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今村優希の自分史

こんにちは!今村優希です!

今回はこれまでの人生を時系列に沿って全力で書いていきます。
このnoteを読んでいる方々に、少しでも勇気や希望を与え、行動を起こすキッカケになってくれたらこの上ない幸せです!


幼少期

①とにかく「やりたいこと」をやる。ワンパク少年

幼い頃から好奇心旺盛で、やりたいと思ったことは迷わずやっていました。
特に先生や親から「やってはいけない」と言われることをやるのが大好きでした笑

自分が「やりたい」と思ったことに挑戦することの、楽しさを学ぶ。

幼稚園

小学生

①小学校3年生からサッカーを始める

仲の良い友人がサッカークラブに入っており、体験会に誘われて参加する。実際に参加してみて、チームで1つのボールをゴールに届けるという、サッカーの面白さにハマる。当時は野球を始めようと準備までしていたが、一気に方向転換し、サッカークラブに入部した。
決して上手くいくことばかりではなかったが、チームメイトと切磋琢磨し、時には助け合いながら、1つの共通のゴールに向かう楽しさを感じた。

サッカーを通して、助け合うということの素晴らしさを学ぶ。

②イジメにあう

僕は小さい頃から体も大きく、かなり太っていた。
太っているということは、イジメの対処になりやすく、僕もその1人であった。
イジメにあっていた頃は、「太っているのは事実だから仕方ない」と自分に言い聞かせていたが、内心辛かったのを覚えている。

この時から、太っているので、自分らしく生きるのは恥ずかしいと思うようになっていた。そして、そう思うにつれ、毎日が楽しくなくなっていくのを感じた。
※今思うと確かに大きかったと思うが、、、笑

自分が「やりたいこと」ができない辛さと、自分は〇〇だから、「〜しなければならない」という強迫観念で生きることの辛さを痛感した。

大きい

③喧嘩を頻繁にするようになる

太っていたこともあり、体は大きかった。そのため、からかって来る人に対しては、力でねじ伏せるようになっていた。
つまり、相手を黙らせるには、力を見せつける必要があるとその時は感じていた。

しかし、いくら相手を力でねじ伏せても、心はちっとも満たされなかった。
理由は明白で、喧嘩は自分の「やりたいこと」ではないからであった。

やりたくないことで結果を出しても、あまり嬉しくないということを知る。

④ダイエットによる心の変化

サッカーを始めたおかげもあって、体重はみるみる落ちていった。卒団する頃には、むしろガリガリになっていた。その頃からイジメは一切なくなり、自分を自由に表現してもいいのだと考えられるようになっていた。

小学生時代の経験を通して、自分らしさを表現するためには、ある程度の地位が必要だと考えるようになった。
※今はそのようには思っていない。

サッカー

中学生

①両親の離婚(母子家庭になる)

小学生の頃は早く寝ていて気づきませんでしたが、中学生になって夜更かしを覚えてから、毎晩のように両親が喧嘩している声が聞こえるようになってきました。

僕は父親とも母親とも仲が良かったため、どっちの味方に付くか決めるのは難しく、両方の顔を伺いながら接していた記憶があります。

結果的には両親が離婚することになり、母親、僕、妹の3人で暮らすことになりました。
この時から、母子家庭になって大変な時なので、どこかしっかりしなくてはならないという気持ちが芽生えたような気がしてます。
※今振り返ると元父親がしている行動は普通にやばかったので、母親に付いてきて良かったと思ってます。

目の前にある幸せはずっと続くものではないことを理解したのと、長男としてしっかりしなくてはという気持ちが芽生える。

②高校受験の失敗

昔から定期テストは得意で定期テストのクラス順位は毎回TOP3に入っており、クラス内では勉強できるキャラ(イメージ)が勝手に形成されていました。
それ故に受験も合格するであろうと思われていました。
※模試のような応用問題が苦手で、苦手克服のために塾に通っていましたが、結果は不合格となり、私立に進学することなりました。

ただ、クラスメイトからは普通に受かったと思われており、給食の時間に結果を知らない友人が「もちろん受かったでしょ?」とみんなに聞こえる声で聞いてきて、何も言えずにその場全体が凍りついたのを今でも覚えています。

この時から、失敗することへの強烈な恐怖や、他人からの見られ方を気にするようになる。
また、母子家庭になったということもあり、受験に失敗した罪悪感が重くのしかかる。

高校生

①サッカー強豪校への入学

小学生からずっとサッカーをやっていたこともあり、そのまま私立のサッカー強豪校に入部。今までレギュラーとして試合に出場していたので、ある程度できると思っていたが、現実は違った。

Jの下部組織やクラブチーム出身がゴロゴロといて、練習の質やサッカー脳の高さは、今までとは比べものにならないほど高かった。その時に初めて、世界の広さを知った。
初めは辞めようかと思ったが、自分の決断を諦めることはしなくないと思い、3年間必死に食らいついた。

結果、レギュラーとして活躍することはできなかったが、プロを目指す本物の本気に触れ、チームで1つの大きな目標を目指すことの面白さを学ぶことができた。
また、自分の決めたことと向き合い、どんな状況でも前を向き、進み続けること。の大切さを学び、それを達成するためのセルフマネジメント能力を手に入れた。

この3年間を通して、人としての基礎何があっても諦めない粘り強さを身につける。
また、自分が勝負できる領域を見極める力を身に付ける。

武南

②指定校推薦の獲得

サッカー部は、冬の高校選手権を目指して活動していたので、引退は早くても12月ぐらいであった。それを知っていた僕は、絶対に指定校推薦を取ろうと決めていた。
理由は以下の通りだ。(特に③が強かった。)
①部活が忙しく、受験勉強している時間がない。
②昔から受験形式のがテストが苦手。
③高校受験を失敗し、母に金銭的な負担をかけていたので、それを少しでも負担を減らしたい。

指定校推薦獲得のためには評定が必要なので、定期テストで良い点数を取る必要があった。
それを知っていた母は、継続して塾に通わせてくれた。正直、部活と勉強の両立はしんどかった。ただ、今回は本気度が違った。自分のためではなく、何がなんでも母の負担を減らすという目的があったからだ。

結果、第一志望校である中央大学の指定校推薦を獲得した。定期テストでは、常にクラス1位を取り続けた。僕の記憶でいくと、1位になれなかったのは1〜2回だけだったと思う。
指定校推薦を獲得した時は、獲得できた嬉しさももちろんだが、それ以上に母に楽をさせてあげられることが何よりも嬉しかった。

自分の努力が結果として表れ、それが他人を幸せにすることの素晴らしさを学ぶ。

③人生初の手術

僕は生まれつき「慢性副鼻腔炎」という持病を持っていた。症状としては、「匂いと味がしない」というもの。つまり、五感のうち2つがない状態で、18年間過ごしてきた。これは本当にきつかった。何を食べても一緒の感覚なので、外食や買い食いは一切できなかった。

そういういった経緯から、18歳で一切の迷いなく手術を決断した。今思うと、よく迷わず決断したなと思う。
いざやると決断したが、手術は本当にきつかった。全身麻酔から覚めた後の全身の痛み、点滴や酸素マスクが繋がれているので、自分の意思では動けない。そんな日が2週間も続いた。

2週間の中で、「死」についてなど色々なことを考えた。その2週間を通して感じたことは、お金・地位・名誉が全てではないということ。お金を持っていても、それを使える健康的な体がないといけないし、地位や名誉も死ぬ間際ではそこまで価値を見出さないと感じた。

手術経験のおかげで、「自分の人生にとって大事なものがなんなのか」に気づく。
また、小さな幸せ(匂いや味がするなど)を感じられる力を身に付ける。

手術

大学1〜2年生

今後の大きな財産となる、ポジティブ思考を手に入れる。
また、大学に入学したものの、何かが欠けている感覚に襲われる。

①持病の再発による再手術

今までサッカー漬けの人生だったので、新しいことに挑戦しようと意気込み、大学へ入学。
しかし、持病が再発し、大学1年生の夏休みを全て療養に費やすこととなった。再発はしないだろうという中での再発だったので、かなりショックを受けた。
ただ、手術で家に引き籠ることが増えたおかげで、翌年に他界してしまう愛猫と、これまでで1番一緒の時間を過ごすことができた。
起きた出来事をどのように捉えるかで、人生の見え方が変わるということを学ぶ。

この頃から、物事をポジティブに捉える能力が、より一層開花した。

ラム

②物足りなさを感じる日々

大学で新しいことを始めようと意気込んでいたが、結局はサッカーサークルに入った。理由としては、高校のサッカー部の先輩と同期がいるからであった。今思うと、自分で新たな環境を見つけ、そこに飛び込んで行く勇気がなかったのだと思う。また、自分からサッカーを取ると「いったい何が残るのか」という不安からも目を背けていた。

さらに、大学までは片道2時間かかったことから、登校した日はどれだけ早く帰るかを追い求め生活していた。そんな生活を続けていると、何のために大学に行っているのか、何でサッカーサークルに入っているのだろうと疑問を持つようになった。
ただ、それを考え始めると泥沼にハマる感覚がしたので、ずっと目を背けていた。結局、答えが出ないまま時間だけが過ぎていった。

この時から、人生における軸が無くなった時の「生きづらさ」を感じる。

大学3年生

自分の中の当たり前価値観考え方が大きく変わる。

①インドへのボランティア活動

何か物足りない大学生活を変えようと、新たなことに挑戦する決心をした。それがインドへの住居建築ボランティア活動であった。友人がボランティアサークルに所属しており、自分も参加できないかと打診し承諾をもらった。

今思うと、「友人が1人しかいない+サークルには入らずに1回だけの参加」という無理なお願いをよく承諾してくれたなと思う。承諾してくれた人やチームメンバーには、本当に心から感謝している。
この時から、飛び込み力が少しずつ身に付いていった。AKIOさんがよくおっしゃっている「迷ったら、やる!」という精神だ。

実際にインドへ訪れてみると、今までの自分の当たり前が一新された。
内容としては、以下の通りだ。
①飲み物はペットボトルを買って飲むこと。水道水は飲んではいけない。
②屋台のご飯は基本食べてはいけない。
③街を歩いていると、物乞いをしている人、生きていくのが困難な体で道に横たわっている人がいる風景が日常。
④支援した村では、牛のフンで床を作り、藁と土の家で生活。外敵(ヘビや蜘蛛)と常に隣り合わせ。外敵から子どもを守るために、徹夜をし、そのまま仕事へ向かう。

このような現実を目の当たりにして、自分はどれだけ幸せな生活を送れているのかを実感した。それと同時に、今までの日本での生活が、当たり前だと思い、不満を漏らしていたことが心底恥ずかしくなった。
この経験が自分の価値観を360°変えてくれた。

この経験を通して学んだことは、大きく3点ある。
①日本人は当たり前の基準が高すぎる。それゆえ、毎日他者からの承認に追われ、満たされない感覚で生きている人が多い。
(※あくまでも個人的な意見)
②行動することによってのみ、見える世界や自分を変えることができる。
③目の前の幸せをもっと大事にすること。当たり前を当たり前だと思わないこと。

インド

②人生初の彼女ができる

今までは誰かとお付き合いしたことはなく、自分のやりたいことをベースとして生きてきた。そのため、気を遣う(思いやりのある行動)というのが、本当に難しかった。時には自分のやりたいことを優先し、傷つけてしまったこともあった。
今はもう別れてしまったが、相手を思いやったり、気を遣ったりすることの大切さなど多くを学ばせてもらった。それと同時に、今までの自分は、かなり自己中心的な考え方で生きてきたと痛感した。

この経験を通して、相手を思いやる行動や心など、相手軸で物事を考えることの大切さを学ぶ。

大学4年生

軽いうつ病を発症するが、多く人との出会いによって救われる。

①就職活動を通して、自分1人では生きていけないことを知る

大学4年生になり、就職活動が本格的に始まった。今までサッカー以外のやりたいことが分からずに生きてきたので、自分は何をしたいのかが全く分からなかった。イメージでいうと、突然真っ暗闇の洞窟に閉じ込められた感覚だった。

とりあえず色々な業界の説明会に行き、話を聞きまくった。しかし、一向に方向性は見えてこない。ただ僕は、自分1人で何でもできると思っていたので、周りに助けを求めることはしなかった。
また、今まで人間関係をそこまで大切にしてこなかった(親友が2~3人いれば十分と考えていた)ので、頼る人も少なかったという事実の方が強かったのかもしれない。

その後も、面接は上手くいかない。でも、どうすればいいのかも分からない。そんな状況になっていた。この頃から、体に異常が出始める。
現実逃避をしようと、1日に映画を3本見ないと落ち着かない+謎の咳と肌荒れが止まらない。自分でも何が起きているかは分からなかった。ただ、ヤバイことだけは感じていた。

自分1人で抱え込むことの危うさやりたいこと(軸)がないことの恐ろしさを実感する。

②多くの人との出会い

就職活動を通して完全に病んでいた私は、「Matcher」というOB訪問アプリに出会う。このアプリとの出会いにより、人生が大きく変わる。
僕はとにかく色んな人にOB訪問を申し込んだ。数か月で50名くらいにお会いしたと思う。
※今でも「Matcher」で出会った人達とは交流を続けている。

この経験を通して。自分のやりたいことが言語化され、自分では考えられなかった選択肢を得ることができた。当日お会いしてくださった方々には、本当に感謝している。
この時に始めて、人と触れ合うことの素晴らしさや大切さを学ぶ。普通の人からしてみれば、気付くのがだいぶ遅いと思うが、、、笑

人と触れ合い、助け合うことが大きなエネルギーになることを学ぶ。
また、この時から人の人生に関わりたいと思い始める。

マークさん

社会人1年目

①社会人生活のスタート

就職活動を通して、組織人事コンサルティング企業に就職する。本当は人と直接関わる人材紹介に就職しようと思ったが、人材紹介の闇を知り、諦めることにした。
ただ、人に関わる仕事がしたいという気持ちは諦められなかったので、人に間接的に関わる仕事を選んだ。

新社会人生活はコロナの影響もあり、在宅勤務から始まった。最初は戸惑ったが、やってみると意外といけるものだと感じた。
また、就活時代に自己分析を徹底的に行い、自分の夢(=今村優希という人間と関わることで、相手を少しでもプラスの感情にする)を持っていたので、俺なら絶対にやれると思っていた。

また、初めは分からないことも多かったので、ガムシャラに働いた。ただ、働けば働くほど、自分の夢から遠ざかっているような感覚に陥った。
ただその当時は、その異変に気付いてはいなかった。

本当はやりたいことがあるのに、何かしらの理由から目を背け、代替案として出てきたことを「やりたいことだ」と言い聞かせる。
これでしばらくは頑張れたとしても、結局は「〜しなければならない」という思考になるので、余計に辛くなる。
ということを学ぶ。

②なぜか満たされない日々

社会人になり半年が経とうとしていた9月頃、なんで今の仕事をしているのか。何なのために働くのか。自分は人に直接影響を与えたいのに、できていないじゃないか。そんな想いが日に日に大きくなっていった。

それからというもの、今の仕事でも学べる部分がある自分で決めた道だからしっかりと向き合うべき。と自分に言い聞かせることで、仕事をこなすようになっていた。
本来、仕事とは「人の役に立つこと」である。
だが当時の僕は、仕事はお金をもらうためだけのものと捉えていた。

そんなマインドで仕事をしていたので、仕事へ行くことが嫌になっていた。ただ、それではダメだと自分に言い聞かせる。そんな負のサイクルに陥っていた。

自分の心を押し殺し、思考で心を制御しようとする生き方は非常に生きづらい。
ただ、それ以外の選択肢を知らないから、それを繰り返すしかない。
そんな負のサイクルの恐ろしさを実感する。

③コーチングと出会う

AKIOBKOGで有名になっていたAKIOさんが立ち上げたGOAL-BのコーチングをYouTubeで知り、コーチングを受けることを決めました。

コーチングを受ける中で、物事の考え方や行動まで全てが変わりました。
簡単にお話しすると、人間の原理原則を知ることで、自分の人生の軸が決まり、圧倒的に生きやすくなりました。

また、コーチングを受ける中で自分もコーチングをできるようになりたい!という想いが強くなっていき、当時コーチを担当していただいて方からのお薦めでMindset Coaching Academyに通うことを決めました。

人が進化・成長するためには行動が必要で、その行動を生み出す決断が非常に大切。
そして、自分1人では見えない世界を、共にすることで見せてくれるコーチの存在が大切であることを学ぶ。

社会人2年目〜4年目

コーチングスクールに通っていた中での御縁で、2021年7月に10名のスタートアップに転職しました。
転職後の活動について以下にて記載していきます。

①入社当初の新規開拓営業にて

転職先ので新規開拓は、SNSや紹介を通じて法人営業をしていくため、0から開拓していく力が求められます。
ただ、前職ではIS(インサイドセールス)の方々がアポをくださったり、自分でテレアポする際もテレアポ用に購入したリストがあるなど、既に何かしらの材料がある環境で仕事をしてきたため、このギャップがかなりの壁でした。
前職の環境が当たり前ではない。とここで気付きました。

そして、24歳の2年目が社長さんとの繋がりがあるわけもなく、7月中旬まで全くアポイント(商談)が取れない状況が続きました。
にも関わらず、自分だけで結果を出したいという気持ちで周りにほとんど相談せずに負のループに陥りました。
※この時、自分1人で結果を出すスマートに結果を出そうとしていた自分を観察しました。

最後の方は、他のメンバー方の知恵や力を借りてアポ獲得に繋げられたり、以前だったら意味がないと思ってやらなかった、何があるか分からないけど人に会いに行く、何かあるか分からない交流会に参加するなど、とりあえずどんなボールでもバットを振りに行く感覚を掴むことができました。

また、今までは損得感情で動くことが多く、自分が何を得られるかというTaker思考(※自分の利益しか考えない思考)が強かったと再認識しました。
社長から散々指摘いただいた「君はTaker君だね」の意味がだんだん分かってきて、Giverの精神(※人に与えること)の大切さ身に染みて感じた時期でした。

ここでの学び▼
何もないところから、何かを生み出すことの難しさ
自分1人で結果を出す+スマートに結果を出そうとする思考の愚かさ
とりあえずバットをフルスイングすることの大切さ
Giverの精神の大切さ

②30歳以下の社会人200人アプローチ

8月のチャレンジとして、30歳以下の社会人200人アプローチを行いました。
30日で割れば、1日約7人の方にアプローチすればOKな数字だったので、ギリギリ頑張れいける数字でしたが、かなりきつかったです。
※DMを送って返信なしなど、こちらからの一方通行はカウント対象外

ただ、チャレンジをして自分の殻を破りたかったので、社内でよく言われている大量行動を意識しました。
実際は、1日6アポを必ず行い、その合間にSNSでDMを送信したり、交流会にひたすら参加しました。日によっては1日9面談を行い、喉が枯れることもありました。

この行動が功を奏して、
1ヶ月で約210人接触、約100面談、0→1で売上約30万を作る
ことができました。

今までは既にある商品を拡販する形でしか売上を上げたことがなかったため、0から売上を作るってこんなに大変なんだという、ビジネスのリアルを実感することができました。

また、200人アプローチは無理だという初期の解釈から、とりあえず大量行動をすることで、だんだん現実味を帯びてくる。
この経験から、限界を決めているのは自分なんだなぁという気付きを得ました。

ここでの学び▼
大量行動によって見えてくる景色がある
0から売上を作ることの難しさ
限界を決めているのはいつも自分

③長期インターンの統括及びマネジメント

10月からで長期インターンの統括及びマネジメントを行うことになりました。もちろんインターンの運営などしたことはありません。

ただ、転職先の文化で過ごしていく中で
とりあえずやってみる、なんかやれる気がするという心持ちになっていたため、すぐにGOを出すことができました。

実際にインターンの統括及びマネジメントを行って気付いたのは
・マネジメント=自分の鏡である
・目の前の人と本気で向き合う
ということです。

マネジメント時に自分が発する言葉を自分が実践できているか?
インターン生の○○が伸びしろという部分が自分にも当てはまらないか?
など、自分を客観視(鏡)として見ることが増えることで、自分の在り方が変わっていくのを日々感じました。
また、目の前の人に本気で向き合う在り方は、人を教育していく上では欠かせないという気づきを得ました。

そして、1番大きかったのは、
1ヶ月のインターン生の行動を見て、自分もまだまだ未熟である
もっと可能性を信じて挑戦できると感じたことです。

ここでの学び▼
マネジメント=自分の鏡である
目の前の人と本気で向き合う
自分は未熟であり、もっと可能性を信じて挑戦できる

④急成長ITベンチャー企業の採用コンサル

新たなプロジェクトとして、SES企業の新卒採用コンサルを行うことになりました。もちろん新卒採用はしたことはありません。

ただ、これまでの経験から「やると決断したら、それに必要なものが見えてくる。あとは見えてきたものを素直に愚直に取り組んで、理想のアウトプットに近づかせるだけだ」というマインドセットが出来ていたため、初めての採用プロジェクトも成果を出すことが出来ました(もちろん過程は大変な部分もありましたが)。

また、採用イベントにも登壇することが増え、
・名だたる企業の中でどのようにベンチャーを選んでもらうのか?
・自社の人事ではない中で、どれだけ解像度高く支援先の企業のことをプレゼンできるか?
という点が非常に難しくも、やりがいが大きかったなと感じています。
※支援先の企業の解像度を上げるために、週1〜2回は先方に駐在をして、カルチャーや働く人の雰囲気をキャッチアップすることを実施してました。

ここでの学び▼
先に決断をし、後からやり方を考える
✅他社との見え方の違い(差別化)をとことん考え抜く

また、2社目のスタートアップでは死ぬほど働くという、自分の足腰を強くする経験をさせてもらいました。
具体的には、在籍2年7ヶ月で有給は取ったことがなく(厳密には社内に有給という言葉が存在しなかった)、土日祝という概念もなかったため、365日仕事してました。

特に入社してからの半年間は、スタートアップでの成果の出し方が全く分からず、毎朝5時から詰められ、夜は23時〜25時ぐらいまで詰められるという生活を送っていました。(詰められる内容は数字だけでなく、在り方=スタンスの部分も含まれていました)

そんな生活を送っていたこともあり、もはや自分の人格すら否定されているのではないか?という感覚と、数字が全く上がらないことによるストレスで頭があまり回らなくなってましたが、なんとか喰らい付く精神でやっていました(当時を振り返ると軽度の鬱だったと思います)。

今思い返すと謎ルールなのですが、仕事の連絡は3分以内に返せという社内ルールがあり、365日24時携帯を身体の近くにおき、連絡がしたら通知音とバイブ音がなるように設定し、即レスしてました(ふとした時に、ここは軍隊が?と思ったことは何回かあります)
※役員から、リゲインのCM(24時間戦えますか?)見ろと言われていて、素直だったのでちゃんと見て、24時間営業と心に誓ってました。

スタートアップで働いたことにより、仕事は自らの機会によって生み出し、生み出した仕事にフルコミットして成果を出すことで、更なる仕事にチャレンジできることを学びました。
そして何より、平成生まれながら昭和マインドを手に入れることができたのが大きかったです。

社会人5年目〜(現在)

10名のスタートアップで働きはじめて2年半が経過したタイミングで、様々なプロジェクトに関われている充実感がある一方、どこかもどかしさを感じている自分を発見しました。

後々振り返りと、その時感じていたもどかしさとは、様々なプロジェクトに関われて成長を感じているが、果たして今後はどの方向に進んでいくのか?というものでした。
※このタイミングで、改めてコーチングを受けることを決めました。

コーチングの前半は、自分が無意識のうちに抱えてしまっていた様々なhave to(〜ねばならない)を剥がしていくことから始めていきました。
※自分がコーチングする中でhave toについては十分理解していたものの、改めて無意識の恐ろしさを感じた瞬間でもあります。

コーチングを進めていく中で、組織作りに興味があると見えて来たので、人事をやっている人にひたすらDMを送り、1ヶ月で10名ほどお話しをさせていただきました。

そしてお話しを聞く中で、事業を成長させていく観点での組織作りに興味が強いことが見えたため、人事にチャレンジするのではなく、事業責任者として事業と組織の両面から企業を成長させていく(その後に戦略人事の動き方をしていきたい)ことをやろうと決断しました。

その後は、自社でチャレンジ出来ること、他社だからチャレンジできることを色々とリサーチし、1番ゴールが叶いそうだと感じたLayerXへの転職を決めました。

LayerXを決めた理由としては、以下3点です。
①半年に一度新しいプロダクトをローチンしており、事業責任者ポジションを狙える確率が高かった点
②可能性がまだまだあるBtoB取引(仕入高・原価・販管費)の市場へのチャレンジができる点
③立ち上げ1年ちょっとの部署&人数も20名弱&正解がないアーリーフェーズなので、事業と組織をどうやって伸ばしていくか?の視点を持って働ける点

2024年2月に転職してからは、怒涛の日々(未経験業界&未経験職種ということもあり)でしたが、日々ゴールに向かっている感覚があります。

そして何より、ゴールに向かっている最中は楽しいことばかりではなく、辛いことも多いと感じてます(実際に今回転職して、まじしんどい。。と思ったことは何回もあります)。

それでもなお、日々チャレンジ出来るのは、ゴールのおかげだと日々強く感じています。
転職が当たり前になっている世の中ですが、ゴール無き転職は悪手でしかないと感じているため、とりあえず転職する前に、自分のゴールは何なのか?を明確にすることを強くオススメします。

ゴールへのチャレンジは始まったばっかりなので、これからも果敢にゴールに向かって生きていきます!

最後に

ここまで読んでいただき、本当にありがとうございます。
本来ならもっと多くの出来事を書きたかったのですが、読める量におさまる気がしなかったので、一部抜粋しながら書かせていただきました。

今まで人生を通して学んだ教訓は、大きく以下7点です。
①ゴールしか勝たん。
②人が進化・成長する時には、必ず自分以外の人が介在している。
③物事は捉え方次第で、良くも悪くもなる。
④自分のやりたいことで人生を埋め尽くし、それに向かって行動する。その行動が誰かの役に立ち、相手から感謝される。このサイクルを回すことが本当の幸せである。
⑤行動することによってのみ、世界は変わる。
⑥決断が先、プロセスは後。
⑦らしさを活かし、カオスな状況へ意図的に飛び込む。

ここまで読んでいただき、ありがとうございました!!!
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