今村 純子『映画の詩学』『シモーヌ・ヴェイユの詩学』/鈴木大拙『新編 東洋的な見方 』
☆mediopos-2541 2021.10.31
「詩」をもつということは
どういうことなのだろうか
シモーヌ・ヴェイユに
「労働者に必要なのは、詩だ」
という言葉がある
この言葉を知ったのは
『映画の詩学/触発するシモーヌ・ヴェイユ』で
今村純子氏がふれているのと同じく
鈴木大拙のエッセイからだ
その言葉については
シモーヌ・ヴェイユはそれ以上のことは
何も書いていないようだが
鈴木大拙は
「労働者が手を動かし、足を動かす
というところと関係づけて、
そこにポエジィを見ることができたら」という
そして「大工さんがコンコンやっておる、鉋でけずる、
というところに十七文字の詩情」がわき
「妙を感じて、十七文字で表現することのできるものを、
手足を動かす人が感じられたら、
その労働の世界というものは、
まったく変わってしまうだろう」という
現代のいわゆる労働の多くは
結局のところ「食べる」ために
否応なくなされているが
それはほんらいてきな意味においていえば
「働く」ということそのもの
さらにいえば「生きる」ということそのものに
「ポエジィ(詩)」を見ることなのだろう
シモーヌ・ヴェイユはひょっとしたら
そういうことを考えようとしたのではないか
そんなことを想像させるところがある
ヴェイユの言葉はときに断片的で
矛盾に満ちていることも多いのだが
それらすべてはたしかに「詩」なのだ
哲学に留まることなくそこから
さらに「詩」へと変容しようとしている
もちろんシモーヌ・ヴェイユは
あえて労働者のなかに入って
労働の苦しみと矛盾とを得たわけだが
シモーヌ・ヴェイユがシモーヌ・ヴェイユであるのは
そうしたありようのなかに身を置き
哲学的営為そのものを生きた詩にしたのではないか
さらにいえば
「労働者に必要なのは、詩だ」は
「あらゆる生に必要なのは、詩だ」ともいえるだろう
かつてサルトルは「飢えている子供たちを前にして
文学に何ができるのか?」と問いかけたが
それは「飢えた子供たち」だけの問題ではないし
「飢えている」のはただ食べものだけの問題でもない
人間にとっての根幹になければならない
「精神」そのものが飢えているとき
必要な「詩」のことでもあるだろう
思い出すのはシュタイナーの晩年に行われた
労働者のための講義のことである
(かつて労働者教養学校で授業を行ってもいたように)
労働者はほんらい「精神」的な営為に「飢え」ている
それゆえにこそそこに
「精神」の泉を湧かさなければならない
「労働者に必要なのは、詩だ」というのも
その意味でこそとらえられる必要がある
わたしたちははたして
そんな「詩」をもちえているだろうか
わたしたちはあらためて
かつてイエスが山上の垂訓で教えたような仕方で
「精神に飢えかわいている人は幸いである。
彼らは詩をもつようになるだろう」
とみずからに教えなければならないのかもしれない
わたしたちの多くは
みずからが精神に飢えていることさえ
自覚できなくなってしまっているのだから
■今村 純子『映画の詩学/触発するシモーヌ・ヴェイユ』
(世界思想社 2021/10)
■今村 純子『シモーヌ・ヴェイユの詩学』
(慶應義塾大学出版会 2010/6)
■鈴木大拙 著・上田 閑照 編
『新編 東洋的な見方 』
(岩波文庫 岩波書店 1997/4)
(今村 純子『シモーヌ・ヴェイユの詩学』より)
「 「純粋さとは穢れをじっと見つめる注意力をもつことである」
「純粋であること」とは、穢れを知らぬことではない。否むしろ、「汚いもの」、「忌み嫌われるもの」といった、本来私たちが、「無きもの」としたいと欲してしまう事柄を、なによりもじっと見つめるその注意の力をもつことである。善は善としてそこにあるのではない。そうではなく、悪の直中にあって希(こいねが)われるものでもあり、その善への眼差しのなかに善はあるのだ。美は美としてそこにあるのではない。そうではなく、一切の美が欠如した醜悪さの直中にあって、自己が自己から離れることによって、愛がきざし、自己の奥底に他者と世界が映し出されるという実在(リアリティ)の感情こそが、美にほかならないのである。」
「ヴェイユは、(・・・)ナチスの「狂気」が席巻する二十世紀前半の西洋にあって、もうひとつの「狂気」、すなわち、自己が生きるか死ぬかという局面にあって、自己ではなく世界と他者へと愛がどうしようもなく向かってしまう、その私たちすべての人間の心の奥底に眠っている「愛の狂気」に訴えかけるのである。そしてこの愛がきざすならば、極限状況にあって、私たちは、美の感情によって善を把持しうる。そのとき、私たちは「詩」をもつといえるのであり、それが自らの「生の創造」を、たとえ死を蒙ったとしても、最期の一瞬まで促進してゆくのである。
このような「生の創造」は、端的には言葉にあらわしえない。その私たちの「存在の神秘」を、プラトンはさまざまな神話を用いて、言葉において、開示したのであった。それでは、シモーヌ・ヴェイユは、現代という時代にあって、どのようにして言葉において、言葉を超えて、実在を開示しようとしたのであろうか。
それは、言葉という虚構にほかならないものが、言葉と言葉とのあいだに「ずれ」、「亀裂」、「閃光」を起こすならば、実在を開示しうるという把握によってである。そしてまた、彼女が用いる象徴とイメージは、きわめて「女性的なもの」、きわめて「小さなもの」であり、そこに宿る「暖かさ」、「やわらかさ」のうちに、言葉が、言葉において、言葉を超えて実在を映し出す鏡となる、そのことを「関係」として捉えたのであった。」
「シモーヌ・ヴェイユにおける「詩」とは、およそ詩というものがいっさい見られない「恥辱」や「醜悪さ」の直中で見出されるものである。しかし、ひとたび私たちがいつどこで美を課似るのか、いつどこで自らのうちに詩情が溢れ出るのかと問うならば、「儚さ」や「脆さ」といった、かぎりなく「無」に近いもののうちであることが知られるであろう。このことを、ヴェイユは、さらに、社会科学の地平に広げてゆく。「無」、「真空」という響きのなかには、まだ何か私たちが直接的に生きる糧となる「高いもの」が孕まれている。何ものでもなくなるとは、社会から全的に放擲されることである。人がそこにいるという感覚を、他者がもちえない存在となることである。このことは、時代が暗くなればなるほど、もっとも見過ごされてはならない事柄であるにもかかわらず、もっとも見過ごされてきた事柄である。というのも、その人の〈今、ここ〉が揺るがされる危険性がある場合、人は容易に「自我」という名のシェルターのなかに閉じこもり、もっとも助けを必要としている人を「無いもの」とするのみならず、その人たちを「罪あるもの」、「醜悪なもの」として退け、己れのシェルターを脅かす危険分子として抹殺しようとするからである。そうした状況にあって、ヴェイユが述べる「詩」は、私たちが生きる世界にあって、どれほどの倫理の地平を開示するのであろうか。世界が悪一色で染め上げられたとき、悪の直中にあって、詩はどのような善を輝き出せるのであろうか。」
(今村 純子『映画の詩学』より)
「修士論文を書いていた年の夏、鈴木大拙の『東洋的な見方〈新編〉』(岩波文庫、1997年)を書店で手にとり、そのなかにシモーヌ・ヴェイユの名を見つけた。「そこで、この人がいっているのに、労働者に必要なのは、詩だと、こういうんですね。労働者に必要なものは詩である、と・労働者にはパンも必要だし、バターも必要だろうが、それよりも詩が、英語でいうポエジィが必要だと、こういっておですね。わたしはこれがシモーヌ・ヴェイユというような人でなければ言えないかと思う(「「詩」の世界をみるべし」同前、二四一頁)。その内容に先立って、「シモーヌ・ヴェイユというような人でなければ言えないかと思う」という言葉の息遣い、肌触りに惹かれた。
プラトンに深く耽溺していたヴェイユは、『ティマイオス』を格別な位置においている。「プラトンは洞窟から出て、太陽を見つめ、そして洞窟に戻った。『ティマイオス』は、洞窟に戻った人間による書物である。それゆえ、感じられるこの世界はここではもう洞窟として描かれてはいない」(「プラトンにおける神」『全集第五巻−第二分冊』、一二四頁)。『ティマイオス』のミュートスは、神による世界創造を、芸術家が作品をどう創造するのかということと類比的に語り、そこからわたしたちひとりひとりは自らの生をみずからの手でどう創造するのかということを、あらゆる角度から語っているのがシモーヌ・ヴェイユの思想である。
わたしたちは一生かかって自分自身をなんとかして語ろうとしているのではないだろうか。わたしは自分の語り方がよくわからなかった。いまでもわかっていないと思う。詩を書いていた時期もある。キャメラを手にしていた時期もある。どれもこれもわたしという存在からは、ずれているように感じられた。だが、心が動かされる映画に出会ったとき、魂の奥底で言葉のかけらがかたちになるのを待っているあの感覚−−−−これだけは確かなものである気がする。真っ暗闇のなかで、微かに出口の方向を指し占める光があるのではないかという身震いするような予感。それだけでわたしたちはある方向に向かって歩み出すことができるのではないか。
巨大な映写機を眺めたり、三十五ミリフィイルムのリールが回る現場に佇んでいたり、その音に身を委ねているのが好きだ。それは否応なく、真っ暗な狭い部屋のなかで肩寄せ合いながら八ミリフィルム上映を観た幼少期の思い出と重なっている。フレームのなかを動くわたしをわたし自身が見つめているという夢の出来事の再現。それだけではなく、わたし以上にその姿を微笑ましく見つめてくれている人がすぐそばにいてくれているという空気の粒子感。スクリーンとなっていたのは押し入れのふすまである。その押し入れは、ある日父が子どもたちに見せるべく椿山荘から買ってきてきれた小さな籠に入った蛍たちを放った、その同じ場所でもある。蛍のゆっくりした動き、発光の濃淡、そして翌朝には無残に黒い点となって床に落ちてしまっていたショック。その一連の経験は、まさしく「即今」の経験であったかと思う。シモーヌ・ヴェイユはペラン神父に宛てた手紙のなかでこう述べている。「死の瞬間は生の規範であり、目標であるとつねに信じておりました。自らに適ったように生きている人にとって、死の瞬間は、時間の無限小の断片に対して、純粋で、裸の、確かな、永遠の真理が魂のうちに入ってくる瞬間であると考えておりました」(「手紙Ⅳ 精神的自叙伝)」(『神を待ちのぞむ』一〇三頁)。これは、「即今」を見つめてきた人でなければ、言えない言葉かと思う。
(鈴木大拙 『新編 東洋的な見方 』〜「「詩」の世界を見るべし」より)
※「東洋思想の特殊性」より抄出、一九五九年八月『禅文化』
「近ごろ読んだ本で、フランの若い婦人が書いたものだが、(・・・)その人(シモーヌ・ヴェイユ)は、ユダヤ人であったが、フランスで生まれて、戦争中ヒットラーのユダヤ人狩りに追われて、まあ、転々とあちこち逃げまわってアメリカへ渡って、最期にロンドンで死んだ。死んだ年が三十三か四で、きわめて若い人ですね。
つまりユダヤ系の人でフランスに育った人であるが、この人の頭の良さというか、考え方の深さ、感じ方の深刻な点は大いに一読の値いがあると思うんです。近ごろ日本訳が出たように新聞で見ました。これを読んでみるとですね、フランスの大学を出て、フランスの学校で哲学の先生をやっておったんです。だから哲学的な素質がある。それからその人の日記、ノートみたいなものが残っておるですな。それを見ると、その人はインドのウパニシャッドとか、『バガバッド・ギーター』とかいうような書物を読んでいる。これは一般にヨーロッパに早く知られているから読んではおるだろう。
ところが不思議なことに、わしの本を読んだと書いてあるですね。わしの本の禅に関したものを読んでおると書いてある。ヒトラーの時代というと、二十年ほど前ですね。わしが禅の本を書きはじめたのは四、五十年前だが、この日とはたぶん二十五、六歳の時に読んだものと思うが、読んだといっても、べつに批評も何もしないで、その中から言葉をいくつか引いて、三、四カ所に出ておる。こりゃ不思議だと思うて、それからまた、よくこんなほうまで目を通すということに感心したわけです。
それで、東洋の思想に触れておったということは、確かなんだが、そのせいかどうかしらぬが、その人の言葉の中に、純粋なキリスト教とは見られず、純粋にユダヤ宗の人とも思われぬ、何か東洋のものがはいってきてやしないかという気がするのです。
その中にこういうことがあるんです。その人は女でありながら、学校の先生をやめてしまって、労働者の中にはいって、一緒に洗い仕事をした人なんですね。か弱い女の人が荒い仕事をやっても、とうてい耐えられるはずがない。けれども、労働者の体験をしたいというのか、苦しい人々に同情したというのか、そういう動機からでしょう。(・・・)そこで、この人がいってるのに、労働者に必要なのは、詩だと、こういうんですね。労働者に必要なものは詩である、と。労働者にはパンも必要だし、バターも必要だろうが、それよりも詩が、英語でいうポエジィが必要だと、こういっておるですね。わたしはこれがシモーヌ・ヴェイユというような人でなければいえないかと思う。ただそれだけで、べつに説明も加えてないんです。
それを、労働者が手を動かし、足を動かすというところと関係づけて、そこにポエジィを見ることができたら、まあ、労働者は助かるですね。これを日本にあてて考えてみると、俳句というものがある。俳句をやる人はそこに詩情を見て、十七文字にまとめることができるだろうと思うですね。そうすると、大工さんがコンコンやっておる、鉋でけずる、というところに十七文字の詩情がわけば、この普通の労働、この機械的な反復のほかに、いちいちの鉋の動き、鋸の動きに、いうにいわれぬ詩情、今のポエジィを感ずるとすると、これだけの仕事を何時間やって、どれだけの給料をもらうんだという、交換条件を何も入れないでですね、ただ、こうやっておることだけに妙を感じて、十七文字で表現することのできるものを、手足を動かす人が感じられたら、その労働の世界というものは、まったく変わってしまうだろうと思うです。」
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