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アンドレイ・タルコフスキー『映像のポエジア ――刻印された時間』

☆mediopos2853  2022.9.9

タルコフスキーが二十年近くにわたり
最晩年まで書きつづけてきた思索の軌跡が
あらためて文庫化されている

最初にドイツ語で一九八五年に出版されたが
それは『サクリファイス』撮影開始前のこと
(タルコフスキーは一九八六年に五四歳で亡くなっている)

その後『サクリファイス』の章を加えた増補版が
日本語に訳されたのが一九八八年だが
こうして三十四年後に文庫化される際には
最晩年に加筆・修正・削除された内容が反映されている
(今回文庫化されてはじめて読む機会をもったので
その変更部分についてはよくわからないけれど)

タルコフスキーが今生きていたら九〇歳
タルコフスキーの亡くなったときは
まだソビエト連邦は崩壊しておらず
ベルリンの壁の存在していたが
その後の時代の変化を生きていたとしたら
どんな映像を創りだしただろうと想像してしまう

本書『映像のポエジア ――刻印された時間』には
とくにその終章にまるで世紀末の世界が
精神を失った文明の終焉のようなイメージで語られ
それゆえに芸術の重要性が叫びのように詠われている

「芸術は、精神的な意味のなかで
溺れないための人類の本能として、存在しているのだ。
芸術化は、人類の精神的本能である。」と

タルコフスキーは二〇世紀を生きたが
時代はいまや二一世紀も二〇年代
いわゆる世紀末をはるかに超え
二一世紀も二〇年代になってからの世界を
二〇世紀末から見るならばどんな時代に見えるだろう

おそらくその数十年は
まさに文明の崩壊に向け
雪崩のように精神を失っていくように
見えなしないだろうか

理想への情熱と郷愁をもち
芸術創造の意味を追求しつづけたタルコフスキーに
「映像のポエジア」を見いだすことができただろうか

さてぼく自身もまた
三十数年前のじぶんから現代を見渡してみる
いったい何が見えてくるだろうか

■アンドレイ・タルコフスキー(鴻 英良訳)
 『映像のポエジア ――刻印された時間』
  (ちくま学芸文庫 筑摩書房 2022/7)

(「終章」より)

「芸術は人間にできる最良のこと、つまり、期待、信仰、愛、美、祈り……が実在しているということを確信させる。あるいは、人間が夢見ているもの、期待しているものの存在を確信させる。泳ぐことのできない者が、水のなかに投げ込まれたとき、彼自身ではなく彼のからだが、本能的な動きを始めて、助かろうとあがく。同じように芸術も、あたかも水のなかに投げ込まれた人間の体のように存在している。つまり芸術は、精神的な意味のなかで溺れないための人類の本能として、存在しているのだ。芸術化は、人類の精神的本能である。そして、詩人自身はしばしば罪深いにもかかわらず、創造には永遠なるもの、崇高なるもの、至高のものにたいする人間の志向がそのなかに表明されている。」

「なぜ、あとを振りかえるとき、われわれは人類の道程に、歴史の大変動、カタストロフィを目にするのか、崩壊した文明の痕跡を発見するのか? 実際、これらの文明になにが起こったのか? なぜこれらの文明には息吹が、生への意志が、精神的力が不足していたのだろうか? こうしたすべてが純粋に物質的な欠乏のために起こったと信じることが果たしてできるだろうか? 問題は物質的欠乏だけにあったという前提は突飛すぎないだろうか? 歴史過程の精神的側面をまったく考慮しなかったために、われわれはふたたび自分たちの文明の縁に立っている、と私は確信している。人類をとらえた多くの不幸の原因はわれわれが容赦しがたいぐらい、罪深くて、絶望的なほどに物質的になったからなのだということをわれわれは認めようとしない。つまり、自分を学問の支持者と考え、いわゆるわれわれの学問的な目論見の、いわば駄目を押そうとして、われわれは、分かつことのできようはずのない、人間の発達の唯一のプロセスを縦に分割し、その一方の、目に見えるばねを明らかにし、それをすべての事柄の唯一の原因とみなし、そのばねを過去の誤りを説明するために使うばかりではなく、われわれの未来の青写真を作るためにも使っているのだ。おそらくこの文明の崩壊の意味は、〈歴史〉の忍耐を示すことであり、〈人間〉から真の選択を期待することである。選択さえ正しければ、〈歴史〉は袋小路に追いこまれていくことはないであろう。新しい試みがもっとうまく行くだろうと期待して、失敗に終わった試みを、その長い繋がりのなかから次々と抹殺したりもしまい。この意味で、歴史はなにも教えないし、人類は歴史の経験に学ばないという広く流布されている意見に同意しないわけにはいかない。要するに、あらゆる文明のカタストロフィは、その文明が誤っていたということを意味しているのである、人間が改めて自分の道をたどり始めることを強いられているのは、それは以前の人間の道がすべて精神的に未完成だったからだ。
 芸術は、この意味で、終点に辿りついた完成したプロセスのイメージなのである。それは、長い、おそらく無限に続く歴史の過程を通らずに、(ただイメージの意味において)絶対的な真理を把握した状態を模倣することなのである。
 たとえばヴェーダのような世界観を信じ、その世界観にみずからを委ねることで、安らいでみたくなることがある。東洋は西洋より真理に近いところにいた。だが、西洋が生にたいする物質的な要求によって東洋を食いつくしてしまった。
 東洋音楽と西洋音楽を比較してみるがいい。西洋は叫ぶ、——これは私だ! 私を見よ! 私がどれほど苦しんでいるか、どれほど愛しているか聞いてほしい! 私はなんと不幸なのだろう、なんと幸福なのだろう! 私だ! 私のものだ! 私に! 私を! と。
 東洋は自分自身について一言もいわない! 神のなかに、自然のなかに、時間のなかにすべてを見出している! タオの音楽。キリスト生誕より六百年前の中国。
 しかし、なぜ偉大なる理念は勝利することなく、滅びたのか? この理念を基礎にして出来上がった文明は、なぜ歴史過程のひとつの完成形態としてわれわれの時代まで生きのびることがなかったのか? その文明を取り巻く物質的な世界と出会ったのだろうか。個人が社会と出会ったように、この文明は他の文明と出会ったのだろうか。おそらく物質的世界、〈進歩〉、テクノロジーとの戦いだけでなく、それらのものとの対比がかれらを破滅させたのだ。この文明は真の知識の最終到達点、地の塩の塩(エリート中のエリート)であった。東洋の論理からすれば、戦いはその本性上、罪深いものであったのだ。
 問題のすべてはわれわれが想像上の世界に生きており、われわれ自身がこの世界を創造しているということなのだ。われわれ自身、世界の欠陥にかかわっているが、その利点にかかわることもできたはずなのである。」

(「文庫版訳者あとがき」より)

「およそ二十年近くにわたって書きつづられてきたタルコフスキーの映像論が最初に一冊の本になってドイツ語で出版されたのは一九八五年、印刷にまわされたのは一九八四年、『サクリファイス』撮影開始前のことであった。そのとき使われたロシア語タイプ原稿に『サクリファイス』の章を加えた改訂・増補版のコピーをもらってそれを日本語に訳す機会をもらったのはタルコフスキーの死の直後だった。そうした約三十四年前の一九八八年一月に、キネマ旬報社から出版された『映像のポエジア——約束された時間』が、文庫本になることになった。
 だが、文庫版の出版にあたって著作権者(タルコフスキーの子息)から改めて送られてきたロシア語テキストは、私がむかし翻訳したテキストとまったく同じというのではなく、タルコフスキーが自らの死を前にして、さまざまな思いを胸に秘めながら、加筆・修正、削除などを施していたものらしく、微妙な違いを見せてくるのである。それらの違いを目にしながら、私は時間の流れのなかで蠢く思考の流れとともに、歴史というものを感じることになった。その変更は私に多くのものを考えさせてくれた。
 たとえば、「われわれを来るべき二十一世紀と区別する時間の隔たりは二十年に満たない」が、「十五年を切った」と変わっている。つまり、この箇所の最初の草稿が書かれてから八十六年まえに五年近くが経っているということなのだろう。そのことを書き換えることによって、この思索が二十世紀の終わりを意識して書かれているということをより浮き彫りにするのである。そして、そのことによって、そもそも映画という表現手段が、十九世紀の終わりから二十世紀のはじまりにかけて誕生した、二十世紀とほぼ同い年の芸術であり、この生まれたばかりの若い未熟な芸術の、タルコフスキー言うところの未完成性とその可能性について具体的に考えようとすることこそがこの映像論の核心的な目論見なのだということがより鮮明に意識させられるのである。」

【目次】

序 章
第一章 はじまり
第二章 芸術―理想への郷愁
第三章 刻印された時間
第四章 使命と宿命
第五章 映像について
第六章 作家は観客を探究する
第七章 芸術家の責任
第八章 『ノスタルジア』のあとで
第九章 『サクリファイス』
終 章

訳者あとがき
文庫版訳者あとがき
年譜・フィルモグラフィ

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