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INTERVIEW 02 一般社団法人イノラボ・インターナショナル 共同代表 井上有紀「勇気のもち方/ 2つの世界の合間にあるグレーゾーンに立ち続ける勇気をもとう」(ミラツク『反集中』所収)

☆mediopos-3033  2023.3.8

mediopos-3027(2023.3.2)でとりあげた『反集中』から
今回はINTERVIEW 02 井上有紀「勇気のもち方」について

「勇気」というのは
「白黒ハッキリつけずに、グレーゾーンに居続ける」ということ

いま私たちは「ふたつの大きな流れの合間を生きている」という

「ひとつは、ヒーローモデルで短期的にアウトプットを求められ、
交感神経優位で競争的で勝つことを重視する世界の流れ」

もうひとつは
「副交感神経優位にていねいに今を生きている感じのなかで、
長期的に見たときに大事なことは何かを問いながら、
集合的にそれぞれが役割を果たして
社会が変わっていくような世界の流れ」

世の中で生き抜いていこうとすると
前者のヒーローモデルがクローズアップされやすいけれど
後者の長期的な視点がこれからはだいじになってくる

社会的な評価(承認)を求めようとするならば
みずからを前者にフォーカスすることになるが
個人的にはそれに関わろうなどとは到底思わない
だからといって否応なく世の中に関わらざるをえないときには
ある程度の結果を残さないで生きてはいけない

しかも後者の視点を問いつづけるといっても
そこに明確なビジョンを持つというのはむずかしい

否応なく「ふたつの大きな流れの合間を生き」て
「白黒ハッキリつけずに、グレーゾーンに居続け」ることになる

これは社会的な視点だけにかぎらず
白でも黒でもなく
さらにあえていえば
グレーゾーンでさえない
そんなどこにも見出せないような場所に居続けることでしか
未知の可能性はひらかれないのかもしれない

このインタビューの最後に興味深い話がでている

「時代を勝ち抜いた強者は逆に絶滅してしまう」
という生物進化の話である

「弱いものほど次の戦略を考えるから、
結果として進化して生き延びているんですよね。
必ずしも時代の強者が生き残るというわけではない 」

いま目の前にぶらさがっているニンジンだけを追いかけて
そのニンジンを食べようとするというよりも
それ以外の食べ物を見つける方法も見つけておくほうが
(もちろん目の前のニンジンも食べられたほうがいいだろうが)
生きのびる可能性は高いということだろう

生きのびるというのは
じぶんだけではなく他者をも生かす可能性であり
またいまこの生命だけではなく
霊的な意味で多次元存在として生きるという意味においても
可能性を開いておくということである

■INTERVIEW 02 一般社団法人イノラボ・インターナショナル 共同代表 井上有紀(インタビュアー:西村勇哉)
「勇気のもち方/
 2つの世界の合間にあるグレーゾーンに立ち続ける勇気をもとう」
 (NPO法人ミラツク編
 『反集中――行先の見えない時代を拓く、視点と問い MIRATUKU FUTURE INSIGHTS』
 (ミラツク 2022/12)所収)

(「今、この身体で感じていることは、社会変革につなげられるだろうか」より)

「西村勇哉/今日のインタビューも有紀さんをくわしく知らない人に「そういうことだったんですね」と思ってもらえるといいなと思います。まずは「何をしている人か」をざっくりと話してもらえますか。

井上有紀/大学院で「ソーシャルイノベーションのスケールアウト」をテーマに研究をしていました。型破りな方法で社会を変革しようとする人たちが、そのイノベーションをいろんな地域で展開・拡散することに興味を持っていました。卒業後も引き続き、同じテーマでリサーチをしたり、社会起業家の人たちと一緒に事業展開を考えたりする仕事をしてきました。
2012年〜2014年までは、米・カリフォルニア州で暮らしながら、いろんな先駆者からトレーニングを受けて人の意識変容と社会変容の関係について探求していました。帰国してからは、社会変革に取り組むソーシャル・リーダーの人たちと共に、自分自身や組織、取り組む社会課題についていつもと違う角度から捉えたり体感するワークショップをファシリテートする仕事をしてきました。この1年ほどは、スタンフォード大学が出している雑誌『スタンフォード・ソーシャルイノベーション・レビュー(SSIR)』の日本版立ち上げに関わっています。」

(「ソーシャルイノベーションのスケールアウトはマインドセット・シフトとともに起きる」より)

「井上有紀/マインドセット・シフトが起こりやすくするためには、まずは、「今自分はどんなマインドをもっているのか」に気がつくことが必要です。過去の経験の蓄積からできてきた普段はあまり意識していないマインドセットや行動パターンを認知して、自分が望む結果につながっていないとわかれば新しい選択肢の存在に気づき行動を変えていく。これは結構エネルギーを要することなんだけど、社会変革に関わる起業家も、事業に関わるスタッフも、ホームレスの状態にある人にもなにかしらの方法で必要だと思います。
ソーシャルイノベーションを展開しようとするときには、こういう無意識下で起きていることがたくさんあるので、それをできるだけ意識してみると、実は変化を早くするんじゃないかと思うんです。

西村勇哉/僕のバックグラウンドは心理学だけど、扱っていたのはどちらかというと顕在意識だったし、認知構造の研究だったので盲点みたいなところにはあまり踏み込まない。特に、意識の変容というところには、少し遠い存在でもあった。そんななかで、ユング派の心理学者・アーノルド・ミンデルのプロセスワーク(プロセス志向心理学)に出会ったとき、むちゃくちゃ踏み込む人たちがいるんだ!と思いました。
でも、実際に受けてみると、コントロールされている感じもない。常に自分の選択が残されているのを感じました。変容していくと、気づかなかった視点がいつの間にか「自分のなかに普通にある」みたいになるし、だんだん自分自身と自分の身に起きることを客観的に眺められるようになるのがすごく面白かったんですね。
よくカウンセリングは、「病気を治すもの」「間違えた道を正すもの」と捉えられていて、精神医療のカテゴリに入れられています。でも本来的には、何か困っている人が自分自身の力を使って変容して自立するプロセスだから、何かを変えたいときにそのまま使うこともできる。そう思います。そんな中、カウンセリングとソーシャルイノベーションという、この2つの領域のブリッジングが、なんで有紀さんのなかでスパッと起きたんでしょう? (…)

井上有紀/何がしっくりきたんだろう? たしかに、私はカウンセラーではないし、心理学の専門家でもない。いわゆる「病気」と診断される人以外も、カウンセリング的な手法にアクセスしやすくしたいと思ったんですね。
「しっくりきた」のは、私自身もそれが必要だったからだと思います。「トラウマ」というと、大きな事故や虐待の経験とか割と大きなことだと捉えていたけれど、全然そんなことはないんですよね。「子どもの頃、誰かに言われた一言がずっと引っかかっている」みたいなことも含めてトラウマだし、私にも向き合ったほうがいいことがあったんだと思う。
例えば、社会起業家のなかには、事業に対する高い評価と期待がしがらみになって、「自分の中のステージは変わっているのに抜け出せない」という人がいます。そこには意外とその人自身の無意識のパターンが関係していることがある。もし、トラウマや向きあうべきものが解消されれば、トランジション(移行)が進んで、自分に対して「次に進んでいいんだよ」とパーミッションを出せるようになると思います。組織も、リーダーの変化に伴って進化したり次のステージに進むきっかけが得られることも多いですし。
昔であれば、大人になるための割礼や成人儀式のような通過儀礼があったけれど、今は大人になった後も、自分でトランジションのプロセスを意識してつくらないといけない。これは、起業家に限った話ではなくてみんなに必要なことだと思うんだけど、その方法があまり知られていないんじゃないかな。

西村勇哉/(…)人生的にはトランジションのタイミングはどんどんやってきます。起業家であれば、事業的なトランジションもどんどんきます。本来は、それを迎えて受け入れる知恵があったはずなんだけど、なくなってしまっているから違う形で取り戻すということなのかなと思います。
一方で、儀礼があればよいのかというとそうではなくて。もともとの通過儀礼は民族や土地固有のものだったけれど、今は民族や国を超えてチームを組んでコラボレーションしています。改めて、新しい儀礼を模索するうえでは昔の儀礼をもとにつくっているのかなと思います。
僕は、世界に対する予防線みたいなところが、ソーシャルイノベーションの本質だと思っていて。自分が苦手だなと思う“針のむしろ”を見つけたら、通過儀礼的にとらえて積極的に飛び込むようにしています。放っておくと、弱い部分は選択肢が狭まる瞬間に噴出して危機になってしまう。だったら、先にゆっくりやっておけばいいんですね。」

(「かつての通過儀礼に代わりうるトランジションの受け入れ方とは?」より)

「井上有紀/実はしばらく前から「イノベーション」という言葉の使い方がしっくりこないと思う場面が多くあります。変わっていくことをちょっと後ろから支えることはできるけれど、川の流れを変えるみたいなことはできないと思うんです。人の変容を支えるにしても、「変えてやるぞ」と思って押すと抵抗感が強まって、逆に変わることを阻んでしまう。むしろ「大丈夫だよ」と支えたり包んであげたりする方が結果的に変わっていく速度は早いと思います。
自分の内面も「変えよう、変えよう」とすると変わらなくて、今何かを感じている自分をありのまま本当にストンと受け入れられたときにやっと力が抜ける。交感神経だけじゃなくて、副交感神経もちゃんと作用し始めた後、変わるための余白やエネルギーが湧いてくるんじゃないかと思います。」

(「自分が変わり、他者との関係性が変わり、社会が変わる」より)

西村勇哉/(…)有紀さんは今、何をしようとしているんですか?

井上有紀/(…)今はまだ模索中なんですよ。事業を動かしているお金や人のように実体があるものと、目に見えない内面の変容の部分を組み合わせる錬金術がほしいんですけど。どんなふうに組み合わせると、私はこれからの社会がより良くなるために貢献できるのか。ここ数ヶ月は模索している感じですね。(…)

西村勇哉/僕は、心理学を研究していたとき、心は身体のなかにあると思っていたんです。身体に刺激を与えたり質問を投げかけたりすると、心の部分を通過して反応が返ってくるという感覚だったんです。でも、最近は「外側にある心の中に自分の身体がいる」という感覚があります。
心って身体に閉じ込められていて、たとえば心臓や脳ぐらいに小さいイメージがありますよね。そうではなくて、外側に大きく広がっている心を受け取って、脳や身体が反応したり動いたりしているんじゃないかと思うんです。すごく大きいからこそ心をちゃんと感じて、言葉にしたり行動を起こしたりするのに時間がかかる……というふうに思うようになってきたんです。
先日、写真家のエバレット・ブラウンさんにお会いしたときに、「僕は、首の後ろぐらいで考えるんだよ」と言ったらとても共感してくれた。どうも集中するとき、この首の後ろのちょっと上あたりで何かを感じようとしているなと思って。身体の前側は目があるから「見える」けれど、後ろ側にあるものは「見えない」。だけど、なんとか後ろ側から感じようとしている感じです。

井上有紀/なるほど、すごいわかるな。SPTでも、身体を動かしたあとに「背中側に意識を向けてみてください」と伝えます。やっぱりどうしても、目で見えている身体の前側を強く意識してしまいますよね。特に今みたいに、Zoomで話していると上半身の前側だけを感じます。
360°の自分を感じる意識で生きていると、すごくつながっている感じがするんです。特にリモートワークが増えて、1日に1度は意識するようにしています。

杉本恭子/「つながっている」というのは、何とつながっているんですか? 自分自身でしょうか。

井上有紀/自分のなかで最もありたい状態の自分につながれる感じです。パソコンに向き合って、文字通り「目の前」の状況に集中して、それは必要なことだけれど、体の前側ばかりに注意が行って視野が狭くなっているとも言える。360°、まずは特に背中側、首の後ろに注意をむけると、椅子に座っている自分をさっきまでと違う角度から眺めている感じになり、重心が自分の中に戻ってくる。自分に繋がり直すと同時に、視野も広がって選択肢や可能性が増えたり、自分と周囲、世界がつながっているシームレスな感覚が取り戻しやすい。「私が何をするか」という前に向かう力と、「日々を生きている」という今ここの感覚が同居してくる。
瞑想をして「今しあわせだな」と思う感覚は大事だけどそれだけでは社会は変わらない。かといって、「意図(intention)」をもつことには多少のエゴが含まれる。ソーシャルイノベーションを考えた時、一つのやり方で全ての人にとって完全に良いものをつくることはできなくて、何かを新たにつくりだせば必ず別な弊害は起きたりする。私たちができるのは、だからといって止まるのでなく、行動を起こし感じてみて、少しずつ均衡点をずらすこと。未来と今をつないで、最終的には「自分をちゃんと生きることしかないな」と思ったりするんです。都度、全身で考えきって腹落ちして信じて動く。

杉本恭子/最初のお話につながってくる感じがします。自分が変容することと、社会が変容することもつながっているという感覚でしょうか。

井上有紀/「私が変わる」「私に向き合う」というのはひとりよがりの話じゃない。私というものを起点にすることでしか、他者や社会と関わることはできないと思います。自分が変わると、他者との関係性が変わり、さらに社会が変わると考えると、今この私の身体が感じていることは何かが変わる起点やきっかけになるのかなと思います。」

(「ふたつの大きな流れの合間を縫って生きていく勇気をもち続けるには?」より)

「西村勇哉/今回の連載テーマ「時代にとって大切な問いを問う」についてお話を伺いたいです。対象は誰でもいいんですけど、「今の時代に、こういうことを考えてみたらいいんじゃないか」と有紀さんが思っていることを聞いてみたいです。
(…)
井上有紀/(…)日々を生きているなかで、「ふたつの大きな流れの合間を生きているな」と思うんですよね。ひとつは、ヒーローモデルで短期的にアウトプットを求められ、交感神経優位で競争的で勝つことを重視する世界の流れ。その対極には、副交感神経優位にていねいに今を生きている感じのなかで、長期的に見たときに大事なことは何かを問いながら、集合的にそれぞれが役割を果たして社会が変わっていくような世界の流れがある。
どちらかというと前者の方がこれまで強い力をもってきたから引っ張られるんだけど、これから大事にしたいのは後者の世界だなと思います。かといって「出家して瞑想して自分の畑を耕してごはんを食べて終わり」でもないなと思う。何かを変えたいという気持ちやエゴもあっていいと思うんです。
白黒ハッキリつけずに、グレーゾーンに居続けるのはけっこう勇気がいるし、脳にもすごく負荷がかかってしんどいんです。それでも、答えがわからないなかで、ふたつの流れの合間を縫っていく勇気は必要だと思います。その勇気をもちつづけるために私や私たちが力を得る方法は何だろう? という問いが浮かんでいます。

西村勇哉/ふたつの流れを併せ持つことが大事なんだろうと思います。そのやり方はまだわからないけど、何かあるはずだから探してみようとしている。

井上有紀/何か答えが見つかったところで、それもまたもう少し進むと変わってしまうものでもあると思います。普遍的に使えるものもあるかもしれないけど、日々やってみるしかないみたいなところがある。

西村勇哉/「あるはずだからやってみよう」というのが、人間の原動力のひとつだと思います。わかったことをやるのはそんなに難しくない。繰り返し正解にたどり着くことなら、季節ごとに咲く花も、小さなアリも、自然界に生きるものはすべてやっていることだと思うんだけど。「何か他にあるんじゃない?」と思ってしまったのが人間だと思います。今も、あるかどうかわからないものを探す長い旅をしていて、「もう少しで見つかるかも?」という希望で、それぞれが100年ずつ頑張るみたいなところで、未来につないでいるんだなと思います。

井上有紀/この前、息子と一緒に「探求学舎」で「生物進化編」というプログラムを受けたんです。先カンブリア紀以降の生物の進化や絶滅を勉強するめちゃくちゃ楽しい会だったのですが、「時代を勝ち抜いた強者は逆に絶滅してしまう」という学びがあって。弱いものほど次の戦略を考えるから、結果として進化して生き延びているんですよね。必ずしも時代の強者が生き残るというわけではない 。
人間もまた、これまでの強者と同じように絶滅するかもしれないけれど、例えば今コロナで苦しいことは謙虚に次の生き方を考えて進化するという意味があるかもしれない。あと、自分の人生だけで何かをやりきるのは難しいので、子どもの世代を含めて考える中、今私たちにできるのは社会に選択肢の多い状態をつくることで、そこにわたしも貢献したいなと思っています。」

◎井上有紀(プロフィール)
慶応義塾大学大学院卒業後、ソーシャルイノベーションのスケールアウト(拡散)をテーマとして、コンサルティングやリサーチに従事。スタンフォード大学(Center on Philanthropy and Civil Society)、クレアモント大学院大学ピーター・ドラッカー・スクール・オブ・マネジメント客員研究員(Visiting Practitioner)を経て、現職。身体からの情報を含めたホリスティックなアプローチによるリーダーシップ教育に携わる。ソーシャル・プレゼンシング・シアター(SPT)シニアティーチャー。NPO法人ミラツク理事。一般社団法人ソーシャル・インベストメント・パートナーズ理事。現在『スタンフォード・ソーシャルイノベーション・レビュー(SSIR)』日本版の立ち上げに携わる。

◎井上有紀「2つの世界の合間にあるグレーゾーンに立ち続ける勇気をもとう」


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