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島村一平「モンゴルの仏教とシャーマニズム」/島村一平『憑依と抵抗』

☆mediopos2719 2022.4.27

モンゴル人はもともと
シャーマニズムを信仰していたが
一七世紀後半以降になって清朝の支配のもと
チベット仏教が急速に広まり
二〇世紀初頭には男性人口の三分の一が
僧侶になるほど仏教化した

その後世界で二番目に社会主義国となり
社会主義的無神論の下
国家によって上から「世俗化」が行われ
一九三〇年代には宗教弾圧によって
宗教はなくなったはずだったが

社会主義時代にも仏教やシャーマニズムは滅んだのではなく
寺院や宗教的職能者などの制度化された部分は排されたものの
それらを支えている「思考法」である
呪術的な部分は人々の心の中に
そして社会空間のなかで姿をかえながら生き残っていた

そして一九九〇年代初頭に社会主義が崩壊して
宗教の自由が保障されるようになった結果
制度宗教の「復興」よりも呪術やシャーマニズム
そしてオカルトが活性化しているという

現在人口の六割程度が仏教徒で
マイノリティの宗教として残ったシャーマニズムも
モンゴル国民の人口の一%近くが
シャーマンになるほど流行しているというが

仏教が信仰されていたとしても
それは教義に対する関心ではなく
悩みがあるときなどに
ご利益を求めて寺院を訪れていただけで
必要がないときにはまったく寺院には寄りつかず
ご利益が「効かない」ときには
シャーマンやキリスト教にさえ乗り換えていくという
重要なのは即効性のある呪術的なものなのだ

社会主義と宗教は相容れないように思われるが
モンゴルにおいては「社会救済」という点で
仏教と社会主義は物語を共有し
重なり合ってとらえられていたようだ

「社会主義とは宗教や近代システムの
呪術化だったのではないか」という仮説があるそうだが
社会主義そのものが「宗教そのものの呪術化」でもあったのだ
それゆえにモンゴルにかぎらず
ロシアや東欧などの旧社会主義圏では
オカルトや呪術が興隆している国が多いのだという

マルクスは宗教を「民衆のアヘン」だといったが
社会主義もまた「民衆のアヘン」ともなっていたのだ
さらにいえば社会主義にかぎらず
科学も医療もお金もそれらすべては
姿を変えた宗教であり呪術であり
「民衆のアヘン」となり得るものだといえる

さてあの世とこの世をつなぐ
架け橋のような存在とみなされているシャーマンだが
モンゴルのシャーマンたちは
「精霊と語るわけでもなければ、
精霊の声を聞いているわけでもない」のだという

モンゴルのシャーマンたちは
「韻を踏みながら精霊の召喚歌を歌うことで
霊の「憑依」を経験する」のだが
その「韻を踏む」という身体技法は
伝統的な英雄叙事詩の語り手である
トーリチにも共通する技法である

そしてそうした身体技法としての「韻」は
「ヒップホップのミュージシャンたちが
「フリースタイル」と呼ぶ即興で
韻を踏みながらリリック(歌詞)を生み出して行く
手法と酷似している」

モンゴルのヒップホップミュージシャンに
シャーマンになった者がいるというが
ラップを生み出していくように「無意識」に韻を踏みながら
現代のモンゴルの人々の怒りや悲しみを
「韻」を踏みながら「叙事詩」を語るように
言葉を「憑依」させてゆくのだろう

■島村一平「モンゴルの仏教とシャーマニズム」
(『世界哲学史 別巻 ――未来をひらく』ちくま新書 2020/12 所収)
■島村一平『憑依と抵抗』(晶文社 2022/3)

(島村一平「モンゴルの仏教とシャーマニズム」より)

「科学技術が発達し社会が近代化すると宗教のような「迷信」はやがて消え失せる————こうした世俗化論が今や過去のものとなってしまったことはよく知られている。アメリカで台頭する福音派・キリスト教原理主義、イスラーム国やタリバンに代表されるイスラーム原理主義。むしろ近代による世俗化を経て、宗教は再活性化している。現代社会は、まさにハーバーマスが唱えた「ポスト世俗化社会」(二〇一五年)であるといっていい。
 ソ連に代表される旧社会主義国は、社会主義的無神論の下、国家によって上から「世俗化」が行われたことで知られる。その一方で、社会主義を生き抜いた一般の市民にとって世俗化とは何だったのか。あるいはソ連崩壊後(一九九一年)の「ポスト世俗化」とは、どのようなものだったのか、といった問いに対して十分は答えは出ていないように思われる。」

「実はロシアや東欧、モンゴルなどの旧社会主義圏では、驚くほどオカルトや呪術が興隆している国が多い。それに対して従来の宗教の「抑圧——復興」論は説明する術をもたない。これに対してここで提示するのは、実は社会主義とは宗教や近代システムの呪術化だったのではないか、という仮説である(島村二〇一八)。社会主義の呪術化は大きく二つに分かれる。第一に宗教の制度的部分(教会や寺院といった宗教組織。神父や僧侶といった聖職者、聖書や経典といって聖典など)が社会から隔離された結果、むしろ宗教の持つ非制度的側面、つまる呪術的側面が強化されたという「宗教そのものの呪術化」である。第二に社会主義が築いた近代諸制度が現地の人々に超自然的な「呪術」として理解されたのだとする「社会主義的近代の呪術化」である。この社会主義=呪術化論は、社会主義時代とポスト社会主義時代の宗教実践の連続性を説明できるだけでなく、ポスト世俗化の議論を考える上で新たな素材を提供できるのではないだろうか。

 そこでこの小稿では、世界で二番目に社会主義国となったモンゴル国(旧モンゴル人民共和国)を事例に、彼らの伝統宗教であったチベット・モンゴル仏教とシャーマニズムを事例に旧社会主義圏の世俗化とポスト世俗化を考えてみたい。モンゴル人はそもそもシャーマニズムを信仰してきたが、清朝の支配下に入った一七世紀後半以降、チベット仏教が急速に広まった結果、人々は二〇世紀初頭には男性人口の三分の一が僧侶になるくらい、仏教に心酔した。社会主義を経た現在も人口の六割程度が仏教徒だと言われている。その一方で、仏教に推されシャーマニズムはマイノリティの宗教として残ったが、二〇一〇年頃には。モンゴル国民の人口の一%近くがシャーマンになるほど、流行した(島村二〇一六)。」

「モンゴル国においても社会主義時代、シャーマニズムは滅んだのではなく、シャーマニズムを支える思考法が、人々の心の中で生き続けた。モンゴルの東部地域に住まうモンゴル・ブリヤート人の例でいうならば、何か病気や災厄が身に降りかかると「ルーツ(先祖霊)に(シャーマンになって彼らを祭祀するように)ねだられている」と決まったかのように考えた。このパターン化された思考法が、社会主義時期を通して人々の間で共有されていたからこそ、シャーマニズムは命脈を保ったのである(島村二〇一一、二九六〜三〇五頁)。」

「ロシアと異なりモンゴルでは、人民革命党と競合関係にあるはずの制度宗教は呪術として生き残ることとなった。社会主義時代に編纂された国史『モンゴル人民共和国史』の第二版(一九六九年)にも、「僧侶であった児童・青年たちの中から党や国家の活動家・さらに偉大な指導的人物さえもは輩出した」とある。つまり、多くの還俗僧が国家の中核を担ってきたのである。というのも社会主義革命直前のモンゴルでは男性人口の三分の一が僧侶であった。読み書き能力がある彼らを排除して新国家の建設は不可能だったのである。

 こうして社会主義時代、還俗したラマたちの多くは、学校教師や地方の役人などへと姿を変えていった。しして人々はといえば。密かに呪術儀礼を還俗したラマたちに施してもらっていた。モンゴルでは、今も社会主義期も仏教は日常生活の中で呪術実践という形で広く浸透している。わかりやすく言えば、彼らにとって仏教との一番の関わりは、厄除けのためにラマに経を読んでもらうことにある。この読経のことをモンゴル語では「ノム・オンショーラハ(経を読んでもらう)」という。一方、僧侶の側からすると、こうした読経のことを「グルム・ザサル」と呼んでいる。グルムはチベット語でザサルはモンゴル語であるが、どちらも治療や厄除けといった意味である。

 したがって人々の仏教の教義に対する関心は極めて低い。(・・・)これに加えてモンゴルでは、厄年など決まったときに寺院を訪れるのではなく、何か困ったことがあれば頻繁に寺を訪れてラマに経を読んでもらう。例えば家族が病気になったり、仕事がうまくいかない、あるいは人間関係に悩みがあるといった場合、モンゴルの人々はまずは寺院へ向かい経を読んでもらう。逆に何も問題がないときは、彼らは寺院に寄り付かない。つまり「困ったときのラマ頼み」、これがモンゴルでの仏教信仰の一番の特徴であるといってよい。したがってラマの読経が「効かない」と判断されれば、人々は簡単にシャーマンや、時にはキリスト教にさえ乗り換えていく。一般の人々にとって大事なのは即効性のある呪術なのであって、教義云々ではないのである。」

「社会主義時代。少なくともモンゴルにおいて宗教は、一九三〇年代に熾烈な宗教弾圧を経験したものの、その後、まったく私的空間に隠棲したわけではなかった。完全に家庭内に閉じこもったわけでもなかった。宗教の制度化された部分(寺院、経典、宗教的職能者など)が社会から排除された結果、宗教は、呪術的な部分(観念も含む)に特化して社会空間の中で生き残っていたのである。何よりも「社会救済」するという点において、仏教と社会主義は、物語を共有していた。つまり仏教と社会主義イデオロギーは、ぶれた二重写しの写真のように重なり合って現象化していったのだった。

(・・・)

 このような二重の呪術化を経て一九九〇年代初頭、社会主義は崩壊し、宗教の自由が保障されるようになった。そうした中、制度宗教の「復興」よりも進んで呪術やシャーマニズム、オカルトが活性化したのは、そもそも社会主義的無神論が生み出した社会自体が、多分に呪術的であったからではないだろうか。さらにポスト社会主義、仏教の聖なる山の祭祀を大統領が行ったり、ミロ聖人の祭祀を郡政府が行ったりするなど、政教分離なたぬ「政教協働的」な現象が見受けられる。これらも呪術化した社会主義との連続性の中で理解できる事柄なのかもしれない。」

(「島村一平『憑依と抵抗』より)

(「第2部 社会主義のパラドクス」〜「6 呪術化する社会主義」より)

「モンゴルでは、元化身ラマという媒介者が存在したがゆえに社会主義的近代を積極的に呪術として受け入れたといえよう。いずれにせよ、この地域では社会主義による近代化は、意図的ではないにせよ、人々によって仏教的な呪術としてすり替えられていった。
 (…)理由を問うことが禁じられているという意味において、社会主義のドグマは呪術と似ている。こうしてモンゴル・ザブハン県において社会主義近代化は、人々によって呪術として受容されていったのである。」

「仏教は、ある意味、社会救済(衆生済度)の思想を持っているという点で、社会主義と重なりあう。つまり、「地方の人民革命党幹事として人々の暮らしの向上に尽力する」「化身ラマとして衆生を済度する」という二つのセンテンスは、表現こそ違えども、現象としての現れ方は同じであった。これに対して、シャーマニズムは、あくまで対処療法的であり、社会主義と重なり合うような「大きな物語(社会救済)」を有さなかった。すなわち仏教は、自らを支える「大きな物語(社会救済)」を社会主義的イデオロギーと重ね合わせることにより、その制度的根幹が解体された後も新しい制度のもとで、公的には近代技術の伝道者として、その裏では呪術の伝道者として矛盾しないかたちで存在し続けたのである。」

(「第3部 連環する生と死」〜「7 シャーマニズム、ヒップホップ、口承文芸/韻の憑依性をめぐって」より)

「シャーマンは、世界中であの世とこの世をつなぐ架け橋のような存在として観念されてきた。彼ら/彼女らは、あちら側の世界の声をいかにして聞いているのだろうか。いや、そもそも本当に「死者」の声は実際に彼らに聞こえているのだろうか。」

「彼らが聞いている「声」とはいったい何なのか。」

「モンゴルのシャーマンたちは、韻を踏みながら精霊の召喚歌を歌うことで霊の「憑依」を経験する。こうした「韻を踏む」という身体技法は、伝統的な英雄叙事詩の語り手トーリチにも共通する技法でもある。さらに言うならば、ヒップホップやレゲエといったポピュラー音楽における語るように歌うラップないしトースティングと呼ばれる技法と酷似している。」

「そんなシャーマンたちの儀礼の数多く参加してきて言えるのは、「シャーマンたちは精霊の声が聞こえない」ということだった。モンゴルのシャーマンたちは、ジャーナリズムなどで「精霊と語る人々」「精霊の声を聞く人々」などと形容されることが少なくない。しかし、数え切れないほどの憑依儀礼に接してきて言えるのは、彼らは精霊と語るわけでもなければ、精霊の声を聞いているわけでもない。」

「モンゴルのシャーマンたちにとっての「憑霊」とは、韻を踏み続けることによって、意識外の言語≒精霊の言葉を新たに生み出す営為を指すのではないか、ということである。こうした押韻がもたらす、あたかも憑依のように無意識に自動的に発話する性質をここでは「韻の憑依性」と呼んでおこう。
 この韻の憑依性は、シャーマニズムという領域と口承文芸という領域を橋渡しする概念ともなりうる。かつてモンゴルのは、トーリチと呼ばれる、弦楽器を弾きながら英雄叙事詩を語る語り部たちがいた。モンゴルのジャーナリスト、ガラーリッドは、このトーリチにシャーマンと共通する属性を見出した。
(…)
 とりわけ興味深いのは、語り部が物語を語るとき、「意識を失いながらも叙事詩を歌い続ける」と語った点である。こうした叙事詩もまた、シャーマンの召喚歌同様に頭韻を踏みながら語られることで知られている。さらにこの伝統的な語り手は、「トーリチは物語を暗記しない。だいたい、粗筋を覚えたら自分の知恵で言葉を出していくのだ」とも語っている。
 つまり、韻を踏み続けることの延長線上に無意識的な歌詞の創造があることをこのインタビューは示しているのである。」

「従来、シャーマンの「意識変容」の技法は、欧米のネオ・シャーマニズムやトランスパーソナルといったニューエイジ系の人々によって注目されてきた。彼らが特に注目してきたのは、シャーマンのドラミング(太鼓をたたくこと)と呼吸法であった。
 すなわち彼らは、シャーマニズムのドラミングや呼吸法こそが、シャーマン的意識変容をもたらす、あるいは超自然的な存在と接触する技法だと考えたわけである。その一方で、「韻を踏む」というテクノロジーに関しては、ほとんど顧みられてこなかった。しかし、シャーマニズムの技法を考えるとき、「変性意識状態」という西洋出自の概念を据え置き、韻という言葉もテクノロジーを身体技法として捉えなおしたとき、開けてくる地平もあるのではなかろうか。
 こうした身体技法としての「韻」は、ヒップホップのミュージシャンたちが「フリースタイル」と呼ぶ即興で韻を踏みながらリリック(歌詞)を生み出して行く手法と酷似している。彼らは、「無意識」に韻を踏みながらラップを生み出していくといわれる。一説によると、ラップの起源は西アフリカの叙事詩の語り手「グリオ」に遡ることを考えると、これもあながち偶然ではないだろう。
 興味深いことにアメリカのアメリカのラッパーたちはフリースタイルが完全にインプロビゼーションではなく、元々作られた歌詞や使い回し(generic)のフレーズとの混淆の中で生み出されることを語っている。日本のヒップホップシーンの「草分けの一人でもあるいとうせいこうもヒップホップは、クズやガラクタから音楽を作り出して行く「ブリコラージュ」として捉えていた。現在、モンゴルのヒップホップミュージシャンの中でシャーマンになった者がいるが、これも不思議なことではないだろう。
 むしろ、こうしてシャーマンやラッパーたちがつむぎ出す物語に我々は注目したい。
 たとえば、ブリヤートのシャーマンたちは、二〇世紀の女性たちが味わった苦しみを精霊の物語にして語っていた。また鉱山開発が進むゴビ地方のシャーマンたちの精霊たちの声は、鉱山開発にあえぐ遊牧民たちの気持ちが代弁されていた。その一方でモンゴルのヒップホッパーたちも同様に社会の現状に敏感に反応して、韻を踏む。
 そこで語られる声は、まったくの超自然的あるいは超人間的という言葉で現されるものではなく、むしろ、雑多な現実がブリコラージュされることででき上がった、もう一つのリアリティなのである。」

■島村一平『憑依と抵抗』【目次】

第1部 グローバル世界を呻吟する
1:シャーマニズムという名の感染症
2:地下資源に群がる精霊たち
3:憤激のライム
コラム あるマンホール・チルドレンとの出逢い

第2部 社会主義のパラドクス
4:秘教化したナショナリズム
5:社会主義が/で創造した「民族の英雄」チンギス・ハーン
6:呪術化する社会主義
コラム:深夜の都市でボコられる

第3部 連環する生と死
7:シャーマニズム、ヒップホップ、口承文芸
8:生まれ変わりの人類学
コラム 古本屋のB兄

第4部 民族文化のゆくえ
9:コスプレ化する民族衣装
10:“モンゴル化"する洋装と匈奴服の誕生

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