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山極寿一・鈴木俊貴『動物たちは何をしゃべっているのか?』

☆mediopos3243  2023.10.4

『動物たちは何をしゃべっているのか?』は
「鳥になった研究者」の鈴木俊貴と
「ゴリラになった研究者」の山極寿一による
動物たちのコミュニケーションや
言語の進化と未来についての対話である

動物は複雑な思考や言語をもたないとされ
これまでその研究はあまりなされてこなかったが
近年になって動物の認知や
コミュニケーションに関する研究が進むようになり
その驚くべき世界が少しずつ明らかになってきている

人間の言葉とは異なるが
動物たちも言葉を使う
そして高度な会話をしている

たとえばシジュウカラの言葉には
複数の語を組み合わせる文法さえある

動物たちの言葉は環境に適応し
生存や繁殖のために進化してきた

いうまでもなく
動物たちのコミュニケーションは
言葉によるものだけではない
踊りや歌があり
文脈や視線そして身振り手振りなども使って
複雑なメッセージをやりとりしている
そして世代を超え継承される「文化」さえある

また他の個体の「心」を推し量ったり
鏡に映った自分を自分だとして
認識できる動物もいる

ヒトは進化史のなかにおいて
音声よりも視覚的なコミュニケーションに頼り
やがて画期的なコミュニケーションツールとして
「文字」をつくりだした

音声言語だけでは
「その時、その場所にいる相手にしか
メッセージを伝えられ」ないが
「文字が生まれたことで、時空を超えた
コミュニケーションが可能になった」のである

しかし現代社会は言語に依存することで
文字にならない文字化されない情報が
切り捨てられてしまうことにもなる

つまり人思考が文字に制約され
「非言語コミュニケーション」が
重要視されなくなってしまう

昨今のAIや仮想空間においては
まさに「言語化できないもの」は認識されない
どんなにそれらしく表現されていても
そこには感情も身体も存在しない

にもかかわらず
そうしたヴァーチャルな世界の影響によって
生きた人間の感情や身体の
複雑なありようがますます
見えなくなってくる恐れがある

その意味でもこうして
「森」で暮らし
「鳥」になったり
「ゴリラ」になったりする人の
「言語化できないもの」の話は貴重である

実際ぼく自身こうして
なにがしかの「言葉」を使っていたりするものの
いちばんだいじにしているのは
「言語化できないもの」であり
ひとの言葉から受け取ろうとしているものも
「言葉」のなかの「言語化できないもの」

言葉をかえていえば
「言葉」にとってだいじなのは
まさに「言語化できないもの」の香りである

同じような言葉でもその香りが異なるとき
表面的な内容の如何によらず
その奥にあるものこそが伝わってくるのだから

■山極寿一・鈴木俊貴
 『動物たちは何をしゃべっているのか?』(集英社 2023/8)

(鈴木俊貴「まえがき」より)

「本書は鳥になった研究者とゴリラになった研究者が、言語の進化と未来について語り合った記録である。
 鳥になった研究者とは、このまえがきを担当する私(鈴木俊貴)のことだ。シジュウカラという野鳥を対象に、鳴き声の意味や役割について、17年以上かけて調べてきた。長いと年に8カ月もの間、長野県の森にこもり、日の出から日没までシジュウカラを観察する。彼らの泣き声を録音し、その意味を確かめるため、さまざまな分析や実験を行っていくのである。
 そうした生活を続けるなかで、シジュウカラが何を考え、どのように世界を見ているのか、想像できるようになっていた。今では空を飛ぶタカも地を這うヘビもシジュウカラに教えてもらう。鳴き声を聞くだけで、瞬時に意味が飛び込んでくるのである。
 ゴリラになった研究者とは、対談相手の山極寿一さん。ご存じの方も多いだろうが、京都大学の元総長で、ゴリラ研究の世界的な権威である。」

(「Part1 おしゃべりな動物たち」より)

「動物たちも言葉を使う。従来思われていたよりもずっと高度な会話をしていることもわかってきた。」

「動物たちの言葉は環境への適応、つまり生存や繁殖のために進化した。だから、住む環境によって言葉も違う。」
「動物の言語の研究は、とても難しい。安全でエサももらえる飼育下では、動物はあまりしゃべらなくなってしまうから。」
「天敵やエサなど、生存に直結する重要な情報をカテゴリーにしてことが、動物たちの言葉の発祥かもしれない。」
「人間の母親が赤ん坊にかける歌のような言葉は、ヒトの言葉の起原の一つかもしれない。」

(「Part2 動物たちの心」より)

「動物たちのコミュニケーション手段は言語だけではない。踊りや歌も、重要なコミュニケーション手段。」
「シジュウカラの言葉には、複数の語を組み合わせる文法があることがわかった。」
「他の個体の心を推測したり、鏡に映った自分を自分だと認識する能力を持つ動物もいる。」
「「今」「ここ」以外について語れることは、人間の言葉にしかないユニークな能力だ。」
「だが、大量の画像の記憶など、動物にあってヒトにない認知能力もある。動物はヒトとは違う認知世界に生きている。」

「山極/意識については哲学的な議論がたくさんありますが、私はシンプルに「自分が何をしているかわかっていること」と定義していいと思います。(・・・)
 鈴木/つまり、自意識ですね。動物の自意識を調べるために、鏡を見せる「ミラーテスト」という実験がありますよね。
(・・・)
 山極/チンパンジー以外にもミラーテストをクリアした動物はけっこういて、ゾウやイルカ、さらにはタコや一部の魚もクリアしたという話もあります。
 鈴木/ミラーテストは視覚優位の動物に対しては有効ですが、たとえば、犬はテストをクリアできません。(・・・)犬は嗅覚が優位な動物で、個体の識別も匂いでやっていますから、ミラーテストの結果だけで犬に自意識がないと結論できないとも思います。僕ら人間には想像できないやり方で、「匂いによる自意識」を持っているかもしれないから。
 山極/サルもミラーテストはクリアできません。ただ、面白いのは、猿は鏡がこちら側の世界を映していることは理解しているんですよね。たとえば、鏡を見ながら自分の後ろにあるモノをとることができる。」

(「Part3 言葉から見える、ヒトという動物」より)

「人間の言葉は、音声言語だけではなく。ジェスチャーとして始まったかもしれない。」
「多くの研究者は、動物にも文化があると考えている。学習との違いは、世代を超えて継承される点にある。」
「直立二足歩行によって踊れるようになったことや、歌の存在は、ヒトの言語の進化と関係があるかもしれない。」
「動物たちは鳴き声だけではなく、文脈や視線、身振り手振りなどを同時に使い、複雑なメッセージをやりとりしている。」
「人間のコミュニケーションは「形式知」である言語に依存しているが、動物のそれは「暗黙知を多用している。」

「鈴木/動物にも文化があります。有名なのがイモを海水で洗って食べる宮崎県串間市のサルですが、鳥にも文化があるんですよ。
(・・・)
 この現象で重要だったのは、単なる模倣ではなくて、世代を超えて継承される点です。単に模倣するだけだと「社会的学習」ですが、世代間で引き継がれた以上、文化と呼べるわけですね。」

(「Part4 暴走する言葉、置いてきぼりの身体」より)

「霊長類の進化史をたどると、ヒトはもともと音声よりも視覚的なコミュニケーションに頼っていた種であることがわかる。」
「文字は複雑で抽象的な情報を伝えられるが、文字にならない情報をすべて切り捨ててしまう。」
「現代社会が言語に依存することで、ヒトは非言語的な情報を認識できなくなるかもしれない。」
「テクノロジーをうまく使えば、言語から切り捨てられる情報と現代社会の利便性を両立させることはできる。」

「鈴木/僕は常々思うのですが、文字の発明ってすごいですよね。音声言語ではその時、その場所にいる相手にしかメッセージを伝えられませんが、文字が生まれたことで、時空を超えたコミュニケーションが可能になった。(・・・)
 文字を使う動物って、ヒト以外に知られていないですしね。
 山極/そうです。しかしそれは、逆に、人間の思考そのものが文字に制約されるようになったということでもあります。文字という極めて強力なツールを生み出してしまったせいで。
 鈴木/文字もいいことばかりじゃないと?
 山極/たとえば、私は今こうして鈴木さんと向かい合って話しているわけだけれど、言葉だけをやり取りしているわけではないですよね。意識しているかどうかはともかく、表情や抑揚、ちょっとした仕草などの非言語コミュニケーションも使っています。いや、「ヒトは視覚的コミュニケーションの動物である」という原則に立ち返るならば、むしろ非言語コミュニケーションのほうが主体かもしれない。」

「山極/進化の過程で脳が大きくなった話をしましたが、実は我々の脳はここ1万年の間、縮んでいます。40万年前に生きていたホモ・ハイデルベルゲンシスの段階で現代人と同じサイズの脳を手に入れ、ネアンデルタール人は現代人より少し大きな脳を持っていたのに、それが縮んでいるんです。
 その理由は単純で、ヒトは脳の外付けのデータベースをたくさん手に入れたからですよね。その代表が文字です。文字に託せば、覚えておく必要はないからね。」

「山極/これだけ言葉に依存する社会になっても、どうしても言葉だけでは表現できないものが残っています。
 それが、食べることと性なんだ。」

「山極/言葉によって、道徳も危機に瀕していると思う。
 美徳が進化して道徳になったという話をしたけれど、本来の道徳は別に明文化されたルールではなく、身体に染み付いたものでしや。
 鈴木/身体化した道徳、というものですね。
 山極/しかし明文化された法やルールが独り歩きした結果、ルールに反していなければ何をやってもよいことになってしまった。」

「山極/リアルなコミュニケーションの代わりに、SNSやメタバースのようなネット上の仮想空間でのやり取りや、AIとのコミュニケーションが話題になっていますが、あれはなかなか恐ろしいことだとも思うんです。
 鈴木/恐ろしいというと?
 山極/言葉は意味を作るとか、情報をストーリー化すると言いましたよね。その結果どうなったかというよ、我々は、世界をあるがまなに見ることができなくなったんです。言葉は単なるツールではなく、我々の意識そのものを規定するからです。
 たとえば、あそこに大きな木の板があります。でも、あれを「木の板」と見ることはできません。「ドア」という意味が先に来てしまいます。
 (・・・)
 山極/しかし、ヒトの言葉を持たない他の動物たちにとっては、あれはあくまでも木の板です。
 (・・・)
 鈴木/なるほど。すべてのモノをカテゴリー化し、それぞれ名前をつけたことで、今度はその名前、つまり言葉の持つ意味が優先されて認識されるようになったと。
 山極/それと似たことが、仮想空間やAIにごって起こる可能性はあると思う。向こうの論理が、現実世界を侵すんです。
 鈴木/具体的には、どういうことが起きますか?
 山極/私たちは、言語化できないもの、仮想空間では表現できないことを認識できなくなるんじゃないか。木の板を、木の板と捉えることができなくなってしまったように。
 現代社会は言葉に依存していると話してきたけれど、共感とか、感情とか、複雑な文脈が感染に消えたわけではないですよね。まだ残っているし、場面によっては。言葉よりも共感や感情が先に立つこともある。
 鈴木/そうですよね。むしろそれがコミュニケーションの本質なのでは、という話もしましたよね。
 山極/しかし、仮想空間やAIには、感情や文脈はありません。巧妙に、あるかのように見せかけては射るけれど、ない。すごく自然にしゃべっているように見えるAIも、言語と論理によって成り立っている計算機に過ぎない。
 私はそれが怖いんです。
 巧妙に現実世界を模倣しているけれど、実は言語化できない感情や身体性を凝り捨てている仮想空間やAIが存在感を増すと、我々人間の脳もそちらに引っ張られて、感情や身体性を捨てることになるんじゃないのかと。」

「山極/仮想空間やAIには存在できないものが、さっき言った食や性の経験ですよね。
 鈴木/言語と体験は別という話ですね。
 山極/幸福もそうです。幸福感は、文字や数式では記述できないでしょう?
 鈴木/そうですよね。幸福は感覚ですし、人によっても違いますから。
 山極/そう。そして同じ個人であっても、幸福には再現性がないんです。幸福な体験はその場限り、一度きりです。
 私は現代社会には奇妙なパラドックスがあると思っています。それは、未来志向なのに過去にとらわれていること。」

「鈴木/動物の言語研究は、動物の世界を理解するだけでなく、僕たち自身を知ろうとする試みなにかもしれませんね。」

(山極寿一「あとがき」より)

「鳥類は、喉頭で発声する哺乳類とは違い、気管の奥にある鳴管で声を出す。なかでも鳴禽類と呼ばれるスズメの仲間は複雑で多様なさえずりをする。とくにシジュウカラ、ヒガラ、コガラなどのカラ類は生後にさえずりを学習することで知られている。

 霊長類の音声が生得的で生後に変えることが難しいのに比べると、カラ類のほうがいくらでも学習可能な人間の言葉に近いと言える。しかも、鈴木さんは彼らの音声が状況依存的な感情だけでなく、はっきりとした意味を伝え、音声の組み合わせによって意味を変えることを発見した。さらに、この意味を用いて同種や異種の仲間をだましていることも、野外における実験操作によって明らかにしたのである。

 鈴木さんと話しているうちに、私は霊長類と鳥類の重要な違いに気付いた。それは「飛ぶ」という空間を自在に移動する能力を霊長類は持たないということである。だから、霊長類である人間の言葉は、視線やジェスチャーなどの行為とともに意味を変える。

 一方、3次元の世界を素早く動く鳥類は音声そのものに大きく左右される。話しているうちに音声を使ったコミュニケーションの特徴や進化した背景がおぼろげながら見えてきて、つい現代の人間が抱えるコミュニケーションの問題にまで話が及んだ。」

「20世紀の前半に、ドイツの生物学者ヤーコブ・フォン・ユクスキュルは「環世界」という概念を発表誌、動物はそれぞれの感性に従って別々の環境に暮らしていることを指摘した。同じ場所にいても、ハエとイヌと人間が認識する環境は違うのである。同時代の哲学者マルティン・ハイデッガーは、ユクスキュルの言葉を誤解して「動物は人間より貧しい世界に暮らしている」と解釈した。それは違う。動物たちは人間とが違う能力を使ってそれぞれに豊かな環境で暮らしているわけであって、けっして人間より劣っているわけではないのだ。

カラ類や類人猿のコミュニケーションは、それぞれが生息する環境で豊かに安全に暮らすために進化した。人類の言葉も進化の歴史を反映しており、もともとは多様な環境で小規模な集団が生き延びるために発達したものだ。その機能を、人工的な環境を急速に拡大し、それに合わせた情報通信技術を駆使することにとって大きく変容させた。」

○内容紹介

Part1 おしゃべりな動物たち
動物たちも会話する/ミツバチの振動言語/動物の言葉の研究は難しい/言葉は環境への適応によって生まれた/シジュウカラの言葉の起源とは?/文法も適応によって生まれた etc.

Part2 動物たちの心
音楽、ダンス、言葉/シジュウカラの言葉にも文法があった/ルー大柴がヒントになった/とどめの一押し「併合」/言葉の進化と文化/共感する犬/動物の意識/シジュウカラになりたい/人と話すミツオシエ etc.

Part3 言葉から見える、ヒトという動物
インデックス、アイコン、シンボル/言葉を話すための条件/動物も数がわかる?/動物たちの文化/多産化と言葉の進化/人間の言葉も育児から始まった?/音楽と踊りの同時進化/俳句と音楽的な言葉/意味の発生/霊長類のケンカの流儀/文脈を読むということ etc.

Part4 暴走する言葉、置いてきぼりの身体
鳥とヒトとの共通点/鳥とたもとを分かったヒト/文字からこぼれ落ちるもの/ヒトの脳は縮んでいる/動物はストーリーを持たない?/Twitterが炎上する理由/言葉では表現できないこと/バーチャルがリアルを侵す/新たな社交/動物研究からヒトの本性が見えてくる etc.

◎山極寿一(やまぎわじゅいち)
1952年生まれ。霊長類学者。
総合地球環境学研究所所長。京大前総長。ゴリラ研究の世界的権威。著書に『家族進化論』(東京大学出版会)、『暴力はどこからきたか』(NHKブックス)、『ゴリラからの警告』(毎日新聞出版)、『京大総長、ゴリラから生き方を学ぶ』(朝日文庫) など。

◎鈴木俊貴(すずきとしたか)
1983年生まれ。動物言語学者。
東京大学先端科学技術研究センター准教授。シジュウカラ科に属する鳥類の行動研究を専門とし、特に鳴き声の意味や文法構造の解明を目指している。2022年8月、国際学会で「動物言語学」の創設を提唱した。本書が初の著書となる。

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