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松田行正『眼の冒険』

☆mediopos-2400  2021.6.12

自然界には
まったく同じものは
葉の一枚に到るまで存在していない

けれども
似ているものはたくさんある

むしろ生物たちは
驚くべき擬態さえ易々とこなしながら
たくましく生き抜こうとしていたりもする

それよりもなによりも
鉱物から人間にいたるまで
自然界にあるものはおそらく
形と型をさまざまに組みあわせ
似せることによって多様性を生み出してきた

しかも似ているということは
違うということでもあるのだ
そのように似ていて違うということこそが
自然の創造性の秘密でもあるのかもしれない

人間の思考の型としては
演繹や帰納が云々されたりもするのだが
おそらくそれよりも
自然界における存在は
さまざまなパターンで「似せる」ことを
生きた思考にしてきたように見える

そして人間の思考においても
それが生きたものになるときには
どこかで「似ている」という型が
働いているのではないだろうか
アナロジー「類推」である

それは眼だけではなく
耳においても同様だろう
冒険するのは眼だけではない
耳もまた冒険する

同じ音
似ている音や
その組みあわせが
言語遊戯にもなり
音楽の創造性にもつながっている

おそらくわたしたちの魂の深みには
形や音につながるアーキタイプ(元型)があって
そこから立ち上がってくるさまざまなイマージュに
感覚も感情も思考もさまざまに共振しているのだ
だから「似ていること」を見つけることが
その深みとつながる大事な方法ともなっているのだろう

■松田行正『眼の冒険/デザインの道具箱』(ちくま文庫 2021.3)
■松岡正剛(構成編集)/杉浦康平 (イラスト)
 『遊』1001号〜相似律/連想と類似 観相学の凱歌のために◆似ていることの存在学
 (工作舎 1978.6)

(松田行正『眼の冒険』より)

「「似ている」ことに関心を持ってからだいぶ経つ。きっかけは一九七八年に出版された松岡正剛編『遊一〇〇一相似律』(工作舎)に触れたときからだ。そこには、形の似たものが同等に並び、似たもの同士カタログの観を呈していた。
 たとえば表紙には、「遊」の漢字に触発された漢字らしき文字が並んでいる。じっと見ていると、どれもなんとなく「遊」の文字のような気がしてくる。このなんとなく似ている、ということが大事で、ピッタリ同じ、つまり合同ではそこからの新たな展開をシャットアウトしている、というのがこの本の骨子だった。
 たとえば、星雲とつむじと 指紋と素粒子の飛跡が同列に並んでいる。どれも渦巻という形態を共有しているからだ。ここにヒナギクの配列図、子持ち三つ巴紋を加えてもいい。ここでは形が似ていることは性格、性質を共有するばかりでなく共振しているというのだ。
 錬金術などの神秘主義ではシンボリズムが重要なアイテムで、アナロジー(類似)という方法論は欠かせない。科学や物理の発見のきっかけにもアナロジーは大きく作用している。
 人間の発想の原点に「似ていること」が大きく作用していたのもよく知られている。ユングが提唱したアーキタイプ説では、円や正方形などの形にわれわれがことのほかとらわれるのは、もともとわれわれの脳に刷り込まれている形だからだ、という。
 もちろん、それもあるかもしれないが、ユングのアーキタイプ説を持ち出すまでもなく、われわれの眼と脳は、もともと「似ていること」にたいしては敏感だ。似ているものはまとめてしまったりなど、いわば抽象表現向きである。なかでも円や正方形などのシンプルな形は、まとめるのにちょうどよい。ここでは「厳密さ」よりも「らしさ」が重視されている。」

(『眼の冒険』〜鷲田清一「解説に代えて「似ている」から始まる思考の魅力」より)

「著者に叱られるかもしれないが、まず本文最後の二ページを開いていただきたい。
 右ページには、催眠効果をもたらすといわれる縦ストライプを夜空に向けてサーチライトで投射した、ナチスのニュルンベルク党大会のフィナーレでの壮麗な光の列。左ページには、世界貿易センター(WTC)崩壊跡地の近くでおこなわれた追悼の光の儀式の模様。青い光が二本、漆黒の空を突き刺すように、あるいは悲しみの刃が地殻を破って飛び出してきたかのように、垂直に立つ。
 この衝撃は、たぶんどんな言葉の列よりも強い。対極にあるはずの二つの儀式が共有する相同的なイメージ、それが、人びとの思考の背後にある暗い軌跡を浮き彫りにする。
 「似ている」ということの発見から始まる思考、それは遊びのようであり、パズルのようでもあり、そしてときに批判的な思考でもある。
 星雲と旋毛(つむじ)と指紋と素粒子の軌跡、そして対数螺旋をつくるヒナギクの配列図。ブロードウェーや平安京とチェス盤と曼荼羅図と中国明代の印章とル・コルビジェのグリッド構成案とコンピューターの回路。あるいは、今は懐かしいフトンタタキから家紋、ケルトの装飾、一筆書き、サナギを経て真空論へ。「画竜点睛」からアインシュタインの宇宙モデル。デュシャンの絵、アナグラムを経て漢字の犬・刃・氷の「、」へ・・・・・・。
 謎めいた数列や幾何学のパズルも盛沢山。アナロジー(類推)は、ある事柄に見られる関係が別の事柄においても見られることに着目する比例的志向であるから、当然のことであろう。
 最後に、「似ている」ことに敏感で、ことの真実よりは画像の整合性にこわだる眼の動きから、とてつもない夢想と幻想が生まれる過程を、パノラマのように映し出す。
 物語でも推理でもなく、複数の像を脈絡を跳び越して思いもよらないかたちで接触させる思考、そう、図像的志向は、演繹や帰納とは異なる仕方で、人類の認識をぐいぐい開いてきた。
 私たちの思考の衰弱を衝く一冊だ。」

眼の冒険2

眼の冒険3

眼の冒険4


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