大林さん

僕は一時期、図書館で働いていたことがある。

その時、大林さんに出会った。

大林さんは声が大きくて、いつも顔が赤く、目が据わっている男の人で。

誰と話すときも敬語だった。そして誰の目も見ずに会話をしていた。

そんな大林さんが初めて僕に興味を持ったであろう時は、はっきりしている。

仕事の帰り道、僕は数人の同僚と歩いていた。私はそのとき、小学生の時に

イタ飯を炒めた飯だと勘違いしていたことを話していた。

そばを歩いて通りがかった大林さんは「炒めた飯ですかっはっはっは」

と笑いながら歩いて行ってしまった。大林さんは歩くのが早い。

僕は声の大きく大林さんを、そのときの大林さんの僕の印象以上に

知っていた。

大林さんが所属する部署は、時々延滞者に対して電話をかけて催促する。

その催促の電話は大林さんの時には、広い事務室中に丸聞こえになるのだ。

「っち。オヤジだよ」「えぇ!ですから4週間ほどですね!」など電話の前に

つく悪態や、少しイライラしているであろう電話まで丸聞こえなのだ。

そんな大林さんが僕は苦手だった。僕は声の大きな人があまり好きではない。

そんなこんなで、納涼会となり館全体での飲み会があった。席は適当に割り振

られていた。5人掛けのテーブルに私は同僚と座り2人で座って始まるのを待

っていた。するとそこに大林さんともう一人(彼女も僕の中では苦手なタイプ

だった)が座って飲み会がスタートした。

すこし緊張し、またまったく楽しめないぞ、と後悔し料理を食べて進めていた。

料理に意識を集中させていると、酔いが回り始めた2人がいろいろ話し始めた。

大林さんは、お酒好きで呑むとさらに顔が赤くなり、声が大きくなる。

話は大林さんの家庭での話になっていた。大林さんはそのときなんと驚くべき

ことに奥さんと子どもがいた。

もう一人の人が話す「大林さんって洗濯物と洗濯バサミが同じ色じゃなきゃダ

メってほんとうですか?」半ば馬鹿にするように聞いた。

大林さんはそんなことを気にするそぶりも見せずに「そりゃあそうですよ

違う色だったら気持ちが悪いですからね」さも当然という風にいった。

そのテーブルのみんなが笑った。僕も笑った。そしておかしな人だと思った。

「それで違ってた場合は奥さんに怒るんですか?」「いやいや何も言わずに変

えますわ」優しくておかしな人だと思った。僕の思いが見透かされたのか

「うちのカミさんは、僕の事、おかしな人間やいうて一時期本気で悩んでたら

しいですわ」またみんな笑う。僕も笑う。奥さんの気持ちがとてもわかる。

大林さんは兵庫の出身だった。

その飲み会から僕の中で、なんとなく大林さんに対して近寄りやすくなった。

通勤が一緒になると話しかけたし、給湯室でも言動にいちいち笑った。

そんな大林さんも僕に様々なことを話してくれた。選手宣誓の時に手を挙げる

のはナチスの真似だとか、古代ローマでは高い階ほど貧乏人が住む(そりゃあ

金持ちの人は地震が来たら一番に逃げたいですからね。なぜと聞くとそう答え

てくれた)

そんなこんなで最後の飲み会がやってきた。館長が退職する職員を一人ひとり

紹介し席に戻り、乾杯をし、飲み会が始まった。僕はまたしても大林さんの近

くだった。

大林さんは周りの職員に「館長は言いませんでしたけどね蜜ノ木さんはすごい

読書家なんですよ」と言いまわった。大林さんは僕がよく本を読んでいたこと

を見ていたのだ。今まで会話で一回も本の話題など出てこなかったのに。

そして「蜜ノ木さん、今度フグ食べに行きましょ。兵庫のフグはうまいですよ」

僕はそのとき未成年だった。「蜜ノ木さんが呑めるようになったら、いっぱい

おいしいもの案内しますよ。あっ蜜ノ木さん、アンコウはありますか?」

まっすぐ僕の目を見て聞く大林さんを見ながら、僕はなんだかこみあげてきた

涙をこらえ、まだないです、ぜひ行きたいですと答えた。

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