マガジンのカバー画像

わたしは思うのでth(す)

56
趣味の映画やイラスト、ゲーム。仕事にしている国際交流や、子供の学習支援。
運営しているクリエイター

#思い出

「魔女宅」に感動する

二十数年ぶりに、映画「魔女の宅急便」を観た。自分がガキのときには小さな魔女の成長物語なんて興味を持てず、「フーン」という感じに観ていた。しかし、今回はえらく感動してしまった。 この映画は、13歳になった魔女のキキが、修行に出るという話だ。知らない街に行き、いろんな人に出会い、変化に戸惑いながら懸命に生きていく。 で、どこに感動したのか?それは、キキの成長ではなく、出会った人たちの優しさに触れるシーンだった。 部屋を貸してくれるパン屋の奥さん、「宅急便」の看板に見立てた

土偶女子をつくってしまったことの懺悔

むかし、ミュージカルの稽古をしていて目に入った女の子の顔が、びっくりするくらいぼーっとしていた。「あんた目を開けてんの?閉じてるの?」というくらいの薄目で、いかにも何も考えていなさそうだった。その表情が、僕に土偶を連想させた。あの有名な「遮光器土偶」である。 そして僕は、その女の子が土偶顔だったことを、お友達に報告したのだ。これがいけなかった。瞬く間に僕の周りで「土偶」のアダ名が流行ってしまった。しかも本人はそう呼ばれていることを知らないので、ほぼ悪口の体である。 土偶と

ダウンロードが便利なのはわかっているけど

僕はコンピューターゲームをけっこう遊ぶ。Nintendo Switchなんかでゲームを買うときに、ちょっと前までは便利なダウンロード版を選んでいた。 ところが最近は、ゲームをまたパッケージ(箱に入ったソフト)で買うようになった。箱もソフトもいずれはプラスチックごみになるから、エコな行為ではない。それに、ゲームはプレイすれば体験としては同じなのである。 そんなことは頭では分かっている。だが、品物が手元にある感覚が、たまらなく嬉しい。これはどういうことなのだろう?ゲームの箱と