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『MONKEY vol. 29 特集:天才のB面』(SPRING2023)(スイッチ・パブリッシング )

☆mediopos-3024  2023.2.27

「B面」といわれて
A面に対するレコードの「B面」として
じぶんがレコードをどきどきしながら買っていた
そんな時代をイメージできる世代は
どんどん高齢化してきているから

それを「メタファーとしての「B面」という概念」として
すぐに理解できる読者は限られた世代だろうが

「モンキー」の(SPRING2023)の特集は
「天才のB面」である

今回この特集を組むきっかけになったのは
「昨年出たカフカのドローイング集」だったという

(しかしながら「カフカ」の受容にしても
村上春樹の『海辺のカフカ』で「カフカ」の名が
比較的若い世代にも伝わっていなかったとしたら
その「天才のB面」としての「ドローイング集」は
どこまで「B面」として受けとられ得るかは微妙だが)

それはともかく編者の柴田元幸氏同様
カフカのドローイングのことは
これまでまったく知らずにいたので
「B面」というよりは
死海文書やナグ・ハマディ写本のような
新発見された古文書のようでもある

このカフカのドローイング(線画)は
今年みすず書房から刊行されるらしいが
この特集ではそのさわりの部分を垣間見ることができる

学生時代にドイツ語・ドイツ文学を専攻していたので
その頃からカフカといえばそれへの批評もふくめ
多かれ少なかれ意識せざるをえなかったのだが
いまだカフカは「たかがカフカ」されど「カフカ」だ
(「たかが」というのはちょっと違うかもしれないけれど)

さて「天才のB面」と題された『MONKEY』の特集は
カフカだけではなく他の興味深い「B面」も
いろいろと紹介されているが
「天才」や有名人にかぎらず
ひとには「A面」としてだけではなく
「B面」としての「顔」も存在しているのはいうまでもない

おそらく「A面」としての「顔」は
自分のプロフィールに記載する類いの「顔」であり
「B面」としての「顔」は
そこには記載されることのない「顔」だろう

ときどき著書などを読んで興味をひかれたときなど
プロフィールとして記載されているその向こうに
あるいはその「裏面」に
どんな「顔」があるのだろうと想像してみることがある

ひょっとしてジキルとハイドのように「B面」が
「影」になっている人もいるのかもしれないなどと・・・

できれば「両A面」的なノリのほうが
個人的には好きだけれど
ひとはどうもそういうわけにはいかないらしい

■『MONKEY vol. 29 特集:天才のB面』(SPRING2023)
 (スイッチ・パブリッシング 2023/2)

(「猿のあいさつ」より)

「生まれて初めて自分でお金を出して買ったレコードは、加山雄三一九六五年のシングル盤『君といつまでも/夜空の星』でした。当時僕は小学五年でしたが、テレビを点ければ毎日かならずどこかで加山雄三が出ていて、『君といつまでも』を歌い、あの人の好さそうな顔で「幸せだなァ」と間奏中の科白を口にしているのでした。

 でも僕が目当てだったのはどちらかといえば、B面の、寺内タケシのギターがギンギン鳴る『夜空の星』でした。とにかく小学生の小遣いで、決死の思いで買うのですから、A面だけよければいい、なんてわけには行きません。両方よくなければ困ります。だからその後も、シングル盤を見るときはB面がどういう曲なのかすごく気になったし、A面B面両方ともいい盤には自然と目が向いたように思います。

 ビートルズの『イエロー・サブマリン/エリナー・リグビー』、ローリング・ストーンズ『夜をぶっとばせ/ルビー・チューズデイ』、ビーチ・ボーイズ『素敵じゃないか.神のみぞ知る』(これ、ポピュラー音楽史上最高のカップリングじゃないでしょうか)・・・・・・こうして見ると、B面にはメロディの美しい曲が多いようですね(『エリナー・リグビー』と『ルビー・チューズデイ』は厳密には「両A面シングル」だったようですが、表記はつねにうしろ)。

 ————もちろんいまでは、レコードは「ヴァイナル」と名前を変えてしぶとく生きのこっているものの、両面に一曲ずつ入った「シングル」という概念はほぼ消滅してしまいました。が、メタファーとしての「B面」という概念はけっこうまだ生きてるんじゃないか。そんなわけで、今回も編集会議で、ごく自然に「だからその、あの人がこんなもの書いてる・描いてるんですよっていう、こう、天才のね、B面てゆうか・・・・・・」と言ってもわりとすんなり話が通じたのでした。(・・・)

 けれど、まず最初にあったのは、昨年出たカフカのドローイング集を見たときの衝撃でした。こんなもの見たことないと思う反面、なんだかずっと前から知っていたような気にもさせられる、未視感と既視感が一緒くたになったような感覚は、もしかしたら、高校生のとき『変身』の出だしを初めて読んだときの衝撃と通じるものがあるかもしれない・・・・・・というのはさすがに話を作りすぎという気がしますが(それはともかく、あの岩波文庫『変身 他一篇』でカップリングされていた『断食芸人』も、いま思えば最高のB面でした)、とにかくその衝撃をどうやったら一番よく提示できるかを考えたら、そういえばアレもあるしコレもあるじゃん! と広がっていって、結果、こんなふうになりました。」

(「Drawings フランツ・カフカ 「発見された素描」」より)

「2019年、それまで門外不出だったカフカ文書がイスラエル国立図書館に委託され、これまで存在すら知られていなかった多くの作品を含むドローイング(線画)が100点以上発見され、昨年ドイツとアメリカで画集も刊行された。その一部を紹介する。」

(「Drawings フランツ・カフカ 「発見された素描」」〜柴田元幸「線画家カフカ」より)

「「カフカと絵」という話題に関しては、カフカの生前に刊行された数少ない作品のひとつ「変身」の出版時、出版社が表紙に、グレーゴル・ザムザが変身した「虫」の絵を載せようとしていると聞いてカフカが断固反対し、結局左のような表紙絵になった、というエピソードくらいしか知らずにいた。

 ところが二〇一九年、所有権に関する長い裁判を経た末に、膨大な量のカフカ文書がイスラエル国立図書館に委託されることになり、そこから生じた成果のひとつとして、一般にはこれまで存在すら知られていなかったカフカのドローイング(線画)が百点以上発見された。これが二〇二二年、ドイツではDie Zeichnungen、英語圏ではThe Drawingsのタイトルで、一六三点のドローイングに加えて、それらが発見された経緯、カフカが若いころ触れていた芸術運動、ドローイング自体の芸術的意義などを綿密に論じた文章(執筆は編者のアンドレアス・キルヒャーと、批評家のアンドレアス・バトラー)も盛り込まれたずっしり重い画集が刊行されたのである。

 ドイツではC.Beckから、アメリカではイエール大学出版局から出たこの画集は、二〇二二年、みすず書房から完全な邦訳が刊行されることになっれいる。」

「ドローイングの大半は一九〇〇年代、カフカの学生時代に描かれた。カフカと言えば、友人のマックス・ブロートが友の頼みを無視して作品を世に送り出したことで知られるが、カフカがまだ生きていてブロート自身が新進作家だった時期、ブロートは意外にもカフカを新進画家として売り込もうと試み、カフカの描いた絵を自著の表紙に使ってくれるよう何度か出版社に頼んでいる。出版社は一度も同意しなかった。」

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