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川本皓嗣『俳諧の詩学』

☆mediopos-2444  2021.7.26

芭蕉の句と俳論を読み解くための
キーワードとして
「不易流行」は重要だが

芭蕉自身はそれについて
直接語ってはいないという
弟子たちの記録や解説も不十分であり
ときに誤解を生むことにもなる

この『俳諧の詩学』のなかでは
芭蕉の「不易流行」が
ボードレールの詩論との符号を
補助線にして論じることで
「不易流行」が捉えられている

ボードレールの言葉にそって
「不易流行」をとらえるならば
「不易」は
「永久的なもの、一定不変のもの」であり
「流行」は
「一時的なもの、はかないもの、偶発的なもの」であり
「不易流行」は
「一時的なものから永久的なものを引き出すこと」である

さらにいえば
芭蕉の「風雅の誠」も
ボードレールの「モダン」と符号している

つまり
「「いま現在」に徹し切」り
「目の前で変わりつつあるものを」
「日常生活」(ボードレール)
「世情」「人情」(芭蕉)という
「実地」に立ってまっすぐに見とめ、聞きとめる」ことで

「「流行」の真っ只中に身を置き、
そのたえざる変化を瞬時に、こまやかに感じ取り、見届け」
「それを衒いも気取りもなく、率直に誠実に言いとめ」
そうすることで
「「不易」をその時代なりに、独創的に具現する」
ということである

「流行」を「現在」
「不易」を「永遠」という言葉に置き換えれば
その意味はさらに明らかになる

生きた現実はいまここにしかない
その現実から目を逸らさず
繊細に感受し誠実に生きなければならないが
その変化に流されてはならない
生きた現実として現象化しているもののなかにこそ
時の深みにある永遠を見出さなければならない

以下の引用にもある芭蕉の言葉
「只日々流行シテ日ニ新ニ、又日新ナリ」は
「四書五経」の『大学』に出てくる
「苟に日に新たに、日日に新たに、又日に新たなり」
からのものだろうが
まさに「不易流行」は
「日ニ新ニ、又日新ナリ」のなかにこそ
見出される「永遠」を意図したものだろう

言うは易しで
行うは難しだが
時を真に生きることは
つまり「而今に生きる」(道元)ことであり
それこそが時を超えて生きることにほかならない
その矛盾にも思えることを
芭蕉は「俳諧」において求めようとしたのだ

■川本皓嗣『俳諧の詩学』
 (岩波書店 2019/9)

(「IV 俳諧の比較詩学 1「不易流行」とは何か−−−−芭蕉とボードレール」より)

「「不易流行」は、芭蕉の句と俳論を読み解くためのキーワードの一つだが、その正体を見定めるのがとりわけ困難な、きわめて厄介な理念のひとつでもある。というのは、芭蕉が直接この四時熟語を書き記した例は一つもないばかりか、それについての解説めいた文書さえ、ほとんど残していないからである。したがって、蕉門の弟子たちが間接的に伝える芭蕉のことばや、彼ら自身の試みた解釈から、何とかその真意を推し測るほかはない。だが、そうした彼らの「記録」や解説自体、内部の一貫性を欠いたり、ただいに矛盾し合ったりしているために、すでに芭蕉の直弟子の時代から現代に至るまで、さまざまな議論の応酬が続いているというのが実状である。」

「そこで、この「不易流行」をより具体的に、より身近に理解するための、いわば数学で言う補助線として、次のような発言を参照することはできないだろうか。

  それは一時的なもの、はかないもの、偶発的なもの、つまり芸術の半分をなすものであり、残りの半分は、永久的なもの、一定不変のものである[Baudelaire 1163]

 さらに、こういう一節もある。

  彼がねらっているのは、流行(モード)という歴史的なものから、そこに含まれる限りの詩的なものを引き出すこと、つまり一時的なものから永久的なものを引き出すことである。[1163]

 芭蕉かその弟子の発言だったとしても、少しも違和感がないと想われるこれらの文を記したのは、十九世紀後半のフランスの詩人、ボードレール(一八二一−−七六)である。」

「芭蕉が「不易」を意識しながらも、いかに「新しみ」の心を砕き、モダンへの「願いに痩せ」たかを端的に記す一節がある。

  翁曰、俳諧ニ古人ナシ。只後世之人ヲ恐ル。去来曰、古人ナシトハ古ヘ達人ナキノ謂ニ非ズ。然(しかれども)此道古人之姿ニ依テ作シガタシ。只日々流行シテ日ニ新ニ、又日新ナリ。此故ニ古人ナキトヒトシ。(元禄七年三月付不玉宛去来書簡)[尾形G 六二七]

ここに言う「俳諧ニ古人ナシ」については、これとは別に、「古人の跡をもとめず、古人の求めたる所をもとめよ」(許六離別の詞」)[井本B 三三八]というよく知られた一条もあって、これはボードレールの描き出す『現代生活の画家』にも、また現代の作曲家にも、そのまま当てはまる。「古人の求めたる所」とは、言うまでもなく、自分の「感覚に『時』が刻み込む烙印」から美を引き出すこと、そして自分の時代に固有の独創性を発揮することである。
 だがそれよりも、なお興味深いのは、去来が伝える「只後世之人ヲ恐ル」という芭蕉の言葉である。」
「いまどれほど懸命に「新味」を求めても、時代が移ればやがてまた、あらたな「新味」が探り出され、今日の「新しみ」が芭蕉の言う「古び」に陥るのは、当然の勢いである。それなのに、そうして死後の未来にきっと「吐出」されるであろう「新味」をさえ恐れ、いまから早くも対抗意識を燃やすところに、芭蕉が「流行」にかけた必死の思いが窺われる。」

「「不易流行」とは、去来がおおむねそう考えていたように、古典的な美をめざす「不易」。現代風をねらう「流行」という二種類の句風を区別するものではない。またそうかと言って、当世風の句の一部に古典的な美のかけら、そのコピーをそのまま取り込むことでもない。実は「不易」と「流行」は表裏一体だというだけでは、まだ不十分である。ボードレールによって芭蕉を照らしてみれば、どの時代にも、「不易」は「流行」という形をとる以外に実現のしようがない、「流行」のただ中にしか求めようがない、ということになる。
 そして、いま現在の流行のただ中に没入するという、一見浮薄な行為(芭蕉晩年の「かるみ」を想起しよう)の「永続性」を保証するのは、先に触れたように「見ること、感じることへの飽くなき情熱」[1160]であり、何よりも、子供のように大きく目を見開いて、見るもの聞くものに「深い楽しげな好奇心」を抱き、世のありさまに心底まで魅了され、「愉悦にみちた茫然自失」[1159]を味わうほどに「真率な」態度だ。こうしてボードレールのモダンにも、結局は「誠実」さが要請されることを見届けた上で、芭蕉に目を転じよう。」

「「不易」と「流行」はもともと同根で、その根元には「風雅の誠」があるという。言うまでもなく、「不易流行」も「風雅の誠」との結びつきはもはや常識であり。これ事態には疑問をさしはさむ余地もない。だが、おそらく誰もが気づいているように。「風雅の誠」や「誠」ほど意味の上滑りしやすい、実感の薄い語はない。」

「芭蕉は言う。

  古より風雅に情ある人は、後に笈をかけ、草鞋に足をいため、破傘に霜露をいとふて、をのれが心をせめて、物の実(まこと)をしる事をよろこべり」(「許六を送る詞」[井本B 三三九−−四〇])

 また、

  見るにあり、聞くにあり、作者感ずるや句となる所は、即ち俳諧の誠なり。(『三冊子』[奥田A 五五三])

 そうした芭蕉の「風雅の誠」と、ボードレールのモダンとの符号は、もはや明かだろう。「誠を責める」とは、つまるところ、「いま現在」に徹し切ることであり、目の前で変わりつつあるものを「実地」に立ってまっすぐに見とめ、聞きとめること−−−−気の利いた当世風の小細工を弄して嘘をつかないことである。その「実地」とは、ボードレールでは主として現代人の「日常生活」であり、芭蕉では「世情」、「人情」(「阿部完市 一三一]を参照)を指す、
 というわけで、「誠」は直接「不易」を保証するものではない。芭蕉の言う「風雅の誠」はむしろ、「流行」の真っ只中に身を置き、そのたえざる変化を瞬時に、こまやかに感じ取り、見届けること、そしてそれを衒いも気取りもなく、率直に誠実に言いとめることであり。またその結果として、「不易」をその時代なりに、独創的に具現することである。「松の事は松に習へ」で有名な土芳の「私意をはなれよ」[奥田A 五七八]にしても、例えば主観を排するといった消極的な意味ではなく、こうした文脈のなかで、いま自分の見たものに対して正直であれという教訓として、具体的に理解することができる。またそうすることで初めて、「行末幾千変万化するとも、誠の変化はみな師の俳諧なり」(『三冊子』[奥田A 五七六])という土芳のことばが、今日の句作にも溌剌と生きてくるのである。」

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