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『ウンベルト・エーコの世界文明講義』

mediopos-2239

秘密はどこにでもある

守るための秘密があり
力を得るための秘密があり
偽装された秘密があり
秘密でつながりあうための秘密がある

国家の秘密
企業の秘密
銀行の秘密
軍の秘密
個人の秘密
仲間の秘密等々

そして動物や植物もまた
巣穴などを秘密にすることで
身を守っている

それらの秘密は
それを隠すことで得る
利益や権力や結束のためだが

ほんとうの秘密は
隠されているわけではない

それは開示されてあるのだが
読めない文字で書かれてあるように
それを知ることができないだけなのだ

秘密であるというより
神秘であるといったほうがいい
ほんとうの秘密は
それを理解できないがゆえに
秘密のヴェールがあると見えるだけだ

秘密によってつくられる結社は
ほんとうの意味での秘教ではない
秘教ということで得られる
力や利や名のためにつくられている

ほんとうの秘密は
みずからがほんとうの食べものとして
食べることのできたときだけ
経験される以外では得られない叡智である

咲き誇っている花も
美しく戯れている虫も
やさしくそよいでいる風も
それを経験することでしか
そこにある叡智とともにあることはできない

秘密はどこにでもある
けれどほんとうの秘密に
気づく者は稀である

■ウンベルト・エーコ(和田忠彦 監訳)
 『ウンベルト・エーコの世界文明講義』(河出書房新社 2018.11)

(「秘密についてのいくらかの啓示」より)

「秘密とは明らかにされていない情報を指す。あるいは、それを明らかにした者やときには情報の提供を受けた側にまで損害が及ぶ可能性があるために明らかにされてはならず、また明らかにされるべきではない情報のことである。
 その意味で、国家の秘密、企業の秘密、銀行の秘密、軍の秘密、アトランタの地で厳守されるコカ・コーラの製法をめぐる秘密のような産業の秘密がある。(実際に隠されている何かにかんする)この種の秘密は、調査当局の命や国立文書館の開放、軽率な言動や背信行為、とりわけスパイ行為によって暴かれることがたびたびある。」

「秘匿にかんする権利がわたしたちのマスメディア社会においてますます価値を失いつつある様子に着目するのもおもしろいかもしれない。この社会では内密さが放棄され、露出趣味が現れる。そして往々にして有用だったあの放出弁が姿を消す。ゴシップのことだ。村や門衛所や酒場で交わされていたかつてのゴシップは社会の結束力を強める機能を果たしていた。というのも、ゴシップを楽しむ人びとはたいてい、標的となる人の不運を喜ぶのではなく、その人に共感するか同情を示していたからだ。
 ただしゴシップは被害者がその場におらず、かつ当事者が標的となっていることを知らない場合(あるいは面目を保つために知らないふりをしている場合)にかぎり機能していた。社会的放出弁としてのゴシップが無害であるために、全員に−−−−加害者にも被害者にも−−−−最大限の秘匿が保たれていたというわけである。最初の転換は、カメラマンや記者の前に自発的に身を晒す人びと(俳優や女優、歌手、亡命中の王族、プレイボーイ)のゴシップを扱う専門誌の登場とともに起こった。かつて囁かれるものだったゴシップはここにきて大声で叫ばれるものとなり。被害者に名声を付与するものとなったことから、有名でない人びとの羨望の的となった。それゆえテレビは、誰もが名乗り出て自分自身についてのゴシップを披露し、有名な被害者となれる番組を考えだした。こうして互いの浮気をなじりあう夫婦や、去りにし恋人に涙ながらにすがる人びとが画面に登場し、情け容赦なく性的不能を論じる離婚劇がテレビで演じられることになったのである。(・・・)
 ところで秘密の放棄は近年また別のかたちをとることとなった。わたしたちは、誰であれクレジットカードの明細や通話履歴や病院のカルテを調べれば、自分たちの些細な動向に至るまであらゆることを把握できると知っており、そして結局のところそのことを大して気にかけていない。しかし一方で、ウィリキークスの一件は、権力の知られざる秘密を公開することはたしかに民主主義的な行為であるとわたしたちを頷かせたが、同時に、あらゆる国家や政府には機密の領域を培う必要があるとも思わせたのだった。なぜなら、ある種の情報や人間関係や計画をすぐ公開することは計画を失敗に導き、共同体に損害をもたらす恐れがあるためだ。組閣のための協議をストリーミング中継で即座に公開しようとするならば、誰であれ監視されているように感じるため、面目を失わないよう、政治の肝ともいえる交渉に乗りだすことなくただひたすら自身の公的な立場を反復するだけになってしまうのである。」

「秘匿の時代が終わりを告げてもなお、数千年来の神秘的な−−−−あるいはヘルメス的、オカルト的な−−−−秘密をめぐる考えは生き残った。ピタゴラスの教義は、古代エジプト人から受け継いだ太古の英知として姿を現した。古代の合理主義が危機に瀕した紀元二世紀の異教世界では、秘密や陰の世界で伝えられる事柄と真実を同一視する傾向がますます強まった。知恵は、真に秘匿されたものであるためには、異国のきわめて古い起源を有する必要があった。なかでもオリエントは起源が古く、未知の言語が話されていた地であった。未知なるものは秘密に通ずる。ゆえに、オリエントの人びとは神のみぞ知る秘密の一端を心得ていたに違いないと考えられた。
 この態度は、異民族を「バルバロイ」、すなわち「吃音者」、「言葉をまともに発音することができない者」とよんだ古代ギリシアの知識人に典型的だった姿勢を覆すものだった。このとき、逆にほかならぬ異邦人の「吃音」が聖なる言語となったのである。
 ここに、真実とは隠されたものであり、失われた伝承の守護者が所有するものとの信念が端を発することとなる。そしてこの考えはルネサンス期の魔術についてのあらゆる文献に共通する記述に結びついてゆく。そこでは、借り物のヘブライ語をもとに考案された、それを口にする当人にとってすら理解不可能な言葉を唱えることによってのみ、秘密の啓示に至るとされたのである。」

「秘匿されたあらゆる教えが歩む運命を薔薇十字団もまた辿ることになる。一七世紀初頭、内戦や宗教的対立によってヨーロッパが赤く燃えていたまさにその時期に、黄金世紀の幕開けという考えが台頭する。この期待に満ちた風潮がカトリック地域にもプロテスタント地域にもさまざまなかたちで広まると、理想共和国の計画が浮上し、普遍君主の出現ならびに慣習や宗教観の刷新を切望する声が高まった。すると、一六一四年に「友愛団の名声」と題された宣言が現れ、翌一六一五年には「薔薇十字友愛団の信条告白−−−−ヨーロッパの博学者諸氏に宛てて」が発表される。これら宣言を通じて、謎めいた友愛組織である薔薇十字団の存在がはっきり示され、神秘に包まれた創始者クリスティアン・ローゼンクロイツについての詳細が明かされるとともに、ある団体のヨーロッパにおける出現が予言された。」
「ときを置かずして、強い影響力をもつ神秘主義者ロバート・フラッドをはじめ、ヨーロッパ各地から数々の反応が薔薇十字団に届く、薔薇十字団を知っているという者はひとりもおらず、みずからを成員と認める者もいないが、誰もがその綱領と完全に同調していることを何らかの方法で知らしめる。」
「結果として、薔薇十字団の存在についての歴史的証拠が存在しないだけでなく、代わりに、互いに批判の応酬を繰り返しつつわれこそは本家本元の薔薇十字団の唯一にして真の後継者と訴える複数の後続グループについての、露骨にすぎる存在の証明が残ることになった。」

「ジョゼフィン・ペラダンのような薔薇十字系の神秘主義者が述べるとおり、暴かれた参入儀礼の秘密は何の役にもたたない。それでもなお人びとは秘密を求めるのであり、まだ明らかにされていない秘密を保持するとされる人物はいつでも一種の権力を獲得しうる。いつの日か明らかになるかもしれない内容がいったいどんなことか知れないためだ。知識の量が多ければ多いほど、あるいは知っているふりをすればするほど強大な権力を得るのは世界中の警察と諜報機関のつねであった。内容が本当かどうかは重要ではない。大切なのは、秘密をもっていると思わせることなのだ。」
「では、恣意の秘密が公になることを避けつつ、秘密の保持に由来する権力を維持するにはどうしたらいいのだろうか。答えは、中身のない秘密を吹聴することだ。秘密を保持していながらその内容を明らかにしないことは嘘をつくこととは違う。場合によってそれは秘匿の究極のかたちだからだ。一方、秘密を保持していると口にしつつ、実際には秘密はないのだとすれば、<秘密に関する嘘をついている>ことになる。」
「秘儀伝授を謳う多くの団体(あるいは多くの諜報機関)の偽の秘密は、秘密を知りたいと切望するがゆえにいつでも秘密の存在を認めることができている大人たちに対して有効である。」

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