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石井ゆかり「星占い的思考㊸彼我の境界線」 (群像 2023年10月号)

☆mediopos3218  2023.9.9

秋分の日が近づいている

昼と夜の長さが等しくなる日だが
これから冬至に向けて
少しずつ夜長になっていく

春分の日と同様
一年の「境界」である

日本では「お彼岸」で
個人的にはそうした
「ご先祖さま」的な慣習とは無縁だが
その「境界」では
「この世とあの世の境目が曖昧になる」

星占い的にいえば
「この春分ー秋分ラインは、
「自分ー相手」「自ー他」のライン」で

「我と汝、「わたし」と「あなた」の
境目が消える時、突如として
人間は聖なる時空に落ち込み、
起こり得ないはずのことが起こる」

秋分の日を境に次第に
昼の世界が夜の世界へ
うつっていくわけだが
森羅万象が眠りにつこうとするとき
むしろ魂は深いところから
目覚めはじめることになる

つまり私たちは
春分から秋分までの半年
世界は昼のなかで眠り込んでいたが
これからは
みずからの内面の闇を克服すべく
覚醒していかなけばならない

その眠りからたしかに
目覚めることができるかどうかが試される
目覚めの時がはじまる

そのためにも
光と闇
我と汝
善と悪
といった
さまざまな「境界」を超え

みずからがこれまで生きてきた
あるいは生死を超えて経験してきた
さまざまなことについて
二項対立的なありようを去り
ほんらいの意味での目覚めに向けて
歩みを進めていく必要があるということだ

「お彼岸」で「ご先祖さま」に会うように
みずからの隠された顔に対面することが
秋分の日という祝祭だともいえるかもしれない

■石井ゆかり「星占い的思考㊸彼我の境界線」
 (群像 2023年10月号)

「〝————君がバラのために時間をついやしたからこそ、君のバラはあんなにたいせつなものになったんだ。(中略)人間は、この真実を忘れてしまっている。でも、君は。忘れてはいけないよ。なじみになったものには、死ぬまでずっと責任があるんだ。だから君は、君のバラに責任があるんだよ・・・・・・〟
(サン=テグジュベリ著 石井洋二郎訳『星の王子さま』ちくま文庫)

 幾多の書き手があらゆる企画で引用してきた、おなじみの一文である。バラはどんなバラも同じバラで、ありふれている。その中のたった一輪のバラが自分にとって特別なものになるのは、そのバラが突出して美しいからだとか、そのバラが自分に特別合っているとか、そんな理由ではない。そのバラがかけがえのないバラなのは、ただそのバラのために費やした、自分自身の「時間」のためなのだ。」

「2023年9月、火星は天秤座に位置し、23日には秋分の日がやってくる。秋分点は星占いでは天秤座の入口で「太陽天秤座入り」と表現できる。日本ではこの世とあの世の境目が曖昧になる。お彼岸である。お彼岸は春分と秋分の時期に設定されているが、星占い的にはこの春分ー秋分ラインは、「自分ー相手」「自ー他」のラインと言える。牡羊座は闘いの星座で、天秤座は平和の星座、結婚の星座でもある。牡羊座と天秤座は180度の位置関係で、相対している。つまり、この組み合わせ自体がある種のカップルのような、一対一の、「つい・つがい」のラインと見なすこともできるのである。現在はそこにドラゴンヘッドーテイルも入っている。ドラゴンヘッドーテイルは、この近くで満月や新月が起こると食となるポイント、白道と黄道(月・太陽の見かけ上の通り道)の交差点だ。星占いではこの2つのポイントを様々に解釈するが、その一つに「縁」がある。つまり「対」の場所に「縁」のポイントが入り、さらに火星や太陽といった天体がそこに重なっていくのが、この時期なのである。

 人間と人間の境目が曖昧になることと、この世とあの世の境目がぼやけることは、どこか重なり合っている。映画『君たちはどう生きるか』でも、そのことがクローズアップされていたように感じた。我と汝、「わたし」と「あなた」の境目が消える時、突如として人間は聖なる時空に落ち込み、起こり得ないはずのことが起こる。その人のために時間を費やしてしまったら、死ぬまでどころか死んだ後までも、その人の存在に心を摑まれ続ける。普段の忙しい生活の中では思い出すことがなくても、人間は星の特別な時間を使って、死んだ人たちのことを思い出す文化を創り上げた。子供の頃に教わる「ご先祖さま」は不思議な、顔のない集団のような古い魂だが、大人になればなるほど、お彼岸に出会える「その人」の顔は、深く見知った顔になる。」

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