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『コノキ・ミクオの詩と造形』

☆mediopos-2574  2021.12.3

本書『コノキ・ミクオの詩と造形』で
はじめてコノキ・ミクオを知る

『月刊ギャラリー』で
2012年8月から2020年11月まで
8年4か月・100回にわたって連載された
アートと詩を収めた詩画集である

コノキ・ミクオ(此木三紅大)は1937年生まれ
「此木三紅大」を総合的に紹介する個人美術館
「那須高原 私の美術館」のサイトをみると
「金属、彫刻、粘土、陶芸、平面」と
ずいぶん多彩な作品がある

平面の絵画から立体的な造形作品まで
素材もさまざまなものが使われ
しかもこの詩画集でもわかるとおり
少しばかり屈折したユーモアのある詩も書く
そしてどちらも難解さを押しだすことはない

にもかかわらず
特に造形においては
常識的な感覚から絶妙な距離がとられ
奇妙な姿の存在が奇跡のように生み出されている

おそらくそれらのかたちは
作者の内なる想像界のなかで
実際に生きている存在を造形しているのだろう
そこには不思議なリアリティがある

造形と詩の関係も面白い
解説を書かれている詩人・小川英晴の言葉通り
「詩は絵の解説を超えて、絵も詩の解説を超えて、
独自の世界がそれぞれに呼応」している

此木三紅大はかつて
いわば「芸術世界をつきつめた作品」を作っていたが
最近の作品では「社会生活をする人々と同じ眼線から
言葉を立ち上げ、それをユーモアやペーソスを交えて語る」
ようになっているという

詩を読むと(それが造形にも連動している)
社会や文明・現代芸術へのシニカルな視線を感じるが
そこに「ユーモアやペーソス」があり
しかもそれがみずからへも向けられているために
表現が貧しくならず屈折したなかにも確かなポエジーがある

難しい言葉や形で難しそうなことを表そうとするのではなく
こうしたある種の「軽み」とでもいえる表現のなかに
魅力的な奥行きをもたせることができるのは
長い経験を通じてはじめて得れらた果実でもあるだろう

この詩画集は大切な保存版になりそうだ

■『コノキ・ミクオの詩と造形』
 (ギャラリーステーション 2021/11)

(詩人・小川英晴「コノキ・ミクオの世界/言葉と美術が出逢うとき」より)

「コノキ・ミクオの詩には、社会や文明、それに現代芸術に対する様々な批判が込められている。それを簡潔に機知に富んだ言葉で書いているところに大きな魅力があるといえる。最近の作品では、かつてのような芸術世界をつきつめた作品ではなく、社会生活をする人々と同じ眼線から言葉を立ち上げ、それをユーモアやペーソスを交えて語る。それも誰にでも理解できる言葉で語るところにコノキ・ミクオの良心を感じとることができる。
 『月刊ギャラリー』掲載当時、「渡しは毎月コノキさんの詩と絵のコーナーからまっさきに読むの」という読者の声を何人かから耳にした。コノキ自身の知らないところで、このコーナーは愛読されていたのだ。思えば十年、およそ百回の連載をこなすために、どれほどの苦行を自らに強いたことか。渡しのアート縦横も百回の連載をもって終了したが、ともに同時連載をした同志としても、コノキ・ミクオの仕事振りはつねに眩しく、日々畏敬の念をもってページをひらいたものだ。百回の連載を通読して改めて思うことは、行き詰まることなく、終始一貫魅力的な作品を書きつづけてきたということ。それは何よりもコノキ自身が、自らの世界を楽しみながら、ときには最も良き読者として、作品を作ってきたからに他ならない。(…)頭でっかちやうすっぺらな作品が多い現代美術の世界にあって、コノキ・ミクオの作り出す世界には、自然との心やすらかな共鳴があり、この時代を生きる人間としての文明批評がある。それをちゃんと自らの表現の根幹に据えていたからこそ、机上の空論で終わらない実感を読者は感じ取ることができるのである。」
「コノキ・ミクオは、若き日、死に直面した折、数点の傑作をものにしている。死を前にしたものでさえ、生涯にたった一度しか描けない傑作、それを人生の若き日にすでにコノキは描いている。死を前にしたコノキの臨場感が生み出したこの傑作によって、コノキ・ミクオは自らの芸術の頂点を極めた。ここでコノキが死んだなら、夭折画家として名を残したに違いない。しかし、コノキは死ななかった。(…)新たな人生が新たな契機を生み、新たなイメージを沸き立たせる。究極の世界から、今度は現代との対話である。(…)現代文明の終焉と現代芸術最後の抵抗、その一連の運動の一つとして、私はコノキ・ミクオの作品を観る。」

「今日までコノキ・ミクオは、人生上に立ちはだかる様々な苦難を乗り越えてきた。自信に溢れる二十代から三十代、病によって、死と向き合わざるを得なかった三十代から四十代、精力的に作品を書きつづけた五十代、肩の力を抜いて自由に作品と遊んだ六十代から七十代、多彩な人生の季節を経て、十年の成果がようやく一冊の詩画集としてまとめられることになった。ここに収録された作品はすべてコノキ自身の生み出した作品であり、その領域は、金属、彫刻、粘土、陶芸、平面をはじめ多岐にわたる。どの作品にも独自の表現やコノキの感性が息づいていて、一見しただけで作者の意図を知ることができる。詩も絵も全面に自分をおしだすといった手法をとらず、詩と絵のかけあいによって、見るもの、読むものに生き生きとした実感を与える。それは美術作品においても同様だ。どの作品をとっても威圧的な表現はなく、穏やかでありながら、ユーモラスもあり、コノキの作り出した世界の魅力がまっすぐ伝わってくる。それは金属の扱い方と世界とのハーモニーが絶妙だからだ。
 詩は絵の解説を超えて、絵も詩の解説を超えて、独自の世界がそれぞれに呼応する。ここにあるのは作品と咲く非とが生み出すもうひとつの物語だ。詩は簡潔明快。ユーモアとペーソスを全面に出して、時に立体作品を挑発する。すると、立体作品までもが詩の世界の余韻をうけて、大きな想像力の中へと読者を引き込んでゆくではないか。それは詩にも立体作品にも多様な可能性が秘められているからに他ならない。自らの世界を平面的に捉えるのではなく、立体的に捉えた結果、三次元、世事変的世界が成り立つとでも言ったらいいだろうか。」

「No.11 2013年6月

 顔

 あんな顔して
 こんな顔して

 いい男ぶって
 いい自動車(くるま)乗って
 いい女ぶら下げて
 美味いもんなんか食って
 親も喰って

 いいこと言ったりして
 友達も喰っちゃって
 嫌な男だ

 俺なんか
 いい男なんだけど
 嫌な仕事して 疲れ果てて
 変な女つれて 無口になって
 嫌なことやって 嗤われて
 不味いもの喰って 爺になって
 こんな顔になっちゃった」

「No.66 2018年1月

 雑談虚笑

 「変てこでむちゃくちゃな絵を笑顔で視てくれる
 感覚のいい美術界は無いものかね」

 「今の美術教育の 硬骨アカデミーじゃ無理 無理だよー今は
 リアリティと完璧志向なんだ 世の中はそれでなくても
 潔癖症で除菌社会なんだから」

 「美術界も美苦美苦して堅苦しいね」

 「だけど「変てこ」の中に潜む自由な美が面白いんだけどなあー
 失敗にこそ真実の自分が出るというじゃないか
 某々風で無いものだよ 変てこが重美になることもあるんだぜ」

 「それって 歪んで くねって 失敗作みたいなもんだろー
 侘び寂びかよー 茶道の世界じゃん」

 「その魅力は はみ出した処にあるのかもね」

 「そうだよ いつの時代も
 はみ出し者が新しい文化を創ってきたんだからね」

 「変てこと出鱈目に生命を吹き込んで
 人の心を揺さぶって来たんだね」

 「だから芸術って面白いんだよ」

 「揺さぶり揺さぶられて破壊され
 発酵と沈殿を繰り貸して収まる美かーいいねー」」

◎那須高原 私の美術館
平成7年10月に誕生した、芸術家「此木三紅大」を総合的に紹介する個人美術館。

コノキ・ミクオ11

コノキ・ミクオ64

コノキ・ミクオ65

コノキ・ミクオ66

コノキ・ミクオ86


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