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上野 誠『折口信夫「まれびと」の発見/おもてなしの日本文化はどこから来たのか』

☆mediopos2822  2022.8.9

折口信夫のような
「とにかく、スケールが大きい」存在を
理解しようとするとき

その大きさの「かたち」や
その全体の根底にあるものを
とらえようとしないままに
部分だけをみてしまうと
「群盲象を評す」的になってしまう

「折口の個別の論文が、
じつはまあるい円を描くようにつながり合っていて、
その円そのものは、折口信夫の思考なのではないか」
「全体を見ないと、部分も捉えられないのだ。
それが、折口の著作なのだ」ということから

本書は著者のみる折口信夫の全体像を
口述筆記というかたちで語ったものだという

少し分かりやすすぎる感はあるけれど
全八章/八テーマに分けられ
それぞれのテーマのなかから
トピックとなるものを語った全129章は
著者のとらえる折口信夫という「円」のかたちが
浮かんでくるように感じられた

どんなテーマにせよ
全体をじぶんなりに見るためには
著者のように長い道のりを
じぶんで歩いて見るしかないのだが
こうした方法で全体を語ってみるということは
じぶんの見ている「かたち」を再認識するうえでも
重要な試みであるだろう

本書の「はじめに」で
「折口の唯一無二の友人でもあり、ライバルであった学者」
武田祐吉との学問的な姿勢の違いが対比されている

武田は「文献を舐めるように観察して、動かぬ証拠を見つけて、
積み上げてゆくタイプの学者だった」のに対して
折口の考え方は「全体を一つと見る」ものである

現代の学問は細分化の方向へと進んでいるが
結局のところそうした方向へ向かってゆくと
しだいに「なぜ学問をするのかという問い」から
離れてしまいかねないところがある

それは管理社会の陥穽とも通底していて
各専門分野は細分化されたなかで
みずからの役割を推し進めていこうとするが
そのことによって全体が見えなくなり
重箱の隅を突いているうちに
じぶんが何をしているのかさえわからなくなる

その結果ルールのためのルールが細分化累積化され
いつのまにか人間を雁字搦めにするシステムが
出来上がってしまうということになる

全体の「かたち」を
しっかしりた長い道のりを経ないままに
重箱の隅だけからとらえる愚かさは避ける必要があり
常に「じぶんが何をしているのか」
その問いだけは忘れないでいる必要がある

大きなスケールでの「問いかけ」を
じぶんなりに持ち続けるということだ
重箱の隅だけの「答え」にしがみついていても
結局のところ何も見えてくるものはないだろうから

■上野 誠『折口信夫「まれびと」の発見/おもてなしの日本文化はどこから来たのか』
 (幻冬舎 2022/4)

(「はじめに/いのちの道標」より)

「折口にとっては、日本文学の研究も、民俗学の研究も、芸能の研究も、神道の研究も、個別のように見えて、みんな一つだったのではないか? 神と人とが、どのような関係性を築いているのかということを観察してゆくことには変わりないからだ。とにかく、スケールが大きい日本文化論なのだ。
 その折口の唯一無二の友人でもあり、ライバルであった学者がいた。武田祐吉(一八八六−一九五八)、その人である。武田とは、天王寺中学、國學院大學でも同級生であった。若き日に、借金取りに追われていた折口を救ったのも武田だった。武田は、『古事記』『日本書紀』『万葉集』を中心とする古代文学研究の第一人者となり、考え尽くされた重厚な研究で、現在でも、この分野の研究に大きな影響力を残している。
 武田の研究は、鳥の眼ではなく虫の目。虫の目というよりも、電子顕微鏡の眼かもしれない。文献を舐めるように観察して、動かぬ証拠を見つけて、積み上げてゆくタイプの学者だった。二人は、同じ國學院大學に勤めることになり、時には確執を生じながらも、お互いを認め合っていた。折口がカミソリなら、武田はナタ。折口が疾走する駿馬なら、武田は重い荷物を運ぶ鈍牛だと思う。折口は広く、武田は深い。」

「鈍牛の武田なら、こういうだろう。日本の寺社建築だって、さまざまなかたちがあり、さまざまに発展して来たんだ。茶道や華道だって、各流派の歴史があるのに、それを無視してよいのか。芸能というものには流行があるから、そんなに単純じゃない。その起源は一つであるはずがないじゃないか。武田は、折口君の議論はメチャクチャだ、というのではないか。
 折口の考え方は、全体を一つと見る考え方である。対して、武田の考え方は、細かく分けて考えてゆく考え方である。では、今の学問の主流はどっちか。いうまでもない。武田のほうである。やはり、個別の細かく見てゆかなければ、論文として通用しないのだ。ことにこの五十年で、学問は細かく分かれていった。いわゆる学問の細分化である。たしかに、細分化して見てゆかなくては、わからないことばかりなのだ。
 折口は、そういう細分化してゆく学問のあり方に、異を唱えた学者だったのだ。たしかに、建築も、茶道も、華道も、諸芸能も個別に研究してゆかなくてはなるまい。(…)おいおい、茶道と華道を分けて本当の研究ができるのかねぇ、建築空間と芸能の研究を分けてしまうと、何もわからなくなるんじゃないか。芸能亜B、空間の芸術だぞ。全体で一つさ、それは分けられないよ、と折口はいうだろう。
 「多即一」という言葉と「一即多」という言葉とがある。さまざまな要素が絡み合って、多様に見えるものでも、それは一つである。地球は多様だが一つだし、宇宙も多様だが一つだ。一方、一つに見えているものでも、よく見ると別々のものから構成されていて、その関係性の中にある。だから、多様なのだ。地球にも、海があり、山があり、植物があり、動物もいる。動物の中でも、人間が……と細分化して考えてゆくこともできる。医学は、細分化することで発展してきたが、脳も胃もひとりの体の中にある。

折口信夫という人は、ひとりで全体を見ようとした人なのだ、と思う。」

(「第一章 神と人との関係こそ文化だ」〜「001 他界への憧れ」より)

「折口信夫の学問を考える上で、最初に考えなければならないことは何か? それは、他界への憧れだ、と思います。(…)
 さまざまな他界があるのですが、人は時として、他界に対して強い憧れの気持ちを持ちます。生きたまま他界へ行くことは難しいので、他界に行くということは死ぬ、ということになってしまいますが——。だから逆に、その他界が憧れの場所にもなるのですね。折口信夫の学問を考える場合には、他界への憧れというものを、まず考えなければなりません。そうしないと、他界からやって来る「まれびと」という神の性格もよくわかりません。
 折口の場合には、その他界への憧れも、自己の実感の中にあるということが大切です。自己の実感などというものが学問になるのかという批判もありますが、折口信夫の学問は、常にそこから始まるのです。(全集2−五頁)」

(「第二章 いのちのみちしるべ」〜「005 いのちの道標」より)

「折口信夫は、「ライフ=インデキス」という言葉を使いますが、私は、これを今、「いのちのみちしるべ」と訳しておきたい、と思います。では、折口のいう「ライフ=インデキス」とは、どんなことなのでしょうか。それは、人間が生きてゆくための必要なみちしるべということになります。
 では、そのみちしるべは、どんなものかというと、歌における枕詞のようなものだというのです。枕詞は、一つの言葉を引き出すために存在している言葉なので、具体的にその歌に意味を添えるものではなりません。また、多くの枕詞は、それを使っている奈良時代や平安時代においても、意味不明でした。直接歌の中で機能せず、意味もわからないものが「ライフ=インデキス」、「いのちのみちしるべ」になるというのです。じつにおかしな話です。
 しかし、これは、折口らしい逆説です。意味のないものや、しきたりとして単に伝わっているもの、そんなものこそが生きるみちしるべだというのです。(…)私たちは、よりよい人生のためにのみ、生きているのでしょうか。そうではないはずです。人生に目的があると思った途端に、人生は重たくなってしまいます。

意味のないもの、無駄なものこそ「いのちのみちしるべ」なのです。(全集16−三六五頁)」

(「第三章 まれびとと男と女」〜「033 お客さんが文化をつくる」より)

「折口信夫は、時を定めてやって来る神、さらには神に扮する人をもてなすところから、日本の芸道は生まれたと考えましたし、日本の文学も、そこから発生したと考えました。学術的にいうと、日本文学の発生ということになります。(全集1−三頁)

(「第四章 精霊との対決」〜「044 もの」より)

「「もの」といえば、心に対する物質である、と現在では理解されます。が、しかし、日本の古代の言葉で「もの」といった場合のは、もののけの「もの」の例からもわかるように、「もの」にも魂があると考えられていました。いや、「もの」そのものが魂なのです。人間、動物、植物、さらには石にも魂がある。この根底には、どんなものにも魂があるという自然崇拝、すなわちアニミズムの考え方があります。
 「もの」というものは物体であると同時に、一つの霊魂を持った存在であったのです。この事実を起点として、日本文化のさまざまなありようを考えようとしたのが、折口信夫でした。(全集9−四九頁)」

(「第五章 年中行事があるからこそ」〜「059 花と先触れ」より)

「花というものが季節を象徴し、花と共に生活をしているというのは、日本が四季に富んだ国であると同時に、稲作を行っていたからです。日本の稲作は、春、耕作をし、田植えをしたあとに、田の草取りをして、秋、収穫をするわけですが、稲も花を付けます。つまり、花に対する関心が高いのです。そのように、花というものが、実りを前提として存在するということを忘れてはいけません。
 かくのごとおき花に関して、折口信夫は深い関心を持ち。國學院大學に華道学術講座という学術団体までつくりました。
(…)
 折口信夫は、「ほ」というのは飛び出たもの。よいものと考えます。対して、「うら」は「将来を占う」の「うら」ですから、「ほ」も「うら」も同じような前兆、先触れを意味すると考えていました。
 以上のように、折口は、花というものをきわめて重視した日本文化論というものを構想していたのです。」

(「第六章 歌と語りと日本人 」〜「069 「かたり」と「うた」」より)

「「かたり」と「うた」について、折口信夫が強い関心を持ち、そこから芸能の歴史というものを考えていったということは、よく知られている事実です。」

「「うたう(ふ)」とは、心の高まりを示していくことであり。それは叙情詩に発展する。「かたる」は、もののあらましや事実を語っていくことで、叙事詩に発展してゆく。その「かたる」と「うたう(ふ)」という行為が、日本人の芸能にとってきわめて重要であった、と折口信夫は考えていたのでした。」

(「第七章 日本の芸能のかたち」〜「092 日本の芸能」より)

「日本の芸能というものは、もともと芸能でなかったものが繰り返されることによって、芸能化してゆく。例えば、僧侶の説経から講談へというように。
(…)
 例えば、相撲のなかにも芸能的な部分があります。剣術、柔術でも型を見せるところは芸能です。このような芸能化のプロセスに、折口信夫は強う関心を持っていました。」

(「第八章 折口信夫が目指したもの 」〜「124 日本文学研究の目的」より)

「折口信夫が生きた時代には、学問をなぜ行うのかという問いが、常に研究者の心の中にありました。しかし、現在の学問は、学問することが生活の手段となってしまって、なぜ学問をするのかという問いをあまりしなくなりました。
 折口の場合、どの著作にも、なぜ学問をするのかという問いが必ずあります。」

「日本の古典を、何のために研究するか。日本人の日本的な生活に対する情熱が、現代人の心の底に、どのように横たわっているのか。それを知るためだといっているのです。」

(「おわりに/どうしたら折口信夫を理解することができるか」より)

「やはり、折口信夫は、難解だ——。」

「それは、折口の個別の論文が、じつはまあるい円を描くようにつながり合っていて、その円そのものは、折口信夫の思考なのではないか、と思うのである。その円を途中で切ってしまうと、円でなくなってしまうのだ(切る前は円で、切ったあとは線だからまるで違うのだ)。どんなかたちであれ、その円全体をざっくり見ないかぎり、部分もわからないのではなかろうか。つまり、全体を見ないと、部分も捉えられないのだ。それが、折口の著作なのだ。ところがだ。全集全体を読めばわかるかというと、その個別の論文の一つ一つが深くかつ難解で、立ち往生してしまうのみ……。では、一体どうしたらよいのか。困った。困り派立てた——・
 そこで、思案の末、こうすることにしたこうなったら、私自身の頭の中にある折口信夫の言葉を、私の口から語ろう、と思ったのである。私自身が思うがままに語ってみよう。私の理解に誤解があるかもしれないけれど、全体が丸くなるように語ってみたいと思ったのである。」

【目次】

第一章 神と人との関係こそ文化だ
・他界への憧れ
・日本の踊りは宗教のみなもと
・「やしろ」とは何か ほか

第二章 いのちのみちしるべ
・「たま」と「たましい」
・魂と肉体
・「消える言葉」と「残す言葉」と ほか

第三章 まれびとと男と女
・お客さんが文化をつくる
・「いはふ」
・神と神の嫁 ほか

第四章 精霊との対決
・「もののけ」とは何か?
・「たたり」は神さまのデモ
・かっぱ ほか

第五章 年中行事があるからこそ
・ひな祭りと人形
・魂とお正月
・月見になぜ花を供えるのか ほか

第六章 歌と語りと日本人
・「かたり」と「うた」と
・日本の恋歌の特徴
・俳句と短歌の違い ほか

第七章 日本の芸能のかたち
・ものまね
・「かぶき」とは何か
・隠者文学 ほか

第八章 折口信夫が目指したもの
・民俗学の目的
・万葉びと
・もうこれ以上、日本を悪くしてはならぬ ほか

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