生が大きく変わる。
僕はとにかく色んな人にOB訪問を申し込んだ。数か月で50名くらいにお会いしたと思う。
※今でも「Matcher」で出会った人達とは交流を続けている。

この経験を通して。自分のやりたいことが言語化され、自分では考えられなかった選択肢を得ることができた。当日お会いしてくださった方々には、本当に感謝している。
この時に始めて、人と触れ合うことの素晴らしさや大切さを学ぶ。普通の人からしてみれば、気付くのがだいぶ遅いと思うが、、、笑

人と触れ合い、助け合うことが大きなエネルギーになることを学ぶ。
また、この時から人の人生に関わりたいと思い始める。

マークさん

社会人1年目

①社会人生活のスタート

就職活動を通して、組織人事コンサルティング企業に就職する。本当は人と直接関わる人材紹介に就職しようと思ったが、人材紹介の闇を知り、諦めることにした。
ただ、人に関わる仕事がしたいという気持ちは諦められなかったので、人に間接的に関わる仕事を選んだ。

新社会人生活はコロナの影響もあり、在宅勤務から始まった。最初は戸惑ったが、やってみると意外といけるものだと感じた。
また、就活時代に自己分析を徹底的に行い、自分の夢(=今村優希という人間と関わることで、相手を少しでもプラスの感情にする)を持っていたので、俺なら絶対にやれると思っていた。

また、初めは分からないことも多かったので、ガムシャラに働いた。ただ、働けば働くほど、自分の夢から遠ざかっているような感覚に陥った。
ただその当時は、その異変に気付いてはいなかった。

本当はやりたいことがあるのに、何かしらの理由から目を背け、代替案として出てきたことを「やりたいことだ」と言い聞かせる。
これでしばらくは頑張れたとしても、結局は「〜しなければならない」という思考になるので、余計に辛くなる。
ということを学ぶ。

②なぜか満たされない日々

社会人になり半年が経とうとしていた9月頃、なんで今の仕事をしているのか。何なのために働くのか。自分は人に直接影響を与えたいのに、できていないじゃないか。そんな想いが日に日に大きくなっていった。

それからというもの、今の仕事でも学べる部分がある自分で決めた道だからしっかりと向き合うべき。と自分に言い聞かせることで、仕事をこなすようになっていた。
本来、仕事とは「人の役に立つこと」である。
だが当時の僕は、仕事はお金をもらうためだけのものと捉えていた。

そんなマインドで仕事をしていたので、仕事へ行くことが嫌になっていた。ただ、それではダメだと自分に言い聞かせる。そんな負のサイクルに陥っていた。

自分の心を押し殺し、思考で心を制御しようとする生き方は非常に生きづらい。
ただ、それ以外の選択肢を知らないから、それを繰り返すしかない。
そんな負のサイクルの恐ろしさを実感する。

GOAL-Bとの出会い

GOAL-Bとの出会いが、僕の人生を大きく変えてくれた。命を使って生きるということが、どういったことかを教えてくれた。

①AKIOBLOGにハマる

AKIOさんの存在は、大学時代に友人から勧められて知った。ちょうど就職活動時代であったので、社会人をしながら筋トレに行き、自己投資までしている。なんてとんでもない人なんだ。と初めは驚いたのを今でも覚えている。

僕はそこまで筋トレに興味がなかったが、AKIOさんの言葉や生き様に惹かれていった。それと同時に、どうしたらAKIOさんのようになれるのかが気になった。
ただ、新入社員ということもあり、まずは目の前の仕事に向き合うことで精一杯だった。

しかし、ある動画で、今のAKIOさんを形成しているのは、コーチングだと知る。「コーチングとはそんなに凄いものなのか」と感じてはいたが、その時の自分には一歩踏み出す勇気がまだなかった。

そんな日々がしばらく続き、上述したように仕事に対してのモヤモヤがどんどん膨らんでいった。この時、就活時代の軽いうつ病に近い状態になっていることに気付く。
またあの状態になるのはヤバいと思い、その時初めてコーチングを受けようと決め、GOAL-Bのコーチングに申し込んだ。それが2020年10月のことであった。

モヤモヤする社会人生活の中で、AKIOBLOGが僕に元気をくれていた。
見るエナジードリンクと言っても過言でないくらいのパワーを貰っていた。

②自分の成長スピードが、圧倒的に上がる。

GOAL-Bのコーチングを申し込む際には、コーチを指定することができた。僕は迷わずに山宮さんを指名した。予約待ちだと分かっていたが、何が何でも山宮さんからコーチングを受けたいと直感が言っていた。
直感以外の要素でいうと、山宮さんのYouTubeをずっと視聴しており、山宮さんからコーチングを受ければ、絶対に人生が変わると思った。

結果的に、山宮さんのコーチングを受けて人生が変わった。物事の考え方や行動まで全てが変わった。
簡単にお話しすると、人間の原理原則を知ることで、自分の人生の軸が決まり、圧倒的に生きやすくやった。
これが、2020年12月のこと。たった2ヶ月で人は変われます。
僕にできたのですから、皆さんも必ず変われます

これは後々聞いた話ですが、山宮さんの最後のクライアント(パーソナルコーチングにおいて)が、僕だったとのことです。
つまり、僕があの時GOAL-Bのコーチングを、山宮さんから受けるという決断をしていなければ、今のこのnoteや、これからの挑戦は一切なかったということです。
本当にあの時に決断して良かったと、昔の自分を褒め称えてあげたいです笑

そして僕は、今のできること(can)に関係なく、新たな挑戦をし続けることを決断しました。(※詳細は随時Twitterにて発信していきます。)
正直、不安や恐怖はありますが、それ以上に未来に対するワクワクでいっぱいです。
挑戦する前の恐怖の計算量が一番多いと僕はよく知っています。そして、その恐怖を消し去る方法は「やるだけ」ということも知っています。
決断をしたので、あとはやるだけです。

また、僕は山宮さんのコーチングを2回で卒業することを決意しました。
理由は、山宮さんを頼ってしまうのは、自分を現状の内側に止める行為だと感じたからです。
本来は6回で契約させていただいたので、あっという間な2ヶ月でした。でも、これまで生きていた人生の中で、1番挑戦が溢れ、充実した日々でした。これからはもっと多くの挑戦をし、その挑戦する姿(生き様)を発信していきます。
そして僕も、山宮さんのように生き様で語れる漢になります。

人生、やるか。やらないか。ではなく
やるか!やるか!やるか!
それを山宮さんの生き様から学ぶ。
人が進化・成長するためには行動が必要で、その行動を生み出す決断が非常に大切。
そして、自分1人では見えない世界を、共にすることで見せてくれるコーチの存在が大切であることを学ぶ。

山宮さん

社会人2年目

社会人2年目に関しては、以下のnoteをご覧ください。


最後に

ここまで読んでいただき、本当にありがとうございます。
本来ならもっと多くの出来事を書きたかったのですが、読める量におさまる気がしなかったので、一部抜粋しながら書かせていただきました。

今まで人生を通して学んだ教訓は、大きく以下7点です。
①人は人によって磨かれる
②人が進化・成長する時には、必ず自分以外の人が介在している。
③物事は捉え方次第で、良くも悪くもなる。
④自分のやりたいことで人生を埋め尽くし、それに向かって行動する。その行動が誰かの役に立ち、相手から感謝される。このサイクルを回すことが本当の幸せである。
⑤行動することによってのみ、世界は変わる。
⑥迷ったら、やる。
⑦常に決断がセットである。決断なしには前に進めない。

※まだまだ書き足りないですが、ここらへんで抑えます。笑

本当に最後になりますが、僕は全力でやります。だから皆さんも一緒に全力でやりましょう!
そして、僕がこれから起こす挑戦の数々が、誰かの心に火をつけ、そして誰かの人生を変える。そんなお手伝いが出来たら、この上なく幸せです。

※僕のこれから挑戦に関しては、以下のTwitterにて発信していこうと思うので、もしよかったらフォローしてください!!

Twitter:https://twitter.com/@yuki_ram55

ここまで読んでいただき、ありがとうございました!!!

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