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土門蘭「死ぬまで生きる日記」 (明日をほんの少し明るく照らす読みものWEBマガジン「生きのびるブックス」より)

☆mediopos2742  2022.5.21

死にたいと思うこと

なぜかちいさい頃
死にたいというほど
具体的ではなかったけれど
いなくなりたいとずっと思っていた
おそらくそのせいで
腎臓病で死にかけたがなんとか死ななかった

それが少し変わってきたのは
八〜九歳ころのことで
やっと自我の萌芽のようなものが立ち上がってきて
ひとに依存してはいけないのだという
そんな気持ちが少しずつ育ってきたようだ

それでもやがて高校の頃になると
死にたいというのではなかったが
身の置き所がないような気持ちで日々心を荒ませていた

そんな荒んだ気持ちがゆるんできたのは一八歳の頃だったが
その数年後には今度は家族関係が外から破綻して
大学の途中から半分世の中に放り出された感じになった

ひょっとしたらそうした破綻が特効薬になったのか
無意識に働いていた依存心のようなものが
経済的にも依存しえない状況のおかげでずいぶん消えて
少しばかり逞しくなりはじめたのかもしれない
むしろ死にたいとか荒んだ気持ちとかは
そんななかでいつのまにかどこかになくなっていた

とはいえそれで死生観や世界観(宇宙観)が
じぶんのなかでたしかになったわけではなく
それが少しずつどこかでかたちをとってきたのは
三十歳頃のことだったのではなかったろうか

それにはずいぶんシュタイナーの影響もあったはずだ
そのこともありいまもまだ「投瓶通信」のように続けている
「神秘学遊戯団」にもつながっていたりするのだろう

前置きが長くなったが
今回とりあげた土門蘭のエッセイ記事によれば
(土門蘭は一九八五年生まれ)
「10歳の頃から」「35歳になるまで、
ほぼ毎日「死にたい」と思っている」という

自殺をするまでにはいたらないが
「何かの拍子にふと、「死にたいな」と思う。
「もう耐えられないな」と。
でも、実際はちゃんと耐えられる」

「子供の頃は、そんな自分を火星人だと思おうとしていた」

そんな土門蘭が心療内科で「うつ病」と診断され
薬を処方されようとしたが薬は飲まず
別の方法を探し
「オンラインカウンセリング」をするようになる

「最初は1週間に一度、
慣れてきたら2週間に一度の頻度に変えて、
今も定期的に続けている」

そして二年ほど続いたある日
カウンセラーの本田さんの個人的な理由で
カウンセリングが終わることになり
「本田さんがとても大きい存在になっていることに気がつ」く

そして「カウンセリングが終わる」こと
「「終わるとはどういうことなのか」を
残りのカウンセリングで考えてみようとする
「そもそも関係性の終わりとはどういうことなの」かと

この連載(最新は第11回の2022.4.28)はしばらく後に
次の回が掲載されるだろうが
その前にその「終わり」について考えてみたくなった

個人的にいえば生まれてこの方
そうした「相談」のようなことをしたことはない

いわば自問自答のなかでなんとかしてきたので
こうしたカウンセリングという関係性のなかで
じぶんの心のバランスを図ろうということそのものが
ぼくには理解できないかもしれないけれど

じぶんのなかの対話や葛藤や
みずからの変容のための試みを
だれかとの関係性のなかで行おうとする
ということとしては理解できるところがある

その意味で
「カウンセリングが終わる」ということ
「関係性の終わり」ということを考えてみると
やはり「依存」というかたちそのものの変化だといえそうだ

小さな子供の頃「畏敬」が重要な役割をするというのは
その「畏敬」という関係性を支えにして
みずからの魂を自律できるように育てていくということだろう

自律が孤立ではないということはいうまでもない
孤立は孤独とは異なり
依存を求める魂が依存できないできる状態である

また自律は関係性を持たないということではない
内的な関係性も含め
魂がオートポイエーシス的な状態を保っているということで
ある意味で関係性の曼荼羅が
そこに成立しているということもできるかもしれない
それを孤独(独りでいられること)といってもいい

逆説的にいえば
カウンセリングという「関係性の終わり」は
「孤独(独りでいられること)」が可能になる
ということでもあるだろう

そして「孤独(独りでいられること)」だからこそ
関係性のなかで自律していられるということでもある
おそらくそれは自我の成長とも深く関わっている

そしてそのとき
「死にたい」と思うような「生」ではなく
生即死とでもいえるような
死を恐れない生へとひらかれるのではないだろうか

その意味で「死ぬまで生きる日記」は
「死を恐れず生きる日記」ともなるのではないか
または「生きることを恐れない日記」

■土門蘭「死ぬまで生きる日記」
(明日をほんの少し明るく照らす読みものWEBマガジン「生きのびるブックス」より)

(「連載 第1回 2021.5.27「私は火星からやってきたスパイなのかもしれない」より)

「記憶にある限りでは、10歳の頃から。
 その頃から35歳になるまで、ほぼ毎日「死にたい」と思っている。

 実際に自殺行為に及んだことはない。何か特別な理由があるわけでもない。ただ、何かの拍子にふと、「死にたいな」と思う。「もう耐えられないな」と。でも、実際はちゃんと耐えられる。物理的に耐えられない何かに襲われているわけではないし、自分の気分の問題だからだ。だから私は、いつもその欲求が薄くなるのを待つ。いつものことなのだから、と言い聞かせ、本当は全然死にたくないのにな、と思いながら。

 自分の意に反して、ぼんやりとした死に対しての欲求が、霧のように常時私の体を包んでいる。それが、時間やタイミングによって濃くなったり薄くなったりする感じ。あるのは濃度の違いだけで、それが完全に消え去ったことはこれまでにない。一日たりともない。そして、その濃度が変わる時間もタイミングも、自分でもよくわからない。気温やら気圧やら他人の一言やらで、簡単に左右される。

 「楽しい」とか「嬉しい」とか「おもしろい」という感情は、ちゃんと味わうことができる。もちろん、怒ったり悲しんだりもできる。目の前で起こるさまざまな変化に対して、その都度感情は沸き起こるのだけど、根っこの部分がずっとうつろだ。何かに夢中になったとしても、その感情はすぐに冷えて、うつろな気持ちに引き戻される。そしてそのことを、夢中になっている最中にも予感している。」

「子供の頃は、そんな自分を火星人だと思おうとしていた。
 自分は火星人だから、地球に馴染まないのだと。だから、こんなに寂しい気持ちになるのだと。
 家にいても、学校にいても、どこにいても何か馴染まずうすら寂しいのは、自分が違う星から来た生き物だからなのだろう。だから、自分を受け入れてくれる人の中にいても、心から「ここにいていい」と信じることができないのかもしれない。その仮説は、私の心を少し慰めた。謎が解けたような気持ちになったから。」

「「20年以上、ほぼ毎日『死にたい』と感じているんです」
 そんな話を、1年半前に心療内科の診察室でした。日常生活はほぼ支障なく送れているが、さすがにずっと「死にたい」と思うのは少しおかしいのではないかと思って、診察を受けに行ったのだ。いろいろと質問されて、夜眠れなくなることがあるとか、眠っても疲労感がなかなかとれないとか、時々涙が止まらなくなることがあるという話をすると、その病院の院長であるという初老の医師はうんうんと頷きながら、開口一番「それは病気ですね」と言った。「うつ病です」と。」

「薬を飲まないなら、別の新しい方法でアプローチすべきだとは思っていた。このまま一人で「自分はなぜ『死にたい』と思うのだろう」と考え続けるのはとうに煮詰まっていたし(だから病院に行ったのだ)、周りにも負担をかけてしまう。もし何か別のアプローチ方法があるならば、それを試してみたいと考えていた。相談した友人医師にはセカンドオピニオンを勧められたが、もう病院に行くのは気が進まなかった。

 そこで出会ったのが、オンラインカウンセリングだ。ある人がそのサービスをSNSでシェアしているのを見かけ、「これだ!」と思った。一人で考え続けるのではなく、また薬を飲むのでもなく、人との対話を通してこの気持ちにアプローチしてみるのはどうだろう、と。言葉を用いるので、これなら「書く」ことと何ら矛盾しない。いっそ「書く」ことの延長線上にある治療法だと思った。しかもオンラインなら、仕事で忙しくても続けられそうだし。
 そう思って、私はさっそくカウンセリングを始めた。今からちょうど1年前のことだ。ある女性のカウンセラーさんについていただきながら、最初は1週間に一度、慣れてきたら2週間に一度の頻度に変えて、今も定期的に続けている。
 カウンセリングは、自分の中をずっとずっと掘り進める作業だった。始めてから1年の間に、さまざまな変化があった。一人では行けなかった場所まで、彼女との対話によって掘り進めていけたように思う。彼女は私に、時々こう言う。
 「人は直線的ではなく、螺旋的に変化していくものです。ぐるぐると同じところを通っているようでも、少しだけ深度や高さが以前とは異なっている。だから、前とは全然変わってないなどと、落ち込むことはないんですよ」
 彼女の言葉を借りるならば、私は螺旋状に自分の中を掘り進めていったのだろう。
 これはそのぐるぐるとした軌跡を振り返り、改めて言葉にしてみた日記である。対話、つまり言葉を通して、「死にたい」という気持ちと向き合い続けた、自分を掘り進み続けた、1年間についての日記。
 私という人間が、死ぬまで生きるための。」

(連載 第11回 2022.4.28『生きている限り、人と人は必ず何かしらの形で別れます』より)

「本田さんとのカウンセリングは2週間に1度続けている。
 セッションが終わるたび、「次回はいつにしましょうか」とスケジュールをすり合わせ、予約を入れる。それをずっと繰り返した。

 手帳に「10:00 本田さん」と書き込むと、この日まではとりあえず生きていようと思う。この2週間にあったことを、本田さんに言葉にして伝える。自分にはそんな仕事があるのだと思うと、少々辛いことがあっても乗り越えられそうな気がした。

 それはまるで、幼い頃に「自分は火星から来たスパイなのだ」と思い込み、1日にあったことを日記帳に書いてレポートをしていたときの気持ちと少し似ていた。自分には、レポートを待ってくれている人がいる。そう思うことは私にとって、とても心強いことだった。自分はここにいてもいいのだと言われているようで。

 そんなふうにセッションを繰り返すうち、2年が経とうとしていた。

 本田さんには、本当にいろんなことを打ち明けた。恥ずかしいことも、愚かしいことも、思い出したくないことも。誰にも話したことがないことも、どこにも書いたことがないことも、彼女にはいくつ伝えたかしれない。
 親しい人、身近な人だからこそ言えないことは、たくさんある。私の抱える記憶や感情が、大事な人を傷つけるかもしれないことはもちろん、それを大事な人に否定されるかもしれないことも恐れていた。
 だからこそ、何のしがらみもない、共通の友人もいない、本名すら知らなくていい間柄を私は求めたのだ。「自分とは関係ない人だからこそ、何でも話せる」、そう思って。

 「話す」ことは「放す」ことだと何かの本で読んだことがあるが、これまで自分一人で抱え込んでいたものを他人に話すことで、実際とても心が軽くなっていき、手放すことができていったように思う。」

「私にとって本田さんがとても大きい存在になっていることに気がついたのは、彼女がいなくなることがわかったときのことだ。
 その事実を本田さんの口から聞いたとき、「えっ?」と一瞬、パソコンの前で固まった。
 本田さんは液晶画面の中で、少し申し訳なさそうな顔をしていた。
 それは、3月のある日のことだった。

(…)

 終わりの時間が差し迫ったとき、本田さんが、
 「お伝えしたいことがあるんです」
 と言った。

 私はそのとき、すっかり油断していた。伝えたいことなんて、別にそんなに大したことじゃないと思っていたのだ。料金が変わるとか、時間帯が変わるとか、そんなことだろうと。

 でも本田さんは、
 「5月から、オンラインでのカウンセリングをお休みしたいと思っているんです」
 と言った。

 「えっ?」
 と、私は言う。それはつまり、どういう意味だろう。よく意味がわからなくて、画面に映る私は、ぽかんとした顔をしていた。

 本田さんが言うには、こういうことだった。
 個人的な事情により、5月あたりから環境が変わるので、オンラインでのカウンセリング自体ができなくなりそうであること。オンラインでのカウンセリングを再開することになるのは、半年先か、1年先になりそうであること。休止まではあと2か月ほどあるので、今後の私のカウンセリングの代替行動について考えていきたいこと。

(…)

 私は、
 「そうなんですか」
 と言った。でもそれは、自分の中からの声ではなく、離れた場所から聞こえる声のようだった。」

「私は絶望的な気持ちになりながら、本田さんに微笑み返した。
 本田さんがいなくなる。
 そんなこと、考えたことがなかったなぁと思う。なんとなく、いなくなるのは私の方だと思っていた。数年カウンセリングを続けるうちに、2週間に1度から月に1度、2か月に1度と頻度が落ちていき、最終的には私の方から「卒業」するものだと。」

「「あの、前回の、今後のカウンセリングのお話なんですけどね」
 本田さんは「はい」と答える。

 「代替案を考えていただく前に、話しておかないといけないことがあるんです」
 そう言うと、本田さんが少し姿勢を正して「はい」ともう一度言った。

 「本田さんには本田さんの事情があるのはわかっています。カウンセリングが続けられなくなる可能性だって、最初からあったこともわかっています。私としては前回話した通り、本田さんとできるならまだ続けたい。でも無理ならば、一緒に代替案を考えてほしい。そんなふうに、建設的な話ができたらいいなと思っているんです」
 「はい」

(…)

 「頭では、十分わかっています。でも、心ではそんなふうに、まだ納得がいっていないんです。だからと言って、本田さんを責めているわけでも、どうにかしてほしいわけでもありません。ただ、そんな感情が私の中にあるんだってことを、私はちゃんと認識できたということを、本田さんに伝えたくて」」

「本田さんが微笑み、私も微笑み返す。今度は、心からの笑顔で。
 「終わる、ってどういうことなんでしょうね」
 本田さんが、ぽつりとそう言った。
 「カウンセリングが終わるって、どういうことなのでしょうね」と。
 「私はいなくなるけれど、Rさんの中には『お母さん』が残っている。それって、すごいことだなぁと思うんです」

 はい、と私は返事をした。本田さんは、少しだけ沈黙して、それからこんなことを言った。
 「終わるとはどういうことなのかを、残りのカウンセリングで考えてみませんか」
 「終わるとはどういうことか?」
 本田さんはうなずく。
 「生きている限り、人と人は必ず何かしらの形で別れます。今回の私とRさんが迎えるのもまた、ひとつの別れです。でも、目の前からいなくなったらその関係性は終わりなのでしょうか。そもそも関係性の終わりとはどういうことなのでしょうか」

 私は、本田さんの言っていることをじっと聞いた。それは、私の知りたいことでもあった。
 本田さんのカウンセリングの代替案なんて、いらないのだ。だって、そんなものはないのだから。本田さんの代わりになるものなんてない。
 それより私は、本田さんとの関係性の終わりを見届けたい。それがどういう意味を持つのか、二人で言語化していきたい。そう強く思った。
 本田さんは、私の目を見てこう言った。
 「そんなことを、これから話していきませんか。私はそれが、Rさんのこれからの支えになると思うんです」
 私は「ぜひ」とうなずく。
 「はい、よろしくお願いします」
 2年間続けてきたカウンセリングの最後のテーマが決まった瞬間だった。
 これから私たちは終わりに向かって、「終わり」について話していく。」

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