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岡崎乾二郎『感覚のエデン (岡崎乾二郎批評選集 vol.1) 』・『岡﨑乾二郎 視覚のカイソウ』

☆mediopos-2529  2021.10.19

岡崎乾二郎の名を知ったのは
松浦寿夫と岡崎乾二郎の
『絵画の準備を! 』(2005)以来のこと
それ以来とくに視覚芸術について考えるときに
岡崎乾二郎を思い出さないことはない

昨年には岡﨑乾二郎の作品の「全仕事」が掲載された
『岡﨑乾二郎 視覚のカイソウ』が
さらに先日デビュー以来書かれてきた
批評の第一巻目が刊行された

今回引いた引用は今回の批評集の最初にある
「ふたたび、うまれる」で
最初に公開されたのは二〇一一年
その後岡崎が還暦を迎えるにあたって制作された
私家版の冊子『而今而後』(2015)に採録されたが
それは「自分をいかに片づけるか/
別のメディウムに転化させるか」という主題に関わり
自伝に代える文章とされているとのこと
みずからの基本姿勢が表されているということでもある

作品集のなかで岡田温司が
岡崎乾二郎について語っているように
「岡崎の出発点」における確信は
「誰が語っているのか、そして誰が制作しているのか。
それはけっして「わたし」という主体ではない」
ということにも深くかかわっている
つまり「芸術は自己表現とは無縁である」ということである

もちろん「わたし」が存在していないということではない
「わたし」はじぶんが「わたしであると気づいたとき」
すでにとうに「わたし」であったのだが
気づいてみればいつのまにか
「わたし」はいまここにいる「わたし」(のからだ)に
いわば「憑依」してきたというのだ

そしてその「わたし」は対象を「感覚」するが
それを「わたし」が表現するとき
そのイメージ(像)は感覚的対象そのものではない
そのイメージ(像)のもとである「何か」もまた
どこからか召喚されて訪れてくる

表現がおこなわれているとき
この「わたし」は感覚的対象を表現しているのでも
「わたし」を自己表現しているのでもない
「何か」は召還されて訪れているのである

その「何か」は
見えるものではない
聞こえるものでもない
言葉そのものでもないが
それが「わたし」という依代によって
像として音として言葉として表出されれいる

もちろんそれは古代における
シャーマニスティックな在りようではない
近代以降の「自我」から自由であるのでもない
むしろ「自我」の洗礼を受けながらも
「自己表現」ではなく
召喚されることで現出させることのできる表現として
「感覚のエデン」であることがめざされる

それは芸術における領域だけではなく
まさに人間存在に求められるものでもあるのかもれない

人間は「ふたたび、うまれ」なければならない
かつていたエデンにおいてではなく
あらたに創造されなければならない
根源的な「わたし」の住まうべき「エデン」において

■岡崎乾二郎『感覚のエデン (岡崎乾二郎批評選集 vol.1) 』
 (亜紀書房 2021/9)
■岡﨑乾二郎・林道郎・岡田温司・中井悠・松浦寿夫・千葉真智子
 『岡﨑乾二郎 視覚のカイソウ』
 (ナナロク社 2020/3)

(『感覚のエデン 』〜「ふたたび、うまれる」より)

「憑依という。畏れることなく率直に言えば、わたしはいつ、わたしになったのか覚えてはいない。わたしであると気づいたとき、そのわたしの意識はもう、とっくの前からあるもので、〈あらためて〉それに気づいた、という風だった。ああ、そうだ、わたしだった。そのとき、わたしはすでに以前から確かに世界に存在していた〈継続していた〉わたし、に気づいただけだった。ただそれを意識しなかっただけ、ちょっと忘れていただけで、あらためて、それを意識した〈気づいた〉とそんな風に感じた。だから生まれたときの記憶はない。あえて言えば、わたしがいること、それに気づいたとき、それを思い出したときが、わたしが生まれた、そのときだった。論理的にはおかしいが、生まれたとき、すでにわたしは何年も前から存在していたのだった。」

「「『花』の美しさという様なものはない」「美しい『花』があるだけだ(小林秀雄「当麻」)という小林秀雄のレトリックは不十分だが、世阿弥の「秘すれば花」の翻案、つまり花は、在るのではなく、見えるのでもなく、ただ訪れるだけだ、と考えれば理解もできる。確かにそれは訪れる。何度でも、時間の隔てにもかまうことなく。

 ところで「見たこともない天使の姿は描くことはできない」という類の言い草があり、カラヴァッジョやたクールベやらの古今の多くの画家たちが「描かないこと」を釈明するクリシェともなってきたが、天使の姿が描けないのであれば、同じように見えないはずのおっかさんや労働者、靴や花や山の姿さえも描けない、と釈明することもなた可能になってしまうはずである。
 これでは芸にならない。世阿弥にならうならば、見えないゆえにこそ描くことができる、いやそれを召還させることもできる。見えないからこそ、それをはっきりと出現させることもできるのだと言わなければならない。」

「イメージというものは知覚されている感覚そのものではない、知覚された情報(感覚与件)が引き寄せる(構成された)像である。この見えないはずの何ものか=像、に帰属させないことには、目や耳や手の先、舌先で知覚される情報(感覚与件)の確かさ、をわれわれは認識できない。見ているだけではなく、「何か」を見ているというかたちでしか、見ていることそれ自体を自覚できない。こうして「何か」は何度でも訪れる。この「何か」は、だから時間にも空間にも直接属していない。そこから、少し、いや、だいぶ離れている。

 踊りを踊るとき、踊り手は自分の姿を見ることはできない。踊り手は、だが何かを感じている。身体が受け取るさまざまな感覚、身体の諸部分が発する無数の感覚。情動は、ばらばらではなく「何か」に帰属するものとして、いわばダンスとして呼び寄せつつある「何もの」か、あるいは、到来しつつある「何か」として感じられているはずである。この「何か」が〈ダンスしている〉という実感として感じられているはずである。
 憑依=表意。その時間の落差。あるいは、その落差、隔たりを乗り越えた憑依がそこでいつも起こっている。意味するもの〈知覚された像〉と意味されたもの〈概念像〉の隔たり。表意=憑依に含まれるのはこうした構造だろう。測定できない時間の亀裂。芸という憑依は、そのたびにそれを乗り越え、そのたびにふたたび生まれなおす(時間の差に関わらないのだから、一〇〇〇年後だろうと数万年度だろうとそれは可能である、)。
 だが言うまでもなく、それこそが文字の構造であり、文化というものに含まれていた再生(reproduction)の構造だった。

 雲はつねに変化しているはずだが、その運動は名づけられる。名づけられた途端に、その運動は魂を持つ。つまり、何度でも転生、再生可能な魂となる。それは必ず、再び訪れる。
 われわれがふと目覚めたとき、自分に気づくように。この目覚めに、百万年の眠りからの目覚めと、昨日からの目覚めとの区別はない(区別などつくわけがない)。そのつど、新しい一日がはじまるだけである。
 ああ、そうだった。わたしは、ここにいたのだった。ずいぶんと前から。」

(『岡﨑乾二郎 視覚のカイソウ』〜林道郎「造形作家としての岡﨑乾二郎」より)

「岡﨑乾二郎のこれまでの活動は、多くの人が知るように、文字通り八面六臂というべき信じがたい多元性を誇っている。画家、彫刻家、建築家、批評家、絵本作家、教育者・・・・・・、その仕事の全貌をとらえるには、これでもリストは足りない。しかも、驚くべきは、それぞれの領域においてなされた彼の仕事が、どれひとつとして「余技」とは見えないことだ。離散的に配置された各領域の仕事は、蜘蛛が信じがたい周到さと軽やかさでバラバラに離れた複数の支店をつなぎあわせてつくる巣のように、互いに緊密に結びあい、たえずその振動を交換し、増幅している。
 つまり、そこには、つねに一貫した力が流れ、溢れ出している。彼の仕事のどの側面を切り出しても如実に感じられるその力−−−−あるいは17世紀の哲学者が「コナトゥス」と呼んだもの−−−−こそが、こう言ってよければ、「芸術」の秘密に一直線につながっているという予感を認めないわけにはいかない。だが、同時に、大急ぎで注記しておかなければならないのは、私は、だからといって、現実の彼方に超越的なものとして存在している「芸術」を称揚したいわけではない。それは、こう言ってよければ、徹底して具体的な「質」(ベルグソン的な意味での)−−−−感受される特異性−−−−として、現実の諸条件を内包しながらもそれらに還元することは決してできない何物か、輪郭ある対象として切り分けることもできないのだ。」

(『岡﨑乾二郎 視覚のカイソウ』〜岡田温司「岡﨑乾二郎という「謎」」より)

「誰が語っているのか、そして誰が制作しているのか。それはけっして「わたし」という主体ではない。この確信は、すでに岡崎の出発点からあったように思われる。1970年代末に活動をはじめる岡崎が、当時、勃興しつつあった新表現主義やトランス・アヴァンギャルドの主観主義的傾向に批判的であったことが、何よりその証拠であろう。
 そもそも芸術は自己表現とは無縁である。岡崎いわく、「芸術とは、自己がその同一性を確認できない場所に、つまり、まったく自分に縁もゆかりもない場所に、なおかつ定住することを強いられているモノなのではないか」。あるいはまうあズバリ、「わたしという主体が話しているのではない」とも。主体はアプリオリなものとしてあるわけではなくて、形式が主体をつくりだすのだ。同じ年、磯崎新との対談では、「芸術家自身にすた所属していないものを作る」ことこそが「普遍的な芸術の条件」であると明言される。いわゆる署名についても、それは作者の同一性と所有権を保証するためというよりも、むしろ逆に、「あとからくる誰かがサインするための枠をアーティストはサインとして書く」、とすら述べている。さらに岡崎にとって、自分自身の死を通過する「恢復期」とは、同時に「主体を殺すこと」でもある。
 岡崎のこの脱ー主体的な芸術館は、しかし、歴史を振り返るなら、むしろより本来的で根源的なものだったはずである。「天才」の語源となった「ゲニウス」とはもともと、意識の主体を越えた非人称の力であり、「ゲニウスとともに生きるとは、未知の部分や経験との関係を生きることを意味していた」。それを、「芸術家の生得的生産力」とか「主観の内なる自然」と読み替えたのはかの哲学者カントで、今やこちらのほうが一般化しているが、長い芸術の歴史から見ると、それは高だか近代の二百数十年のことに過ぎない。岡崎は、おそらく単に理屈としてではなくてむしろ感性として、カント以前の「ゲニウス」の本質に触れているのである。」

「とはいえもちちろん、完全に主体を脱すること、主体を消し去ることがいかに困難であるかは、岡崎も承知している。「消去しえない深く的な残余として残る主体」と、いかにしてあくまでも非ー自体的に付き合うことができるか、岡崎の芸術の賭けはそこにあるように思われる。それはまた、スタイルとマニエリスムとが不可分に結びついていることの自覚にもつながっている。いわく、「ひとつの絵の中で、様式と別の様式が、否定と肯定の注釈を終わり泣く繰り返している」、と。マニエリスムとく、美術史においてそれまで無視されるか蔑視されていたが20世紀に新たによみがえった歴史上の時代区分を、岡崎は、まったく独自に−−−−アナクロニックに−−−−読み替えるのである。」

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