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監修 内田あぐり『膠を旅する』

☆mediopos-2384  2021.5.27

「膠(にかわ)」は
古代壁画や原始絵画など
絵画の接着剤としてだけではなく
建造物や工芸品・楽器などにも
世界中で接着剤として使われてきた

膠はニカワ
つまり皮を煮ることからきた名だ
主成分はゼラチン
動物の皮や骨・内蔵などを煮出し
コラーゲンという繊維質の高タンパク質排出液を濃縮し
乾燥させて固めることでつくられる
不純物を含んだまま乾燥させたものを「膠」というが
不純物を取り除いて精製されたものは「ゼラチン」という

膠は製造法によって
「和膠(わこう)」と「洋膠(ようこう)」に大別され
日本画では「三千本膠」という
牛皮を原料とする「和膠」が長く使用されてきた

その「三千本膠」を製造してきた最後の生産業者が
二〇一〇年にはついに廃業してしまうことになり
これまで日本画の制作を支え続けてきた膠という
伝統素材を後世に引き継いでいくために
武蔵野美術大学共同研究
「日本画の伝統素材『膠』に関する調査研究」では
現地調査や研究を重ねてきたという

本書『膠を旅する』は
画家の内田あぐりを監修にして編集されたもので
同じく内田あぐりを監修に
『膠を旅する――表現をつなぐ文化の源流』展が
この5月12日から(6月20日まで)
武蔵野美術大学美術館で開催されている

これまで膠といえば
古い接着剤というぼんやりしたイメージだけしか
もっていなかったのだが
たしかに「煮皮」であり
その「皮」は動物の皮である
そしてその「膠/煮皮」づくりには
はるかな歴史的背景がある

本書では
北方先住民族の狩猟と皮なめし文化の調査から
大阪と兵庫に伝わる皮なめし技術
軍需によって発展した関東の皮革産業地など
日本各地を取材した内容や
膠の研究を続ける画材店社長との鼎談
研究者による論考などが収録されていて興味は尽きない

「膠をめぐる論考」のなかでは
日本語「ニカワ」の源から
スサノオの神的暴力へと遡り
「日本画の始まりの始まりのさらに奥に」
「善悪の彼岸」を見ようとする視点も示唆されているが
その論考の最後には
芸術の根源にあるそうした「神的暴力」が
昨今失われつつあるのではないかと危惧してもいる

そのことと日本画で使われてきた「三千本膠」が
生産されなくなったことが軌を一にしているのも
どこか象徴的でもある

監修の内田あぐりは
「膠は接着剤というよりも、
動物の体液で描いているという意識が私にはある。」
というが
膠がまさに接着してきたのは
「大地性」とでもいえるものなのかもしれない
かつてのような膠が使われなくなってゆくということは
その「大地性」から切り離されるということでもあるのだろう

■監修 内田あぐり『膠を旅する』(国書刊行会 2021.5)

(「はじめに」より)

「古くから世界中でさまざまな絵画の接着剤として使われてきた膠。古代壁画や原始絵画は、身近な天然の土や鉱物も顔料、草木の汁や煤などを膠で溶いて描かれていることが多い。また、膠は絵画のみならず、建造物や工芸品、楽器などの接着剤として多様な用途で使われてきた。日本画にとっての膠は、顔料を画面に定着するための接着剤であり、膠絵や膠彩画と呼ばれるほど多様な表現を生み出す伝統的な素材である。
 膠は原料となる動物の皮や骨、内蔵などを水とともに煮出し、コラーゲンという繊維質の高タンパク質排出液を濃縮したのち、乾燥させて固めることでつくられる。主成分はゼラチンであり、一般的に不純物を含んだまま乾燥させたものは「膠」、不純物を取り除いて精製したものは「ゼラチン」と呼ばれる。製造法によって「和膠(わこう)」と「洋膠(ようこう)」に大別され、日本画の制作においては、鹿膠や粒膠などさまざまな種類がある中で、三千本膠という牛皮を原料とする和膠が長く使用されてきた。
 しかし時代の流れとともに洋膠・ゼラチンの製造業が大半を占め、二〇一〇(平成二二)年には国内で最後まで続けてきた和膠生産者が廃業してしまう。現在では和膠を復元製造した代替品をはじめ、さまざまな種類の洋膠や合成樹脂が市販されているが、国内での三千本膠の製造は終了してしまったのだ。
 二〇一七(平成二九)年から二〇二一(令和三)年の間に行われた武蔵野美術大学共同研究「日本画の伝統素材『膠』に関する調査研究」では、日本画の制作を支え続けている膠に向き合うため、これまで顧みられることの少なかった膠づくりの歴史的背景を見つめ直すため、そして膠という伝統素材を後世に引き継いでいくため、画家や研究者たちとともに現地調査や研究を重ねてきた。
 膠という接着剤は動物資源であり、皮革製品の加工時に余る皮膚が使用されている。膠はそのはじまりから皮革製品とともに歩んできたのだ。本書の中心となる第二章では、北方先住民族の狩猟と皮なめし文化の調査からはじまり、日本各地の皮革産業地帯を訪ね、実際の製造現場を取材し、最終的には牛と鹿から剥いだ一枚皮から膠づくりをおこなう。第一章と第三章では、膠の研究を続ける画材店へのインタビューや研究者による書き下ろし論考を収録する。」

(「第二章 膠を旅する」〜「北海道・網走市/動物資源の利用を探る」より)

「日本画の「膠(にかわ)とは「煮皮[煮る皮]」由来の言葉で、動物性タンパク質のコラーゲンに熱を加えて抽出した。ゼラチン物質の接着剤をあらわす。膠が古くから世界各地で利用されてきたように、その主原料となる動物は、人間の生命そして生活を支える食糧資源、また皮や毛皮などの物質的資源として長きにわたり利用されてきた。こうした背景のもと、人類が動物資源をどのように利用してきたかを知ることが、膠について知る上で、まずは必要ではないだろうか。膠はどのように生み出されたのか、その現地を訪ね歩く旅をしたい。
 北方地域の先住民族は、多種多様な動物資源の利用に直面し深く関わってきた。重要な動物資源としてはトナカイ、河川を季節的に上ってくるサケなどの魚類である。トナカイの飼育などをおこなう人々は漁村地区に居住する。また、クジラやアザラシなどの海獣漁にも支えられ、海上交通を通じて遠隔地域の先住民族同士は、新たな社会・文化と接触し、精神的・物質的に生活を豊かにする交易関係を結んできた。例えば、北海道のアイヌや、サハリン・シベリア、アムール河流域といった日本海の両岸に居住する人々には、大陸交流を通じて培われた共通する文化要素が見受けられる。厳しい大自然の中で生きる人々は、居住地の移動を繰り返しながら、その地域での暮らしに特化した伝統的な生業を根づかせていった、
 そこで、「膠を旅する」は、北方先住民族の生活文化に根づいた動物資源の利用を探ることからはじめることとする。北海道・網走市にある北海道立北方民族博物館での取材を通じ、北の最果てに生きる人々と動物との密接な繋がりを深く理解することで、動物性タンパク質という生物資源の力を最大限に引き出す知恵と技能体系、人間文化の一端を垣間見たいと思う。」

(「第三章 膠をめぐる論考」〜北澤憲昭「神的暴力/ニカワ研究の余白に」より)

「日本語「ニカワ」の源を訪ねてゆくと、獣皮を煮る行為にたどり着く。しかし、ほんとうの源は、さらにその先にある。皮を煮るためには、獣皮を得なければならず、獣皮を得るためには、獣の皮を剥がす行為が必要であるからだ。つまり、膠の製造は、獣皮を剥ぐ行為から始まるわけだが、これを歴史の平面に投映してみるとき、何が見出されるだろうか。すなわち、日本社会において毛皮を剥ぐ行為の始まりは、どこに求められるのだろうか。ニカワの始まりの始まりは、どこに見出されるのか。ここでは、文献学的発想から、それについて考えてみたい。ニカワの始まりについて考えることが、とりもなおさず膠彩画としての「日本画」の根源の彼方へと視線を差し向けることでもある。
 『延喜式』『続日本紀』『日本書紀』などの古典籍を飛び石伝いに遡行していって、最終的に逢着するのはスサノオにまつわる『古事記』の物語だ。母イザナミの死を長き悲しんで暴れ回るスサノオは、父イザナギから追放され、姉のアマテラスに泣訴しようと高天原に昇ってゆく。だが、アマテラスはこれを侵攻と捉えて迎え撃とうとする。そこで、スサノオは自分に邪心のないことをあかすために、天の安河をはさんでアマテラスと神産みの誓約を行う。その結果、スサノオは自身の潔白が証明されたとして勝利を宣言し、勢いに乗じて乱暴狼藉のかぎりをつくす。そして、ついには、神にささげる布を織る機屋に、馬の皮を剥いで投げ込むに至る。
(…)
 ニカワの始まりをたどってゆくとき、こうした暴力性に行き着くのは興味深い。否定的な意味で暴力というのではない。スサノオの行動は、日常における善悪を超えたものであった。それは「逆剥ぎ」という行為に象徴されている。「逆剥ぎ」という語は、動物の皮を通常とはさかさまに尾から頭にかけて剥ぐことを意味するのだが、さかさまという事態は陰影に富んだニュアンスをもつ。それについて松田修は『日本逃亡幻譚』のなかでこう指摘している。さかさまであるということは「最も具体的な非日常であり、現実と生のうらがえし」であるというのだ。
 しかも、松田は、それを「霊異の力」や「デーモン」と結びつけ、さらに、さかさまであることに非日常的な力を見出すのは「日本の伝統的な発想」であるとさえ述べている。」
「「逆剥ぎ」とは日常を超えたところで発動する力を示している。ひとことでいえば非人情な力といってもいい。俗世の価値観のあてはまらない暴力性であり、それは芸術の根源に通じている。「善悪の彼岸」にこそ、芸術は成り立つはずであるからだ。」
「いわゆる日本画の始まりの始まりのさらに奥には、このように「神的暴力」が見いだされる。しかし、現在の日本画はその力を、なお身の内に保持しているだろうか。記憶をたどると、一九八〇年代末から九〇年代にかけてそのような暴力が発動するのを目の当たりにした憶えはあるものの、その後の日本がは祖法を守りつつ粛々と現在に至っているかにみえる。真新しいイメージが産み出され、画材における改革も進められているにもかかわらず、発想に起爆力が感じられないのだ。ぜんたいに遵法的な構えになっているのである。」

(「第三章 膠をめぐる論考」〜内田あぐり「膠と私」より)

「膠の長所はその性質が水溶性で柔軟性があり、水や岩絵具、顔料、墨、麻紙との相性も良い。膠で溶いた絵具を塗る、またはマチエールをつけて少し盛り上げるなど、その後完全に絵具が乾いてからさらに水をかけると膠が元に戻ることで画面は柔軟性を帯び、筆や布で洗う、ペインティングナイフなどで削ることができる。雲肌麻紙へ膠水で溶いた細い顔料や絵具を塗布すると、水とともに麻紙の繊維にまで絵具が浸透、あるいは喰い込んでいく様を美しいと思う。また基底材の和紙や絹などに裏打ちして補強をする場合も、時が経ち劣化した時も裏打ちをし直して元の強度にすることができる。そうした場合も水溶性で元に戻る膠の存在意義は大きい。
 例えば、大作をパネルから剥がして保存する場合に、剥がした作品の絵(表側)に霧吹きで水をかけて湿らせ、しばらく置いてから絵を外側にして大きく巻いて保管しておける。この場合に太い紙管を芯にして巻くと巻きやすく、後々の保管にも便利である。これは膠に柔軟性があり、水で湿らせると元の状態に戻り、表側で巻くのは膠が伸びる性質を持っているからである。内側には巻くことはできない。また、粗い粒子の岩絵具で厚塗りをした絵画は巻くことができず、できるのは比較的粒子の細かいあまり厚塗りしていない絵画に限る。
 また腐敗した膠液を捨てる場合は土に穴を掘って埋める。膠は自然素材のため、大地に還ることができる。
 膠のこうした柔軟性のある特性は、私の表現にとっては無くてはならない存在である。膠は接着剤というよりも、動物の体液で描いているという意識が私にはある。」

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