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友田健太郎『自称詞〈僕〉の歴史』

☆mediopos-3155  2023.7.8

いまや「僕(ボク・ぼく)」は
男性の自称詞として
一般的に使われているようになっている

本書で「代名詞」ではなく
「自称詞」という表現が使われているのは
欧州系の言語における代名詞と比べて
日本語の自称する言葉には
さまざまなニュアンスがあるからだ

典型的なのは〈私〉〈俺〉〈僕〉の三つだが
じぶんのことを属性や身分で呼んだり
自分の名前で自分を呼ぶこともある

「僕」という自称詞だが
今年のWBCでも選手から監督まで
「俺」や「私」ではなく
ほとんど「僕」が使われていた

「俺」や「私」という自称よりも
「僕」が一般的に使われはじめたのは
一九七〇年代以降のことで
とくに最近になってよく使われるようになっている

「僕」という言葉は
かつて中国の司馬遷の時代
謙譲の意味として
また「文人としての自意識」を
「話し相手と共有する仲間意識」を
表現するもので

それが日本で最初に使われたことが確認できるのは
『古事記』におけるスサノヲノミコトの言葉であり
謙譲の意味だけで使われていた

その後平安時代から江戸時代に入るまで
〈僕〉が使われることはほとんどなかったようだが
元禄時代の前後になって儒学を学ぶ者たちが
かつて中国(「師道論」)において使われた
「対等の関係を表す自称詞〈僕〉」をまね
「身分社会の秩序を超えた連帯のあいさつを送り合」う
ようになってからのこと

その連帯のネットワークが幕末の政治運動において
とくに吉田松陰とその弟子たちが「自称詞〈僕〉を使い、
身分や立場の大きな差を乗り越えて連帯の輪を広げ、
政治活動に生かしていった」のだという

そして明治時代において自称詞〈僕〉は
「学童の言葉として階級を超えて広がっていく」のだが
「大人になってもまだ〈僕〉を使っているのは」
「高学歴者や文学者などの文化人が主」で
「社会的なステータスをも示す自称詞」で
この傾向は戦後も一九七〇年代頃まで残っていた

その後学生運動の挫折後の世代の作家たちが
「伝統や束縛から切り離された自由な感性を
自称詞〈僕〉に込めて表現」するようになったこともあり
〈僕〉は現在のように誰もが自然に使われるようになり
先のWBCの例にもみられるように
公の場でも一般的になってきている

しかしそれはあくまでも男性における自称詞であり
女性一般において抵抗なく
「僕」が使用されているわけではない
これは小学校教育から
女子が〈わたし〉男子が〈ぼく〉を使うという
「男女別自称詞」が戦前と変わらず
踏襲されているからでもある

この是非に関してはさまざまな考え方があるが
少なくとも女子が〈わたし〉という自称詞を
習得するにあたっては
男子が〈ぼく〉をそしてその後〈わたし〉を
習得するプロセスはそれなりの違いがあるようである

著者も示唆しているように
「〈僕〉という自称詞は、一つの言葉にすぎないが、
日本社会や日本語の現在を示す、有効な視点となりうる」
ということはたしかだろう

本書を読みながら
歌手でタレントの「あのちゃん」が
「ぼく」という一人称を使っていたりするのを
あらためて見てみたりもしたが
いまはまだ少しばかり特別に感じられる女性の「ぼく」も
そのうち一般化していくこともあるのかもしれない
そんな印象を受けたりもした

さまざまに表現される日本語の「自称詞」だが
その変化が言語を貧しくするのではなく
豊かにしていく方向へと向かっていきますように

■友田健太郎『自称詞〈僕〉の歴史』
 (河出新書 河出書房新社 2023/6)

(「はじめに」より)

「これは〈僕〉に関する本である。
 〈僕〉とは(・・・)(主に)男性の使う自称詞(「一人称代名詞」)〈僕〉のことだ。」

「よく考えてみれば、やはり不思議である。英語ならI、中国語なら我(wǒ)、日本語と文法の近い韓国・朝鮮語でも나(ナ)(目上の人に対しては저(チョ)も使う)というように、一人称はほぼ一種類に限られている。それが、日本語では(主なものだけで)三つもある。
 さらに不思議なのは、この選択肢は女性には与えられていないことだ。女性は(少なくとも東京を中心とした地域では)〈おれ〉や〈僕〉は使わないことになっており、もっぱら〈私〉を使っている。女性も〈おれ〉や〈僕〉を友達などの仲間うちで使うことはあるが、より開かれた場で女性がこれらの言葉を使おうとすると、何らかの抵抗に直面する。(・・・)
 場による選択ということを考えても、〈僕〉という言葉には際だって不思議な性質がある。〈私〉という言葉は公共の場で使う謙譲語、〈おれ〉は私的な場向きのくだけた言葉、とその言葉を使う場面は比較的はっきりしている。ところは〈僕〉はそんなにはっきりしたものではない。」

(「第1章〈僕〉という問題」より)

「どうしてこの本では「自称詞」という言葉を使うのか。
(・・・)
 英語など欧州系の言語では、代名詞には名詞とは違う性質がある。
 (・・・)
 そしてその言葉自体は無色透明で何のニュアンスも含まれていない。たとえばIよいう言葉は自分を指す記号でしかなく、そこからこの人がどんな人か推測することはまったくできない。このようにただの名詞とははっきり違うものなので、名詞とは別の「代名詞」というカテゴリーになっているのである。
 そう考えると、日本語の〈私〉〈俺〉〈僕〉などは欧州系言語の代名詞とはまったく異なることがわかる。文法的に名詞と違うところはないし、それぞれにニュアンスがあり、使う人の人柄を感じさせる。また、様々なバリエーションに見られるように、増殖していく性格がある。日常の会話では自分のことを〈お母さん〉〈先生〉など属性や身分で呼んだり、若い女性によく見られるように、自分の名前で自分を呼ぶこともある(こうしたことは欧州系の言語でも可能だが、日本語よりもずっと少ない)。これらも広い意味で自称詞の一種と考えれば、日本語の自称詞は無限にあるとさえ言えるだろう。
 こうしたことからこれらの言葉は「代名詞」というよりは「自称詞」という名詞の一種と考えるのはよいということになるのである。」

「近年〈僕〉の使用が目立ってきているということは、かつて〈私〉や〈俺〉などが使われていたような場で〈僕〉を選択する男性が増えているとうことだと考えられる。具体的に言えば、これまで紹介したスポーツ選手や「ひと」欄で取材された人たちのように、以前なら〈私〉を使う場で〈僕〉を使ったり、またEXILEのメンバーのように、〈俺〉と言ってもよさそうな場合に〈僕〉を使ったりするということである。」

「大谷選手が記者会見やインタビューなどで使う自称詞〈僕〉は、さわやかでりりしいイメージにぴたtりはまっている。
 大谷選手だけではない。最高齢選手で「精神的支柱」とも言われたダルビッシュ有選手から若手選手たち、さらには栗山英樹監督まで、(WBCの)メンバーは公の場ではもっぱら自称詞〈僕〉を使った。二〇二三年現在、そのことに違和感を抱く人はまずいないだろう。
 しかし、考えてみれば、かつての野球界では、〈ワシ〉〈ワイ〉といったいかつい印象の自称詞が当然のように飛び交っていた。いつの間にか、そうした自称詞は使われなくなり、ビジネスマナーではNGのはずの〈僕〉が、公の場の「正解」のはずの〈私〉をも押しのけて、すっかり一般的になっているのである。考えてみれば不思議なことである。」

「日本語は一部の言語学者からは「主語がない」言語と言われる。日本語は
「あした学校に来る?」
「行きますよ」
 などのように、ほとんどの文は主語がなくても成立する。これを「主語が省略されている」と言ってもいいが、「そもそも(特別な存在としての)主語がない」と考える言語学者も覆いのだ。欧米系言語の場合、主語は動詞の形を左右するなど、文の根幹を決める役割を担っているのに、日本語はそうではないからだ。
 「主語がない」のか、「主語が省略されている」のか、この点は言語学者の間でも意見や表現の違いがあるが、いずれにしれも、欧米系言語に比べ、主語の存在が極めて軽いには事実だろう。
 特に会話の際は、「あなたは」などと相手を指して言うことは少なく、むしろ省略する方が普通だ。どうしても相手を指す言葉が必要な場合は、〈あなた〉〈君〉などの対称詞を避けて、相手の属性や身分(「お父さん」「部長」など)を使うことも覆い。
 そうした中で、相手が目下の場合には、「あなたはもっと真面目に勉強しなさい」などと対称詞を使うこともある。あるいは親しい友人や夫婦などの場合には〈君〉〈あなた〉などの対称詞を使いやすい。このようにあまり使わない対称詞をあえて用いるだけで、気安い感じが出てしまうのだ。」

(「第2章〈僕〉の来歴————古代から江戸時代後期まで」より)

「現存する日本最古の書である『古事記』で、〈僕〉はすでに使われていた。最初に〈僕〉を使って話すのはスサノヲノミコト(以下スサノヲ)。」

「ちなみに読みは「ぼく」ではなかった。仮名がまだ発明されていたかった当時のこと、実際どう読まれていたのか、確証はない。」

「現代では主に対等な関係で使われる〈僕〉だが、『古事記』でははっきりと立場が下の者が上の者に対して自分を指して使う謙譲語としての用法がすべてである。」

「〈僕〉は、もともと中国で使われていた自称詞である。
『古事記』と『日本書紀』は天皇の命令で朝廷の役人が編纂したものだが、当時の役人たちは中国の文献に親しんでいた。(・・・)中国では司馬遷が『史記』を編纂したのを皮切りに、多くの歴史書が編纂され、日本にも伝わってきていた。
(・・・)
 〈僕〉は本来、奴僕の意味であり、その実態はいわゆる奴隷から単なる使用人まで幅広いが、人に使われる立場を表す字である。これが謙譲の自称詞としても使われるようになった。似た意味で漢文で使われる字に〈臣〉がある。今では「大臣」など地位が高いイメージもあるが、もともとは奴隷のような者をも指した。」

「『文選』や『漢書』で使われていた〈僕〉には二つの意味合いが感じられる。
 一つは謙譲の意味である。
(・・・)
 その一方で、〈僕〉という言葉にはもうひとつの意味合いが感じられる。それは文人としての自意識であり、それを話し相手と共有する仲間意識である。」

「『古事記』『日本書紀』を見る限りでは、当時の大和朝廷の役人たちが使ったのは、前者、つまり謙譲の意味合いの〈僕〉だけであったようだ。
(・・・)
 この列島で〈僕〉を使う文人たちの間に友情の花が開くには、それから千年近い時が必要であった。」

「平安時代から以降、江戸時代に入るまで、〈僕〉の用例は極めて少ない。」

(「終章 女性と〈僕〉————自由を求めて」より)

「〈僕〉は古代に中国から日本に入ってきたが、中世には文献から消え、再び見られるようになったのは、十七世紀後半、元禄時代の前後であった。それは、戦乱の世がようやく遠い記憶となり、武士たちの関心が学問に向かい始めた時機であった。そのような時代に、儒学を学ぶ者たちは中国の「師道論」に注目し、そこで使われた対等の関係を表す自称詞〈僕〉をまねて、身分社会の秩序を超えた連帯のあいさつを送り合った。
 泰平の世が長く続き、学問が普及するに伴い、自称詞〈僕〉は武士や文人の間で広く使われるようになる。儒学だけでなく、国学や蘭学、また漢詩、和歌、俳句、絵や芝居などの文化の華が開く場で、しばしば自称詞〈僕〉を用い、身分の上下を超えた交流の網が日本中に広がっていった。
 幕末の政治運動では、このネットワークが大きな役割を果たす。身分社会から(まがりなりにも)「四民平等」がうたわれる近代社会への転換点で、志士たちの出会いの場はしばしば藩校や私塾であり、活動の背景には、教育や学問を通じた交流があった。志士たちが教育の場で使われる自称詞〈僕〉を互いに用いたのはそのためだった、その代表例が吉田松陰とその弟子たちであり、彼らは自称詞〈僕〉を使い、身分や立場の大きな差を乗り越えて連帯の輪を広げ、政治活動に生かしていったのだった。
 そして迎えた明治時代には、自称詞〈僕〉は学校教育と結びつき、学童の言葉として階級を超えて広がっていく。しかし、子供はともかく、大人になってもまだ〈僕〉を使っているのは、教育を受ける期間の長い高学歴者や文学者などの文化人が主だった。その意味で〈僕〉は、社会的なステータスをも示す自称詞だった。この傾向は、戦後になっても一九七〇年代頃まで残っていた。一九七〇年前後の学生運動の参加者が〈僕〉を使っていたのはその最後の名残だった。
 学生運動の挫折を背景に登場した三田誠広や村上春樹らの文学者は、伝統や束縛から切り離された自由な感性を自称詞〈僕〉に込めて表現した。大学進学率も上がり、〈僕〉使用が少しずつ「大衆化」する中で、こうした作家たちはその先頭に立つことになった。
 現在、〈僕〉は誰が使ってもおかしくない自称詞となった。〈私〉に代わり、公の場で使われる機械も増えている。〈俺〉〈私〉と異なる「柔らかさ・丁寧さ」「優しさ」「りりしさ」「純粋さ」などを示す自称詞として、一層一般化しつつある。」
 ここまでのストーリーにはしかし、大きな欠陥がある。人口の半分を占める女性こそがそれであることは言うまでもない。〈僕〉が一般化した現代においても、女性が公の場で〈僕〉を使えば、確実に一目をひく。」

「教室で女子が〈わたし〉、男子が〈ぼく〉を使うという区別は、戦後の教育でも戦前と変わらず踏襲された。(・・・)
 「ジェンダー別国民化」の思想は、戦後否定されたはずだが、「男女別自称詞」という形ではしぶとく生き残り、学校教育の場を通じて今も再生産されているように見える。」

「男子は幼稚園の段階で〈僕〉や〈俺〉の使用を始めることが多いが、女子の場合、家庭だけでなく幼稚園などでも自分の名前や相性を自称として用いることが多く、〈わたし〉を使い始めるのにはかなりの抵抗があるようだ。その理由として言語学者の井出祥子は〈わたし〉に伴う①フォーマリティ(形式性、堅苦しさ)や②女性性(女っぽさ)への抵抗感を挙げている。〈わたし〉を使うことで自分を喪って社会に取り込まれ、また女性として男性から性的に見られる主体であることを認めるような意味合いがあるということだ。
 一方、男性の〈僕〉や〈俺〉には個人的な響きがあり、使用に抵抗感は少ない。男性が社会人として〈わたし〉を使い始めるのは就職してからのことになるが、女性にはそのクッションが認められていない。
 そのため、女性は〈わたし〉を使い始めるまでの間、自分の名前や愛称を使ったり、より個人的な響きのある〈うち〉を使ったりする。「模索の時期」は個人差があるが、小学校から高校にかけて続く。こうした模索の中で、女性が、一時的ではあれ〈僕〉や〈俺〉を使用する機会はかつてよりも格段に増えているのだ。」

「今後どのように使われていくにせよ、その使われ方は、必ずその時々の人々の思いを映すことになるだろう。〈僕〉という自称詞は、一つの言葉にすぎないが、日本社会や日本語の現在を示す、有効な視点となりうるのだ。」

○友田健太郎プロフィール
1967年生まれ。歴史研究者。日本語教師。放送大学修士(日本政治思想史)。1991年、東京大学卒。新聞社勤務後、ニューヨーク州立大学バッファロー校にて経済学修士号を取得。

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