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山口俊雄「第四章 石川淳流〈不服従の作法〉「マルスの歌」」 (『最後の文人 石川淳の世界 』)

☆mediopos-3087  2023.5.1

石川淳「マルスの歌」は
八十年以上前の小説で
日中戦争下にあたって発禁処分を受けたが

「作品にとっては名誉かもしれないが
現実にとってはたいへん不幸なことに、
今なお賞味期限が切れていない」と

二〇〇三年のアフガニスタン戦争・イラク戦争時や
「3・11(東日本大震災)以降のわが国の状況」について
山口俊雄/辺見庸は語っているが

二〇二三年の現時点においても
「賞味期限が切れていない」
どころか
いまや全世界的に賞味期間中であり

現在進行中の見える戦争・見えない戦争のなかで
まさにこの作品の〈不服従の作法〉は
あらためて注目されてしかるべきだろう

「マルスの歌」は
体制批判・戦争批判を描いた作品だというわけではないが
「むしろ戦争遂行という名の同調圧力、
「流行の中で、みんながつなぎ会はさつてゐる」さまが
つぶさに描かれた作品であり、その同調ぶりへの違和感を、
同調圧力への不服従を語った小説であった。」

作品のなかで語り手の「わたし」は
「銃後国民の狂騒状態・メディア動員」のなかで
「どうしても群集心理的な狂騒状態に
同一化できないでいる自分自身を」
「みいだすための過程を描い」ている

いままさに私たちは「戦時中」における
「群集心理的な狂騒状態」のなかにあり
それに同一化する多くの人たちがいて
むしろかつてよりも
いわゆる「知識人」の多くこそが
その尖端において「啓蒙」さえおこないながら
それに反する視点を「陰謀論」として
批判するような状況にさえなっている

やっと少し状況は変わってきてはいるが
知を誇るはずの「知識人」たちも
(「知識人」を自認しているからこそだろうが)
また「戦争」を主導してきている政治家たち官僚たちも
その多くがまさに
かつてのアイヒマンのようであるにもかかわらず
その姿勢をいまだ基本的に変えようとはしていない

それはワクチンの問題だけではなく
ウクライナ問題や環境問題
そしてSDGsといった施策も同様である

そこにあるのは(似非)科学への信仰や
旧態依然としたイデオロギー信仰を使った
世論の意図的な誘導に他ならない

「マルスの歌」の語り手の「わたし」のように
私たちはそれらに対して違和感を覚え
それらへの〈不服従の作法〉を
身につけることを課題としているといえる

まさか同時代的にこうした
戯画的でさえあるような状況を生きることになるとは
ぼく自身想像さえしていなかったのだが
「戦時下」でしか学べないことがあり
そして「戦時下」を生きるということは
そこにこそ意味があるということでもあるのだろう

そしてこうしたことは私たちが
「戦時下」を生きる必要がなくなるまで
繰り返し起こり得ることでもありそうだ

■山口俊雄「第四章 石川淳流〈不服従の作法〉————「マルスの歌」」
 (『最後の文人 石川淳の世界 』集英社新書 2021/4/16)
■石川淳「マルスの歌」
 (ちくま日本文学全集『石川淳』筑摩書房 1991.7)

(山口俊雄「第四章 石川淳流〈不服従の作法〉————「マルスの歌」」より)

「〈自由〉、なにものにもとらわれないことを石川淳が最優先したとなれば、目の前にある不自由・窮屈さに黙っていないだろう。
 日中戦争初期の銃後のマスヒステリー、南京陥落祝賀に直結する状況をふまえて、メディア等を通じた戦争讃美の実態を丁寧にたどりつつ、同調圧力に対してNo!を表明した「マルスの歌」(一九三八年)を山口が紹介する。)

「石川淳「マルスの歌」は、今からおよそ八十年あまり前の日中戦争下、「文學界」一九三八年(昭和十三)年一月号に発表され、「反軍又ハ反戦思想ヲ醸成セシムル處アリト認メラルルニ因リ」発売禁止処分を受けた。その後、あらためて発表されるのは敗戦後の一九四六(昭和二十一)年、作品集『黄金伝説』(中央公論社)への収録という形でとなる。
 戦争反対、いや正確には〈戦争支持〉反対という作品の主題をふまえて、二〇〇三年、アフガニスタン戦争・イラク戦争時に合衆国でこの作品が英訳とともに取り上げられたことは、この作品の古びなさと国境を超えた普遍性とを物語ることになったが、わが国における戦争を可能にする空気の醸成とそれへの同調圧力を批判するために二〇〇〇年代初頭から繰り返し「マルスの歌」に言及してきた辺見庸が3・11(東日本大震災)以降のわが国の状況を睨んで『瓦礫の中から言葉を————わたしの〈死者〉へ』(二〇一二年)のなかであらためて「マルスの歌」に言及している。
 辺見は「マルスの歌」の次の箇所を引用する。

  たれひとりとくにこれといつて風変わりな、怪奇な、不可思議な真似をしてゐるわけでもないのに、平凡でしかないめいめいの姿が異様に映し出されるといふことはさらに異様であつた。『マルスの歌』の季節に置かれては、ひとびとの影はその在るべき一からずれてうごくのであらうか。この幻灯では、光線がぼやけ、曇り、濁り、それが場面をゆがめてしまふ。

 その上で、次のように述べている。

  これは戦時における日常の雰囲気を実時間でもっともみごとに描いた石川淳の小説「マルスの歌」(一九三八年=昭和十三年)の一節です。つまり、戦時ファシズム下の市井の風景を切りとったものですが、このたびの大震災以降、わたしたちはいくどもこのくだりを想い出しました。
  震災時と戦時の空気はどこか似るのでしょう。一見ふつうなのだけれども、なんだか異様。光や影の言うに言えないたわみ、人びとが本来あるべき位置からずれているのではないか。引用文はそんな微妙な感覚表現です。微妙な感覚の誤差が、歴史の暗転を見わけるか見わけないかの決め手になる気もします。
  引用した文章のすぐ後には「ひとびとを清澄にし、明確にし、強烈にし、美しくさせるために、今何が欠けているのか」という自問がつづきます。これは、3・11以降にわたしたちがいだきつづけている疑問とどこかで交差するのです。

 戦争や大震災による大量死。その大量死を意味づけるべく、メディアに媒介され作動するナショナリスティックな社会心理・群集心理。このような作動・連動のメカニズムは、作品が発表された八十年あまり前とおそらくはほとんどなにも変わっていないはずである。だからこそ「マルスの歌」が今なお読まれ、そのメカニズムを鮮やかに小説表現として結実させたとして評価されているのである。」

「従来、掲載誌の発売禁止処分と相俟って反軍的・反戦的な主張を盛り込んだ勇気ある作品というこよで評価されてきた「マルスの歌」であったが、銃後国民の群集心理を高みに立って批判するのではなく、銃後国民の狂騒状態・メディア動員も見据え、身近な者が戦時体制のなかで変貌してゆくさまもしっかりとらえ、自他いずれが正気か狂気かと戸惑い動揺する局面も孕みながら、最後にやはりどうしても群集心理的な狂騒状態に同一化できないでいる自分自身を語り手「わたし」がみいだすための過程を描いた作品であることが確認できた。

 決して、揺るぎない体制批判、揺るぎない戦争批判が描かれた作品ではなかった。むしろ戦争遂行という名の同調圧力、「流行の中で、みんながつなぎ会はさつてゐる」さまがつぶさに描かれた作品であり、その同調ぶりへの違和感を、同調圧力への不服従を語った小説であった。」

「八十年以上前に、〈不服従の作法〉を書き込んだ石川淳「マルスの歌」は、作品にとっては名誉かもしれないが現実にとってはたいへん不幸なことに、今なお賞味期限が切れていない。」

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