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塩瀬隆之「問いのデザイン」/(NPO法人ミラツク編 『反集中――行先の見えない時代を拓く、視点と問い MIRATUKU FUTURE INSIGHTS』

☆mediopos-3027  2023.3.2

NPO法人ミラツクから
「「時代にとって大切な「問うべき問い」」について
22名の起業家、経営者、研究者たちへ
3年間にわたって行われたインタビューが集められた本がでている

タイトルは『反集中』

「集中」することは
「ものごとの輪郭をはっきりさせること」だけれど
その対極にある「もうひとつの中心部」を見つけるために
「むしろその周囲にある輪郭の外側を意識するという」
「反集中」というアプローチ」を行い
「今の自分にはない、さまざまな視点を手に入れること」

行く先の見えない時代で
「未来」を見いだすためには
既存のテーマのなかでの「答え」を
「集中」することで見いだすのではなく
「集中」することでは見えてこない
異なった視点のもとで
「問うべき問い」に目を向ける必要がある

おそらく「反集中」は「脱中心」ではない
フォーカスされがちな視点だけを見るのではなく
フォーカスされない視点から問うことで
むしろフォーカスされた視点をも
あらたに問い直すということでもあるだろう

そのなかから最初のインタビュー
京都大学総合博物館 准教授の塩瀬隆之の
「問いのデザイン」をとりあげる
(他のインタビューについても随時とりあげてみたい)

塩瀬氏は「問いの善し悪しを評価しないで」
「問うことそのものを肯定すること」を重要視している

すぐに思いついたことをいきなり問うのでも
またすぐに評価されるような問いを問うのでもなく
「問うまでに必要な準備」をおこない
さらに「ひとりでワークする時間」をしっかりもって
すぐには答えのでない「モヤモヤ」を受け入れるということ

インターネットなどで手に入るたくさんのデータを
「情報」として受けとらないこと

「情報」とはデータを「集めて、並べて、比較して、
吟味して初めて情報になり始める」のであり
しかもそれらの「情報」の「質」をも考慮する必要がある

リテラシーということがいわれるが
情報を受けとる際にも
与えられたデータを知るということがリテラシーではなく
それらのデータがどこから与えられているのか
「情報ソース」もあわせてインプットしてはじめて
情報はある種の「質」を獲得することができる

こうして「反集中」というコンセプトのもとに
「集中」するために見えてこなかった「異質な視点」と
そこから問われる「問い」が集められることで
「「時代にとって大切な「問うべき問い」」のもとで
見えてくる未来があるはずだ

■INTERVIEW 01 京都大学総合博物館 准教授 塩瀬隆之(インタビュアー:西村勇哉)
「問いのデザイン/
 問う行為そのものを肯定し、問いを味わって楽しむ方法を伝えたい」
 (NPO法人ミラツク編
 『反集中――行先の見えない時代を拓く、視点と問い MIRATUKU FUTURE INSIGHTS』
 (ミラツク 2022/12)所収)

(『反集中』〜はじめに)

「時代にとって大切な「問うべき問い」とは何だろう?」

「未来は、小さなものの見方の変化によって舞い降りてきます。「実は、これって本来○○なんじゃないか」。そんな小さな気づきが大きなビジョンにつながり、今はまだない未来を描く原動力となるのです。

 この本を通じて、22名の起業家、経営者、研究者たちが、建築、投資、宇宙、自然、地域、メディア、組織、教育、デザインなど多様な領域とともに、それぞれの視点から世界の見方を語ってくれています。そのいくつかは、新しい視点を提示してくれるものになるはずです。

 今の自分にはない、さまざまな視点を手に入れることは、一見するとものの見方を広げ、拡散していくようにも感じます。でも、それは本当に「拡散」なのでしょうか? 「集中すること」の目的は、見ようとするものごとについてはっきりと輪郭を描くことにあります。そして、ものごとの輪郭をはっきりさせることは、何も中心に集中することだけでなく、むしろその周囲にある輪郭の外側を意識するというアプローチからも可能です。

 この「集中」の対極にあるもうひとつの中心部の見つけ方を描きたいと思い、この書籍には『反集中』というタイトルを付けました。異なる視点が、知りたかった未来を教えてくれるとしたら、異なる視点がひとりの人の中におさまったとき、そこから見える視界はどこにもない、新しい光景を描いてくれるはずです。」

(塩瀬隆之「問いのデザイン」より)

「西村/その「問うこと」をするために大事なことは何でしょうか。

塩瀬/問うために大事なこと・・・・・・・今、ちょうどそこを整理していて、「問うことそのものを肯定すること」がすごく大事だと思っています。問いの善し悪しを評価しないで、「今の問い方いいね!」みたいな感じで、問う行為そのものを認めるようにしています。

西村/今はSNSなどで「これはどうだろう?」ということを書いたら、すぐに評価を確かめられるじゃないですか。「いいね!がたくさん押されたから良い」みたいな感じがある。そこをグッと我慢して、評価を横に置いて自分の問いをもつことが難しい時代だなと思うんです。

塩瀬/そうそう。フィードバックのループがたくさんありすぎる。オンラインのワークショップをするとき、僕はあえて「Zoom」のブレイクアウトルームでひとり部屋をつくるんです。本来、ブレイクアウトルームはグループワークするためのものだけど、必要なのはひとりでワークする時間だと思うから。

(・・・)

塩瀬/僕は大学の授業でグループワークをするちょき、メンバー一人ひとりに違う資料を渡す方が多いです。学校では、同じ条件の下で話をするという前提があるのですが、グループワークを活性化する意味ではむしろインプットから入ってそれぞれ異なる経験や考え方をぶつけ合う方がいいこともあります。
 問いをともにできる関係性づくりも大切にしています。その場にいる人たちの関係が構築されて初めて、「この状況でならその問いが出るよね」とお箍に了解し合える。そして、誰かが発した問いを、そのモヤモヤを含めて一緒に引き受けることができると思うんです。「問いのデザイン」でも、問うまでに必要な準備をすごくたくさん並べています。みんな、いきなり問いすぎる気がしていたんですよね。」

「西村/今は、「京都大学総合博物館」でお仕事をされていますね。

塩瀬/情報学と工学から離れて博物館にしたのは、いろんな学問分野をリソースとして考えたときに、博物館という社会教育装置が、学校的文脈での時間割と関係なく学べる場所だと思ったからです。一方で、博物館は問いをもたずに来ると、そこにただ並んでいる学術資料の数々をどう受け止めていいかわからない場所でもあるんですね。

 一問一答式でしか問いと向き合えないのは、学校で受け身に授業を受け続けてきた結果としての悪癖だと思います。そうではなく、「解決しない問いを自分の中にどうすれば心地よく迎えられるだろう?」と考えたときに、ワークショップという方法はそういう場になると思ったんですよ。

 ただ周りを見ていると、「みんなで考えてください」と押し付ける放任主義か、ワークショップを装ったレクチャー形式ばかりで、ちゃんと人の話を聞くワークショップをつくれる人は少なくて、西村くんのワークショップに参加してみると、「あ、本当に人の話を聞いてくれる人がいる」と思って、ミツラクに興味をもったのはそこかなあ。

 僕がコラボレーションしたいのは、人への問いかけができている人だと思う。今の一番の課題は、どうやって子どもたち自身がそういう場を選べるようにするのかということ。すぐには答えが出ないことを「モヤモヤ」として受け入れるネガティヴ・ケイパビリティみたいなものを普段からもち、「モヤモヤ」をポジティヴに受け取るためには探求の力が必要だと思うんだけど、これまでの学校現場ではすごくやりにくかったんです。

 探究活動が新しい学習指導要領の中で位置づけられたのですが、先生方から向けられる質問の多くが「探求テーマのリストをくだし」「探求テーマを簡単に見つける方法を教えてください」とかで、すぐマニュアルを求めてしまう人が多いのが残念。でもそういうマニュアルがあれば始められる人たちがいるのなら、「問いのデザイン」を書いた意味も少しはでてくるのかと。」

「塩瀬/今は、視聴覚を奪うデータがたくさんあるんだけど、みんなそのデータを「情報」と安易に呼んでいるがゆえに、たくさん「情報」を受けとっているつもりになっているんじゃないかな。

 情報処理をしているつもりなんだけど、実はあまり自分の思考を通過してもいないし、もちろん人生の指針にもなっていない。質の良い情報に出会える時間の余地が、今の生活の中ではすごく少ない。

 昔は望むと望まざるとに関わらずインプットそのものが少なかったから、同じインプットを吟味する時間がもっとあったんだと思います。データは集めて、並べて、比較して、吟味して初めて情報になり始める。

(・・・)

 学校で情報教育について話をする機会があるときに、「コンピュータを使わない情報教育」をやることがあります。「情報の価値は読み方で変わる」という練習で、たとえば「自分がめっちゃ詳しいこと」と「まったく知らないこと」の両方の言葉を検索してもらうと、自分が好きなアイドルや漫画についてなら情報の真偽や信頼性を見分けられるけど、知らないことについては見分けられない。全部n情報に「へえー」って思うわけですよね。

 時代が変わっても、世界中の人たちが但しと思って書くこと、間違って書くこと、悪意をもって書くことの比率そのものがそんなに変わらないはずなんです。情報の質のバランスがもし同じなら、端から端まで鵜呑みするのは危険で、読み夜側が冷静に受け止められていないということですよね。(・・・)

西村/情報を取得する媒体から、質を想定することができない人が増えている。

塩瀬/そうです。使いこなせている人は、「電車が止まっているときはツイッター」「政治的信条重視なたこの新聞を読もう」と、情報ソースやメディアを使い分けていると思う。それができない人にとっては、全部一緒くたなんです。

 今の子たちは、情報と情報ソースをセットでインプットできないのがひとつのネックになっていて、会社で「なんでお前はインスタグラムの情報でレポートを書くんだ」と怒られてもピンとこなかったりするわけです。」

「塩瀬/僕は、自分の中に何種類かの言葉がある気がしています。思考のための言葉とコミュニケーションのための言葉、さらにわかりやすくしたいときには、目が見えない人たちと言葉による美術鑑賞をしたときの経験をもとにした「見えない前提の言葉」を使っています。

西村/「思考のため言葉」と「コミュニケーションのための言葉」という分け方は、文語と口語みたいでいいですね。」

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◎NPO法人ミラツク
2011年に設立(京都府京都市)。「既にある未来の可能性を実現する」をテーマに、異なる立場、業種、地域、セクターの実践者の共創を生み出すコミュニティの形成とイノベーションを加速するプラットフォームの構築、及び様々な企業と共に未来構想の実現に必要な情報とネットワークを提供し、新たな事業やプロジェクトの立ち上げ支援に取り組む。オンラインメディア「MIRATUKU JOURNAL」を運営。

◎西村勇哉
NPO法人ミラツク代表理事 / 株式会社エッセンス代表取締役
1981年大阪府池田市生まれ。大阪大学大学院にて人間科学の修士を取得。人材開発ベンチャー企業、公益財団法人日本生産性本部を経て、2011年にNPO法人ミラツクを設立。セクター、職種、領域を超えたイノベーションプラットフォームの構築と、大手企業の新領域事業開発支援・研究開発プロジェクト立ち上げの支援、未来構想の設計、未来潮流の探索などに取り組む。2021年に株式会社エッセンスを設立。2021年9月に自然科学、社会科学、人文学を領域横断的に扱う先端研究者メディアesse-senseをリリース。知のアクセスを実現するKnowledge Tech企業として、偶然の幸運に出会えるメディア空間の構築に取り組む。滋賀県大津市在住、3児の父。
大阪大学社会ソリューションイニシアティブ特任准教授、大阪大学人間科学研究科後期博士課程(人類学)在籍

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