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中谷 宇吉郎『科学と人生』〜「科学のいらない話」

☆mediopos2659 2022.2.26

「雪は天から送られた手紙である」
という言葉で有名な中谷宇吉郎は
寺田寅彦の影響を受けた科学者で
その随筆は寺田寅彦のように楽しく読める

本書は一九五六年に刊行されたものを
文庫化したものとのことだが
とくにこの「科学のいらない話」は
記憶に残っているのでご紹介してみることに

上空の気象要素の測定のために
ラジオゾンデ用の水素をつくる話である

海軍の離島での観測にあたっては
その水素を思いボンベに入れて
輸送するのがむずかしいということで
現地で水素を多量につくる方法を依頼されたので
適任と思われる友人のH君に相談したところ
「水素が欲しいのか、それとも気球が上げたいのかね」
ということから
もちろんのこと気球が上がればそれでいいので
アンモニアを鉄屑を触媒にして熱すれば
窒素を二十五パーセント含んだ水素になることから
H氏はその分解装置を設計する

それで科学者としての仕事は終わりだろうが
そうとはならず
試作品から実地用のものをつくりることを求められ
実演まで仰せつかることになる

「なみいる閣下や将校たち」は
H君のパフォーマンスに
「一せいに拍手して大いに喜んだそう」だが
結局のところ科学者としての仕事以外のほうに
「大部分の精神力を使」うことになったという話

この話そのものは微笑ましいといえばいえるけれど
「科学が役に立つ場合と、科学者が役に立つ場合は、
区別して考えなければならない」にもかかわらず
じっさいのところそうなっていはいないことは
さまざまな問題を示唆しているといえる

科学と技術はほんらい異なったものだが
多くの場合政治的な文脈で切り離せなくなっていて
実際にいい意味で役に立っていればそれはいいのだが
役に立つのは往々にして「技術」よりの「科学主義」であり
政治家やメディアなどのパフォーマンスにすぎない

そのときには肝心の「科学」は見えなくなり
「科学主義」的なものだけが「科学的」とされ
最初に設定された目的のためにさまざかに利用されてしまう
目的に合わない視点はそこで排されてしまう

それらはほんとうは
「科学のいらない話」であるにもかかわらず
むしろ「科学」という名がつけられていることで
それらがほんらいの在り方を失って信仰になってしまうのだ

これは「科学」にかぎらず
さまざまな分野で「信仰」化されることが多いのは
少し世の中を見わたしただけでわかる
芸能人がさまざまな場で
コメンテーターになるのもその類いである

「水素が欲しいのか、それとも気球が上げたいのかね」
といった根本的な視点での問いをもてればいいのだけれど・・・

■中谷 宇吉郎『科学と人生』
  (角川ソフィア文庫 KADOKAWA 2022/2)

(「科学のいらない話」より)

「それはラジオゾンデ用の水素をつくる話である。

 航空作戦の基礎は、航空気象学にあり航空気象学の基礎は、上空の気象要素の測定にある。それはいまさらいい立てるまでもないことである。ところで上空の気象要素の観測には、ラジオゾンデが絶対に必要である。小型の発信器を気球につけてとばし、温度や湿度の変化によって、その発信器の波長がちがいうようにしておくと、地上で受信して、その波長の変化を測ることによって、上空の温度や湿度が分かるのである。

 このラジオゾンデは、とばし放しであるし、それに気象要素は、少なくとも一日に二回は毎日の観測がほしい。それでこの観測は贅沢な仕事で、日本ではちょっと困る観測なのである。しかし戦争中は、それくらいのことは、飛行機一台失うことを思えばなんでもないので、陸軍でも海軍でも、盛んにこのラジオゾンデをとばしたものである。ただ困るのは、海軍の離島での観測である。気球用の水素を内地から運んでいたのであるが、だんだん輸送がむずかしくなる。それに水素はボンベに入れて送るので、内容に比して風袋が馬鹿らしいほど重いわけである。しかし離島のゾンデ観測が、海軍の航空気象の方では一番大切なので、なんとかしてつづけたい。それには現地で簡単に水素を多量にするくよりほかに方法がない。

 海軍気象部長の人は、戦争中にこういう話をもってきたことがあった。聞いてみればもっともな話で、一つその方面の専門家にきいてみましょうということにして別れた。ところでこういう話になると、最適任の男が友人に一人いる。当時北大工学部の応用化学の教授であったH君である。それで早速H君にその話をしてみた。
 ところが予期どおり次ぎの朝、H君はのっそり私の家の庭先に顔を出して、「昨日の話だがね、水素が欲しいのか、それとも気球が上げたいのかね」という。H君が、こういう言い方をする時には、もう問題は半ば解決しているので、まず安心した。

 話は簡単で、しかし面白いのである。それはアンモニアを分解すればよいので、アンモニアは水素三と窒素一との割合の化合物であるから、それを分解した瓦斯は、窒素を二十五パーセント含んだ水素である。この窒素をとり除こうとすると厄介だから、そのまま使えばいい。窒素を四分の一含んでいても、浮力は空気とその瓦斯との目方の差できまるので、気球を少し大きくすれば、浮力は充分に得られる。直径を一割ぐらい大きくすればいいので、その方はたいした問題ではない。

 アンモニアなら、タンクで運べるから、ボンベのことを思えば、輸送は非常に能率的になる。それにアンモニアを水素と窒素に分解するのは、何も薬品はいらないので、鉄屑を触媒にして、八百度ぐらいに熱してやれば、簡単にしかも完全に分解する。鉄屑は触媒になるだけで、水素で還元されるから、いつまでも錆びない。それで一度装置を作ってやれば、ほとんど永久的に使える。これに限るということになって、H君は早速この分解装置を設計することになった。

(・・・)

 気象部長にこの話をすると、たいへんな喜び方である。わずか一週間くらいで、こういう大問題が解決するのは、まさに神助によるものだ」というのである。この神助にはH君もすっかり照れてしまって、返答に困ったようであった。

 ところで厄介なことには、そういう装置を是非一つ作ってくれというのである。それでH君は実験室の中のがらくた道具を集めて、一つそういう装置を作って、アンモニアを通してみると、はたして瓦斯が出て来る。それで気球をふくらますと、ぽっかり浮き上がる。当たり前のことである。それでも海軍から人がやって来て、ふくらんだ気球を見て、大喜びである。H君にしてみたら、馬鹿らしい話で、アンモニアを分解して七十五パーセントの水素が出てこなかったら、化学が全部まちがっていることになり、それでふくらませた気球が浮かなかったら、物理学が全部まちがっていたということになる。

 ここまでやってもまだ放免にはならない。今度は野外用の実物の装置を作ってくれということになったそうである。(・・・)海軍にも技術者はたくさんおり、工場にもこういう仕事に適任な人がいくらでもいるはずであるが、どうしてもH君がやらなければ承知をしないようであった。

 それでH君は近くの街の軍需工場へ、何十遍となく通って、ようやく実地用の分解装置を作り上げた。そうしたら今度は、その装置をもって、小田原の気象隊まで出てきて、それで気球を上げて見せてもらいたいという依頼が来た。ここまで来ると、話に愛嬌が出て来る。H君は北海道からわざわざ小田原まで出かけていって、その装置でアンモニアを分解して、それで気球をふくらませ、手を放すと、気球はずっと昇っていったそうである。そしたらなみいる閣下や将校たちが、一せいに拍手して大いに喜んだそうである。

 この話には、二つの見方がある。H君が「水素が欲しいのか、気球が上げたいのか」という質問から発して、鉄を触媒とするアンモニアの分解という、既知の方法ではあるがそれを採用し、試作品を作り、ついに実地用のものまで完成したという筋から見れば、これは模範的な発明である。しかし海軍の人たちはそういう見方で拍手したのではなく、最初のアンモニアの分解から小田原までの「科学のいらない」部分を拍手したのであろう。ここで「科学のいらない」部分といったのは、その間のH君の仕事は、切符をいかにして入手するか、それをいかにして現物化するか、工場の人たちといかに交渉するかというようなことに、大部分の精神力を使ったという意味である。」

 以上の話は、(・・・)とにかく役に立った話である。しかしこの場合役に立ったのは、科学ではない。強いていえば、科学者が役に立ったのである。

 科学が役に立つ場合と、科学者が役に立つ場合は、区別して考えなければならない。そして本当は、我が国も科学が役に立つような、大きいそして困難な問題を必要とする国であってほしい。しかし戦争中の我が国の水準は、そこまでとても行っていなかったし、戦争後もますますひどいようである。

 日本の国は、まだ科学の知識を活用するところまで行っていないので、せいぜいのところ科学者の智恵が役に立つことがあるくらいのところであろう。そういう程度の国では、為政者は一つ心得ておくべきことがある。それは科学者を道具として使おうとしないことである。道具は使う人があって初めて役に立つものであるからである。」

「科学により増産、科学による開発、科学による経済の安定などと、たいへん賑やかなことであるが、その中には「科学のいらない話」がずいぶんたくさんありそうである。」

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