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川原 繁人『フリースタイル言語学』

☆mediopos2751  2022.5.30

川原繁人氏の専門は
音声学・音韻論・一般言語学であり
本書は「言語学・音声学」の入門書である

言語学には音韻論・統語論・語用論などがあり
比較的近年では語用論的な研究が
注目される傾向があったように思っていたが
やはり実際に発音されるところから
言語の様相に注目していくのは興味深い

なにより本書は「入門書」ということもあり
身近な物事を題材にした科学エッセイとなっていて
しかもどのテーマも身近さゆえの安易な解説ではなく
問いとしてかなり深掘りされていてためになる

そのなかからいくつかのテーマを
ピックアップして引用紹介してみることにした

まずはなんと
「「ヒトという種は、言語を獲得する前に、
どのように意思疎通を行っていたのか」という
言語起源の問題に関する研究報告

なんと「石」「果物」「良い」「切る」のよう
な30の単語を提示して
言葉は使わずに「声色」だけを用いて表現し
その意味が推測できるかどうかの実験

最初は英語話者に対する実験で
「かなりの程度で正しい意味が推測でき」ただけではなく
「英語話者だけでなく、
全部で25の言語の話者にも聞かせ」た場合でも
「声色のみから意図されている30の単語の意味が
それなりに推測できることがわかった」という

逆にいえば
言葉の意味をどんなに厳密に伝えようとしても
曲解されたりして伝わらないことも多いが
あいての意図を受け取ろうとする姿勢があれば
分からないことも分かってくることがあったりもする

「声色」というのは
なんなる音なのではなく
そこにさまざまなものが載せられている
乗物なのかもしれない
その乗物にいっしょに乗ろうとすれば
いっしょに乗ることもできるのではないか

そういえば器楽だけで演奏された音楽も
その音はたんなる音ではなく
そこにさまざまなものが響いている
そしてその響きに共振できたとき
そこからは音を超えたものが伝わってくる

さて次に紹介したのは「濁点」

「にせだぬきじる」と「にせたぬきじる」は
なにが「にせものか」という問い
詳しくは引用にあるが
「にせだぬきじる」では「にせ」なのは「たぬき」であり
「にせたぬきじる」では「にせ」なのは「たぬきじる」である

さらによくとりあげられている
古代日本語では現代語の「ハ行」は「パ行」で
その古代語からの名残で
ひよこはピヨピヨき
旗(はた)はパタパタはためき
光(ひかり)はピカピカひかる
という話

本書にはこのように
身近でありながら
じぶんのいま使っている言葉を問い直すことのできる
そんなテーマがたくさんとりあげられている

楽しくしかもとてもためになる一冊である

■川原 繁人『フリースタイル言語学』
 (大和書房 2022/5)

(「はじめに」より)

「本書は、言語学・音声学の世界への楽しい入門書である。これらの学問をひと言で定義するのは非常に難しい。簡単に言えば、私自身は「人間が音を使ってコミュニケーションをとる時に、何が起こっているか」に興味がある。もう少し具体的には、

・音や唇をどう使ったらどんな音が出るのか。
・その音はどのようにして空気を伝わって相手の耳に届くのか、
・その音を聞いた相手は、どうやって話し手の意図を理解しているのか。
・これらの仕組みは、我々の認知機能にどのように組みこまれているのか。

 というような疑問に常に向き合いながら生活している。」

(「第3章 ガチ研究紹介編」〜「3−1 ポケモン進化と言語進化」より)

「言語学の世界に立ちはだかるスフィンクスがいる。そのスフィンクスが投げかける謎とは、「ヒトという種は、言語を獲得する前に、どのように意思疎通を行っていたのか」というものだ。」

「この言語起源の問題に関して示唆に富んだ言語学の研究が報告された。この実験では、英語話者に「石」「果物」「良い」「切る」のような30の単語を提示して、言葉は使わずに、その単語を「声色」だけを用いて表現してもらった。(・・・)多くの人が参加し、素晴らしい声色を披露した。その声色を別の英語話者たちに聞かせ、「今聞いた音は、どの単語を指していると思いますか?」と推測してもらったところ、一番上手だった人の声色からは、かなりの程度で正しい意味が推測できることが判明した。

 次の実験には、私も日本代表として参加した。上の実験で録音された様々な声色を、英語話者だけでなく、全部で25の言語の話者にも聞かせ、その意味を推測してもらったのである。対象となった話者は、日本語、韓国語、ドイツ語、さらには西洋文明とはあまり関わりのない文化背景の人も含まれていた。この大規模な実験の結果、言語や文化の壁を越えて、声色のみから意図されている30の単語の意味がそれなりに推測できることがわかった。」

(「第4章 挑戦編」〜「4−1 にせものを探せ」より)

「下のふたつの式は意味が異なる。

 (1)(2×3)+1
 (2)2×(3+1)

(・・・)2が影響する部分は(1)と(2)とで異なるわけだ。

 これとまったく同じ違いが日本語でも観察されるから言語学は面白い。言語学の世界では有名な例なのだが、「にせだぬきじる」と「にせたぬきじる」の意味の違いをじっくり考えてみてほしい。それぞれの単語で、にせものは何だ?

 「にせだぬきじる」においては、にせものは「たぬき」である。「しる」が本物かどうかはわからない。一方、にせたぬきじる」においては、にせものは「たぬきじる」である、この意味の違いな(3)と(4)のように表現できる。

 (3)「にせだぬきじる」=(にせ+たぬき)の「しる」
 (4)「にせたぬきじる」=にせの(たぬき+じる)

 このふたつの言語表現の違いが(1)と(2)の数式の違いとまったく同じ構造を持っていることに気づくであろうか? つまり、ふたつの表現で「にせ」が影響する範囲が異なるのだ。本当は「作用域」という専門用語を使う方が正確なのだが、「修飾する範囲」と言ってもいいかもしれない。」

「さて、次の疑問。なぜ日本語話者は「たぬき」と「だぬき」、濁点の違いひとつから意味の違いを推察できるのだろうか。

(・・・)

 日本語では、(5)のようにふたつの単語をくっつけると、ふたつめの単語の頭に濁点がつくことがある。これを「連濁」と呼ぶ。

 (5) にせ+たぬき → にせだぬき
   ゆき+くに → ゆきぐに
   ほし+そら → ほしぞら
   インスタ+はえ → インスタばえ

 しかし、(6)のようにふたつ目の単語にすでに濁点が含まれている場合、連濁は起こらない。つまり、日本語は同じ単語内にふたつ濁点が入ることを嫌うのだ。

(・・・)

 まずは「にせだぬきじる」である。意味から考えると、「にせもの」なのは「たぬき」だから、「にせ」とたぬき」をくっつける、連濁しよう。「にせだぬき」。これに「しる」をくっつけ、またまた連濁させて「にせだぬきじる」のできあがり。

 次に「にせたぬきじる」を考えてみよう。「にせもの」なのは何だっけ? そう「たぬきじる」だから、まずは「たぬき」と「しる」をくっつけよう。連濁して、「たぬきじる」さらに「にせ」と「たぬきじる」をくっつけよう・・・・・・あれ? そう。(・・・)「たぬきじる」にはすでに濁点が含まれているから連濁が起こらない。よって「にせたぬきじる」。」

(「第4章 挑戦編」〜「4−5 我はぴみこじゃ」より)

「好奇心旺盛な5歳の女の子にこう聞かれたら、あなたはどう答えるだろうか?

「なんで、ひよこはピヨピヨなくの?」
「なんで、旗(はた)はパタパタはためくの?」
「なんで、光(ひかり)はピカピカひかるの?」
「なんで、震える(ふるえる)時には、プルプルするの?」

「ハ行の音は、オノマトペ(擬態語・擬音語)になると「パ行」に変身する。なぜか?

 (・・・)我々が「ハ行」で発音している音は、昔の日本語では「パ行」だったのである。つまり、「ひよこ」は「ぴよこ」だったから、「ピヨピヨ」鳴くのである。「ひかり」は「ぴかり」だったから「ピカピカ」光るのだ。こう考えると、まったくもって自然な表現と言えよう。しかし、日本語では「パ行」は「ハ行」に変わってしまった、そして、なぜかオノマトペでは昔の発音が残ったため、「ひよこ」と「ピヨピヨ」の関係が不明確になったのである。」

「さて、日本語は「パ行」を一回失ったが、なぜか「っ」と「ん」の後では「パ行」が残った。(・・・)

 開発(かいはつ) vs. 一発(いっぱつ) 単発(たんぱつ)
 後輩(こうはい) vs.          先輩(せんぱい)
 速報(そくほう) vs. 一報(いっぽう) 短報(たんぽう)

 また、『ドラゴンボール』で悟空が放つのは「かめはめは」なのに、桃白白が放つのは「どどんぱ」である。

 ともあれ、現代の日本語では、「っ」と「ん」の後を除けば、「パ行」はオノマトペにしか残っていない。しかし、英語などから単語を借りた際には、「パ行」を素直に受け入れた。(・・・)

 現代の日本人は「パ行」=「外来語」という感覚をなんとなくでも持っていて、それが名付けにも応用されている気がする。例えば、ドラクエの呪文の「パルプンテ」。どう考えてもファンタジー世界の言葉にしか聞こえない。これは「パ」と「プ」を含んでいるからではないか。それから「ラピュタ」。娘たちに『天空の城ラピュタ』の絵本を読みながら思った。「ラピュタ」はやっぱり外来語だよなー。心の中でラピュタを平仮名に変換してみた。「らぴゅた」。やっぱりなんだか変な気がする。」

《目次》

▼第1章 思い出編 若くて大胆だったころの私
1-1:バズりの裏側 メイド名研究の軌跡/1-2:わらしべ長者、川原繁人/1-3:日本語ラップ論争に場外からがち乱入/1-4:吸って?吐いて?の言語学/1-5:正しい英語の学び方

▼第2部 家族編 言語学家族の日常
2-1:素敵な鼻濁音ですね/2-2:しげとさん、それでまにあう?/2-3:ドキドキハートキャッチの結果発表/2-4:とーちゃんと呼ばないで/2-5:部屋とエントロピーと私/2-6:匂わせ写真、匂わせ言動

▼第3章 ガチ研究紹介編 現在進行形で気になるあれこれ
3-1:ポケモン進化と言語進化/3-2:ドラクエの呪文も気になる/3-3:こうとうがいかぜんびおんかゆうせいしけいはさつおん/3-4:寿司とカレーとハッシュドビーフ/3-5:子音と母音にまつわるエトセトラ1/3-6:子音と母音にまつわるエトセトラ2/3-7:おぬしは何者だ? 私の人生を変えた男/3-8:声楽家たちへ捧げる音の高さのエトセトラ アクセント&イントネーション入門

▼第4章 挑戦編 音以外にも魅力がいっぱいの言語学
4-1:にせものを探せ! /4-2:曖昧な日本語の問題/4-3:ゴミだけ出しておいて/4-4:あなたのその濁点取れますか?/4-5:我はぴみこじゃ/4-6:漢語で遊ぼ お家で学ぶ言語学入門/4-7:あけおめことよろの真実 村上陽一郎先生への一方的なラブレター

▼第5章 雑談編 研究者ならではの裏話
5-1:エルデシュ・ベーコンへの距離/5-2:言語学世界の偉人伝説/5-3:バズるな危険

▼第6章 お悩み編 私は世の中のお役に立てますか?
6-1:私はあなたのお役に立てますか?/6-2:言語学、性差別と向き合う/6-3:どうしてもお役に立ちたい! 1 ALSとマイボイスの物語/6-4:なんとか役に立ちたい2 コロナデマ情報翻訳プロジェクト

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