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井上理津子『師弟百景 “技”をつないでいく職人という生き方』/道元『典座教訓・赴粥飯法』

☆mediopos-3048  2023.3.23

職人に憧れる
職人でありたい
生まれ変わったら
職人になりたいと思う

辛い修行を好んでしたいというのではなく
「もの」をしっかりみて
「もの」にたしかにかかわり
「もの」の変容と創造に関わりたいのである

現代ではかつての職人のイメージにあった
師と弟子の厳しい上下関係のようなあり方とは
ずいぶん変わってきているようだ

本書『師弟百景』には
「俺の背中を見て覚えろ」というのではない
「背中も見せるが、口でも教える。理論も説いて教える」
という「技」をつないでいく新たな姿が描かれている

紹介されているのは
「庭師」「釜師」「仏師」「染織家」「左官」「刀匠」
「江戸切子職人」「文化財修理装潢師」「江戸小紋染職人」
「宮大工」「江戸木版画彫師」「洋傘職人」「英国靴職人」
「硯職人」「宮絵師」「茅葺き職人」といった
16の職人たちの師弟関係である

もちろんぼくが「職人」といっているのは
これらの職をふくむもっとひろい意味でのそれで
音にふかくかかわる音楽家や
言葉にふかくかかわる詩人なども「職人」だと思っている

シュタイナーは手先の不器用な哲学者はいないと示唆しているが
真の哲学者こそまさに手をつかって
「もの」にかかわる者でなければならないのではないかと思う

そして職人について考えるとき
いつも念頭にあるのは
道元の「典座教訓」のなかに書かれてある典座の
「他人がしたことは私がしたことにはならない」という言葉だ

道元から学んだことをひとつだけ挙げよといわれたら
迷わずこの言葉を挙げる
もちろん「食」にこだわりたいというよりも
じぶんで直接かかわることを離れないということである
(個人的には料理するのがわりと好きではあるが)

今の世の中ではひとの上に立って
じぶんでは手をつかわないで
人に命じて「もの」に関わらせることを
重要視するようなところがあるが
まさにそれは
「他人がしたことは私がしたことにはならない」
ということに反することになる

「他人がしたこと」を
「私がしたこと」にして
そこに何の疑いもなくなってしまったとき
ひとはもうひとではなくなってしまっているのではないか

「技」という漢字は「手」が「支える」と記すように
「手」を使わないでたしかなものを「支える」ことはできない

■井上理津子『師弟百景 “技”をつないでいく職人という生き方』
 (辰巳出版 2023/3)
■道元(全訳注 中村璋八・石川力山・中村信幸)
 『典座教訓・赴粥飯法』(講談社学術文庫 1991/7)

(井上理津子『師弟百景』〜「あとがき」より)

「今は昔、職人というのは気難しくて寡黙だ、というイメージがあったと思います。ところが、どうでしょう。ここにご登場いただいた親方たちはちっとも気難しくなく、どちらかというと饒舌でした。血縁以外に門戸を開いている方々だからなのか、全般なのかは分かりませんが、職人世界が変わってきているのは間違いないようです。
 (…)そのような中で、「親方の背中を見て覚えろ」から「背中も見せるが、口でも教える。理論も説いて教える」への移ろいは、指定関係にとって喜ばしいことではないでしょうか。文化の伝承が必要と思っていない師匠はいないはずですし、「分からない。嫌になった」と投げ出す弟子が減るはずだからです。
 今、ゲラをめくりながら、左官の田中昭義さんのページで目は動かなくなりました。〈兄の死に目に遭うよりも、責任感から仕事を優先させた職人〉〈納得ずくの仕事ができなくなり、「給料を下げてくれ」と頼んだ職人〉〈余命宣告された日、最後の入院となる前日、自分の仕事場を隅々まで掃除し、道具を磨きあげた職人〉のくだり、「職人の責任感とプライドが滲む生き方」に惚れ惚れするのは、私だけではないと思います。さらに心惹かれるのは、田中さんがそうした生き方を次世代に「伝えたい」と言い、「継いでほしい」と言わなかったことです。親方たるもの、横暴な言など吐かず、後進に様々な「材料」を与えるにとどめる配慮をお持ちなのです。」

(道元(『典座教訓・赴粥飯法』〜「典座教訓 一二 中国留学中の体験1他は是れ吾れにあらず」より)

「私が中国に留学して、天童山で修行していた折、地元の寧波府出身の用という方が典座の職に任じられていた。私は、昼食が終わったので、東の廊下を通って超然斎という部屋へ行こうとしていた途中、用典座は仏殿の前で海藻を干していた。その様子は、手には竹の杖をつき、頭には笠さえかぶっていなかった。太陽はかっかっと照りつけ、敷き瓦も焼けつくように熱くなっていたが、その中でさかんに汗を流しながら歩きまわり、一心不乱に海藻を干しており、大分苦しそうである。背骨は弓のように曲がり、大きな眉はまるで鶴のように真っ白である。私はそばに寄って、典座の年を尋ねた。すると典座は言う、「六十八才である」。私はさらに訪ねて言う。「どうしてそんなお年で、典座の下役や雇い人を使ってやらせないのですか」。典座は言う、「他人がしたことは私がしたことにはならない」。私はこんなに熱いのに、どうして強いてこのようなことをなさるのですか」。典座は言う、「(海藻を干すのに、今のこの時間が最適である)この時間帯をはずしていつやろうというのか」、これを聞いて、私はもう質問することができなかった。私は廊下を歩きながら、心のなかで、典座職がいかに大切な仕事であるかということが肝に銘じた。」

◎井上理津子(いのうえ・りつこ)プロフィール
日本文藝家協会会員。1955年、奈良市生まれ。ライター。
大阪を拠点に人物ルポ、旅、酒場などをテーマに取材・執筆をつづけ、2010年に東京に移住。
『さいごの色街 飛田』(筑摩書房のちに新潮文庫)『葬送の仕事師たち』(新潮社)といった、現代社会における性や死をテーマに取り組んだノンフィクション作品を次々と発表し話題となる。
近著に『ぶらり大阪 味な店めぐり』(産業編集センター)『絶滅危惧個人商店』(筑摩書房)など。

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