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岡﨑乾二郎『絵画の素──TOPICA PICTUS』/《対談》<絵画の素>の味──岡﨑乾二郎 × 三輪健仁[『図書』]

☆mediopos-3012  2023.2.15

岡﨑乾二郎『絵画の素──TOPICA PICTUS』は

77編の比較的短めのエッセイと
絵画や彫刻等の「参照作品」の図版
そして自身のシリーズ作品《TOPICA PICTUS》が
「三体問題」となって

「考えたり、ものを作ったりする「きっかけ」」
「本当の意味での「種」や「素」、エッセンス」が
「創作物を生成させる」こと
いわば〈創作の秘密〉を垣間見せてくれる
そんな至福の時間を与えてくれる

「三体問題」とはポアンカレの
「相互に重力影響を与えるだけの質料をもつ
三つ以上の恒星があるとき、
それらの恒星の運動はほとんど計算不可能」であるという
「三体問題」を思いおこさせるがゆえの著者の表現で

三者の関係性は予測不可能だが
「複数の営みが働き合い絡み合って、全体が動いていく」
「時を超えた可能性を含ん」だ「予感」の下にあるということだ

その「予感」が三つの要素のもとに開陳されている

そして自身の作品について
「これが答えです」と示すのではなく
「読んだあとに、僕の絵になんとなく
固有のヒント=「絵の素」があるのを感じてくれたら」
ということで「絵画の素」と名づけられている

77のどの章も絵画に新たな視線を与えてくれるものばかりで
絵画を超えさらに世界を見る視線をも広げてくれる
こんなにもシンプルであるにもかかわらず
しかも豊かな「予感」を感じさせてくれる

さて77編のなかから
「地にも海にも木にも風は吹かない」についてとりあげてみる

「〈四隅〉が気になる」という話だ

絵画の画面には〈四隅〉がある
それは「二次元=平面の世界の果ては、四つの方向に分解され、
その無限に遠い四つの点へと収斂する」からだ
しかしそれは「数学的想定というより人間の空想」である

ここで紹介されている絵画は
中世の「黙示録注解」の絵画と
自身の「地にも海にも木にも風は吹かない」という作品だ

「〈四隅〉のある世界観を作り出した」ことで
「人は世界の外にでる可能性も知った」
そしてそのことで「世界がいつか終わる可能性、
世界には果てがある可能性を歴然と知ってしまった」
そこに「黙示録」の世界が示唆されることになる
そして「二次元の世界である限り、存在する世界の果ては
二次元の限界にすぎ三次元的には存在しない」

しかし「世界の四隅を突っついていると」
「風がどこからか吹いてくる」
「二次元であれば三次元の高み、
三次元であれば四次元(過去あるいは未来)の高みから、
次元を超えて風は吹く。」

画家は絵を描いているとき
そんな「風」を感じている・・・という

私たちはどんな世界に生きているのだろう
生きていると感じているのだろう
その世界には〈四隅〉があるだろうか
それともその「外」からの「風」を感じているだろうか

「風」の吹かない世界に生きるか
「風」を感じ「予感」を感じる世界に生きるか
その違いで開示される世界は変わる

■岡﨑乾二郎『絵画の素──TOPICA PICTUS』(岩波書店 2022/11)
■《対談》<絵画の素>の味──岡﨑乾二郎 × 三輪健仁[『図書』2023年2月号より]
 (岩波書店のWEBマガジン「たねをまく」 2023.02.08)

(岡﨑乾二郎『絵画の素──TOPICA PICTUS』〜「はじめに——三体問題」より)

「何かを書き記そうとするとき、わずかに頼れる予感のようなものがある。」

「予感は現在の不能感、つまり不安や孤立感を基盤にして発生するものだろうが、ゆえに、必ず、時を超えた可能性を含んでいる。(…)すなわち何かを創作するということは個人に帰属するものではない、それはその予感の指し示す場所に帰属するのだ。こうも言えるだろうか、制作を通して、個人は個人を超えて、個人というものの位置づけられた現在をも超えて、この場所に属することになる。それが予感の与える高揚だ。できるかどうかわからないとしても。

 予感(という動機)から考えれば、作品を作ることも見ることも何かを再発見し、再把握するプロセスである点において大きく違うものではない。が、この二つの行為を同時に行っている、という言い方は正しくない。その二つは影響しあうにしても、決してうまくは同調しない。(…)ビリヤードをプレイするのとも似ているのではないか。すなわち絵画のテーブルを支配しているのは場所の予感である、として、そのテーブルを通して何かを見ること、そして作ることは、その与えられた場所の上で、たかだか一つの球を狙い澄まし、一つひとつ突いてみることにすぎない。けれど、そのひと突きで、テーブルの上のすべてのボールがときに連動して動くだろう。予測不可能に思える球の連動によって、球は最終的にポケットに落ちる。突いた本人もすごいと思う。しかし、いずれ球がポケットに収まるだろうことは、この場所にとって、あらかじめ予期されていたのだし、また結末は盤面に散ったすべてのボールの反撥の連動によって生じる配置の動的変化で生み出されるのだから、それは盤面に球全員(!)で作り出した結果とも言えるだろう。いずれ、誰かがそれを起こすことは決まっていたことである。私だけでやったわけではない。十分予期されていた配置変化に荷担しただけである(アリストテレスの言ったトポスとはこのビリヤード台のようなものだったのかもしれない)。

 ビリヤードの球の運動のイメージはさらに展開して、ポアンカレが盛んに述べた、いわゆる三体問題——相互に重力影響を与えるだけの質料をもつ三つ以上の恒星があるとき、それらの恒星の運動はほとんど計算不可能、予知不能になる——をも想いおこさせる。不安と高揚をもった予知が与えるのは、こうした恒星それぞれの、予期できないが、ゆえに逆に個々の意志を超えた必然的運動である。星座の隅に漂う星くずであろうと、天空のおおいなる運動の一部をなしていることはきっと確かだ。

 自分の気になっていた絵画、ときに彫刻作品について、なぜその作品が気になっていたかを書くというのは容易ではない。しかし、なぜこの絵を自分が描いたのか、と説明することはもっとむずかしい。当たり前だが、美術作品は目的論的に作られるものではないからだ。すなわちそこに一義的な因果関係は存在しない。とはいえ振り出しに戻れば、そこに何もないわけではない。予感がある。それを行為に至らせた何かの作用がきっと確かにある。その(何かの影響か)作用が働いて、何かをひとつ作り出す、すると、それが働きかけて、まったく別の問題が動き出す。それが動くことによって、また別の何かがわかる。複数の営みが働き合い絡み合って、全体が動いていく。三体問題のようなものだ。」

(岡﨑乾二郎『絵画の素──TOPICA PICTUS』〜「地にも海にも木にも風は吹かない」より)

「中世の人々は平面的な世界に住んでいたように、なぜか考えてしまいがちである。というよりも平面的世界観を持っていた時代はなぜか中世的に感じられる、というべきかもしれない。いずれにせよ〈四隅〉がそのとき世界にはあった。〈四隅〉があるような世界観があったのはヨーロッパ中世(特に六世紀から一〇世紀まで)に限らない。同様の世界観であれば、インドにも中国にも日本にもありうるだろう。いや、そんな世界は、これから訪れるのかもしれない。

 〈四隅〉が気になる、という言葉は彫刻家からはあまり聞かない。一方、絵画の画面には〈四隅〉が明らかにあるから、絵描きでこんなことを言う人はいそうである(実際にはあまりいない)。画面に〈四隅〉があるのは、いうまでもなく画面が二次元だからである。絵画の鑑賞者が〈四隅〉が気になると指摘することはたしかにある。

 〈隅〉がなぜ、四という数に結びつくのかといえば、〈前後〉という方向に沿った軸線と、それに直交する〈左右〉という方向に沿う軸線の、それぞれ両端=極点が合わせて四つになることと対応している。二次現状の行動はすべて、この二つの軸線の合成によって位置づけられうるから、二次元=平面の世界の果ては、四つの方向に分解され、その無限に遠い四つの点へと収斂する。

 としても、それが〈隅〉を形成するようには想われない。〈隅〉はこの四つの点をそれぞれ線で結びつけ四辺の囲いを作ると想定したときにはじめて現れる。(…)よく考えれば、それぞれ無限遠に離れた四つの点を結びつけることなどできそうもない。が、できると考えたとき、この世界は一つの二次元平面であると理解されるのである。これは数学的想定というより人間の空想である。

 世界に果てがあるという観念は、ひとことで言って世界を対象=物体として捉えようとする思念から現れる。すべての対象=物体には輪郭ー限界があるとみなされるから、その物体の一番、離れあった点を結びつければ、その物体の輪郭が形成できるだろうという見込みに従った操作が、このように〈四隅〉のある世界観を作り出したに違いない。初歩的な観念操作ともいえよう。」

「実は、そのとき人は世界の外にでる可能性も知った(地図を見ながら、そんな気持ちになった)はずなのだけれども、それよりも世界がいつか終わる可能性、世界には果てがある可能性を歴然と知ってしまったことのほうがよほどショックだったのだろう。絵を描く画家が〈四隅〉など気にすることがないように、実際の世界の中にいるときには視線はいつまで行っても果てがなく、人はきっといつはか死ぬと悟るようには、世界がいつか終わると知ることはなかっただろう。

 二次元の世界である限り、存在する世界の果ては二次元の限界にすぎ三次元的には存在しない(だから三次元的な外部から、人はその地図を眺めることができる。(…)しかし、こんな世界に風はどこから吹いてきて光はどこから来るのだろう。世界の四隅を突っついていると、そういう風がどこからか吹いてくる。二次元であれば三次元の高み、三次元であれば四次元(過去あるいは未来)の高みから、次元を超えて風は吹く。中世であっても、この風は吹いていた。絵を描いている最中の画家はいつもその風を感じているものである。」

(「《対談》<絵画の素>の味──岡﨑乾二郎 × 三輪健仁」より)

「三輪 このたび刊行された岡﨑さんの新著『絵画の素もと』は、短いエッセイを七七篇集めたものとして構成されています。しかもそれぞれが必ず、書き下ろしのテクストと、《TOPICA PICTUS》という岡﨑さん自身の絵画シリーズからの作品と、さらに自作ではない絵画や彫刻等の「参照作品」の図版、その三つの要素から成っている。この形式は岡﨑さんの著書の中でも初めてのものです。
 最初にこの形式で書かれたのは東京国立近代美術館で開催した特集展示(二〇二〇年十一月―二〇二一年二月)の時で、小さなリーフレットの形で数篇を作り、来場者に配付しました。この時からすでにテクスト・自作・参照作品という三つの要素で構成されていることが要になっていて、今回の本の「はじめに」では、三者の関係性を予測不可能なものとして、「三体問題」と表現されていますね。

岡﨑 展覧会の前、三輪さんが僕の絵を見に来てくれた時に、すべての絵に実は参照作品群のようなものがあるんだと話し、テクストを一本書いて送ったんですね。すると「自作と参照作品を同時に見るのは面白い経験だ」と言ってくれた。そこから他のものも書き始めたんです。
 近美での展示以外にもう一つこの本には起源があって、ずいぶん前に、『哲学の素』という本の企画があったんです。まず絵があって、そこから考えられることを書こうと考えていた。僕がずっとやってきたのは、考えたり、ものを作ったりする「きっかけ」というか、本当の意味での「種」や「素」、エッセンスを集めていくことで、それらの「素」からいかに出来事のように創作物を生成させるかということなんですね。
 でもそれは一回一回の試合のように実践して示すしかない。そのための形式が今回やっと見つかった、とは言い過ぎですが、意外と簡単な方法だったという気がしています。『ルネサンス 経験の条件』(二〇〇一)や『抽象の力』(二〇一八)のようなものを書くのは僕の性格としてはなかなか大変なんです(笑)。本当はもっと直接「こうではないか?」と気づいたこと、閃ひらめいたことを書き留めながら展開したい。けれど実証的に資料を調べて跡づけ、既存の関連する言説との相違を確認しつつ整理し構築していく作業は、大事だけれど、どうも創造的とはいえない面がある。
 僕がほんとうに必要なのは「具体的に道具として使えるアイデア」なんですね。ダンス・ノーテーション(舞踊譜)に興味を持ったのもそうだけれど、「こうすると見方が変わる」「動きが変わる」という「変えてくれるきっかけ」「技を生成させる道具」を、なるべく増やしたいと思ってやってきました。

* * *

三輪 「絵画の素」というタイトルはどう決まったんですか。

岡﨑 『哲学の素』とのつながりもあるけれど、「味の素」もヒントになっている(笑)。

三輪 なるほど(笑)。

岡﨑 イマイチのごはんがこれで美味しくなる、みたいなふりかけ、調味料ってことですね。画家はよく「絵になる」とか「絵になっていない」と言うんですが、いくら絵具を塗ってもそれだけでは絵にならない。絵としての手応え、核が感じられない。そこに何かが入ると「ああ、絵になった」ということがある。そういう「絵になる素」みたいなものがいかなる作用を起こしているのか、それを語ることができたらいいな、と。美術の解説というのは、本当はそういう「素」の働きこそが語られていないと面白くないですよね。」

「三輪 岡﨑さんはこれまで、ご自身の作品を解説することはあまりなかったと思います。それは語りたくないというのではなくて、言語化の困難や危険をよくご存じだからで、学芸員や批評家もまた、岡﨑さんの作品を言葉にすることの困難を感じながらやってきた。それがこのエッセイでは、直接自作を説明しているわけではないんだけれど、読み手からすると、そのように読める部分もあるわけです。
 ただ、ご自身の作品を一番小さく、控えめに扱うことにこだわられていますよね。それは、自作は「素」ではなくそこから実ったものだから、むしろ素のほうを示すんだということですか。

岡﨑 自分の絵が答えではないし「これが答えです」と示すのが目的でもない。とはいえ、読んだあとに、僕の絵になんとなく固有のヒント=「絵の素」があるのを感じてくれたら嬉しい、くらいの気持ちはあります(笑)。僕の絵の偶然の筆触のようなものが、別の作品と関係づけると、実はかなり具象的に見えるとか。」

「三輪 今回生み出された形式では、エッセイの「短さ」というのも一つのポイントかと思います。

岡﨑 いちばん短いのは熊谷守一《陽の死んだ日》(一九二八)について書いたものですね。この絵は熊谷の亡くなった愛児・陽を描いているけれど、絵の左端に描かれているロウソクが謎だった。ロウソクの光が役に立っていないように見えるから。一方で亡くなった陽の顔もロウソクと同色で、いわばロウソクと陽の顔がこの絵の二つの光源のように描かれている。陽の顔は太陽みたいに明るく、自ら光を発するように描かれているのですね。誰もが気づく自明のことのはずですが「死んだはずの子がいちばん輝いている」と言ってみると、なるほどそうか、と見方が変わる。これがいちばん短い文章でこの指摘しかしていません。近美のリーフレットの時にはフォーマットがあったので、なるべく短くしようとしたけれどむずかしい(笑)。そのうちに文体も変化し、長くなってしまったものもあります。

三輪 《TOPICA PICTUS》もそうですが、岡﨑さんは「ゼロサムネイル」シリーズとして、サイズの小さな絵をずっと制作されています。形式が内容を決めるところは絵でも文章でもあると思いますが、テクストの短さも、そういう流れから出てきたということはあるんですか。

岡﨑 大きい絵を描くのは時間がかかり僕の頭の回転に合わないのかもしれません。描く時にさまざまなものを想起するのですが、それらは結構、瞬間的に同時に継起する。これとこれとこれ、あれが繋がるという無数の連なりがワッと瞬間的に沸き起こるんですね。するとゼロ号(約一八〇×一四〇ミリ)、文章だと短いエッセイ、映画でいえば昔の8ミリ映画の三分という長さが最適なんですね。また昨今、小さい大きいというサイズがかつてほど意味を持たなくなっている気もしますね。僕の個展を見に来てくれる人の多くが写真に撮ってインスタグラムにアップしていて、見る人もそれをスマートフォンで見ている。物理的大きさより、このように情報が連鎖する空間の広さ、大きさの方がリアルに感じるようになった。伝播するアイデアというのは、長い論文より短いエッセイ、フレーズくらいの方がいい。使えるアイデア、使われるシェーマとして、諺ことわざ、アフォリズムのように誰が言ったともなく広まって使われていくものですね。何より、僕はずっと批評を書いてきたけれど、最近は批評によって批評の世界は全然変わらなくなってきた、互いに目配せしあっているだけの批評が多い。僕は「変えたい」(笑)のです。それでこの形式に行き着いた。

三輪 岡﨑さんがこの本で語られていることは、批評的な長い文章として書くこともできるものだと思います。でもそうはせず、今回のような形式で「素」を示すことで、もしかしたら長い論文を書くよりも、世界を変えるために機能するのかもしれない。実際に読み手として、すごくそう感じるところがありますね。

岡﨑 うれしいです。要するにモノを捉える手がかりを配したスケッチでありエッセイですね。批評の本質もエッセイでしょう。それは何かを見るための仮説の提示で、仮説を使ってみる実験でもある。スケッチからどんな作品が最終的にできるかわからない。そういう文章はかえって何度でも読める。その仮説はまだ使い古されず、新鮮さを保っているからですね。ボードレールでもヴァレリーでもベンヤミンでも小林秀雄でも坂口安吾でもいまだ人気が衰えない。僕もこうした人たちの仕事を愛してきたということです。

三輪 長い論文で、起承転結が揃っていて全部説明してもらえると、ありがたいんだけれど、読む側は鍛えられない。この本の場合は、ここから先は読む側がちゃんと考えるんだよと、受容する人たちを鍛えるようなところがあると思います。

岡﨑 美術作品を道具としての働き、機能で考えるとして、その機能はそれが属すゲーム全体、美術批評的にいえばコンテクストとの関係で決まると理解されますね。僕は、そういうコンテクスト全体、構造を別の構造に置き換えることができて、はじめて「作品」であり「批評」だと思うんですね。サッカーで言えば試合を変える力。美術作品から「使える」ヒント、道具を掴みたいのは作家のみならず一般の人も同じでしょう。課題を解くヒントとして機能する道具を誰でも読みたいし見たい。でも批評家でもそれを言う人は少ない。失敗をおそれずに仮説を立てないといけないから。そして道具として働くには、具体的な事物として文体から発明しないといけないし。
 絵で「構造」とは、物語的な構造でもあるし、それに対応している絵の構成、構図と見なされるけれど、その見た目に捉えられた構造は絵を形成する核心となった構造と一致していないことが多い。ブロンズィーノの絵でも、小さなディテールを必然として理解しようとしたときに気づかなかった構造が現れる。それつまり「絵の素」が、これだ、と掴めていれば絵になる。ないと表面だけの効果で終わってしまう。
 西洋美術に比して日本の美術は歴史が描けない、物語が描けないとずっと言われてきた。けれど描けなかったとすれば、こうした「構造」的対応が掴めなかったからではないかな。それは画家だけでなく、むしろ批評家を含めた見る人の問題だった。逆にいえば葉っぱが地面に落ちる出来事を描くだけでも深く広い物語を含む構造を作れるはずですね。

三輪 岡﨑さんは以前、「構造」という言葉じゃなくて、古賀春江にしても村山知義にしても、作品だけを見ていても分からないことがあると、それを「背後」「文脈」のように言われていましたね。そこを押さえてみると、彼らは案外いいところまでいってると。そこから岡﨑さんは日本近代の作家の様々な作品を評価された。そういう話と、今の「構造」というのは、同じことではないけれど、つながっているように感じます。

岡﨑 そうですね、そう見ると高橋由一なんか、かなりいいですね。

三輪 構造って表面に現れていないもの、その下にあるものですよね。これまでも言われてきたことかもしれませんが、そこが大事だというのが、今回の本のテクストでは、わりと端的に示されている。だからこそ、そのテクストと岡﨑さんの絵が一緒にあるのがいいと思うんですよね。

岡﨑 僕の絵は、あり得る一つの例にすぎないけれど。」

「三輪 最後にちょっと岡﨑さんにうかがいたいことがあって。この前の展覧会のように岡﨑さんの絵だけ実物を展示するのではなくて、参照されている作品も実物、岡﨑さんの作品も実物、そこにさらにテクストがある、そういう場になったときに、三つの関係はどうなるのかなということなんです。そういうのはどうですか。

岡﨑 三体問題はやりたいですね。僕の絵である必要はないけど(笑)。

三輪 最初の展覧会では岡﨑さんの絵を展示するのが主で、やはり実物があると強いから、テクストや参照作品をいわば岡﨑さん自身による自作の解説として見てしまう部分がある。それが今回、本になってみると印象が変わって、三つの要素がどれも等価に感じられたんですね。たとえばロバート・スミッソンの《スパイラル・ジェティ》(一九七〇)なんかは、もちろん最初に作品と見なされるのはユタ州のグレートソルト湖にあるあの実物なんだけれど、テクストもあり、映像もあり、それらの集合として作品があるという見方もできますよね。この場合、三つの要素の関係には優劣や主従がないと思うんです。岡﨑さんの今回の本もまた、テクスト、自作、岡﨑さん以外の人が創造した作品、それには絵画だけではなくて島に伝わる昔話のようなものも入っていますが、それらの要素が、どれかを主にするために従としてある、という関係にはないように見えたんですね。
 だから、岡﨑さんの絵と参照作品の実物どうしを等価に並べてみたときに、その距離というか関係性を知りたいなと思うんです。参照された作品から、自作へのジャンプというかね。そこに色々な人が関心を持ってくれるというのが、美術の未来なんじゃないか、と思ったり(笑)。

岡﨑 僕の希望は単純です。この本に出てくる作品、《シナノキの下の宿》とかラシュグロス《花の騎士》とかを日本の美術館で展示したい。これらの面白さ、素晴らしさを実物で見てもらいたい。」

◎岡﨑 乾二郎
造形作家。武蔵野美術大学客員教授。
1955年東京生まれ。1981年の初個展「たてもののきもち」、1982年パリ・ビエンナーレ招聘以来、多くの国際展を含む展覧会に出品。主な個展として「ART TODAY 2002」(セゾン現代美術館、2002)、「特集展示 岡﨑乾二郎」(東京都現代美術館、2009〜2010)、「《かたちの発語》展)」(BankART Studio NYK、2014)、「視覚のカイソウ」(豊田市美術館、2019〜2020)。
総合地域再創生プロジェクト「灰塚アースワーク・プロジェクト」、「なかつくに公園」(広島県庄原市)、「《ミルチス・マヂョル/Mirsys Majol/Planetary Commune》」(ガラス、セラミックタイルによる連続壁面、ハレザ池袋、豊島区)、「ヴェネツィア・ビエンナーレ第8回建築展」(日本館ディレクター、2002)、現代舞踊家トリシャ・ブラウンとのコラボレーションなど。
展覧会企画として「ET IN ARCADIA EGO ――墓は語るか」(武蔵野美術大学美術館・図書館、2013)、「抽象の力――現実(concrete)展開する、抽象芸術の系譜」展(豊田市美術館、2017)、「坂田一男 捲土重来」展(東京ステーションギャラリー、岡山県立美術館、2019~2020)など。
灰塚アート・ステュディウム(ディレクター、1996〜2000 )、四谷アート・ステュディウム(ディレクター、2002〜2014)。主著に『ルネサンス 経験の条件』(文春学藝ライブラリー、文藝春秋、2014)、『抽象の力 近代芸術の解析』(亜紀書房、2018、芸術選奨文部科学大臣賞〈評論等部門〉受賞)、『感覚のエデン』(亜紀書房、2021、毎日出版文化賞〈文学・芸術部門〉受賞)、『芸術の設計――見る/作ることのアプリケーション』(フィルムアート社、2007)。『ぽぱーぺ ぽぴぱっぷ』(絵本、谷川俊太郎との共著、クレヨンハウス、2004)。

◎三輪 健仁
東京国立近代美術館美術課長。主な企画(共同キュレーション含む) に「MOMATコレクション 特集展示 岡﨑乾二郎TOPICA PICTUS たけばし」(2020-2021年)、「ゴードン・マッタ゠クラーク展」(2018年)、「Re: play 1972/2015―『映像表現 '72』展、再演」(2015年)、「14 の夕べ」(2012年)、「パウル・クレー展―おわらないアトリエ」(2011年)、「ヴィデオを待ちながら―映像、60年代から今日へ」(2009年)など(いずれも東京国立近代美術館)。執筆に「テレポーテーションにおけるテレポーテーションについて」『小林耕平 テレポーテーション』展図録(黒部市美術館、2022年)、「ロバート・スミッソンをめぐる三つの旅」(『Whenever Wherever Festival 2021』ウェブサイト、2021年、一般社団法人 Body Arts Laboratory)など。


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