習慣

橘花 玲。

 旧字体で表されたこの氏名を見れば、私が姓名単一表記が義務化された2052年よりも以前の生まれだと言うことがすぐにお分かりいただけたかと思います。

 結婚という制度も廃止され、氏名を分ける意味が薄れたこともあり、今では私のように名字と名前を一緒に名乗る人はほとんといないでしょう。もちろん、向こうへ行く際にはこれでは許可が下りませんのでその時は改めなければいけないのは十分わかっております。

 しかしながら、現時点でそのような思惑は一切皆無であることを先にお伝えさせていただきます。





 窓から飛び込んできたそれは、凍てつく鋭利な指先で私の頬をなぞっていった。


 これは私の毎日の習慣。意図して習慣にしたつもりは無いのだけど、気が付くと毎朝AM5:00には部屋の窓を開けている。

 ごめんなさい。毎朝と言ったのは少し誇張が過ぎたかもしれません。実際のところは、ここ十年くらいでしょうか。時間と言うものに縛られる必要が無くなってからは目覚ましの設定もすることがなくなりました。特に起きる時刻を決めている訳でもなく心地よく目が覚めるのがいつも決まってこの時間ということなのです。


 だからたまに、例えば体調が優れなかったり夜更かしをした日には、窓から射し込む朝陽に起こされることもあります。
 この部屋が私の部屋となったのが今から十年ほど前のことでした。ちょうど夏と秋とが鬩ぎ合っている頃で、確かあの日はたまたま夏の方が勝っていた。そんな日だったと思います。


 そうなると正確には九年と三ヶ月ですか。この十分な歳月が私の意思とは関係無く必然的に習慣としたのだと思います。このようにして繰り返してきた私の習慣は、もしかすると傍目には全く同じ行為のように映っているかもしれません。ちょうど、CDプレイヤーの音楽をリピート再生させるかのように、全く同じものが永続的に繰り返されているように見えるかもしれません。


 申し上げてからはっと気が付きましたが、CDとはいささか時代錯誤だったでしょうか。とにかく、このように「毎朝AM5:00に起きて窓を開ける」と、文章や言葉にするとどうも味気なく無機質になってしまうことは確かです。


 しかし、実際にはそんな質素な行為で無いことを私は知っています。それこそ、この時期はまだ真っ暗で、見通せる範囲には家の明かりもほとんどありません。静寂が世界を支配しているように見えます。夏になると右手の山の方が白んできて、おそらく鳩でしょうか鳥の鳴く声が聞こえます。同じように見えても、僅かに、でも明らかに違うものなのです。


 私は窓を開け、少しのあいだ冬の空気に触れると、満足とばかりに窓を閉めます。
これ以上は真冬の攻撃的な寒さに耐えられそうもありませんから。
 特に今日のように寒い朝は膝の調子が芳しくありません。私が九年前にこの部屋へ来ることになったのも、膝を悪くしたことが理由のひとつとなったことは否定出来ないでしょう。思えば、膝を悪くしてからは余り外へは出られなくなりました。いいえ、悲観しているわけではありません。もちろん、少しは残念に思う部分があることは認めます。しかし、お陰で筆を執る時間が増えたことも事実です。


 これまでの私の目線は常に前へ、なるべく遠く未来へ向けられていたように思います。こんな風に申し上げると大層聞こえが良いですが、前ばかり遠くばかり見ていると足下や後ろの状況が見えなくなるものです。今、こうして歩みを止めて立ち止まり、スーッと呼吸をひとつ置いてから周りを見たり、後ろを確認する作業も改めて意義のあることだと感じています。


 人生にはタイミングや役割があるのだとこの歳になってようやく気が付きました。私が今、このように筆を執るのも必然なタイミングで必要な役割なのだと思います。
 少なくとも私はそう思っています。 
 ちょうど今朝のような、この刺すような冷たい風に触れると、あの日の朝を思い出します。人間の感覚というものは本当に不思議なもので、たったひとつのきっかけで湧き水が勢いよく噴き出すかのように過去の記憶を鮮明に呼び起こします。それは時に匂いだったり、時には音だったり、今回のように肌に刺さる風の質感や温度だったり。


 その頃はもう半世紀以上も前のことで通常であれば、「思い出せ」と言われても容易ではないほどの膨大な時間が過ぎ去っていきました。それが昨日のことのように思い出せるのだからやっぱり人間の感覚は不思議です。

 「おいおい、一体お前は何なんだ」


 そんな声が聞こえて来そうですね。失礼しました。自己紹介がまだでした。

 橘花玲、2000年7月29日生まれ。今年で齢76となります。2065年に発令された半ば強制的な移動令を断り、残った側の少数派です。
 半ば強制的と申し上げると角が立ちますので、あくまで任意の、と訂正させていただきます。私としては強制としていただいた方が判断に困らずに済んだのにという念が一部あったことは事実ですが、きっとそれはそれで拒んだ者、まつろわない者が一定数存在することへの配慮であり、その場合の対処に労力を割く方が非効率だという判断なのでしょう。お互いに逃げ道を作ったのだとすれば、非常に合理的な結論だと得心がいきます。


 私としても、自ら決断することが大変難儀であることだとは自覚しています。反面、それ以上に意義のあることだと理解しています。結局は散々文句を言いながらも同じ結論を出したことでしょう。


 しかし、世界のほとんどは違います。自ら決断した風を装ってはいますが、良さそうだから、皆がそう言うから、と言ったなんとも根拠の曖昧な同調圧力に屈して世界の決断を自らの決断と巧みにすり替えるのです。


 最近では何故私が残る決断をしたのかをずっと考えています。結論だけを言えば「そう思ったから」としか言えないのですが、そこに至った経緯や、きっかけが必ず私の中にあると考えています。


 私が私足る理由、その結論を導き出した理由が必ずあると信じています。きっとこうして筆を執ったことも理由探しのひとつなのだと思います。


 ひとつひとつ丁寧に記憶を辿って整理していくと、ちょうどあの頃から私の考え方が具体的に変わっていった気がします。それまでも物事について考える方ではありましたが、何故だか私の答えと世界の答えがところどころ食い違うことも少なくはなくて、その都度にぼんやりとした違和感として頭の隅に積み上げられていました。そして、それまで放置していた違和感らと正面から向き合うようになったのがその頃だった気がするということです。


 先ほどの、肌を刺すような凍てつく風がはっきりとあの日を思い出させてくれました。


 私はスイッチを切って部屋を出た。

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