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ヤマザキマリ 『人類三千年の幸福論 ニコル・クーリッジ・ルマニエールとの対話』/E.モラン/アンヌ・ブリジット・ケルン『祖国地球 人類はどこへ向かうのか』

☆mediopos-3105  2023.5.19

ウイルス
ワクチン
戦争
管理社会
格差社会
同調圧力
メディアの国家広報化
AIによる人間の思考停止
生態環境の破壊
人口増大
民族対立
イデオロギー対立
政治の停滞
宗教の無力
倫理なき科学技術の暴走

そんなこんなが満載の現代だが
ただ危機感ばかりふくらませても
生きづらくなるばかり

そんななかで
ヤマザキマリの『三千年の幸福論』は
なかなかにたくましく
そしてたのもしい

大英博物館の「マンガ展」担当キュレーターで美術史家の
ニコル・クーリッジ・ルマニエールとの対話は
こんな時代を生き抜くためのヒントが
歴史をひもときながら示唆されている

決してただポジティヴに明るく語られるというのではなく
「過去に人類がどのような試行錯誤を繰り返してきたか」を
「冷静に振り返」ることで見えてくるクールな視点である

親切かつユーモアあふれる仕方で
「人類を救う(かもしれない)」
こんな「七つのヒント」のエッセイもある

「風呂————自分の中の「渇き」がクリエートする力になる」
「鳥瞰————ユーモアは鳥瞰的知性に宿る」
「虫————わかり合えないものとの共生はとても大事」
「ノマド気質————自分の居場所は自分で決める」
「水木しげる————生き物としての感覚を生涯持ち続けた心の師匠」
「壁————人生の不条理をたらふく味わうと、見えてくるもの」
「カラスの利他行動————文明が存続するか否かは「利他性」にあり」

「Prologue 人類三千年の旅への招待状」でも名前が挙げられていた
mediopos-309(2023.5.7)でとりあげている
哲学者のエドガール・モランには
『祖国地球/人類はどこへ向かうのか』という著書があり
そのなかで「抵抗するための原理」
「絶望の中にもっている」「希望の原理」として
「六つの原理」が示唆されているが
上記の「七つのヒント」と合わせて参考にすれば
危機感のなかでも「幸福」に生き抜く指針となりそうだ

その「六つの原理」とは
生命原理
想定不能の原理
非蓋然性の原理
モグラの原理
危険の自覚による救助の原理
人類学的原理
である

それぞれについては引用を参照されたいが
それらの原理は
希望のなかでもまた絶望のなかでも
可能性を生き抜くための処方箋ともなる

■ヤマザキマリ
 『人類三千年の幸福論/ニコル・クーリッジ・ルマニエールとの対話』
 (集英社 2023/5)
■E.モラン/アンヌ・ブリジット・ケルン(菊地昌実訳)
 『祖国地球〈新装版〉: 人類はどこへ向かうのか』
 (叢書・ウニベルシタス 422 法政大学出版局 2022/12 ※初版 1993/12)

(ヤマザキマリ『人類三千年の幸福論』〜ヤマザキマリ「Prologue 人類三千年の旅への招待状」より)

「本書で私と対談を交わしているニコル・クーリッジ・ルマニエールさんは(・・・)、表現という人類が用いる行動に対して特異な好奇心を抱き、日本が生んだ漫画文化に着目し続けてきた人物である。二〇一九年にはロンドンの大英博物館で開催された大規模な日本の漫画の展覧会にキュレーターとして携わった。」

「ホモ・サピエンスという生態が世界のいかなる環境にも適応し、想像力や知恵を駆使しながら繁殖し続ける中でどういった社会を築き、そのためにどのような代償を払ってきたのか。博物館とく施設は人間という種族の特性や性質をあらゆる角度から顧みるための塚のようなものであり、良質の群生であるための示唆の宝庫なのである。そして文明は、他の静物のように本能のみで生きることを許されなかった人類が、様々な苦悩や困難に挫けず生きていくために奮闘してきた証であり、今を生きる我々の知性にとって欠かせない大切な栄養素なのである。
 思想家エドガール・モランは地球を「生命圏の胎盤」とあらわし、パスカルは「人間は考える葦である」という言葉を残した。それを合体させて人間を「地球という胎盤につながった考える葦」と捉えると、普段は嫌気がさすだけの人間や人間社会に対してたちまち肯定的な好奇心が呼び覚まされる。ニコルさんと会話をしていると、いつも無条件でそんな気持ちに満たされるのである。」

(ヤマザキマリ『人類三千年の幸福論』〜「第三章 人類の歴史で普遍的なのは、笑いの精神」より)

「ヤマザキ/人類には負の歴史もたくさんあるけれど、先が見えない辛い時代であっても、それを滑稽なものとして捉える知恵が人類にはあります。喜劇や道化という文化は紀元前のはるか昔からありましたし、古代ローマ時代の壁の落書きなんかにも、洒落の効いた言葉がたくさん書かれている。戦争が終わるや否や日本の新聞には『サザエさん』という、憔悴した日本をユーモアに転換できる漫画が現れた。ユーモアや笑いの精神は、人間が生き延びるために生み出した知恵でもあるので、その必要がなくなってくるということは社会が本当に危機に瀕しているということを意味するのかもしれません。

ヤマザキ/ところでニコルさん、テックス・アヴェリー(一九〇八〜一九八〇年 アメリカ・テキサス州出身のアニメーター、アニメ監督、ハリウッドにおけるカートゥーン黄金時代を築いた)っていうアメリカのアニメーターを知っていますか。「トムとジェリー」のいくつかの作品や「ドルービー」シリーズを作った人なんですけど。

ニコル/あ、アニメに革命を起こしたという・・・・・・。

ヤマザキ/そうです。彼はそれまでのアニメの実写映画の亜流のような善良な表現としての枠を壊し、皮肉な作品を作って社会批判も受けた人です。あらゆる物理的法則を無視して、最初に見た人には、さぞかりびっくりしただろうと思います。アヴェリーはある意味、その当時のアメリカの豊かさや傲慢さを揶揄したり皮肉っているアニメーターでもある。(・・・)
 私はアヴェリーのアニメが子どもの時から大好きでしや。そのせいで自分の性格やものの見方も影響を受けたかもしれないんですけど、こういう人が活躍できていた時代というのはいいなあと感じるんです。ああいうアニメが一世を風靡したのは、一九四〇年代半ばから五〇年代くらいですかね。
(・・・)

ニコル/その時代でいえば、「トムとジェリー」とは作り方が全く違うけれど、ディズニーの最初の頃は、本当に面白かった。

ヤマザキ/私も最初の頃のディズニーは好きだったんですが、途中で見るのをやめてしまった。情緒をコントロールされているような気がして、好き勝手に見られない。一方的な道徳観の共生を強いられているような。

ニコル/ああ、その感じわかります。人気が出るにしたがって、だんだんストーリーが説教臭くなるとか。

ヤマザキ/なんて言うんでしょうね、あの感覚は。その点では、シュールなテックス・アヴェリーや「トムとジェリー」のほうが圧倒的に面白かった。作者にはそもそも意図なんかないし、社会を揶揄するお笑い作品であってもどこか切なくなったり、感動したり、受け取り方はとにかく自由だった。視聴者に媚びない唯我独尊的なものがあった。そういう要素がディズニーにはないんですよ。」

(ヤマザキマリ『人類三千年の幸福論』〜「第四章 想像力をすり減らす同調圧力」より)

「ニコル/日本の同調圧力とはちょっと違うかもしれませんが、似たような現象がヨーロッパにもあるんですよ。(・・・)
 そうやって自らの行動を決める基準が自分の外にあると、どんどん自分自身を見失っていくというか、アイデンティティを侵害されていきます。そのためヨーロッパでも、このような価値観の共通が、ソーシャルメディアの弊害として問題視され始めているんです。

ヤマザキ/こうしたソーシャルメディアも今やエンタメなわけですけど、エンタメの持つ力というのは絶大ですからね。宗教家や政治家よりも影響力があるわけすからね。インフルエンサーと呼ばれる人物が発信する「こら今のトレンド」というメッセージにも、簡単に抗えない圧力がありますよね。
 日本は様々な理由によって価値観の共有が必須の社会性みたいなところがあるわけですけど、個人主義をベースにしているはずのヨーロッパでもそういう傾向が始まっているとなると、考えさせられます。言論統制のある独裁国家みたいなところでの話ならまだしも、そもそもソーシャルメディアに国境はないし、二十四時間更新されていますからね。

ニコル/みんな見ているので影響力はすごいです。そして無意識のうちの取り込まれ、みんな一緒に動く、価値観が同じになる。これって結構怖いことだと思いますね。」

(ヤマザキマリ『人類三千年の幸福論』〜「第五章 失敗や破綻はすべて過去にある」より)

「ヤマザキ/これを言うとまたヤマザキの貧乏自慢が始まったと言われそうですが、私は父親が早くに亡くなり、音楽家の母は留守ばかりしていましたから、早いうちから孤独に慣らされてきましたし、イタリアに留学してからは本当に一生分の辛酸を舐めました。あらゆる裏切りと失望の連続でしたが、現実世界との対峙による容赦ない体験が、漫画の創作や今の自分の思考の原動力になっていると感じています。苦しさは乗り越えさえすればメンタルという土壌への良い肥やしにはなってくれる。逆に不条理を避けていくと人間が脆弱になる。自分を弁解するような言い方になりますが、人間も他の生き物と同様に、生きる過酷さを知ることを避けてはいけないようにできていると思うんですけどね。」

「ヤマザキ/人間は自分を過保護にし過ぎてますね。社会的静物であることに精神性が加わってしまったことが、他の動物より生きることを厄介にしてしまっている。だから、ほんとうに些末な次元で自分が阻害されていやしないかという詮索を必死でするようになったりするんです。」

「ヤマザキ/戦争が起こると私たちがメディアで知らされるのは、その動機のごく一部分だけです。そこにさらに力が加わって、なんとなくどっちがいい、どっちが悪いという判断を操作されるようになる。でも歴史を勉強していれば、どんな戦争もきっとここには公にならない様々なファクターが絡んでいるんだろうな、なんて推察は自然にしてしまいます。今回のロシアとウクライナもしかり、私がダマスカスに暮らしていた頃に勃発したイラク戦争しかり。十字軍の時代から何も変わっていないんだなあと感慨深くなりました。」

「ヤマザキ/パンデミックを経て経済のパワーが衰え、憔悴した社会がどうやって再起していくのか。百年前のスペイン風邪パンデミックの後に発生した第二次大戦のような戦争が再び勃発するのか、はたまたルネサンスのような人間性を成熟させる時代が訪れるのか、メンタル省エネか、またはダイナミックな躍動か、過去に人類がどのような試行錯誤を繰り返してきたかは、冷静に振り返ればすべて過去に書いてある。未来の歴史書に「人類はコロナ禍の後に思考力が劣化し徐々に野蛮化する」なんて記録されなくなかったら、面倒だとか言ってないで、今こそそれをなぞり直すべきなんじゃないでしょうかね。

ニコル/常に歴史の種火は点いている。おっしゃるとおりだと思います。その種火が人類史に大きな物語を作っていくんですね。」

(ヤマザキマリ『人類三千年の幸福論』〜「Essay 人類を救う(かもしれない)ヤマザキマリの七つのヒント」より)

「風呂————自分の中の「渇き」がクリエートする力になる」
「鳥瞰————ユーモアは鳥瞰的知性に宿る」
「虫————わかり合えないものとの共生はとても大事」
「ノマド気質————自分の居場所は自分で決める」
「水木しげる————生き物としての感覚を生涯持ち続けた心の師匠」
「壁————人生の不条理をたらふく味わうと、見えてくるもの」
「カラスの利他行動————文明が存続するか否かは「利他性」にあり」

(E.モラン『祖国地球』より)

「いずれにせよ、私たちは抵抗するための原理をふたたび引き受けなければならない。結局、私たちは希望の原理を絶望の中にもっているのだ。

 第一は、生命原理である。生きているものすべてが未来へ向かうやみがたい動きの中で自己再生するのと同様に、人間にかかわるすべてのものが、人間の生を再生させることによって希望を再生させる。希望が生きさせてくれるのではなく、生きることが希望を生む。あるいはこう言うべきか。生きることが、生きさせてくれる希望を生むのだ。

 第二は、想定不能の原理である。これまでの大きな転換、創造はすべて、起きる前には考えも及ばぬものだった。

 第三は、非蓋然性の原理である。これまで歴史上生じた幸運な事件がすべて、アプリオリに〔先験的に〕、ありそうにないことだった。

 第四は、モグラの原理である。モグラは地表にその影響が現れる以前に、地下道を掘り、地下の状況を変える。

 第五は、危険の自覚による救助の原理である。ヘルダーリンの言葉によれば、「危険が増すところでは、救いも増す。

 第六は、人類学的原理である。ホモ・サピエンスはこれまで自分の精神・頭脳の可能性のごくわずかな部分しか利用してこなかったことを、私たちは知っている。だから、私たちは知的、情緒的、文化的、文明的、社会的、社会的可能性、つまり人類の可能性を汲み尽くすはるか手前にいる。ということは、私たちの現在の文明は人間精神の先史時代にとどまったままであり、現在の文明は地球の鉄器時代に今もとどまったままであり、したがって、またとりわけ、あるいは起こるかもしれない災厄の場合を除いて、私たちは人間の頭脳的・精神的可能性、社会の歴史的可能性、人間の進化の人類学的可能性を残したままだということになる。現在に幻滅しても、ヒト科の新たな段階を考えることは許される。それは同時に、文化と文明の新たな段階ともなるはずだ。

 これら六つの原理は、最悪の事態にも同じようにあてはまる。これらの原理は何も保証してはくれない。生きることは偶然の死に出会うかもしれない。想定不能なことはかならず起こるとはかぎらない。ありそうもないことはかならず幸運な形で訪れるとはかぎらない。モグラは私たちが守ろうとしたものを壊すかもしれない。救助の可能性は危険の高さに釣り合うものではないかもしれない。

 冒険は未知のままである。地球時代は花開くことなく、闇の中に沈むかもしれない。人類の最期の苦しみは死と滅亡しかもたらさないかもしれない。だが、最悪の事態もまだ確かではない。まだすべてが決まったわけではない。確実だとも、ありそうだとも言えないにしても、より良い未来への可能性は残されているのだ。

 この仕事は大変であり、しかも不確かである。私たちは絶望からも、希望からも逃れるわけにはいかない。使命を引き受けることも、辞退することも、ともに不可能なのだ。私たちは「新しい忍耐」を身につけるしかない。私たちは決戦ではなく、緒戦の前夜にいるのだ。」

◎ヤマザキマリ『人類三千年の幸福論』
【目次】
Prologue 人類三千年の旅への招待状 ヤマザキマリ
Dialogue 失敗や破綻はすべて過去に書いてある ヤマザキマリ×ニコル・クーリッジ・ルマニエール
第一章 困難なときほど人類三千年の知性に刮目せよ
第二章 時代の先駆者は、いつの世も孤高にして不遇
第三章 人類の歴史で普遍的なのは、笑いの精神
第四章 想像力をすり減らす同調圧力
第五章 失敗や破綻はすべて過去に書いてある
Manga 美術館のパルミラ
Essay 人類を救う(かもしれない)ヤマザキマリの七つのヒント
Epilogue ヤマザキマリさんは右脳と左脳の間に立つ人 ニコル・クーリッジ・ルマニエール

【著者ほかプロフィール】
●ヤマザキマリ
1967年東京都生まれ。漫画家・文筆家・画家。東京造形大学客員教授。84年に渡伊、フィレンツェの国立アカデミア美術学院で美術史、油絵を専攻。2010年『テルマエ・ロマエ』で、第3回マンガ大賞、第14回手塚治虫文化賞短編賞を受賞。15年度芸術選奨文部科学大臣新人賞受賞。17年イタリア共和国星勲章コメンダトーレ受章。漫画作品に『スティーブ・ジョブズ』、『プリニウス』(とり・みきと共著)、『オリンピア・キュクロス』など。評論・エッセイに『ヴィオラ母さん 私を育てた破天荒な母・リョウコ』、『たちどまって考える』、『ムスコ物語』など。

●ニコル・クーリッジ・ルマニエール
英セインズベリー日本藝術研究所の創設者・初代所長。現セインズベリー日本藝術研究所研究担当所長、およびイースト・アングリア大学日本美術文化教授。1998年米ハーバード大学博士課程修了。2019年大英博物館にて開催された「マンガ展」の主任キュレーターを務めた。

●E.モラン(Edgar Morin)
1921年パリ生まれの社会学者・思想家。パリ大学に学ぶ。大戦中は対独レジスタンス活動に参加。戦後は雑誌編集者、映画評論家として活躍。パリの国立科学研究所(CNRS)の主任研究員として、現代の多元的・総合的な人間・社会・文化の調査研究に成果を上げる。主な著書に、1946年の『ドイツ零年』以降、『人間と死』『映画』『自己批評』『プロデメの変貌』『失われた範列』『オルレアンのうわさ』『時代精神 1・2』『20世紀からの脱出』『意識ある科学』『ソ連の本質』『ヨーロッパを考える』『方法 1~5』『E.モラン自伝』『百歳の哲学者が語る人生のこと』などがあり、多くが邦訳されている。協力者のアンヌ・ブリジット・ケルンは文芸・科学評論家、ラジオ局フランス・キュルチュールのプロデューサーで科学・文化番組を担当した。

●菊地 昌実 1938–2020年。東京大学大学院(比較文学)修士課程修了。北海道大学名誉教授。著訳書『アルベール・カミュ』(白馬書房)、『漱石の孤独』(行人社)、メンミ『あるユダヤ人の肖像』『人種差別』『脱植民地国家の現在』(共訳)、サルナーヴ『死者の贈り物』(共訳)、グロ『フーコーと狂気』(以上、法政大学出版局)、メンミ『イスラエルの神話』(共訳)、ルヴェル/リカール『僧侶と哲学者』(共訳)、ブリクモン『人道的帝国主義』、ラヴァル『経済人間』、『絶対平和論──日本は戦ってはならない』(以上、新評論)ほか。

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