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「飛鳥・藤原の宮都とその関連資産群」を巡る

今年「佐渡島の金山」が世界遺産登録されたが、次に日本から推薦される物件として最有力なのが「飛鳥・藤原の宮都とその関連資産群」である。
奈良県の明日香村、橿原市、桜井市に点在する22の構成資産候補からなり、3つの資産を除いた19の資産が、JR桜井線の南、近鉄橿原線・吉野線の東の狭いエリアに集中している。

構成資産候補一覧
構成資産候補の所在位置

1⃣3つのグループ

22の構成資産候補は大別して3つのグループに分けられる。
1つ目は「律令国家の中枢機構の形成過程」を示すもの。2つ目は「国家宗教としての仏教寺院の成立」を示すもの。そして3つ目は「律令による墓制の変化」を示すものとなっている。
今回⑮番の大和三山のひとつ「畝傍山」以外の21ヵ所を全て回ってみた。

2⃣「律令国家の中枢機構の形成過程」を示す資産

これに該当する資産は8つあるが、更に2つのグループに分かれる。

⑴律令制による宮殿の形成過程を示す資産

①飛鳥宮跡

田園が広がる中にある天皇の住まいの内裏の構造がわかる最古の王宮跡とされている。
天皇の代替わり毎に場所を変えていた宮殿が1ヵ所に定着し、舒明天皇の飛鳥岡本宮から、皇極天皇の飛鳥板蓋宮、斉明天皇の後飛鳥岡本宮、天武・持統天皇の飛鳥浄御原宮まで歴代の天皇が宮殿を置いた。そのため今も宮殿遺構が重なって残っている。
中大兄皇子と中臣鎌足らが蘇我入鹿を宮中で暗殺し、大化の改新の始まりとなった「乙巳の変」もここが舞台とされている。

②飛鳥京跡苑池

飛鳥宮跡の北西に位置する飛鳥宮付属の庭園跡で、現在は草が生い茂り、池のあった庭園の様子は伺えない。

③飛鳥水落遺跡

その名の通り、水に関係した施設があった遺跡。この土地上に建てられた建物の中には日本初の水時計があったとされ、日本書紀には、中大兄皇子が人々に時刻を知らせるために作ったと書かれている。

④酒船石遺跡

丘陵地を少し登ると、竹薮の林の中に突然現れる巨石。巨石には何やら溝が彫ってあり、明らかに人為的な加工が施されている。
天皇による国家祭祀が行われた施設とされている。

⑵律令制による宮殿の成立を示す資産

⑬藤原宮跡

今は広大な土地が残っているだけだか、この約5キロ四方が藤原京で、その中心部約1キロ四方に藤原宮が建っていたとされている。
持統天皇によって、飛鳥浄御原宮から藤原宮へ遷宮されたもので、「律令」制度に基づく中央集権国家が誕生したことを証明する宮殿遺跡である。

⑭大和三山(香久山)

大和三山のひとつで、藤原京の東に位置し、標高は152.4メートル。山頂には國常立神社がある。『古事記』や『日本書紀』、『万葉集』で“天香具山”と呼ばれていたことで有名な山。

⑮大和三山(畝傍山)

橿原神宮拝殿の後ろ見えるのが畝傍山

大和三山のひとつで、藤原京の西に位置し、標高は198.8メートルと大和三山で最も高い。山の南側山麓には橿原神宮の神苑が広がっている。

⑯大和三山(耳成山)

大和三山のひとつで、22の構成資産候補の中で唯一JR桜井線の北にある。
藤原京の北に位置し、標高は139.6メートルと大和三山で最も低く、山頂までは20分程度で登ることができる。

3⃣「国家宗教としての仏教寺院の成立」を示す資産

これに該当する資産は7つあり、更に3つのグループに分かれる。

⑴仏教の受容を示す資産

⑤飛鳥寺跡

飛鳥大仏の説明をする住職

蘇我馬子が創設した日本で最初の本格的寺院があった場所。鎌倉時代に創建時の建物は消失したが、江戸時代に再建され今日に至る。創建当時は今の何倍もの広さを持つ伽藍が配置されていた。
本尊の飛鳥大仏は日本最古の仏像と言われている。

⑵氏寺の成立を示す資産

⑥橘寺跡

もともとこの場所には橘宮という欽明天皇の別宮があり、そこで聖徳太子が誕生したとされている。のちに推古天皇の命により、聖徳太子によって御殿を改造して造られたのが橘樹寺である。
当時の建物は金堂・講堂・五重塔など66棟もの建造物があったとされ、今より大きな境内であったと推察される。しかし、2度の火災により焼失し、現在の建物は江戸時代に再建されたものである。
現在の本堂には、ご本尊として聖徳太子が祀られている。

⑦山田寺跡

蘇我氏の一族である蘇我倉山田石川麻呂の発願により造営された氏寺があった場所で、現在は一部基壇が残っているのみである。

⑧川原寺跡

後方に橘寺が見える

橘寺の北に位置する仏教寺院跡。天智天皇が、亡くなった母・斉明天皇のために川原宮に建立した。のちの文武天皇の時代には大官大寺、薬師寺、飛鳥寺とともに四大寺に数えられ、官寺として扱われた。
現在建物はなく、多数の遺構が残っている。

⑨檜隈寺跡

檜隈寺は渡来系豪族である東漢氏が氏寺として造営した仏教寺院。
現在は、於美阿志神社の社殿が建っており、檜隈寺の塔跡に平安時代に建てられた十一重石塔が残っているだけである。

⑶国家寺院の成立を示す資産

⑰大官大寺跡

「飛鳥・藤原」最大の寺院で、聖武天皇により東大寺が建立されるまで、官寺として国家の筆頭寺院の地位を占めていた。
現在は、水田の中に九重塔、金堂の基壇跡が僅かに残るのみである。

⑱本薬師寺跡

天武天皇が建立を誓願した官寺。のちに平城京遷都により、薬師寺が西の京に移ると、西ノ京の薬師寺と区別するために本薬師寺と呼ばれるようになった。
現在は医王院の建物が建っており、境内には本薬師寺の大きな礎石が残っている。

4⃣「律令による墓制の変化」を示す資産

これに該当する資産は7つあり、更に2つのグループに分かれる。

⑴伝統的な墓制の継承と変質を示す資産

⑩石舞台古墳

言わずと知れた蘇我馬子の墓として有名な石舞台古墳。墳丘の上部は失われおり、横穴式石室の巨大な天井石が露出している。

⑪菖蒲池古墳

石室自体が小屋に覆われ保護されている

墳形が中国の皇帝陵等に採用されていた方墳であることから、有力者の墓であると言われている。石室には家形石棺が2基あることで知られている。

⑵新しい墓制への移行・展開、八角墳・壁画古墳を示す資産

⑫牽牛子塚古墳

牽牛子塚古墳の模型

近鉄飛鳥駅の西に位置し、場所がわかり辛く、たどり着くのに苦労した。
珍しい八角形をした八角墳。斉明天皇の陵墓との説が有力。
白い部分はコンクリートのように見えるが、修復の際石川県小松市から取り寄せた石が使われている。

⑲天武・持統天皇陵古墳

天武天皇と皇后の持統天皇が合葬された陵墓。天武天皇は古墳時代以来の伝統的な方法で埋葬されたが、持統天皇は骨蔵器が納められていたことから火葬を基本とする仏教思想の導入を示している。

⑳中尾山古墳

壁画古墳として有名な高松塚古墳の北側に位置している。
こんもりとした墳丘は草が多い茂り、一見しただけでは古墳とはわからないくらい小規模である。

㉑キトラ古墳

キトラ古墳は、石室壁面に天文図が描かれていることで有名。また、高松塚古墳と同様に、東西南北の四壁の中央に四神である青龍、白虎、朱雀、玄武も描かれている。
ガイダンス施設であるキトラ古墳壁面体験館「四神の館」で壁面のレプリカを見ることができる。

㉒高松塚古墳

色鮮やかな壁画で超有名な高松塚古墳。
その壁画のレプリカをガイダンス施設である高松塚壁画館で見ることができる。キトラ古墳と違い、壁画絵をはっきり見ることができる。

まとめ

今回自家用車を使い、2日間かけて構成資産候補を巡った。
場所によっては駐車場のないところや、車が入るのには狭い道もあった。
多く観光客が近鉄飛鳥駅前でレンタサイクルを調達し、自転車で回っていたようであるが、所によって坂道があったり、このところの猛暑で炎天下の中、長時間乗って回るのも大変であると感じた。
また、全般的に言えることとして、資産の管理レベル(管理状況)がまちまちで、一見すると放置されているように見えるものもあり、更に資産間の統一性、関連性の強化が必要と感じた。
観光する側の課題としては、資産の価値を理解する上で、改めて古代史の学習の必要性を痛感した。

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