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山下正太郎 巻頭言「さえずり機械」 (『WORKSIGHT[ワークサイト]24号 鳥類学 Ornithology』)

☆mediopos3552(2024.8.10)

WORKSIGHT24号の特集は「鳥類学 Ornithology」

「古来から人間と深い結びつきをもつ「鳥」。
その神話性、生物学的意義、群体のメカニズム、
市井の生活者との関わりなどから、
まるで並行世界のように広がる鳥の世界を仰ぎ見る特集」

今回は山下正太郎編集長による巻頭言「さえずり機械」より

「さえずり機械」といえば
パウル・クレーの作品(1922年)

クレーは「生涯にわたって鳥に魅了されたひとり」であり
「彼にとって鳥は、自由、精神性、創造性の象徴として
作品に頻繁に登場する存在であった」

そして「クレーの作品における鳥は、
単なるモチーフ以上のポジティブな意味をもち、
彼の内面世界や精神的探求を反映する重要な対象となっている」

『黄色い鳥のいる風景』のように
「鮮やかな黄色い鳥を強調することで、
希望や幸福、活力を象徴している」こともあれば

『天使というよりむしろ鳥』のように
「見えない世界へといざなうメタファーとして
鳥を無垢な天使に見立てている」こともあるが

『さえずり機械』には
「未来への希望と恐怖を象徴する」テクノロジーの影響が見られる

この作品が描かれた1922年という時代背景には
当時ドイツがおかれていた社会状況
「革命による帝政の崩壊、ハイパーインフレ、
労働者のストライキ、そしてヴェルサイユ条約による
莫大な戦争賠償金など、政治的・経済的な混乱」があり
さらに「1919年にドイツ労働者党として結成された
ナチスの台頭」があった

それは当時の「絶望と混乱からの反動」でもあり
「同時に浮上してきた希望の光」である
「テクノロジー」があった

「1919年に設立されたバウハウス」もまた
「その創設からしてテクノロジーと密接に結びついていた」が
クレーは「カンディンスキーに誘われるかたちで、
1921年にバウハウスの教授として招聘され」ている

『さえずり機械』が制作されたのはその直後のことだが
クレーの態度は同時代の芸術家たちの
テクノロジーに対する意識とはずいぶん異なっていた

たとえば「バウハウスに先行して、
テクノロジーの美学を探求したイタリアの未来派」は
自然を「無音で構成され、退屈なもの」ととらえていた

『さえずり機械』は「バウハウスの理想と
クレーの内なる葛藤がないまぜに」なった作品であり
「テクノロジーに対する希望と不安が交錯する時代にあって、
クレーは機械の冷たさと人間の感情の温かさ、
そのふたつの相反する要素を描き出そうと」している

「奏でられる時代の不協和音を、
クランクでつながれた針金の鳥たちが
奏でる五線譜として描くことで、
テクノロジーに隷属させられ、自律性を失いながらも
抗おうとする自然や人類がその存在を訴えてくる」

「自らの意志でもなく、さりとて他律でもない、
さながら小鳥のさえずりに
何かのメッセージを読み解くかのように、
時代のうごめきを画面に収めた」ともいえるだろうか

山下編集長はこの「さえずり機械」を
「ソーシャルメディアという絶え間ないさえずり」に重ねている

「クレーの作品名そのままのタイトルを冠した政治学者
リチャード・シーモアが書いた『The Twittering Machine』」は
「現代のデジタル社会がどれほどディストピア的な状況に
陥っているかを鋭く描き出している」

「クレーもまた、テクノロジーに駆動された戦争を賛美する
未来派がファシズムに取り込まれていったことを、
きっと横目に見ていた」であろうように

現状においてはマスメディアやソーシャルメディアだけではなく
AI的なテクノロジーふくめ
それらに対して無自覚なとき
それらがいかにディストピア的な状況を招くかが
如実であるにもかかわらず
テクノロジーに使われ「さえずり」続ける人は後を絶たない

すでに「さえずる」のはなく機械がさえずっているのを
麻薬のように享受しその背後にあるものの姿を
とらえられなくなっているともいえる

クレーが現在に生きていたら
スマホのような機械のなかに棲んで
呆けた顔をしている天使など描きもしただろうか

■山下正太郎 巻頭言「さえずり機械」
 (『WORKSIGHT[ワークサイト]24号 鳥類学 Ornithology』
  WORKSIGHT編集部(ヨコク研究所+黒鳥社) 2024/8)

*「朝露に濡れた木々の間を飛び交う鳥たち。その姿は、まるで自由そのものだ。彼らの羽ばたきは空気を切り裂き、聞いたことのない音楽を奏でる。鳥たちは、人間の目には見えない風の道を知っている。彼らの歌は太陽の光や草花のざわめきと共鳴し、大自然の一部となる。その姿は、無限の自由と解放の象徴である。

 人間と鳥の関係は古く深い。わたしたちは鳥に憧れ、その自由を夢見てきた。鳥は神話や伝説においても重要な役割を果たし、心に深く刻まれている。イカロスのように、空への憧れが人間の限界を超えさせることもあれば、不死鳥のように再生と希望を象徴することもある。時には八咫烏のように吉報を伝えることも、不吉な予兆を伝える存在となることもある。

 抽象表現主義やシュルレアリスムなどの後続の芸術運動はじめ、近現代のデザインシーンに大きな影響を与えた画家のパウル・クレー(1879〜1940)もまた、生涯にわたって鳥に魅了されたひとりだ。彼にとって鳥は、自由、精神性、創造性の象徴として作品に頻繁に登場する存在であった。『黄色い鳥のいる風景』では、クレー独自の色彩理論や抽象的表現の探求によって、作品にはリズムと調和が生まれ、鮮やかな黄色い鳥を強調することで、希望や幸福、活力を象徴している。

 また、クレーは子どもの純粋な視点や無邪気さを重視しており、鳥はその象徴として、遊び心や喜びを表現する手段となっていた。亡くなる前年に難病の強皮症を患いながら、不自由な手で描いたシンプルな天使の絵の連作のなかの『天使というよりむしろ鳥』では、見えない世界へといざなうメタファーとして鳥を無垢な天使に見立てている。

 このように、クレーの作品における鳥は、単なるモチーフ以上のポジティブな意味をもち、彼の内面世界や精神的探求を反映する重要な対象となっている。

・テクノロジーの夜明け

*「しかし、『さえずり機械』(独Die Zwitscher-Maschine/英Twittering Machine)というドローイングに向き合うとき、わたしたちは一種の不安と奇妙な心地に包まれる。羽毛をむしり取られ、痩せこけた骨のような4羽の小鳥たちがクランク状の止まり木に縛り付けられている。そしてその止まり木はハンドルによって動かされ、回されるたびに、鳥たちはまるで操り人形のように上下に揺れ動き、激しく首を振り回しながら、釣り針のような舌を突き出してけたたましく鳴く。その姿は、まるで五線譜に並んだ音符が狂気に駆られて踊り出したかのようだ。

 背景には、不均一に塗られた不穏な青色が広がり、その上にはくすんだピンクや灰色の染みが点在している。異様な背景に囲まれ、まるで何かに追い詰められている鳥たちの様子は、見る者に不安と不穏さを感じさせる。

 この作品が制作された1922年、パウル・クレーを取り巻く社会情勢を考えると、わたしたちはこの絵の背後にある意味に気づくかもしれない。1910年代から1920年代にかけてのドイツは、革命による帝政の崩壊、ハイパーインフレ、労働者のストライキ、そしてヴェルサイユ条約による莫大な戦争賠償金など、政治的・経済的な混乱の渦中にあった。1919年にドイツ労働者党として結成されたナチスの台頭は、こうした絶望と混乱からの反動であった。そして、同時に浮上してきた希望の光、それがテクノロジーだった。

 テクノロジーは、未来への希望と恐怖を象徴するものであり、クレーの作品にもその影響が如実に表れている。『さえずり機械』の鳥たちは、機械に囚われた存在として、人間の心の奥底に潜む不安と希望の両方を映し出しているのかもしれない。その奇妙な動きと音、異様な背景が、ひとつの時代の終焉と新たな時代の始まりを告げる象徴として、わたしたちに強烈な印象を与える。

・不安と希望のさえずり

*「1919年に設立されたバウハウスは、その創設からしてテクノロジーと密接に結びついていた。第一次世界大戦後の社会的・経済的混乱のなかで、ヴァルター・グロピウスは技術と芸術を統合する革新的な教育機関を創立し、工業技術の可能性を芸術に取り入れることを目指したのだった。バウハウスは機械時代の美学を積極的に採用し、機械生産の効率性と合理性を重視したシンプルで機能的なデザインを追求した。クレーは、親友であるカンディンスキーに誘われるかたちで、1921年にバウハウスの教授として招聘された。

 『さえずり機械』を制作したのは、まさにその直後だった。この態度が同時代の芸術家たちのテクノロジーに対する意識といかに異なっていたか。バウハウスに先行して、テクノロジーの美学を探求したイタリアの未来派において、作曲家であり楽器開発も手掛けたルイジ・ルッソロが1913年に発表したマニフェスト『騒音芸術』(伊L’Arte dei rumori/英The Art of Noises)を見れば、未来派にとっては、いかに自然が無音で構成され、退屈なものだと考えていたか理解できる。

 金属パイプのなかの水や空気やガスの音、明らかに獣のような息遣いをするエンジンの轟音やネズミの鳴き声、ピストンの上昇と下降、機械ノコギリのけたたましさ、レールの上を走るトロッコの大きなジャンプ音、鞭の音、旗のはためく音などを聞き分け、感性の楽しみを変えてみよう。デパートの引き戸、群衆の喧騒、鉄道駅、製鉄所、紡績工場、印刷所、発電所、地下鉄のさまざまな轟音をオーケストラのように想像するのも楽しいだろう。そして忘れてはならないのが、近代戦争の新しい騒音である。

 『さえずり機械』は、バウハウスの理想とクレーの内なる葛藤がないまぜになった作品である。テクノロジーに対する希望と不安が交錯する時代にあって、クレーは機械の冷たさと人間の感情の温かさ、そのふたつの相反する要素を描き出そうとした。奏でられる時代の不協和音を、クランクでつながれた針金の鳥たちが奏でる五線譜として描くことで、テクノロジーに隷属させられ、自律性を失いながらも抗おうとする自然や人類がその存在を訴えてくる。彼は、ドローイングについて「自由に動き回る散歩に出た活動的な線」と表現し、自らの意志でもなく、さりとて他律でもない、さながら小鳥のさえずりに何かのメッセージを読み解くかのように、時代のうごめきを画面に収めたのだった。

・ツイッターの牢獄

*「いまやわたしたちは、ソーシャルメディアという絶え間ないさえずりを手に入れた。クレーの作品名そのままのタイトルを冠した政治学者リチャード・シーモアが書いた『The Twittering Machine』は、現代のデジタル社会がどれほどディストピア的な状況に陥っているかを鋭く描き出している。シーモアは、ソーシャルメディアが道徳性をもたず、わたしたちの注意を独占し、わたしたちの弱点を食い物にしていると主張する。そしてその最大の罪は「回想能力の窃盗」であり、わたしたちの生活がデジタル化されるにつれて、常に書き続け、記録され続けるというファシズム的な傾向を助長する可能性を警告している。クレーもまた、テクノロジーに駆動された戦争を賛美する未来派がファシズムに取り込まれていったことを、きっと横目に見ていたことだろう。

 『さえずり機械』に描かれた鳥たちの存在は、日常のなかに潜む恐怖と美しさという両面の意味を再発見する手助けをしてくれる。おそらくクレーは、単にテクノロジーに対する警鐘を鳴らすためだけにこの作品を描いたのではない。彼のペンが散歩をするかのように動くとき、それは世界のさえずりに耳を澄ますことから始まった。そのことを忘れてはならないのだ。」

○山下正太郎|Shotaro Yamashita
本誌編集長/コクヨ ヨコク研究所・ワークスタイル研究所 所長。2011 年『WORKSIGHT』創刊。同年、未来の働き方を考える研究機関「WORKSIGHT LAB.」(現ワークスタイル研究所)を立ち上げる。2019年より、京都工芸繊維大学 特任准教授を兼任。2022年、未来社会のオルタナティブを研究/実践するリサーチ&デザインラボ「ヨコク研究所」を設立。

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