ボスはいる
私の職場は数年前、大きな組織変革がありました。
私の上司であるボスが
倒産するかと思われた職場の組織を大改革し、
それとともに旧態依然とした体質を変えました。
私はボスの直属の部下として
ボスの庇護のもとに仕事をしていました。
ところが、ボスは大改革の途中で
病に倒れ、
あっという間に天に召されてしまった。
うちの職員みな、
ボスへの気持ちを整理できずにおりました。
あまりにも早く別れが来てしまったので
多くの職員にとっては突然過ぎたのです。
そんな折、職員から
ボスに感謝する会をしたいという声があがって、
職員を集めてそれが行われました。
発起人とそれをサポートする職員がリードしてくれて、
私はほとんど承認しただけです。
私は覆いかぶさる雑事をこなすのに精いっぱいで
それを考える余裕がありませんでした。
買って出た職員はそれを理解してくれて、
「私たちにまかせて」と言ってくれました。
参加した全員が言っていた。
ボスは柔和で優しく、親切。
いつも気遣ってくれた。
それ、ほんとにほんとです。
私は、それに加えて、ボスは
大きなエネルギーを持った改革者だと思います。
どんな逆風が吹いても受けて立つ覚悟があり、
意志を曲げない強さを感じていました。
改革するって、さまざまな抵抗を受けるものです。
それは覚悟の上で実行する。
そういう人でした。
組織を守るということでなく、
組織を構成する人を大切にしました。
利用者。職員。
みんながハッピーでいられるように。
それを考えてくれた、
私にとっては初めての上司でした。
ボスはリーダーとしての在り方を
私に教えてくれました。
上に立つように見えて、
ほんとは一番下にいました。
ボスというお盆の上に乗っかった私たちが
いろんな問題をぽいぽいと落とします。
ボスはそれを拾っては解決していました。
言いにくいことを言い、
人が嫌がる役を買って出、
難しい調整を行いました。
難しくデリケートな問題だから
それは誰にも気づかれず、
ほめられも感謝されもしませんでした。
でも、みんなが気持ちよく仕事しているのは
いろんな波風をボスが無言で身に受けてくれて、
私たちはボスという盾のうしろにいたからでした。
みんなは知らないうちに
ボスに助けてもらっているのに気づいていないんです。
私もそうなんだと思います。
真のリーダーの姿がありました。
今回の会のために、
リードしてくれた職員だけでなく、
みんなが自発的に動いてくれていた。
発起人が言うには、
いつのまにかボスの写真を集めてくれた若いもんがいる、
その写真でスライドショーを作ってくれた若いもんがおる、
おいしいものを作って差し入れてくれたパートさんがいる、と。
その他、みんながこの会を実現させたくて
自発的に、自然に、行動していた。
なんてすばらしい職員なんだろう。
ボスが育てたんだなぁ。
今回の会は、
思い出の引き出しを作ってくれただけでなく、
ボスが目指したものがなんだったのかを全員で確認し、
遺志を継いで、
なんとしても新体制による新しい組織を
作り出そうという団結を生んでいました。
* * *
ボスがもうこの世にいないなんて
まだ信じられないです。
天国に行ったと、クリスチャンたちは言ってます。
それはそうだろう。
その一方で、若松英輔氏の著作で
分かったことが私を救っています。
それは、死者はいなくなってなんかいないってこと。
ボスが生活した長い年月という時の刻み。
ボスが実現させてきた理想。
ボスが計画し、ボスの死後も進む園舎の建築。
ボスがいろんな人に与えたいろんな影響。
そんなこんながこの世にはたくさん残っている。
この世で共に生活し、働いたという事実。
それがある。
遺志を引き継ぐ私たちがいる。
それなのに、ボスがこの世にいないなんて、
むしろ、そっちの方がおかしいじゃないか。
肉体がないからって、
それはいないってこととイコールじゃない。
ボスは、ここにいる。
私はそう思ってる。
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