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湯澤規子『7袋のポテトチップス/食べるを語る、胃袋の戦後史』

☆mediopos3205  2023.8.27

「七袋のポテトチップス」と
「胃袋の戦後史」はどう関係するのか

著者の子どもが七歳になったときのこと
放課後いろいろな友達と遊びたいと学童保育をやめ
学童保育に行っていない子どもたちの家に
集まるようになった

そのときの「暗黙のルール」が
「放課後に友達の家に遊びに行くときには
一人一つのお菓子を持っていく」ということ

著者が家で仕事をしていたとき
子どもたちを観察していると
そのときは「七袋のポテトチップスが集ま」り
「一人ひとりが自分で持ってきた
ポテトチップスの袋を開けると、
誰かと分けることなく自分の袋の中からそれぞれが
それぞれのポテトチップスを食べ続けた」

著者はその「七袋のポテトチップス」を
「個に閉じた胃袋の象徴」としてとらえ
この出来事がもとになって本書は書かれたと言う

わたしたちの「胃袋」は
こうした「個に閉じた胃袋」に至るまで
戦前・戦中・戦後とさまざまに変化してきた

二〇世紀初頭には
人口の急増にともなって「胃袋の増大」が始まり
さらに「都市」へと流入する「胃袋」が増え
「外食」の機会が整えられるようになる

戦争中は「胃袋」が国家によって管理されながら
十分に満たされない状態が続き
戦後はそれ以上の食糧難となったが

高度経済成長期に入り飽食の時代となり
「胃袋」を満たすことに困難は伴いにくくなったが
「個食」や「孤食」が見られるようになり
「食をめぐる風景は一変した」

そして二一世紀に入り「飽食」の時代から
「食べることの意味が失われる「崩食」の時代」となり
「食べものや食べることを日常生活の中心として
絶えず考え続ける状況を、
多くの人びとが共有することが難しい時代となった」

それにともなって食べものは
「栄養素」として数字化されて理解されるもするように
「合理化、科学化、単純化される傾向に」

さらに近年の動向としては
食べものの写真SNSやインスタに掲載するように
「「他人の目」に食べさせ、
「いいね」という承認を得ることで「心」を満たす」
といった新たな現象も日常化するようにもなっている

しかし現代日本で飢えがないかといえばそうではなく
「子ども食堂」というのが増えているように
(しかも政府はそれにまったく援助さえしない)
日本はすでに世界のなかの貧困国となってさえいる

日本人は貧困へと傾斜しており
かつ「個に閉じた胃袋」をもっているような
「食」の風景が見られるようになっているのだ

しかもその「食」は
著者が「共在感」と呼んでいる
「生きているこの世とは異なる時空」との共在や
「自然」との共在
そして「人」との共在という
かつてあった三つの「共在」を「一つずつ脱ぎ捨て」
たどりついた「風景」である

「いただきます」
「ごちそうさま」
「おもやい(わけあい)」

そうした言葉や行為は「個食」であっても
まさに「共在感」とともにあり
「胃袋」はひらかれていたはずだが
現代はそれがますます閉塞してきているようだ
しかも食材に対しても
政府はさまざまな毒をばらまきつづけている

「食」はこれから
はたしてどうなっていくのだろうか
「七袋のポテトチップス」の行方は?

■湯澤規子
 『7袋のポテトチップス/食べるを語る、胃袋の戦後史』
 (晶文社 2019/3)

(「序章 食物語(たべものがたり)」〜「1 食の履歴書」より)

「近代から現代へと移り変わるなかで、私たちの食の風景や胃袋をめぐる問題は間違いなく劇的に変化してきた。(・・・)
 まず、今から約一〇〇年前の二〇世紀初頭、近代には人口が急増したことによって「胃袋の増大」が始まり、「農村」の胃袋に加えて「都市」へと流入する胃袋が増えた。外食の機会が整えられ、工場や企業が労働者の胃袋に関与するようになった。次に戦争によってその胃袋は国家によっても管理される一方、十分に満たされないという苦難を経験した。そして二〇世紀半ばから始まる戦後、人びとは戦時期以上の食糧難にあえいだが、次第にそれが解消され、高度経済成長期に突入すると、まもなく飽食の時代が到来した。食べることそのものから満足感を得ていた時代から、たくさんの食べものの中から何を食べるかを選択しうるかで満足感を得るような時代へと移り変わったといえよう。そして、溢れるような食べものの中で、もはや胃袋を満たすことに困難が伴うことは少なくなった代わりに、一方では「個食」や「孤食」という現象が見られるようになり。食をめぐる風景は一変した。
 二一世紀への転換期には、食べものが溢れる「飽食」の時代から、食べることの意味が失われる「崩食」の時代へと突入し、食べものや食べることを日常生活の中心として絶えず考え続ける状況を、多くの人びとが共有することが難しい時代となった。また、食べものは成分、栄養素という言葉や数字に置き換え可能な単なる物質として理解されるようにもなり、食べることに与えられる意味も合理化、科学化、単純化される傾向にある。やや極端ではあるが、これが現在に至る食の風景や胃袋をめぐる変化である、とひとまずは説明することができる。」

「ここに近年の動向を加えるために、学生たちと話したことを参考にすると、「他人の目」に食べさせ、「いいね」という承認を得ることで「心」を満たすのが現代という時代に登場した新現象であるという。これは食べものの写真をソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)やインスタグラムなどに掲載する人が増加している現象について、学生たち自身が説明した言葉である。誰と食べるか、何を食べるかということよりも、食べものをファッショのアイコン、あるいは「記号」として利用する彼らにとっては、話題のお店や食べものを、いかに映えるように撮影し、発信できるかが重要であって、食べること自体にそれほど終着していないのだという。」

(「第1章 あなたの胃袋誰のもの?/胃袋がたどった二〇〇年」〜「1 胃袋を通して手に入れるもの」より)

「胃袋はいったい誰のものだろう。
(・・・)
「食べること」によって、私たちはいったい何を手に入れているのだろう。
「胃袋は私のものである」という単純な答えに合わせて言うなら、私たちは食べものを口で咀嚼し、食道から胃袋にそれを取り入れることで生物としての命を維持するさまざまな成分、つまり栄養素とカロリーを摂取している、と説明することができる。しかし、おそらく多くの読者が気づいているように、この質問にはもっと別の答えもある。
 たとえば、「いただきます」に込められた意味は、ほかの生きものの「命」を手に入れることを意味している。あるいは米や野菜を作ったり、食事を調えてくれた人への「感謝」を込める人もあるだろう。また、食べることによって、味わいや歯ごたえを感じ、「おいしさ」を手に入れることもある。食べることが楽しみとなり、「元気」になることもある。また、誰かと食べることで、「信頼」、「友情」、「承認」を得ることもあれば、食べたことが「思い出」として記憶に刻まれることもある。また、食べることによって「安堵」や「満足感」、「喜び」を得た経験は少なからぬ人びとが持つ実感ではないだろうか。つまり、食べることによって、そして胃袋を通して私たちはじつに多くのものを手に入れているのである。」

(「終章 胃袋から見た原題」〜「1 ごはん食べた?」より)

「ある日、中国から来た留学生に「日本ではあいさつに、ごはん食べた?とは言わないんですね」と聞かれた。中国では「吃飯了吗?(ごはん食べた?)」が「こんにちは」のあいさつになる。「さようなら」は「改天来我家吃飯!(今度、うちにごはん食べに来てね!)」と言うらしい。中国だけでなく、じつはアジアでは「ごはん食べた?」。「なに食べた?」があいさつになる国が少なくない。
 たとえば今から約一〇〇年前の日本の近代という時代を振り返った時、日々の暮らしと社会のなかで「ごはん食べた?」というささやかな問いかけがもつ意味は、決して小さくはなかったことに気づく。
(・・・)
 しかし、はたして今日の日本社会の中で、実際に誰かにそう問いかけることはあるだろうか。結論から言えば、そのような場面はほとんど見られなくなっている。さしのべる手がないのではなく、さしのべる必要がないと判断しているのでもなく、「手をさしのべる」という行為そのもの、そしてその意味を忘却しているようにみえるのである。
 一部には、そもそも「ごはんを食べる」ということ、それ自体をそれほど切実なこととして捉えていない向きもある。それは一見すると、私たちの社会が十分に「豊か」になった結果なのだということもできるだろう。
 しかし、本当にそうなのだろうか。
 じつは、もっと別の原因があるのではないだろうか。そう思えてならなかった。「豊かさ」とはいったい何だろう。もしかしたら私たちが手に入れたと思っていたのは、豊かさの「幻影」に過ぎなかったのではないだろうか・食や食べることをめぐって、これまで私たちは何を手に入れ、何を失い、何を忘却してきたのだろうか。これらの問いに対する吟味なくして、「戦後」そして「現代」という時代を理解することはできないのではないかと思うのである。」

(「終章 胃袋から見た原題」〜「2 あなたは今日、何と共に在りますか?」より)

「本来、人がほかの生きものと異なるのは、一人でいるように見える時でも、何かと、そして誰かと「共に在る」ということを感じる能力を持っていることではないかと思う。
(・・・)
 このように感じられる能力を本書では「共在感」と呼んだ。言葉には集約されない世界を含む。五感にもとづく能力である。私たちは長く、この共在感を携えて生きてきた。
(・・・)
 共在のあり方はいくつかの段階に整理できる。まず一つは、「生きているこの世とは異なる時空」との共在である。目には見えない世界であるが、先祖を思ったり、神に感謝したり、この世を支え共鳴するもう一つのこの世を感じたりすることなどがその例である。二つ目は、「自然」との共在である。これには生きているものだけでなく、土、水、風、空なども含まれる。そして三つ目は「人」との共在である。一対一の人関係というのではなく、「村」や「家」といったまとまりのなかの身を置いて生きる暮らしを意味する。(・・・)
 胃袋はこの三層の共在世界を言語的理解だけでなく、身体的理解。つまり五感で諒解する交差点である。それゆえに、そもそも食べることは、さまざまなものと共に在ると感じる能力を最も直接的に、そして日常的に体現する行為であったといってよい。
 この共在世界を一つずつ脱ぎ捨ててたどり着いたのが、現代という時代である。」

(「終章 胃袋から見た原題」〜「4 二一世紀を生きる子どもたちの胃袋」より)

「私の息子は二〇〇〇年生まれである。(・・・)
 彼が七歳になった時、学童保育をやめて、鍵を持って自分で留守番をすると言いだした。理由を聞くと、放課後いろいろな友達と遊びたいからだという。学童保育に行っていない子どもたちは誰かの家で遊ぶ約束をし、友達の家を行ったり来たりしていたらしい。(・・・)
 そうした生活が始まってみると、予想していた大変さよりも、驚きと面白さと発見の数々が私を楽しませるようになった。放課後の小学生たちの「生態」が実に興味深かったからである。家で仕事をするときなどは、彼らの会話に耳を澄ませながら、彼らの行動を目の端で追いながら観察することが私の一つの楽しみににもなるほど、とにかく面白かった。そして、考えさせられることも多くあった。
 なかでも一番印象深く、忘れられないのは、彼らの放課後ライフが我が家のリビングで初めてくる広げられた初日の出来事である。七人の少年が集まり、彼らはそれぞれ一袋のポテトチップスを持ってきた。放課後に友達の家に遊びに行くときには一人一つのお菓子を持っていくという暗黙のルールがあるということを私はじきに知ることになるのだが、この日は七袋のポテトチップスが集まったことにまず驚いた。そしてさらに驚いたことには彼らは一人ひとりが自分で持ってきたポテトチップスの袋を開けると、誰かと分けることなく自分の袋の中からそれぞれがそれぞれのポテトチップスを食べ続けたのである・
 この光景を何と説明したらよいのだろう。彼らがポテトチップスを食べる音を息ながら、まだ小さなその背中を見つめながら、しばし私は考えこんでしまった。
 そして、我が家に彼らが集まるという次のチャンスが巡ってきた時、私は彼らの目の前でお菓子を焼いてみることにした。(・・・)
 ある少年は「何つくってるの?」と興味津々といった面持ちでキッチンに飛んできた。またある少年はこの香ばしい香りはいったい何によるものなのかを思案しつつ、こちらをちらちら見ていた。結果的にこの試みは大成功で、子供達は焼けたそばから争ってクッキーを食べ始めた。「分け合う」というよりも、むりそ「取り合う」という状況ではあったが、なんとなく楽しそうに。ふざけながら、クッキーをめぐるやり取りが彼らの遊びの一部に、ごく自然に入り込んだという感じだった。
 しかし、一人の少年だけがなぜかクッキーを食べようとしない。「どうしたの」と私が尋ねると、彼は「人の言えでつくってもらった食べものを食べてはいけない」と言われていると返事をした。私はその時の彼の表情をよく覚えている。確固たる決意をもって真面目に答えているようでもあったが、少し寂しそうでもあった。だから我代謝「秘密にして食べてみれば」と声をかけたが、彼は「それはできない」と首をふった。
(・・・)
 結局、首を振ってクッキーを食べようとしなかった少年は、次の時には手を伸ばすようになった。その時の彼の表情もやはり忘れられない。はにかんだような。泣きたいような、そんな笑顔で私を見たからである。
(・・・)
 この経験を今振り返ってみると、七袋のポテトチップスは個に閉じた胃袋の象徴だったのだと思う。そしてあの日の私は、「他人」に対しては完全に閉じている彼らの胃袋がいつか開くことを願って。クッキーを焼かずにはいられなかった。
 そしてじつは、この出来事こそが、私にとっては本書を書く原点となったのである。

◎湯澤規子
1974年、大阪府生まれ。1997年、筑波大学第一学群人文学類卒業。
2003年、筑波大学大学院歴史・人類学研究科単位取得退学。博士(文学)。日本学術振興会特別研究員(PD)を経て、明治大学経営学部専任講師。2011年より筑波大学生命環境系准教授。専攻は歴史地理学、村落社会学、農村社会学。
著書に『在来産業と家族の地域史―ライフヒストリーからみた小規模家族経営と結城紬生産』(古今書院、2009)、『胃袋の近代』(名古屋大学出版会、2018)。

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