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山上 浩嗣 『モンテーニュ入門講義』

☆mediopos2704 2022.4.12

何もしないでいられることは
最大の幸福だろう
何もしないでも
生きているのだから
それだけでいい

何かをしなければならないというのは
最大級の不幸なのかもしれない
たくさんの義務やべきに
縛られているということだから

役にたたなければならない
ひとのためにならなければならない
怠けてはいけない
努力しなければならない
ひとに評価してもらわなければならない

そうしたすべての「なければならない」は
自律的な無為ではなく他律的な行為であり
じぶんを縛りつける鎖であり檻だ

けれど
無為であること
何もしないでいること
それは
自我をもった人間にとって
きわめてむずかしいことかもしれない

無為でさえいられれば
為すことなくして為すことができれば
なににも煩わされず
じぶんを縛らずに生きていられるのだけれど

「ボーっと生きてんじゃねえよ!」
などというのは
むしろ生きることをスポイルすることになる

もちろん「ボーっと」が
他律あるいは依存であるならば
それは避ける必要があるけれど
それが「無為」による自律を意味するのであれば
「ボーっと」しているに越したことはない

■山上 浩嗣 『モンテーニュ入門講義』
 (ちくま学芸文庫 筑摩書房 2022/3)

(「第1章 「今日は何もしなかった」――『エセー』に見るモンテーニュの脱力的生きかた 」より)

「モンテーニュの至った境地は、「今日は何もしなかった」と語る人、今日一日を生きのびただけという人を全肯定することです。彼は、偉大な事績や他者からの尊敬を望むような生き方を捨て、この世に生を与えてくれた自然に感謝し、心身の双方で感じられる日常のささやかな喜びを享受することを最上の幸福とみなすのです。」

「(『エセー』III.13「経験について」)
われわれは大馬鹿者だ。「彼は無為の生涯を過ごした」「今日は何もしなかった」などと言う。——なんだと! あなたは生きたではないか。生きることこそが、最も根本的であるばかりか、最も輝かしい活動なのだ。また、こんなことも言う。「もし私に大きな役職をまかせてもらえたら、能力を見せることができただろうに。」——自分の生についてしっかり考え、思いどおりに送ることができたなら、あなたは最も偉大な仕事をなしとげたのだ。自然がその姿を現し、みずからを十分に活かすために、幸運など必要ない。自然は人生のどの段階でも、幕の向こうから、あるいは幕を介さずに、等しく姿を現す。本をつくることではなく、自分の生き方 mœurs をつくることこそが、また、戦争で勝ったり領地を獲得することではなく、自分の行動の秩序と平穏を獲得することこそが、われわれの義務なのである。われわれの偉大で栄光ある傑作は、適正にいきることにある。

 社会的な栄達や功績などなくても、ただ生きること、自分なりに平穏に生きることが人生最大の義務であり、それができれば上出来である。(「適正に生きるvivre à propos」とは、道徳的に生きるという意味ではなく、無理せず自分の与えられた境遇に適合した人生を送るという意味です)。そしてそのためには、自然がいつも導き手になってくれる。——これを呼んで、励まされる人は世の中にたくさんいると思います。現代人はとかく、幼少期から大人まで、何かの役に立たないといけない。不断に努力していないといけないと思わされて生きています。けれど、誰もが自己実現できるような境遇にあるわけではないし、誰もがいつも強くいられるわけではありません。そのような状況にあるとき、モンテーニュのこの言葉はなんと救いになることかと思います。
 モンテーニュの哲学は、人間の弱さに寄り添う哲学です。自分の弱さを、それでいいのだ、それでも生きていることが美しいのだと肯定してくれます。言いかえれば、モンテーニュは、自分が与えられたままの生を、それがいかなるものであっても、そのまま受け容れることを教えてくれている気がします。」

「フランス十六世紀は、ルネサンスの精神による人間らしさの尊重、新大陸発見といった正の側面の一方、信仰を口実にした残虐と虐殺の横行(宗教戦争、魔女裁判、身体力の征服)やペストの流行という負の側面に彩られた波乱の時代でした。この乱世のさなかに、モンテーニュは移ろいゆく自己の心身の変化のありようを忠実に書き留めようと試みました。
 彼は、宗教(カトリシズム)に帰依しながらも、教義に盲従せずに、現世と来世の因果応報の考えや、身体的快楽を嫌悪する考えを否定します。とりわけ性愛に関しては、自然な欲望であるとして礼賛し、その十分な享受のために、目的の実現を遅延するためのかけひきさえも歓迎しました。
 また、死をいたずらに恐れさせる学問や、他人の目に立派に見える公職の義務を避け、無知と無為を求めました。その背景には、自然への随順という確固たる信念がありました。彼は、「自然」を神と同一視し、そのたまものとしての自己――精神と身体からなる自己――という存在が味わうかぎりの喜びを、生涯の全瞬間において、感謝しながら十分に享受することを人生最大の目標としたのでした。」

【目次】
まえがき
第1章 「今日は何もしなかった」――『エセー』に見るモンテーニュの脱力的生きかた
第2章 『エセー』における死と幸福――「想像」による幸福、メメント・モリ
第3章 モンテーニュのパイデイア――旅と書物による「判断」の形
第4章 他者へのまなざし――新大陸の原住民
第5章 モンテーニュとラ・ボエシの友愛論
第6章 モンテーニュの政治観――乱世における法と秩序
第7章 身体の経験――老、病、性
モンテーニュ入門のための文献案内
あとがき

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