見出し画像

戸井田道三『生きることに○×はない』

☆mediopos-3145  2023.6.28

在野の哲学者・戸井田道三の
青少年向けの自伝的エッセイである

とりあげられているのは
母親との死別
結核などの大病
関東大震災での朝鮮人虐殺と
病気と死についての辛い経験の話が多いが

「若い人に生き方の話をするのに、
なぜここまで死の話を重ねるのか。それは
生きるためには死を知っていることが自信になる」
からなのだという

戸井田は「わたしが生きてきたのは、
生きたというよりむしろ、
ただ死ななかっただけなのだ」と考えている

そして恩師である窪田空穂の
「生きのびているだけで、それが手柄だよ」
という言葉を響かせながら

タイトルとなっている
「生きることに○×はない」ように
「人間が自分の生存を、
役に立つとかたたぬとか計ってはいけないことだ」
そう考える

ぼく自身小さい頃病気で死にかけたこともあり
ある意味で「死」を意識して生きてきたが
(それにもかかわらず「死」への恐れはとくにないが)
とくに人の役にたったわけでもないのに
その後とくに大きな病気もしないで
いままで生きのびてこられたことを
「手柄」だと考えるととても気が楽になる
これからも生きられたぶんだけ儲けものである

ところで戸井田は
「わたしは震災のとき以来、
国家の名においておこなわれることは
一度はうたがってかかり
単純には信用しないことにしました。」という

それは生きることを
「役に立つとかたたぬとか」で計ろうとする
国のはかりごとに対する警戒心でもあるだろう

ぼくも生まれてこのかた
国や学校などがおこなおうとすることは
「一度はうたがってかか」るようにしてきた

いままさに日本では
意図的に行われている見えない戦争で
超過死亡者数も世界一位となっているという

「生きることに○×はない」
という言葉さえかすんでしまいそうだが
殺されることは決して○ではないだろう

あらためて
「自分が何を知らないかというかたちで知っている」
生きることと死ぬことについて
問いを深めていけますように

■戸井田道三『生きることに○×はない』
 (新泉社 2022/7)

(「自分と他人はとりかえられない」〜「大事な、十四、五歳」より)

「じつは、これから死ぬことと生きることについて書くつもりでいるのですが、書くことにためらいがなかったわけではありません。自分の一生は死ぬことと面と向かって生きていくことからはじまったので、そのことを書かずには、私の少年時代を語れないのです。アユムくんやミルちゃんのように活力にみちた少年少女、まだぐんぐん背たけものび、目方もふえてゆく少年少女に死という陰気でくさくさした話をきかせることはためにならないのでないか、とちゅうしょしました。
 しかし、どうでしょうか。わたしは子どものときから死というものを身近に感じていましたが、ことさらいじけたわけでもなく、平気で生きてきました。
(・・・)
 時勢はたいへんかわりましたが、現在の子どもも、たいした変化はないのではないでしょうか。学校の窓からとびおりて死んだ子どもの話などをきくと、変化がないどころか、逆にわれわれの子どものときより死にたがる子どもはふえているのではないかと思われるほどです。
 それなら、一度死ぬことを見つめることから生きることを考えてみてはどうか、それでもいいではないかと思いなおしたのです。
 死ぬというもっとも消極的な極限から、逆に死なないですむという方へ向かう生きかたを考えることもまた、まちがいではないと思います。」

「知識が正確になると、漠然としか考えられなかったことが新しく疑問としてはっきりした姿をあらわしてくるのです。ですから学問がすすむと、正確な知識の量がふえる反面で、疑問の量もまたふえるということになります。知識が増大し、正確になればなるほど、(あるいは正確になるからこそ)疑問もまたなりたつのだといえるでしょう。学問の根本的な正確がそうしたものなのです。
 ですから、一般に科学者ほど自分が何を知らないかということをよく知っているものです。自分は知っていると考えるのは自惚にすぎません。自信とはちがいます。自信は自分が何を知らないかというかたちで知っているからです。
 人生についても同じことがいえるのではないでしょうか。生きるためには死を知っていることが自信となるのではないでしょうか。自分の勉強や仕事のことだけを考えていると、ただうぬぼれているだけになるおそれがあります。」

(「病気もわるいとはかぎらない」〜「試験は誰のためにある?」より)

「————試験は教えるがわが教えかたの参考に必要だからやるもので、教わるわれわれに必要なものではない。試験されるからと、そのために勉強するのは成績表をのこすための勉強にすぎない。ほんとうの勉強は成績表のためにやるものではない。だから勉強させるために試験するというのは教えるがわのヘリクツだ。」

(「ゆれる大地、関東大震災」〜「流されたうわさ」より)

「わたしは震災のとき以来、国家の名においておこなわれることは一度はうたがってかかり単純には信用しないことにしました。国家とはいったい何なのでしょう。国家のためという人にいくどきいてもなっとくのいく答えをもらったことがありません。
(・・・)
 震災は、わたしの生涯にとって一つの転機になったことはたしかです。中学三年生の九月です。
 満十四歳と五カ月で、わたしの少年期はほぼ終わったことになります。そして、そのころにできあがってしまった人間は、二度と大きく変わることはありませんでした。
 中学一年のとき同級生で、大学のときまたいっしょになった窪田章一郎君は、学校を出てわたしが病気で倒れたころいいました。
「戸井田君は死ぬときも、陽気に笑いながら棺おけへ片足をつっこむかもしれない。」

(「あとがきにかえて」より)

「敗戦後、数年たったころ、友人の父であり大学時代の恩師でもある窪田空穂先生におめにかかりました。不勉強で先生に見ていただけるほどの仕事はしていませんといって、私は頭をだげるだけでした。そんなときいつも辛辣な叱言(こごと)をいう先生でしたが、
「きみなどは生きのびているだけで、それが手柄だよ」
と意外にやさしい言葉がかえってきました。」

「人間が自分の生存を、役に立つとかたたぬとか計ってはいけないことだと、わたしはつくづく考えました。そして、あくまでも生きていようと、ひとり心に決めました。
「生きのびているだけで、それが手柄だよ」という窪田空穂先生の言葉が、いまも耳の底にひびいています。」

(鷲田清一「〔解説〕死と追憶と」より)

「この少年期の自叙伝は、著者六十代の終わりに、おなじ時代を生きる十四、五歳の人たちに語りかけるような思いで書かれた。その新装版の解説を書くにあたってあらためてこの本を開き、思いがけず胸が高鳴った。
《死ぬというもっとも消極的な極限から、逆に死なないですむという方へ向かう生きかたを考えることもまた、まちがいではないと思います。》」

「若い人に生き方の話をするのに、なぜここまで死の話を重ねるのか。それは「生きるためには死を知っていることが自信になる」からだと、戸井田はいう。(・・・)
 そして話を閉じるにあたり、こう述べる。じぶんはずっと、「単なる生存でなく人間として意味ある生活をしたい」と願ってきたけれど、じつはそれがとんでもない傲慢だと気づいた。みな「生きがい」や「生きることの意味」を問い求めるが、それこそ「人間の生命をはかりにかけるごうまんさ」ではないかと。そう、じぶんの生存をいかほどの役に立つかなどと量ってはならないというのだ。」

「戸井田は六年後に上梓された『忘れの構造』のなかで、自身、おぼろげな記憶のなかに包み込まれたそういう感覚の語りえなさと艶やかさとについて、次のように解釈している。
《カラダは私の宇宙のブラック・ホールかもしれない。ブラック・ホールは光より速い速度で万物をひきよせているから見えないのだそうだ。言葉以上の速さで思考が突入する地点、それがカラダであり。思考の言葉にとってそれはナイというほかない。》
 思考の言葉では追いつけないし、摑みようがないのに、いのちのやりとりのうちにしかと刻み込まれているそうした出来事。それれはたいてい、その喪失という感覚のなかでいわば事後的に気づかされる。それらの多くは、時のなかを行き来して生きる私たちにとっては、取り返しがつかないという様態で意識されるほかないものなのだろう。「あやまっても、あやまっても、そのうえあやまっても、なおあやまっても、許してもらえないことが、この世にはあると、知りました」。これも戸井田の述懐である。
 いのちをその追憶のなかに探る人たち、胎児の十ヶ月に地上で生命がたどってきた三十億年の記憶を読んだ解剖学者の三木成夫や、身体の習いや傷跡のなかにいのちの悲哀と信頼とを見澄ました臨床心理家の霜山徳爾の仕事とおなじ平面で、わたしは戸井田道三のこの本を読んだ。」

[目次]

自分と他人はとりかえられない
大事な、十四、五歳

最初のハードル
大森海岸でのこと
母の死
チイちゃんのひとこと

小学一年生のころ
母のない子の熱海
「おまえのためにびりだ」
いじめっ子のアブヨシ

田舎にあずけられて
犬を飼えない生活がある
水中に浮く変な感覚
四季のうつりかわり

父の結婚
『立川文庫』におそわって
新しい母
波音のとまる瞬間の深さへ

病気もわるいとはかぎらない
悪い本ときめたがるのは
死の淵からもどった目にうつるものの美しさ
試験は誰のためにある?

ゆれる大地、関東大震災
気のすすまぬ転校
流されたうわさ
ツネさんの絵

あとがきにかえて

解説(鷲田清一)

◎戸井田 道三(トイダ・ミチゾウ)
1909年、東京生まれ。旧制早稲田中学を経て早稲田大学国文科卒。1933年、中央公論社に入社するが、病のため長い療養生活に入る。1948年、天皇制と能楽の関係を説いた『能芸論』(伊藤書店)を上梓、民俗学、人類学を援用した能や狂言の考察で知られた。1954年より毎日新聞の能評を担当、のち映画評もおこなった。『きものの思想 えりやたもとがものを言う』(毎日新聞社、1968年)で第17回日本エッセイスト・クラブ賞受賞。1988年3月24日没。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?