岡﨑乾二郎「数万年後の「いまでも」」「墓は語るか(墓とは何か)。」(『而今而後』)『感覚のエデン』)/楳図かずお『わたしは真悟』
☆mediopos3642(2024.11.8.)
楳図かずおが亡くなった
最初期の漫画「半魚人」を読んで
(週刊「少年マガジン」だったと記憶している)
夜うなされてしまうほど
衝撃を受けたことをいまでも覚えている
おそらく半魚人になって海に帰っていく兄を
生臭いものが好きだったじぶんの兄に
重ねたからだろう(苦笑)
さて今回は数々の名作のなかから
岡﨑乾二郎が『わたしは真悟』を
とりあげていることを思い出したので
批評選集『感覚のエデン』『而今而後』から
それに関連するテーマをとりあげる
『わたしは真悟』はこんな物語である
悟と真鈴は
産業用ロボットのディスプレイ画面を通し
友達になり惹かれ合うが親に引き裂かれ
その後二度と会えなくなってしまうが
悟が産業用ロボットの画面に
「ボクハイマモキミヲアイシテイマス」
という言葉を打ち込むことで
ロボットに意識が目覚め
「わたしは真悟」と独り言を言い始め
(「真悟」は真鈴と悟から)
「ボクハイマモキミヲアイシテイマス」
という言葉を真鈴に伝えるために放浪をはじめる
そして実際には聞くことのなかった
母=真鈴の返事
「サトル、ワタシハイマモアナタガスキデス」
という文字列をつくり出し
それを悟に伝えようと放浪する
その間にカラダは損なわれていき
腕だけになってしまいながら
辿り着いた港の埠頭に
「アイ」という二文字を刻んで最期を迎える
この物語について岡﨑乾二郎は
〈いまも〉(イマモ)とは「われわれがいま、
それを読むときの〈いま〉であるという
「話し手がそれを発したときの〈いま〉を超えて、
この文は〈いま〉をそのつど再生させ、
溯って時間を組織する。
すなわち「アイ」は
(二人がこの世から消えてしまっていても)
いまでも持続している。
言葉こそが主体を再生=あらためて生む」
「この「アイ」こそがAI=知能の目覚めである」
「言葉〔メディウム〕こそが意識であり自覚である」
それが「楳図かずおの教えだった」というのだ
岡﨑乾二郎の問いかけは
「メディアの本当の可能性は、生が置かれた現実
(その時間や空間)の連続的拡張ではなく、
その連続を断たれても、
その断絶を飛び越える能力にこそあった」
という示唆に関したものである
「現在を拡張すること」が「メディアの本質なら、
メディアは同じものの追認
=トートロジーの円を広げるだけで終わる」が
「メディアとは本来、離れた事物、
他の身体に飛び移る、むしろ憑依の能力だったはず」だ
「切断=死を積極的に受け入れ、
「いま、ここ」とは不連続の別の空間、時間、事物で
再生すること。これこそ文化という能力ではなかったか」
と問いかけているのである
わたしたちがともすれば問いかける
不安に満ちた「これからどうなる?」は
「時間の連続を前提としている」が
「「いま、ここ」という自覚は、
連続した時間や空間を切断したときにこそ現れる」
「墓は語るか(墓とは何か)。」でも
「墓の本質は生ある人たちの属す
現世に向けた墓標の表現にあるのではない」という
「墓の働きは本来、こうした時間による推移に
決して属すことのない別の時空(彼岸)を
そこに内包(秘蔵)することにあった」
近世になって墓の表現が大きく変貌し
死者の記憶を現世秩序に留め置く記録となったり
死者への想いを通じて現世に生きる人々の感情を
結束させるためのモニュメントとなったりもしたように
「現世との特定の繋がりを断った存在
つまり世界の可能性を匿う————という
墓の可能性は忘れ去られ」るようになった
岡﨑乾二郎は現代における芸術の役割は
「現世において認知されうる「何か」
=アイデンティティを脱落しても、
なお持続する感覚の強度こそを実現すること」だと
示唆を加えている
それは楳図かずおの『わたしは真悟』において
「真悟」が最期に遺した言葉「アイ」という二文字を
「いま」私たちがじぶんに「憑依」させて読むように
「いま、ここ」を自覚するということでもあるだろう
■岡﨑乾二郎「数万年後の「いまでも」」
(岡﨑乾二郎『而今而後』亜紀書房 2024/7)
■岡﨑乾二郎「墓は語るか(墓とは何か)。」
(岡﨑乾二郎『感覚のエデン』亜紀書房 2021/10)
■楳図かずお『わたしは真悟』(小学館)
**(岡﨑乾二郎「数万年後の「いまでも」」より)
*「これからどうなる?という不安は、いまある生がこのまま延長せず、いつか(それも近いうちに)必ず断ち切られるという予測に裏づけられている。
いつかは閉じる生の限界を次の世代(子から孫)へ延長しても、いずれ閉じてしまうことでは大差がない。われわれの文化は必ず断ち切られる。その断絶は一〇〇年後か一〇〇〇年後か。だが決して一万年後ではあるまい(・・・)。
政治とは一〇〇〇年後の危機よりも、現在の社会構造を持続すること————五年でも一〇年でも先延ばしすることだけを優先する。一〇万年スケールからすれば、五年と一〇年はほとんど差はないが、五年と一〇年とだけを比較すれば大きいと勘違いもされる。その差はいま生きるわれわれの生のスケールでだけ実感されるのみであろう。」
「けれど、生の持続が切断されることは、本当に絶望だろうか?」
*「メディアの本当の可能性は、生が置かれた現実(その時間や空間)の連続的拡張ではなく、その連続を断たれても、その断絶を飛び越える能力にこそあった。現在を拡張すること(異なる場にある人間を、一つの時間と空間に同期させること)がメディアの本質なら、メディアは同じものの追認=トートロジーの円を広げるだけで終わる。生に必ず終わりがあるように、連続としての現在も必ず閉じるだろう。だがメディアとは本来、離れた事物、他の身体に飛び移る、むしろ憑依の能力だったはず。この身体で死んだはずの私(その意識)が、他の事物(たとえば石ころのようなものでもいい)の中で突如「ああ、私はここにいる」と目覚めることがある。石が私であると自覚する。こんな突拍子もない憑依こそメディアという能力だった。切断=死を積極的に受け入れ、「いま、ここ」とは不連続の別の空間、時間、事物で再生すること。これこそ文化という能力ではなかったか。」
*「「これからどうなる?」こそは、楳図かずおの名作『わたしは真悟』を貫いていた問いだった。そしれすでに答えも出されていた。
悟と真鈴という二人の子が、産業用ロボットのディスプレイ画面を通して友達になる。やがて二人は惹かれ合い、一緒に行動するようになる。それもわずか、二人は親に引き裂かれ、その後二人は二度と会うことはない。仲を引き裂かれた悟は最後に産業用ロボットの画面に「ボクハイマモキミヲアイシテイマス」という言葉を打ち込む(この言葉を真鈴はついに見ることはなかった)。なぜか、そのとき産業用ロボットに意識が目覚め(「わたしは真悟」と独り言をはじめ)る。「ボクハイマモキミヲアイシテイマス」。この言葉を、どこか(外国)へ去った真鈴に伝えることだけを使命に放浪をはじめる。物語の七割はこの意識を持ってしまったロボット「真悟」の壮絶な道行きで構成される。その道行きで「真悟」は損傷しつづけ、ほとんど解体され、最後は腕だけになり、ようやく辿り着いた港の埠頭に、「アイ」という二文字を刻んでついえる。
より詳細に述べれば、真悟は悟の言葉を伝えるために、真鈴に接近を試み、真鈴の皮膚細胞の一部とのみ接触することに成功する。そして実際には聞くことのなかった母(真鈴)の返事「サトル、ワタシハイマモアナタガスキデス」という文字列をつくり出す。この文字列をサトルに伝えようと彷徨したのち、残された最後のエネルギーを使って書き留めたものが、ア、イという二文字だった。
この砂浜に残された二文字を悟は目にするが、それが誰によって書かれたのか(そもそもは悟自身が打ち込んだ言葉が変形されていった残り滓)、悟にはわからない。
「イマモキミヲアイシテイマス」という文をいま読むとき、この文の不思議な構造ははっきりする。〈いまも〉とはいったいいつの〈いま〉か、言うまでもない、それはわれわれがいま、それを読むときの〈いま〉である。話し手がそれを発したときの〈いま〉を超えて、この文は〈いま〉をそのつど再生させ、溯って時間を組織する。すなわち「アイ」は(二人がこの世から消えてしまっていても)いまでも持続している。言葉こそが主体を再生=あらためて生む(この「アイ」こそがAI=知能の目覚めである、と。言葉〔メディウム〕こそが意識であり自覚である。それが楳図かずおの教えだった)。
*「「これから」という問いは、時間の連続を前提としている。「いま、ここ」という自覚は、連続した時間や空間を切断したときにこそ現れる。それは連続の中には解消できない。決していつ、どことも同じでない点である。だからこそ、それはいかなる知らない場所=いつ、どこにでも回帰する。朝、目覚めたときのように。いまも。」
**(岡﨑乾二郎「墓は語るか(墓とは何か)。」より)
*「墓の本質は生ある人たちの属す現世に向けた墓標の表現にあるのではない。その墓を作った、(その墓に葬られている人を知る)生ある人たちもいつか世を去る。そのとき墓は意味を失ってしまうのだろうか。いや決してそんなことはない。墓の働きは本来、こうした時間による推移に決して属すことのない別の時空(彼岸)をそこに内包(秘蔵)することにあったからである。
数千年の時を隔てた墓が訴えかけてくるものはこうした感情である。確かに、かつて死者を称え、現世の結束を誇示したモニュメントの意味などとうに失われている。むしろそこで示されるのは時間に属さない、よっていまも持続する存在である。だから墓に、現代的な意味で死後の世界という言葉を結びつけることは墓の本質を見誤ることにもなる。墓に込められていたのは、いつでも再生されうる(用意万端と待機している)時間である。古代遺跡が喚起させるところのものはこの感覚だろう。」
(たとえばはるか二五〇〇年前の墓に「ぼくは、いまもきみを愛しています」〔楳図かずお『わたしは真悟』〕と記されていたと想像してみよう。もちろん、その文の示していたはずの話し手である「ぼく」も言葉が向けられたはずの「きみ」もとっくにこの世にはいない。けれど、その文の「いまも」は二五〇〇年前のいまではなく、その墓碑銘をわたしたちがいま、読んだ、そのいまを〔いまも〕指している。すなわち、この文の中の「ぼく」も「きみ」も、特定できる人間としてはとっくに世を去って不在不明になっているが、その文を読むわれわれにとって、「いまも」はまさにいまであり、であれば、その文の意味である愛————「愛しています」も、このいま、いまだ持続し、読むたびに再生しているのだ)
特定される時間や空間(そこに属する特定の主体)から逃れること、離脱することにおいて、墓はいつまでもいまを持続し、語りつづける。いや語ることを可能にしつづける。わたしたちは自分たちの「言葉」を語る(いわば墓のように再生させる)。言葉は言葉である限り、かつて誰かが話した言葉、話すことは可能だった言葉にすぎないのだから。」
*「墓の表現は近世において大きく変貌する。墓碑は、死者を記念し————現世の人々が死者を想起するための徴となり、その記憶を現世秩序に留めるための記録ともなる。あるいはその死者への想い=感情を通じて、現世に生きる人々の感情を結束させるためのモニュメントのようにもなる。墓が内蔵していた世界の可能性————現世との特定の繋がりを断った存在つまり世界の可能性を匿う————という墓の可能性は忘れ去られてもいく。
とくに一九世紀以降、国民国家が成立する過程において、死者への追悼は現世における人々の結束と、その結束の過去から未来への持続を確認する重要な役割を担うようになる。それに伴って彫刻家にもとめられる仕事の多くをモニュメントが占めるようにもなった。」
*「芸術や文化に期待される役割は、ひたすら現世的関心の組織に向けられていく。が一方で、芸術家たちは、生の現在を突き詰めることが、かえって現世的な関心や秩序をはみ出してしまうことに気づくことになった。」
「こうして二〇世紀のはじめ(それは国民国家の完成期として全体主義国家が出現しつつある時代でもあった)、多くの芸術家たちは、かつて死の世界と呼ばれてきた領域が、むしろはるかに生き生きとそた、生の感覚の充実を示していたことを再認識するようになる、芸術の目的は何かを記録することではない。現世に生きる誰かの似姿(現世の誰からも認知されうる)を作ることでもない。現世において認知されうる「何か」=アイデンティティを脱落しても、なお持続する感覚の強度こそを実現することなのだ。」