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原作・宮沢 賢治/作画・ますむら ひろし  『銀河鉄道の夜・四次稿編』

☆mediopos-2578  2021.12.7

ますむらひろしは
宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』を
三度漫画に描いている
(三度目はまだ途中)

一度目は1983年
二度目は1985年
そして今回の三度目は
昨年の2020年にはじまって
現在は全四巻予定の分の第二巻まで

宮沢賢治は『銀河鉄道の夜』を三度改稿している
ますむらひろしは一度目には
「午後の授業」から始まる第四次稿(最終形)を
(それは「たった96ページで描いた」のだが)
二度目には初期形(第三次稿)を描いたが
今回は最初に描いた第四次稿(最終形)を
「約600枚という六倍の規模で描」こうとしている

宮沢賢治が主に改稿したのは
冒頭の所(第四次稿の冒頭は学校の教室ではじまる)
そして第四次稿では削除された
「ジョバンニの世界への、
作者宮沢賢治の思想の重大な介入」としての
「ブルカニロ博士」や「黒い帽子の大人」である

今回第四次稿をもとに描かれた学校の教室の所で
ジョバンニは
「ではみなさんは、そういうふうに川だと云われたり、
乳の流れたあとだよ云われたりしていた
このぼんやりと白いものがほんとうは何か、ご承知ですか?」
と先生に尋ねられて答えられない
だいじなのはジョバンニがそれを星だとは答えなかったからだ

そこには「賢治の込めた綿密な想いがある」からだと
ますむらひろしは理解している
「亡くなった者が、それから異空間に行く行程で、
賢治は星だらけのがらんとした所を、
とし子に歩かせたくはなかったのだ」
そしてその思いが
「やがてこの物語を産む大きな種子」となったのだと

さて上でもふれたとおり
第四次稿では「ブルカニロ博士」や
「黒い帽子の大人」の所が削除されているが
おそらくそれらはあからさまな作者の介入という形ではなく
ジョバンニのなかで育まれていく思いとして
暗に示されているかたちをとりたかったのではないだろうか

ますむらひろしの「初期形(第三次稿)」の
言葉でいえば別の箇所でつかわれた
「黒い帽子の大人」の語っているこんなところである

「みんながめいめいじぶんの神様が
 ほんとうの神さまだというだろう

 けれどもお互いほかの神さまを
 信ずる人たちのしたことでも
 涙がこぼれるだろう

 それからぼくたちの心が
 いいとかわるいとか
 議論するだろう?
 そして勝負がつかないだろう

 けれどももしおまえが
 ほんとうに勉強して
 実験でちゃんとほんとうの考と
 うその考を分けてしまえば
 その実験の方法さえきまれば
 もう信仰も化学とおなじようになる」

「このきれぎれの考の
 はじめから終わりすべてに
 わたるようでなければいけない
 それがむずかしいことなのだ」

■原作・宮沢 賢治/作画・ますむら ひろし
 『銀河鉄道の夜・四次稿編〈第1巻〉』
 (風呂猫 2020/11)
■原作・宮沢 賢治/作画・ますむら ひろし
 『銀河鉄道の夜・四次稿編〈第2巻〉』
 (風呂猫 2021/5)
■原作・宮沢 賢治/ますむら・ひろし賢治シリーズVol.1
 『銀河鉄道の夜』
 (扶桑社 1995/3)

(『銀河鉄道の夜・四次稿編〈第1巻〉』より)

「宮沢賢治が残した「銀河鉄道の夜」の生原稿は83枚。「ケンタウル祭の夜」で始まり、天気輪の丘を降りる所で終わる構想で書かれた初期形。賢治はそれを三度改稿し、第四次稿(最終形)では「午後の授業」から始まるものにした。私はこれを83年に描き、85年には初期形(第三次稿)を描いたのだが、判らないことがゴソリと残り、作品の魅力は私を離さなかった。それ以来、月一回の文章連載で何年も調べていった謎解き巡りの一部を「イーハトーブ乱入記」にまとめたが、それでも解けない謎たちはチカチカと点滅していた。

 それにしても、つくづく思うのは、この作品は霧に包まれた山脈のようで、全貌を描ける者は賢治しかいない。「描いてもけっして描ききれず、奇妙な輝きと深淵な闇が、ニッタラろ微笑む幻想第四次空間」。何とか少しでも捕らえたいと、五年前から三度目の作画を開始した。83年にたった96ページで描いた最終形を約600枚という六倍の規模で描くという企画を、赤旗日曜版編集部が受けてくれ、そのコマ割りラフ・スケッチを数ヶ月かけてノートに書き終えた時期、一冊の書籍を著書よりいただいた。

 「ジョバンニの銀河カムパネルラの地図」椿淳一著、同時代社刊。それは私の描いた漫画二作への有り難く深い賛辞とともに、銀河鉄道の舞台構造についての問題提起を含んでいた、《銀河鉄道はいっったいどこを走っているのか?》その提示は大胆であり、私のなかで解決するまでは本番の下書きに入れず、半年ほどかけて自分なりに調査して再考し、結論を得た。」

「「ケンタウル祭の夜」から始まってた物語を、賢治は学校の教室から始めた。この先生はどこか賢治自身に見えるが、ジョバンニたちを呼び捨てにしない。実際賢治は生徒をさん付けで呼んだらしいが、私の小学生時代ですら、そんな先生は居なかった。だがヒネクレた私が二十歳近くに最初読んだ時、この優しさが実に怖かった。子供の直感は何かを見抜く。小学校の教科書に現れた「虔十公園林」で感じた賢治の怖さと同質のもの、それは今も変わらない。」

「銀河鉄道を今回描きだしてから、いろんな友だちが、異空間に逝ってしまった。
ザネリに連れられるように去るカンパネルラの後ろ姿に流れる「星めぐり」の旋律。この場面でギターを弾く男のなかに、異空間にいったZABADAK・吉良知彦氏が化身してる。

 そして天気輪の柱。賢治が「見分けられた」としか書いてないのに、この物語の秤の支柱みたいに、あまりに重要な物体。だが手がかりは「天・気・輪」の三文字だけ。いろんな想いを詰めて原始的な気配に込めた。そして色彩部長の入魂のカラー連続展開のあと、ついに軽便鉄道の座席が現れるが、それはロングシートなのだ。

 85年の作画の際、鉄道オタクの妹に、「兄ちゃん、軽便鉄道って狭いから、坐席はボックス形でなく、ロングシートだよ」と言われた。この事柄については、2001年、宮沢賢治学会よりイーハトーブ賞をいただいた時、花巻での授賞式の記念講演で、このフレーズを語ったとたん、会場でどよめきが起こった。それほど《軽便鉄道=ロングシート》は知られていなかった。それでも二度目もボックス形で描いた私が、三度目の今回何故かロングシートで描くのか? 」

「古来、名作の冒頭はなかなか味わいのあるものだが、やはり賢治もよくよく考えて、物語の冒頭の言葉を選んだのだと思う。
「ではみなさんは、そういうふうに川だと云われたり、乳の流れたあとだよ云われたりしていたこのぼんやりと白いものがほんとうは何か、ご承知ですか?」
 この設問は深い。もしジョバンニが星だ、と答えたら、物語は一体どうなっただろう? たぶん、銀河鉄道の窓からは、星しか見えなかっただろう。だがジョバンニはどうしても、そう思えなかった。それは疲れからでも寝不足のせいでもない。何故そう思ったのか? ここに賢治の込めた綿密な想いがある。この冒頭の謎は、何年も私の頭のなかにあったが、やがて、妹とし(とし子)の亡くなった翌年、1923年8月1日の心象スケッチ「青森挽歌」のなかで、その答えを感じた。青森県を走る列車が真夜中に停まったどこかの停車場、そこで賢治は思った。
「あいつはこんなさびしい停車場を
たったひとりで通っていったどうか
どこへ行くともわからないその方向を
どの種類の世界へはいるともしれないそのみちを
たったひとりでさびりくあるいて行ったろうか」
 亡くなった者が、それから異空間に行く行程で、賢治は星だらけのがらんとした所を、とし子に歩かせたくはなかったのだ。どうしても、野原や林のある所を歩いていってほしかったのだ。その祈りの心こそが、やがてこの物語を産む大きな種子だったのだ、私はそう思う。」

(ますむら・ひろし賢治シリーズVol.1『銀河鉄道の夜』〜ますむらひろし「未来圏からの質問/文庫版あとがき」より)

「・・・ところがいくら見ても、そのそらはひる先生が云ったやうな、がらんとした冷たいところだとは思はれませんでした。それどころでなく、《見れば見るほど、そこは小さな林や牧場やらある野原のやうに考へられて仕方なかった》のです。

 このジョバンニの想いこそ、宮沢賢治が夜空を見て、その彼方に行ってしまったとし子を思った時に、どうしても、がらんとした冷たいとこでなく、野原や林のあるそうした風景のなかを歩いていったのだと願いたくなったためなのだ。
 だが、そうして賢治が描いた幻想第四次の風景を想像しようとする時、今もなお《冷たいがらんとした》銀河写真たちが、そうした星しか夜空に想像できない人たちをつれて、ジョバンニや賢治のまわりをうろうろし続けてしまう。
 だからこそ、あの午后の授業の先生の質問は、過去から発せられ、永遠に未来圏から聞こえてくる問いなのだ。先生は、静かに賢治の声で尋ねている。

 「ではみなさんは、さういふふうに川だち云われたり、乳の流れたあとだと云はれたりしてゐたこのびんやりと白いものがほんとうは何かご承知ですか。」

(ますむら・ひろし賢治シリーズVol.1『銀河鉄道の夜』〜詩人・天沢退二郎「ますむら版・銀型鉄道の夜・ブルカニロ博士篇」より)

「ジョバンニ少年は、全くひとりぼっちで銀河鉄道の夢に入ったのではなかった。ブルカニロ博士という名の不思議な導き手は、夢の中のジョバンニの耳に〝セロのような声〟でさまざまな考えをつたえていたが、第二次稿ではさらに〝黒い帽子の大人〟の姿で自ら夢の汽車に乗りこんで、世界や歴史の見方について、人間の生き方について重要な演説をするにいたる。この演説は、ジョバンニの世界への、作者宮沢賢治の思想の重大な介入である。それは宮沢賢治が、一九二四年以来この物語にどのように取りつかれていたかを示している。
 死を間近にした時期、賢治は、まるでつきものが落ちたかのように、そのような介入をやめてしまう。第四次稿の黒インクは、ブルカニロ博士や〝セロのような声〟を削除する。しかし私たちは、ますむらひろしとともに、もう一度−−−−いや何度でも−−−−ブルカニロ博士に導かれて、宮沢賢治の思想にふれる必要がある。最後にはただひとり銀河鉄道の夢に立ち、ただひとり戻ってきたジョバンニの決意と胸のうちを理解するためにも。」

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