従順ならざる唯一の日本人
「従順ならざる唯一の日本人」とGHQ高官から呼ばれた白州次郎。日本の教育制度に息苦しさを感じケンブリッジ大学の中でも当時最難関のクレア・カレッジに入学。実家の白洲商店が倒産し、9年間のイギリス留学を終えて日本に帰国。英語力を活かして、英字新聞の『ジャパン・アドバタイザー』に就職。その後は留学時代の友人であるジョージ・セールの伝手で外資系のセール・フレイザー商会に勤務し取締役となる。第二次大戦後は吉田茂の側近として終戦連絡中央事務局の参与に就任する。留学中は1度もホームシックに