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奥野克巳「人類学は生命を論じうるのか? 」・吉本隆明「生命について」・エドゥアルド・コーン『森は考える』

☆mediopos-2517  2021.10.7

かつて人類学が生命を論じたとき
それはあまりに人間的だった

いうまでもなく
生命をもっているのは
人間だけではない

生命の世界は
微生物の世界から動植物の世界も含め
「生きものたちの相互依存関係」において

さらにいえば
無意識を含めた意識の世界をも
とらえていかなければならない
意識は人間だけにあるのではないからだ

かつて吉本隆明は
「生命について」という講演で
三木成夫の生命論を受け
生命の連続性の視点を語るとともに
「生命にとっての本質」である精神現象
つまり生命と倫理をめぐるテーマについて語ったが

そのことで「吉本は、
人間に高度に発達した機能としての意識や無意識、
生前の生命や死後の生といった問題を、
他の生命との連続性において捉えるための糸口を
私たちに示してくれている」のだ

『森は考える――人間的なるものを超えた人類学』の
著者であるエドゥアルド・コーンが示唆しているのも
「生命の人類学」を「「人間的なるもの」を超えるだけでなく、
生命へ、さらには生命が持つ意識や思考や精神現象へと拡張」
するためのさまざまな視点である

人類学だけではなく
あまりに人間的な学問は
あらゆる生命現象やそれにともなう精神現象へも
拡張されていかなければならない

おそらくその拡張は狭義の生命だけではなく
物質現象へと視点を拡張されていくことになるのかもしれない
生きものたちだけではなくすべての存在は
「相互依存」関係のもとにあるからだ

昨今の人類学が興味深いのは
ただ人間だけを論じようとはしないところだ
そしてそうすることで逆説的に
「人間」という存在をあらゆる存在へと
拡張することにもなるのかもしれない

■奥野克巳「人類学は生命を論じうるのか? 」
 (『たぐい vol.4 』(亜紀書房 2021/9)所収)
■吉本隆明「生命について」
『吉本隆明〈未収録〉講演集2 心と生命について』(筑摩書房 2015/1)所収
■エドゥアルド・コーン(奥野 克巳ほか訳)
 『森は考える――人間的なるものを超えた人類学』
 (亜紀書房  2016/1)

(奥野克巳「人類学は生命を論じうるのか? 」より)

「微生物は倒すべき敵ではなく、理解すべき味方だと、海洋微生物生物学者エドワード・デロングはいう。彼によれば、微生物なしでは、自然と社会の絡まり合った秩序は成立しえない。海洋微生物学者にとっては、海洋微生物こそが地球の生命の中心であり、それには。リヴァイアサンのような巨大な力が潜んでいる。クジラが一九世紀の海にとって仕事、貿易、自然史の象徴であり。二〇世紀の海の象徴として、イルカが環境科学のマスコットだったのだとすると、今日、海洋の微生物たちが科学技術を駆使した海の舞台に立つ準備をしていると、人類学者ステファン・ヘルムライヒは考える。」

「海洋微生物は今日、生命の起源それ自体を追うのではなく、生命を維持させる地球最古の生態系の仕組みを問う「ハイパースライム」へと発展してきている。中央インド海嶺の深海の熱水鉱床の下に、超好熱性メタン菌を中心とした超好熱性地下熱水微生物生態系ハイパースライムが存在することが発見された。そこでは、二酸化炭素と水素からメタンを作る超好熱「メタン菌」と、メタン菌が作るメタンから水素を生成する超好熱「発酵菌」が、互いの生産物に依存する生態系を築いている。」

「地球の熱帯雨林には、地球の生命の半分以上が棲息している。そして、生きものたちの相互依存関係が、酸素を生み出す木々の成長を支えている。昆虫は動物の糞に卵を生み、養分にする。残った糞は養分として森の植物に吸収される。死んだ昆虫はアリによって分界され、土に還り、木の養分となる。木が枯れるとき、シロアリの腸の中の微生物が木の線維を分解して栄養物に変えていく。こうした無数の生きものたちの働きによって、森は酸素を生み出し、地球上には生命が満ち溢れる。微生物から昆虫、動植物を含め、多種が絡まり合って、予期せぬ調整が働き発展していく「アッセンブリッジ」が生命現象を持続・進化させているのだといえよう。」

「吉本(一九九四年一二月四日に池袋リブロで行われた「生命について」と題する公演記録)は、一九八〇年代以降に遺伝子に関する研究が盛んになったことと、人間だけでなく、動植物を宇宙論的に考察するエコロジカルな生命論が現れてきたことが、生命をめぐる議論に拍車をかけたという。それらの生命論は、人は何のために生命を投げ打つことができるのかという「覚悟性」の問題を考えていった戦中派の吉本にとっては新鮮に感じられたらしい。吉本の生命論は、(1)解剖学者・三木成夫に影響を受けた思索と、(2)三木のアイデアから引き出された人間とその他の生物の連続性のもとに、意識や精神性の次元に分け入ろうとする独自の思索の、大きく二つに分けられる。
 第一に吉本が取り上げるのが、三木の生命論である。生命現象には、樹木は螺旋状に成長し、胎児が母親から出てくる時は螺旋状に回りながら出てくるなど、「螺旋」をめぐるテーマがある。加えて、昼夜のリズムなどの「リズム」が生命現象の標識である。(…)
 三木によれば、人体を解剖学的に眺めてみると、一方で、自律神経で動く胃、腸、心臓、肺などは「植物神経系」で、腸管が枝分かれして臓器につながっている。他方で、目、耳、鼻、手、舌などの感覚器官は「動物神経系」で、それを動かしている中心が脳である。この二つの系統に対して、人間は人体を解剖して知識を得ているのだとすると、人間は「植物性」と「動物性」と「人間性」からできているのだと吉本は見る。
 こうした生命の連続性の観点からは、岩石とか無機物のように、意識や精神性が全くない存在があり、植物にはそれがややあると見た方がいいだろうと吉本はいう。植物には、環境を良くしてやれば生育しやすいとか、肥料を与えてやれば成長しやすくなるというように精神性がある。そのように、意識や精神性は人間だけが持っていると考えないほうがいい面もある。生命あるものはみな意識を持っていて、それには連続性があると考える見方は、有用なのではないかと吉本は述べている。」

「三木の生命論の継承とでもいうべき吉本の生命論の第一のテーマは、生命と倫理をめぐる第二のテーマにつながっている。宗教は、生と死を追い詰めることによって、生前の性、死後の生命、つまり生命の倫理の問題を論じてきたのだと吉本は解している。無意識の世界は、宗教家のいう生前に対応するのではないか。
「生命について」の中で、生命論における倫理に関して吉本は、宮沢賢治やアンリ・ベルクソンなどを手短に検討した上で、最後に日本中世の浄土宗系の宗教思想、とりわけ親鸞のそれを取り上げている。」

「ベルクソンにつって、精神とは意識のことである。「すでにないものを記憶して、まだまないものを予期すること、これが意識の第一の機能である」。意識は人間にだけあるのではない。「生きているものは生命と同じだけのひろがりをもっています」。精神現象とは、したがって、人間にとってだけでなく、生命にとっての本質なのである。
 吉本はしかし、意識の問題は、現状では、諸学や宗教においてまだ十分に解くことができていないと見ている.意識や無意識の問題や生前や死後の問題をうまく扱わないと、生命論は展開していく感じがしないとさえ述べている。吉本にとって、生命論とは、生命の誕生から人間への連続性の問題であり、意識の進化に深く斬り込むことなしには深められない主題なのである。
 振り返れば、吉本は。「生命とは何か」という問いを、一方では、三木の独創的な研究を手がかりとして、生命全体で共有される、螺旋とリズムの特性および植物系と動物系の特性の中に整理した上で、それらに収まりきらない人間に至るまでの意識や、全記憶が隠された、謎めいた精神原理である無意識、宗教の特異性にまで踏み込んでいったのである。吉本は、人間に高度に発達した機能としての意識や無意識、生前の生命や死後の生といった問題を、他の生命との連続性において捉えるための糸口を私たちに示してくれている。」

「三木やベルクソンに影響を受けた吉本の生命論が秀でているのは、意識や精神性を人間独自の問題として取り上げることから出発しながらも、それらを人間だけに限定せず、人下苦いの動物や植物にまで拡張しようと努めているからである。吉本の探求は、人間はいかなる存在かという問いの探求の先に、人間的なるものを超えて、微生物から昆虫、動植物などあらゆる生命を視野に入れながら探求を進める近年の人類学の試みにも重なる。
 その代表的なものが、エドゥアルト・コーンの提唱する「生命の人類学」である。生命の人類学は、「あまりのも人間的な世界を、人間を超えたより大きな一連のプロセスと関係性の中に位置づけるある種の人類学」である。」

「生命をめぐるコーンの人類学的な記述検討は、意識や精神性が扱いえないと生命論は深まっていかないと説いた吉本の生命論やベルクソンの問題意識に重なっている。意識や精神性が重要だというのは、精神現象が人間に特権的に具わっているという意味ではない。それは、意識や精神性があらゆる生命の進化の原動力となったからである。生命の人類学は、コーンがいうように「人間的なるもの」を超えるだけでなく、生命へ、さらには生命が持つ意識や思考や精神現象へと拡張する射程を示しえている。」

『たぐい vol.4 』【目次】

〈特集1〉人間の世界を超える人類学
■箭内匡……「植物人類学」序説――植物と再び出会うための系譜学的考察
■奥野克巳……人類学は生命を論じうるのか?
■石倉敏明……朽ちてゆく時間――複数種を結ぶ虫送りの想像力
■近藤祉秋……「絡まりあいすぎない」という知恵――ポストコロナ時代の交感論

〈論考〉
■塚原東吾……科学史から見た「人新世」――フンボルト主義というステップ

〈特集2〉異種への生成変化

■福島 勲……吾輩は主権者である――動物を追う人間、バタイユ
■中江太一……植物化するロビンソン――トゥルニエ『フライデーあるいは太平洋の冥界』における他種の模倣
■唐澤太輔……粘菌哲学序説――「十玄縁起」を援用しながら

〈論考〉
■野田研一……石牟礼道子の銀河系――「直線の覇権」(インゴルド)に抗して
■シンジルト/石倉敏明 編……マタギと人類学者の対話――自然と社会の〈距離〉を考える
■[漫画]結城正美+MOSA……水俣病わかめといえど春の味覚

■マルチスピーシーズ人類学研究会記録
■プロフィール
■編集後記

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