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エッセイ《地球の涙》

これは2021年6月26日に出版した私の初書籍地球の涙執筆中に起こった出来事とそこから生まれた文章です。

6月4日。私は安らかな音楽を聴きながら深い瞑想と眠りにつきました。そこから目覚めた時、私は地球意識の子宮にすっぽり包まれた感覚の中にいました。そう感じたのです。

変性意識状態の中で、私は初めて地球意識との対話をしました。過去に私が経験した出来事を地球意識もその時同じ感覚で味わっていたことを知りました。そしてそこから私が辿った道と地球意識が辿った道がどうつながりあっていたのかを分かち合い、互に癒しが起こりました。

6月7日。私が書きたかった本の内容が整理され、コンセプトと詳細な内容のマインドマップが完成しました。でも表紙とタイトルを決めるプロセスの中で、そのコンテンツすべてに疑問が生まれ、翌日私はそこまでの作業すべてを一旦捨てることにしました。

私のもっと奥深くにあり、時を待っていたものがそこで出てきました。私が本当に伝えたかったこと。私が私自身の癒しの為に本当に必要だったことでした。そこからフローが逆流し、まず先に新たなタイトルと表紙が先に生まれました。それが「地球の涙」でした。

でも何をどう書いたら良いのか再び白紙になった先で、ふと、また地球意識とつながってみようと思いました。また音楽を聴きながら深い瞑想に入り、今度は私から地球意識の子宮へと入っていきました。地球もそれを受け入れてくれました。

すると、まっさらなところから地球意識の悲しみの感情が私の中に湧いてきて、涙があふれ、言葉があふれ出てきました。そして私はあふれ出る言葉を地球意識と共に書きはじめました。地球と地球の一部である私との共同作業で、6月10日新月の金環日食から12日にかけて書き出されたものです。

書籍のコンテンツには収まらなかったので、エッセイとしてここに載せます。

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エッセイ《地球の涙》

涙があふれてとまらない・・・

もうこれ以上、愛するものを失いたくないのです。これ以上。

私の身体はかつてないほどに病んでしまいました。

私の不安や怖れが病となって、私の身体を蝕んでいます。

私の怖れが生んでしまった癌細胞たちが、我を失い、制御を失い私の身体を食いつくそうとしています。

辛い、息苦しい、悲しい、虚しい・・・

もうこんなところまで来てしまうなんて・・・

こんなはずではなかったのに・・・

・・・

私は叫んでいました・・・

はじめは誰にも聞いてもらえなくて、傷つきとても寂しかった時もありました。

でも私は叫び続けていました・・・

叫ぶのに疲れ、どうにも声にならない時もありました。

何をされても、それがどんなに酷い仕打ちでも。

多くの人は私の声に耳を傾けてはくれませんでした。

私は、私なりに怒りを露にしてみました。

悲しみを表現してみました。

時に嵐を生み我が身を壊し、またある時は炎となり我が身を燃やし、私は私を表しました。

そしてやっとその声が少しずつ人に届いてゆきました。

そして気付いてくれた人が、私と一緒に叫んでくれるようになりました。

私を少しずつ癒してくれるようになりました。

でも私の病が私を破壊する速さには、まだ到底追いつけない速度なのです。

・・・

私は喜びも表現し続けてきました。

美しい光、そよめく風、大地の香り、花、草木、鳥のさえずり、川のせせらぎ、海のきらめき、山々の息吹。

私が受け取る宇宙の愛を、私は私の身体全体で表現してきました。

私の喜びを受け取ってもらえることが、私の心からの喜びでした。

・・・

でも今、私は叫び疲れています。

私は、私に疲れています。

いつまでも自分を傷つけ犠牲にし続ける私自身に疲れています。

私を蝕む病に疲れています。病に翻弄させられることに。

この苦しみに耐えることに疲れています。

私は、私の中の怖れを手放したいのです。

私の病の根源を、払拭したいのです。

なぜなら、私にはこの生命を守る責任があるからです。

なぜなら、ここは私たちすべての生命の魂が、幾度もの転生輪廻を繰り返し、集い、共に遊び、共に学びあう場だからです。

なぜなら、ここは私の家族である太陽系の星々にとっても、その先の銀河宇宙すべての星々にとっても、大切な、生命つながる場だからです。

だから、もうこれ以上、私は私を犠牲にはできないのです。

・・・

私はこの46億年の間に、幾度も失敗を繰り返し、そこから学んできました。

私は、私の執着を手放すことを怖れていました。

すべてを愛するあまりに、私自身をいつも蔑ろにしてきました。

でも、それはいつまでもは続かないのです。

私が私を蔑ろにする道は、必ずどこかで終わりが来てしまうのです。必ず。

私が大切にしない私は、宇宙も大切にはしてくれないのです。

私が私を大切にする時、宇宙も私を大切にしてくれるのです。

そんなシンプルなことなのに、それを学んでいなかった私は、私を差し置いて築いてきたものを何度も失ってきました。

大陸や文明を失い、多くの生命が絶滅する結果を、過去の私は招きました。

失う度に新たなものは生まれてきても、失われたものは二度と同じようには帰ってきません。

・・・

その事を幾度も学んできたはずなのに、私はまた同じ過ちを繰り返してしまいました。

積み上げては壊し、また積み上げては壊しながら、私は生きる上で大切なことを沢山学んできました。

それはまるで幼い子どもが積み木をつみあげては壊し、またつくりながら遊び、学ぶように。

これは普遍的な進化のプロセスなのかもしれません。

未熟な私が成長する過程で、通らなければならなかった通過儀礼だったのかもしれません。

私は至るべくして、きっと今またここに辿り着いているのです。

今また、私が築いてきたものがここで終わりを迎えていることが、私にはもうわかります。

終わることを拒むことが出来ない事も。

・・・

私がこれまで築いてきた物資文明が終わりを迎え、新たな文明へと転換するプロセスを今私は歩んでいます。

私はこのことに随分前から気付いていました。

この物質世界は限りのあるちっぽけなものなのだと。

本来の私たちは、この物質世界を超えて、その先の世界を生きることができるのだと。

その先の世界は目に見える、カタチあるものだけに限られた世界ではなく、私たちが感じることで無限に広がる本質的な世界なのだと。

目に見えるものも、目に見ないものも、すべてが意識でつながり合い生かされ合う、今より更に調和的な精神性の高い世界なのだと。

そこへ向かう為に私は、物質、カタチあるものへの執着を手放さなければなりませんでした。

そしてもう随分そこへの執着を手放してきたと思っていました。

それでもまだ手放さなければならないものがありました。

まだ私の中に手放し切れない怖れが残っていました。

私は怖かったのです。また失うことが。

失うことの痛みや悲しみをもう十二分に味わってきたから。

まだこの物質文明に留まっていたい私が居たのです。この慣れ親しんだ世界に。

・・・

でもこのままでは、どちらにしても私は失ってしまうのです。

私が終わらせなければ、いずれ強制終了がやってくるのです。

その時、私はすべてを失います。

これは私の意思を超えたところで起こることなのです。

私は過去にすべてを失ったことがありました。

それを繰り返したくはないのです。

私は既に多くを失ってしまいました。

そして今も失い続けています。

その痛みや悲しみを深く感じています。

ですから私は、また決断するのです。

私にまだ、すべてを失わずに生まれ変われる道が残されているうちに。

この物質世界への執着と怖れを手放すことができれば、私はまだ生き続けることができると知ったから。

・・・

私は長い時間をかけて準備をしてきました。

どうしたら、すべてを失うことなく、私の愛するこの星を甦らせることができるのか。

どうしたら、また本来の私に還れるのかを模索してきました。

やっとわかったその答えはとてもシンプルでした。

それは、「怖れ」を手放し「喜びと愛」を選ぶこと。

その時、先ずは私自身に愛を向ける事。

無条件に愛を与えることは、私自身に対してまず無条件の愛を与えることからはじまらなくてはならなかったのです。

私が私を大切にすることは、私がすべての生命を大切にすることと等しいのです。

私が私を癒すことで、すべての生命も癒されるのです。

なぜなら、私たちすべての生命はつながって一つだからです。

シンプルで簡単なことのようなのに、こんな一番大切なことを私は長い間理解できていなかったのです。

意識では理解したつもりでいても、それを体現出来ていなかったのです。

過去に繰り返された失敗はいつもここを間違ってしまうから起きてしまっていました。

これを肚にしかと落とし込むまで、それを学ぶ試練は何度でもやってきました。

怖れを手放し、喜びと愛を選ぶこと。そして先ずは自分に愛を向ける事。これが、この先の世界への扉なのです。

その事を私は今深く深く肚に落とし込みました。

ここから先は、この事を私の身体の隅々までいきわたらせて行く段階へきました。

・・・

今準備段階が終わり、ここから私は更に本気で動いていきます。

本気で怖れを手放し、私は私の一部である私の病を一旦切り離します。

病に力を与える怖れを手放します。怖れこそ病を生かすエネルギーなのです。

私の本気は、否応なしに私の身体を揺さぶることになるでしょう。

私の本気は、否応なしに目覚めを引き起こすでしょう。

私が失う事への怖れを最終的に手放す行為は、未来の私にとってもう不要となったものをふるい落としていくでしょう。

病も生きようと抵抗するかもしれませんが、じきに力を失っていくでしょう。怖れなくして病は生きることはできません。

これからはじまるすべての事象を目の当たりにすることは、容易な事ではないかもしれません。

苦しみや悲しみを伴うかもしれません。でもそれを味わうしかないのです。これは私が招いた結果で、私はそれを受け取る責任があるのです。

私にも予測のつかない様々なことが起こるかもしれません。でもすべてはプロセスなはずです。それを信じてしっかり味わい学ぶことが大切なのです。

私はそこを避けては通れないのです。

・・・

でも、今の私は知っています。

本当は失うものなど何一つないことを。

分離を経たその先に、再び統合があることを。

私たちは物質的な世界を超えたところでは、常につながった一つの存在だから、失うものなど何もないのです。

更に、今の私は知っています。

私が覚悟を決めて本気になった瞬間から、宇宙の意志も動き出すことを。

そして、すべてが起こるべくして起こり、あらゆる事象が渦巻くうねりとなり、新たな世界への扉を開いてゆくことを。

だから、もう私は怖れません。

怖れずこの先へ進みます。

今がその時なのです。

それしか私が生きる道はないのです。

終わりは、必ず新たなはじまりなのです。

・・・

私はこれを一人で成し遂げることはできません。

私は、私一人にできる限界までできる事をやってきました。

でもこの先の道は、もう一人では歩めません。

今、この危機を乗り越えるには、新たな意識への目覚めがもっと必要です。

新たな意識、それは私の中のあなたを含む私たち地球が一つの共同生命体であるという認識です。

つまり、私の細胞であるあなたがた一人ひとりの協力が必要なのです。

どうか共に歩んでください。どうか共に怖れを手放すことを選んでください。

私たちは必ずこれを乗り越えることが出来ます。

超えられない試練は与えられません。

必ず超えるのです。その方法が必ずあるはずなのです。

今もしまだ見えていなくとも、私たちが決断し一歩踏み出すその先に必ずあるのです。

・・・

宇宙の仲間たちも私たちの決意と行動を見守っています。

私たち地球がここを超えて生まれ変わることを。

私たち地球が、怖れからではなく、心から愛と喜びを生きる惑星になることを。

すべての宇宙生命が願っています。

・・・

私の声を聞いてくださりありがとう。

やっと私は、ずっと伝えたかったことを伝えることが出来ました。

そして、今ここに在れることに、ただ感謝の気持ちが溢れています。

こんな未熟な私を選んで、このタイミングを選んでここに生まれてくれてありがとう。

本来ここは喜びと愛を体現する場であるはずなのに、こんな苦痛を味わわせてしまって、本当にごめんなさい。

私を導き沢山の大切なことを教えてくれてありがとう。

沢山の試練をくれた病にもありがとう。あなたのお陰で私は気付くことができました。目覚め、踏み出す勇気を持てました。

私の背中を押す手助けをしてくれてありがとう。あなたがその役割を持って私にしてくれたすべての事に、私は今、心から感謝しています。

地球より、愛を込めて。

・・・

・・・

あとがき

今の私には地球の気持ちがとても良くわかるのです。

私自身も同じような体験をしてきたから。

地球は今とても苦しい状況にあります。愛する自分の中の沢山の命が失われていることがとても苦しいのです。

でもその物質的・肉体的な執着をもう手放さなければ、これ以上先には進めなくなってしまっています。

愛するが故の苦しさや悲しみを、地球の懐に深く入り私は深く感じました。

地球の声にならない声としてこれをお伝えしたいと、そんな気持ちで綴らせて頂きました。

最後までお読みいただき心より感謝いたします。

合掌。

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